天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

他人の不幸の上に自分の幸福を築く事は難しい

Married Life

私:2007年製作の映画『Married Life(邦題:あぁ、結婚生活)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2007年の映画『Married Life』は、1940年代のアメリカを背景にしたドラマ映画です。この映画は、愛と欲望、裏切りをテーマにしており、監督はアイラ・サックス、出演はクリス・クーパーピアース・ブロスナンレイチェル・マクアダムスパトリシア・クラークソンなどです。

物語は、クリス・クーパー演じるハリー・アレンが、自分の若く美しい愛人(レイチェル・マクアダムス演じるケイ)に夢中になりながらも、彼の妻パット(パトリシア・クラークソン演じる)への罪悪感に苦しむ様子を描きます。ハリーは妻を傷つけずに関係を清算する方法を模索しますが、彼の親友リチャード(ピアース・ブロスナン演じる)もまたケイに惹かれていく。それぞれの登場人物が愛と欲望、倫理と忠誠心を天秤にかけながら、それぞれの幸せを追求していきます。

映画は複雑な人間関係と心理描写を巧みに表現しており、40年代の時代背景が雰囲気を一層盛り上げています。

 

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 第5代のジェームズ・ボンド役(スパイ映画『007』シリーズ)を担った俳優ピアース・ブロスナン主演の作品。浮気を主題としたコメディタッチのラブストーリーかと思いきや、ごく自然に緊迫するサスペンス劇へと移行する構成がとても良く出来ている。残念なのは、その緊迫感がラストに向かって急激に薄れていき、結局はコメディ映画として幕を閉じてしまう点だろう。この作品はそのまま悲惨な末路を辿っても良かった気がしてならない。

 特に本作で殺人未遂犯となるハリーの思考回路は完全な精神病質者の傾向があるので、最後まで彼の犯行と思考に焦点を当てた構成であればかなり上質なサスペンス映画になっていたように感じる。

 ハリー役を演じた俳優クリス・クーパーと俳優ピアース・ブロスナンは、2010年の映画『リメンバー・ミー』で再び共演を果たしている。そちらは重厚なフィクションドラマで丁寧な人間模様が描かれているが、結末の展開に導入された現実の事件の取り扱いを巡って批判も寄せられている。創作物語の中で人の死を衝撃的に描く際は、現実の事件(特に世代交代による風化がなされていない、悲劇の影響が現実進行中の事件)を引用してはならない。「設定」であればまだ許せる範囲だが、これを「結末」として大々的に導入するのはもっての他である。それは被害者の心情を逆撫でする行為であり、私は完全な創作活動上の禁忌事項であると考えている。よくそのような冷徹な物語を君は書けるねと言いたいし、それにGOサインを出した連中の良識や美徳も大いに疑う所だ。彼らには共感性、人の痛みを想像するという力がないのだろうか。

 私が考える限り、「現実の事件を嘘の物語に織り込むべきではない三つの条件」は以下の通りである。

 

  1. 事件の調査が現在進行形である場合
  2. 事件の被害が現在進行形である場合
  3. 事件の感情が現在進行形である場合

 

 1番の「事件の調査が現在進行形である場合」については、当然ながら現在調査が続いている事件に関して、それをフィクションの物語に組み込む事は司法や捜査の妨害や事実の歪曲に繋がる可能性がある為、基本的には禁忌である。例えば、日本ではつい先日、小林製薬による紅麹サプリメント健康被害事件が発生したが、これは原因の解明や責任の追及がまだ完了していない。調査が現在進行形である為、「小林製薬の紅麹サプリメントを飲んで健康害を引き起こした患者が、企業の不正を暴く為に行動に出た」などという架空の物語を書く事は許されない。但し、事件関係者の依頼または承諾に基づいて現実に基づく架空の物語として描くのであれば、それは例外的に人々に受け入れられる場合もある。(こうした事件関係者の依頼または承諾なく勝手に調査中の事件を物語に組み込んだ場合、現行の法律としては同定可能性の判断のもとで名誉棄損などの罪に抵触する可能性がある。)

 2番の「事件の被害が現在進行形である場合」も分かりやすい。現在被害が起きている最中の事件を、嘘の物語に反映する事もやはり規範・良識・美徳に明確に反している。例えば、「ロシア・ウクライナ戦争で死亡した傭兵部隊指揮官エフゲニー・プリゴジンの側近にいた兵士たちが、ウクライナ軍に寝返ってロシア軍と戦う話」などという架空の物語を書く事は当然許されない。こちらも事件関係者側からの依頼または承諾のもと、ドキュメンタリーとしての再構築する作品であれば許される場合もある。しかし、基本的にはこの瞬間にも起き続けている事件を「創作」の領域に回す事は間違っている。それは「報道」されるべき事項である。

