天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

いじめは「犯罪」、いじめる者は「病気」

少年的你

私:2019年の中国・香港合作の映画『少年的你(邦題:少年の君)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:映画『少年的你』(邦題:少年の君)は2019年に公開された中国・香港合作の映画で、ジェイク・チャンが監督を務めています。この作品は、同名の小説「少年的你,如此美丽」を基にしており、校内暴力とその心理的影響をリアルに描いています。

物語は、主人公の周冬雨演じる陳念と、イー・ヤンチアン演じる小北の関係を中心に展開します。陳念は学業に優れた女子高生ですが、同級生からのいじめに悩まされています。一方、小北は学校の問題児で、陳念とは異なる背景を持ちながらも、彼女を守ろうとする姿勢を見せます。二人はお互いに支え合いながら、それぞれの困難に立ち向かっていきます。

この映画は、青春の脆さと強さを描きながら、社会的な問題に対する鋭い洞察を提供しており、観る者に深い印象を残します。

 

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 『少年的你』は中国の学校制度及びいじめ問題の非常に重苦しい社会劇と、生活環境が異なりながらも同じ孤独を抱える少年と少女が心を寄せ合うしなやかな恋愛劇が陰陽図のように溶け合う傑作だ。(社会劇の方は犯罪劇によって赤く色付けされている。)社会劇の方は妙に現実的で、恋愛劇の方は妙に幻想的。本来であれば結合しにくい主題だと思われるが、女子学生の陳念(チェン・ニェン)役を演じる周冬雨と小北(シャオベイ:本名は劉北山)役を演じる易烊千玺の両名を筆頭に、登場人物全員の演技が凄まじく良いので惹き込まれる。ただし本作は実話ではなく、あくまでも嘘の物語。エンドロール後の後日談テロップは少々やり過ぎで、もちろん手法としては一般的に存在するが、本作では不誠実な演出であると思う。(この後日談テロップ手法は、純粋な人が鑑賞すると実話だと勘違いをする可能性が高い。)

 それ以外は至高の芸術水準を誇ると思われる本作であるが、いじめを巡る人間関係や行為の陰湿さが丁寧に描かれている為、共感性が高い、あるいはいじめのトラウマを抱えている方は鑑賞は避けた方が良いかもしれない。直接的な暴力表現は可能な限り抑えられているが、それでも登場人物の心境を想うと苦しさがある。もっとも、いじめの加害者側には天意の鉄槌が下っていて、そのいじめを指導していた"女帝"の魏莱(ウェイ・ライ)は命を落としている。悪者が生き残る展開ではないので、そこに一定のカタルシスはある。(ウェイライは同じ発音で別の漢字を当てると「未来」にもなるが、自らその未来を踏みつぶしていたという展開も皮肉な小気味良さがある。)

 このいじめの首謀者である魏莱を演じる周也がまたはまり役で、その後の演技キャリアを心配するほど陰湿な気配を醸し出している。だが、この作品が巧みな点は、短いカットながらこの魏莱もまた「壊れた人間」である事が描写されているという点だろう。これが実に現実的なのだ。魏莱は他の中流または下流階級の学生たちとは違い、明らかに富裕層に属している。表面上は美しくて礼儀正しい令嬢に見えるが、彼女の家庭には人間らしい愛情がまったく流れていない。おそらく父親は抑圧的で情を持たない精神的暴力者であり、自分の思い通りにならないと怒り狂うタイプの人間だ。母親は世間の体裁と人脈を気にすることをだけを生きがいとしており、娘が他人を自殺に追い込むまでいじめを行った事を警察に追及された際は「被害者の方に原因があった!そもそもあいつらは家庭環境が卑しい!」などと狂った自己擁護を続けている。このどちらの親も娘を所有品と考えており、「愛して守る」「苦しみと喜びを分かち合う」「悪い事をしたら正しい方向へ導く」といった、良識と美徳のある家庭とは真逆の存在である。結果、必然的に魏莱は人間として闇を抱えて成長している。

