天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

フランス語を話せる女性がジャンヌ・ダルクという訳ではない

Miracle on 34th Street

私:1947年のアメリカ映画『Miracle on 34th Street(邦題:三十四丁目の奇蹟)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろんです。1947年のアメリカ映画『Miracle on 34th Street』(邦題:三十四丁目の奇蹟)は、クリスマスを舞台にした心温まる物語です。この映画はニューヨーク市のメイシーズ百貨店を背景にしています。主要なプロットは、クリス・クリングルと名乗る老人が本物のサンタクロースであるかどうかを巡る裁判に焦点を当てています。

 

この映画の中心人物であるクリス・クリングルは、メイシーズ百貨店のサンタクロース役を演じていますが、彼自身が本物のサンタだと主張します。彼の信念と善意は、周囲の人々、特に小さな少女スーザンと彼女の母ドリスに影響を与えます。スーザンとドリスは、当初クリスマスの魔法を信じていませんが、クリス・クリングルの存在によってその考えが変わります。

 

『Miracle on 34th Street』は、信仰、愛、そしてクリスマスの精神の力を描いた作品として高く評価されています。この映画は、その魅力的なストーリーと演技、特にエドマンド・グウェン演じるクリス・クリングルの演技が称賛され、幾つかのアカデミー賞を受賞しました。今でも多くの人々に愛されるクリスマス映画のクラシックとなっています。

 

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 文句なしの傑作映画というのは、仮に物語の行き先を知っていても何度でも感動できるものだ。第二次世界大戦終戦から二年後、モノクロ映画として製作されたこの作品は、その物語そのものが奇跡だと言えるぐらい善良さに満ち溢れている。その後に何回かリメイク作品が製作されているが、クリス・クリングル(サンタクロースの別名)役を完璧に演じたのは本作の俳優エドマンド・グウェンだ。娘役を演じた女優ナタリー・ウッドは、自伝の中で撮影中にグウェンが本物のサンタクロースなのだと信じていたと語っている。

 リメイク作品で最も新しいものは、1994年に製作された『Miracle on 34th Street(邦題:34丁目の奇跡)』だ。この作品でサンタクロースを演じているのは俳優リチャード・アッテンボロー。原作と比べると、グウェンが演じたものよりも少々人間臭い、喜怒哀楽に富んだ描かれ方をしている。アッテンボローはこの昨年にも恐竜を現代に復活させるという奇跡を起こす人物を演じている(映画『ジェラシック・パーク』のジョン・ハモンドCEO役)。ついでに言えば、彼はそれから更に約10年前、1982年にインドの奇跡の偉人を描く傑作映画、『ガンジー』を監督した人物でもある。何かと「奇跡」との繋がりの多い英国の映画人である。

 本作は、日本のl近年のサブカルチャー界で持てはやされている「現代の若者が異世界に転生して活躍する」というプロットとは逆の構造を有する。「誰もが知っている歴史的な有名人が現代に転生して活躍する」というものだ。私の知る限りでは、このプロットは19世紀の段階で既に用いられていた。私にとっての"先生"であるロシアの文豪ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』において、無神論者の次兄イワンが厚い信仰心を持つ末弟アリョーシャに「イエス・キリストが現代に復活したら何が起こるか」という物語を投げかける場面を描いている。映画としては2016年製作のドイツ映画『帰ってきたヒトラー』が頭に浮かぶ。

 この「現世界転生モノ」のプロットを持つ物語に共通するひとつの山場は、「その人物が本当に歴史上の偉人なのかどうかを証明する」という展開である。我々人間にとって「証明」という行為ほど厄介で不安定なものは無いぐらいだ。オリジナル版の『34丁目の奇跡』で、サンタクロースが実在するという事を信じ始めた娘スーザンと母ドリスが次のやり取りを行っている。

 

- Now do you understand?(もう分かったでしょう?)