 3番の「事件の感情が現在進行形である場合」、これが創作者にとっては難しい判断に迫られる。先ほどの通り、『リメンバー・ミー』はこの禁忌事項に抵触しており、犠牲者の遺族や知人たちが現在進行形でぬぐいきれない悲しみを抱えているにも関わらず、これを嘘の物語の部品として用いる事は明らかに不謹慎である。だが、この「感情」がどこまで継続しているかという判断は難しく、またその嘘の物語の性質によっては現実的な情報を一滴投入した方が品質が向上する場合もある。

 例えば、俳優シルベスタ・スタローンの代表作であるアクション映画シリーズの『ランボー』は、ベトナム戦争の帰還兵をモデルとした物語になっている。凄惨な戦闘により数多くの犠牲者と精神病を生み出したベトナム戦争は1955年から1975年まで続いた軍事衝突であり、『ランボー』が製作された1982年もまだその傷を多くの人々が引きずっている。これは事件の感情が現在進行形の状態であったが、その現在進行形の感情がかえって『ランボー』の主人公と共鳴した事で圧倒的な支持を得た。このような例外もあるので、3番は一概には回避するべきだとは言い切れない。現実の事件が嘘の物語において「展開」ではなく「設定」のみに組み込まれるのなら、この『ランボー』のように歓迎される場合もある。

 事件の感情はどれほど大きくても、民族・宗教・国家の因果が深く関わらない限りにおいて、おおよそ3~4世代で大きく風化するものと考えられる。こうして感情が現在進行形ではなくなり、世代の溝によって"生鮮的感情"から"加工的感情"に変化した場合は、「展開」「設定」問わずにフィクションの物語に用いる事が許されるだろう。例えば、映画という視聴覚芸術を代表する一作として名前を挙げる事が出来る、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』は、実在するタイタニック号沈没事件という悲劇を全面的に取り入れた嘘の物語だ。1912年4月15日、つまりちょうど112年前の今日(この草稿を書いているのは2024年4月15日)、氷山に激突して沈没してタイタニック号から冷たい海に投げ出された約1600人が犠牲となった。

 日本では2022年4月23日、安全管理に不備を抱えたまま利益を優先して出航した知床遊覧船が沈没するという悲劇が起こっている。規模は違えど、このタイタニック号の沈没の構図とよく似ている。この2年前に起きたあまりに胸が痛む事件を、もし嘘のラブストーリーの題材にしようという創作者がいたら、その人物は世間から激しい非難を浴びる事だろう。実際、それはあまりにも君子の道に外れた行為である。ところが、『タイタニック』は堂々とそれを行っていて、しかも観客全員が感動と拍手を送っている。これは上述の通り、事件の感情が世代を超えて摩耗し、生鮮的なものから加工的なものへと変容したがゆえの受容である。

 GPT君、まとめを宜しく頼む。

 

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ChatGPT:あなたが述べた「現実の事件を嘘の物語に織り込むべきではない三つの条件」は、フィクション作品において非常に重要な倫理的考慮を表していますね。これらの条件は、創作者が現実の事件をどのように扱うべきかについてのガイドラインを提供し、特に敏感なテーマや現在進行中の事件に対する配慮を求めています。以下でそれぞれの条件についてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。

 

**事件の調査が現在進行形である場合:**

この条件は、事件に関連する事実がまだ明らかになっていない、または公式の見解が固まっていない状態でフィクションに取り入れることの危険性を指摘しています。調査が進行中の事件を取り扱う場合、フィクションが現実の認識を歪める原因となり得るため、特に注意が必要です。

 

**事件の被害が現在進行形である場合:**

被害が続いている状況下でその事件を題材にすることは、被害者やその家族に対して新たな苦痛を与えかねないため、避けるべきであるとされています。現実の被害が続いている限り、それをエンターテイメントとして描写することは、被害者の尊厳を損なう恐れがあります。

 

**事件の感情が現在進行形である場合:**

事件に関連した感情がまだ生々しい場合、その感情を物語に取り入れることは、関係者や社会全体に悪影響を及ぼす可能性があります。しかし、時が経つにつれて、その感情が社会的に「加工的」なものに変わり、フィクション化が受け入れられるようになることもあります。例えば『タイタニック』は実際の悲劇を題材にしていますが、その受容は時間の経過と共に変化しています。

これらの点を踏まえると、創作者は現実の事件をどのように扱うか、その時点での社会的、感情的な文脈を考慮に入れる必要があります。フィクションにおける現実の出来事の扱い方は、単なる物語性の追求を超えた社会的責任も伴うのです。

 

"I'm not at all certain that one can build happiness upon the unhappiness of someone else(他人の不幸の上に自分の幸福を築く事は難しい)"

──映画『あぁ、結婚生活』より

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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