 前回の映画『Somersault(邦題:15歳のダイアリー)』でも論考を施したが、現代社会はその文明的特徴から、人間の本能のうち「存在欲求」が暴走しやすい状態にある。私の三元論は、人間の本能を三要素に集約し、そこから更に三項目の分解が可能であると考えている。

 

・生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)…食欲、休息欲、運動欲

・知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)…技術、論理、方法

・存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)…物理的希求(触りたい/触られたい)、承認的希求(認めたい/認められたい)、帰属的希求(属したい/属されたい)

 

 勘の良い諸賢はここで気付くかもしれないが、現代社会の世界各国で横行している「いじめ」は、まさにこの「存在欲求」の全てを一瞬で満たす構造になっている。いじめは、暴力による支配(物理的希求の満足)、暴言による支配(承認的希求の満足)、組織による支配(帰属的希求の満足)をいとも簡単に行えるのだ。だからこそ、家庭の愛情に飢えて存在欲求が暴走し、不適応状態となった魏莱のような「壊れた人間」が、そのいじめ行為に飛びつくのである。悲しい事に、学校でいじめを行う者は極めて哀れな人物が多いのだ。だが、それだからと言っていじめを正当化するのは許される事ではなく、彼らには大人同様の厳罰を下さねばならない。そうでなければ、教育が瓦解し、引いては国家が瓦解するからである。

 ここに、存在欲求が暴走しやすい現代社会において掲げるべき、いじめに関する二つの論理学的なスローガンを掲げる。これは世界各国が遵守して欲しいと私は考えている。

 

・いじめは「犯罪」である。

・加害者は「病気」である。

・被害者に「原因」はない。

 

 病気を抱えた者が所かまわず石を投げ続ける。その石に当たった者が血を流す。これがいじめの本質的な構造である。ここで諸賢に聞きたい。石に当たった者に対して、「そんな場所を歩いていたから悪いんだ」「君が石を避けないから悪いんだ」と言えるだろうか?それはあまりに馬鹿げた話であり、論理学的な底知れぬ誤謬がある。石を投げる者は「病気」である。石が当たった者に「原因」はない。そして、石を投げるという行為は「犯罪」である。このいじめに関する大原則は、現代社会において決して忘れてはならない論理である。

 だが、そうした病気を患う者が、小石を投げただけでいちいち十字架に掛けられていたら、かえって教育の円滑な進行が妨げられてしまうばかりか、実は人間としての成長も阻害する事になる。小石をどう交わすか、またはどう抗うかといった力も、我々には必要なのだ。本当にうまい具合に人間は作られているように思うが、我々が社会的な生き物として成長する為には「小石を投げる病気の者」との接点も必要なのである。毒を喰らい、免疫を付ける必要があるという訳だ。

 よって、私はここにいじめ問題に対する三段階の解決法を提示する。(尚、これはどのような人間同士の衝突にも使える理論だ。)いじめ行為に相当する何らかの事象が判明した際、学校設置者またはその統括組織は、加害者とその保護者に対して「協力」を要請する。「このような行為が確認され、これは犯罪です。今回は処罰はしませんが、悔い改めて、教育環境の安全を保つよう協力をお願いします」と願うのだ。だが、それでもまた同じ対象者が同様の事件を起こしたとしよう。その時に行うべきは「注意」である。「再び同じ犯罪行為が確認されました。今後、改善が見受けられない場合は厳罰に処される可能性があります。十分に注意して日常生活と意識を改善して下さい」と促す。それでもまた同じような行為が確認されたのなら、「警告」を示す。「もう後が無いと考えて下さい。次にいじめ犯罪に及んだら、即座に規定の刑事罰を加えます」と断じる。その「警告」でも加害者の改善がなされなければ、その次の段階は警告内容の通り、加害者側の承諾なく即座に刑事罰(転校、罰金、禁錮等)に処すのだ。