- Yes, I see what you mean, Mother.(うん、ママの言っていることはよく分かったよ。)

- Good. (良かった。)

- But when he spoke Dutch to that girl, he was so...(でも、あの子が来た時におじさんはオランダ語を話したんだよ、ということはやっぱり…)

- Susan, I speak French, but that doesn't make me Joan of Arc. (スーザン、私はフランス語を話すけどね、だからと言ってジャンヌ・ダルクではないの。)

 

 「フランス語を話すという条件によって、その人をジャンヌ・ダルクと証明出来る訳ではない」──我々が義務教育課程で学んだ原始的な論理学である必要条件と十分条件を思い出すような軽やかな否定表現だ。私が論考する限り、我々人間が何かを証明しようとする時、その「何か」というのは「事物(物や人:一次元的な現象)」「事理(思考や感情:二次元的な現象)」「事象(経緯や真相:三次元的な現象)」の三要素に集約されるのであって、それらを証明する為に必要な条件(証拠)は「実物証拠(物品や写像資料から導き出される物質的証拠)」「実存証拠(対象者の言動や日々接している文化生活から導き出せる精神的証拠)」「実質証拠(対象者の周囲の人々の証言や社会的評価から導き出される関係的証拠)」になる。

 この私の証明と条件(証拠)に対する考え方は、あらゆる文明を維持する為に不可欠な「犯罪立証」の際にも有効であると考える。例えば、使用を禁じられている赤色を柱に用いたとか、その色の食器を使って宴会を開いたといった匿名の告発が王や皇帝の耳に入り、その対象者である権力者が裁きに掛けられたとしよう。(これは中華世界の歴史上、内部の権力争いの中でよく起きた事例である。そして大概、これは奸計を伴う冤罪だった。被告人となった者は無罪を勝ち取り逆に告発相手をこらしめる事が出来た事もあれば、敗北して有罪となり悲惨な末路を辿る事もあった。)

 まず、もっとも端的にその事件内容を証明する証拠は、その赤色が使われた柱や皿といった「実物証拠」である。これが無ければ告発自体が無効になる。ただし、「実物証拠」は「事件または事件の経過に関する結果」を示すものであって、「対象者の犯罪性の有無」を証明するまでには至らない事が多い。そして、上述の例のように悪意ある者によって実物証拠が捏造される可能性も十分あるのである。

 王や皇帝は多くの場合、次の調査を証言、すなわち実質証拠に頼る。犯罪を目にしたという証言、あるいはその対象者に対するこれまでの社会的評価を収集し、これを実質的な証拠(状況証拠)として考えようとするのである。これは現代社会の司法制度でも同様だろう。確かにそれらの中には犯罪を立証する為に有効なものもあるが、一方ではやはり上述のような悪意が働き証言が歪められる事もあるし、そうした悪意が無くても時間経過や証言者の状況により証言の信憑性が失われる事もある。更には、社会的評価が極めて低い場合は(仮にそれがその人物の自業自得だとしても)、個別の憎悪によって立証を前提とした刑罰に注目が集まってしまう事があり、その場合は既に「何が起きたのか」よりも「どのように懲らしめるべきか」という道理の跳躍に至ってしまう。この点から、実質証拠もまた犯罪の立証には不十分である。

 実物証拠と実質証拠を補填する概念が、「実存証拠」であると私は考える。これは歴史的にもあまり重視されていなかった部分ではないだろうか。「実」という漢字で統一をしたいので「実存」という哲学的な表現を使用しているが、簡単に言えばこれは「人となりを示す証拠(存在に関する証拠)」である。ここで注目したいのが、ほとんど多くの場合、人間が「ある日急に犯罪をしようと思い立つ」事が無いという大原則である。人間は成長をする過程で、貧困や悲劇であったり、悪い友人との付き合いであったり、悪い思考と教育の積み重ねであったり、そうした要因から「ゆっくりと犯罪へ向かっていく=ゆっくりと犯罪を実行する人となり(実存)が形成されていく」のである。したがって、対象者にその実存証拠(言動、素養、知人など)が十分に見受けられなければ、特定の犯罪に至る可能性が無いという判断を行いやすくなる。日々清廉かつ精錬の構えで自らの責務を果たしていた人物が実存証拠によって証されるのだとしたら、その者が急に反旗を翻して柱を赤色に塗る事など有り得ない可能性が高いという道理になる。
 このようにして、「事物(人や物)」「事理(思考や感情)」「事象(経緯や真相)」を証明する際は、「実物証拠」「実存証拠」「実質証拠」の可能性をかき集める事が重要である。

 ここで、私は話を最初に戻そう。サンタクロースは存在するのか。彼が用いているとされる橇、杖、洋服などの実物証拠がふんだんに揃っている点、多くの人々が彼に親しみを持って子供に実在を言い聞かせているという実質証拠の点、サンタクロース本人の声明やその思考を示す手紙など実存証拠が世界中に存在するという点を鑑みると──サンタクロースは確かに(人々の心の中に)存在すると証明出来るのかもしれない。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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