 

<いじめ解決の基本三段階>

協力を願う:教育環境の安全を守るためにご協力ください

注意を促す:改善が見られなければ処罰となる可能性があります

警告を示す:次に同じ事をしたらすぐに処罰を与えます

処罰:転校、罰金、禁錮刑等

 

 では、そもそもいじめ犯罪とはどのように定義するべきか。これについても、私の三元論を活用して類型を定める事が出来る。いじめ犯罪は、先ほどの文章でも触れた通り、「物理的暴力」「精神的暴力」「組織的暴力」によって構成される。その要素を用いた基本の八類型は以下の通りである。「弱い」を1点、「強い」を2点と換算した際に示される数値が、括弧内の表示である。

 

  1. 弱い身体的暴力・弱い精神的暴力・弱い組織的暴力(3点)
  2. 弱い身体的暴力・強い精神的暴力・弱い組織的暴力(4点)
  3. 弱い身体的暴力・弱い精神的暴力・強い組織的暴力(4点)
  4. 強い身体的暴力・弱い精神的暴力・弱い組織的暴力(4点)
  5. 弱い身体的暴力・強い精神的暴力・強い組織的暴力(5点)
  6. 強い身体的暴力・強い精神的暴力・弱い組織的暴力(5点)
  7. 強い身体的暴力・弱い精神的暴力・強い組織的暴力(5点)
  8. 強い身体的暴力・強い精神的暴力・強い組織的暴力(6点)

 

 いじめ犯罪が確認された場合、その行為をいずれかの類型を適用する。先ほどの基本的な三段階の対処は「協力」→「注意」→「警告」であり、これは3点が蓄積された段階で次に進むべきだと私は考える。

 

「協力」:3点以上のいじめ犯罪に適応

「注意」:6点以上のいじめ犯罪に適応

「警告」:9点以上のいじめ犯罪に適応

 

※「処罰」は「1回以上の協力・注意・警告が行われている場合」に限り、12点以上で即座に適応するものとする。(この仕組みであれば自然と「1回以上の協力・注意・警告が行われている場合」という条件を満たす事になるが、念の為に「発砲する前に呼びかけはしましたよ」という前提条件を添えておくと公平である。)

 

 例えば、今回の映画の魏莱はいじめ犯罪が発覚した段階で8番に相当するので、この時点で「協力」措置を飛び越えて「注意」を行う。その後、彼女たちが微小ないじめ犯罪(1番)を行った場合は9点以上となるので「警告」が行われる。あるいは、本作のように魏莱たちが再び深刻ないじめ犯罪(8番)を行った場合は合計12点となるので、即座に刑事罰が適用される。転校はもちろん、証拠や被害に応じて罰金、禁錮刑へと移行する。この場合、いじめ犯罪が発覚してから対象者拘留の上、24時間以内に起訴へ移行する事が望ましい。

 私の三元論は、国家運営には人間の本能に基づく三つの制御棒が必要であると考えている。

 

・生存欲求の暴走を制御する棒:法律(規範をもたらす論理学:権利と義務を定義する)

・知的欲求の暴走を制御する棒:教育(良識をもたらす論理学:知るべき事と知るべきではない事を定義する)

・存在欲求の暴走を制御する棒:文化(美徳をもたらす論理学:望ましい事と望ましくない事を定義する)

 

 教育はその三本の制御棒のうちの一本であり、これが崩れると国家という建物の崩壊が恐ろしい速度で進む事になる。いじめ犯罪はこの教育という制御棒を破壊する最も深刻な要素のひとつである。つまり、このまま我々がいじめ犯罪を放置するほど、この国から"未来"が消える事になるのだ。私の方法を用いても、その他の方法を用いても何でも構わないが、とにかく次の大原則は現代社会の全世界で徹底するべきであると私は考える。

 

・いじめは「犯罪」である。

・加害者は「病気」である。

・被害者に「原因」はない。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

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著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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