天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

竈の神と門の神と奥の神

the days

2264年3月11日、論理学者として交換留学プログラムの特別講義を担当する事になった私は、異星人たちが集まる教室へと急いだ。この講義の主題は福島第一原発事故に関するものだった。

 大まかな原稿そのものはとっくの昔に書き終えていたのだが、つい1時間ほど前に目を通したところ「あまりに専門的過ぎて、地球の事情を知らない彼らには理解できない」と考え直し、慌てて最初から原稿を書き直したのである。こうして6分間の遅刻と共に教室へ駆け込んだ時、時間に厳格な異星人の生徒が目を細めて眉を持ち上げ、私の登場を冷たい目で見定めた。私はこの遅刻が予定していたものであったかのように平然と振る舞い、話し始めた。

 「皆さんが体験した今の『6分間』ですが、これが2011年の今日、3月11日、地球の日本という国で起きた大地震の継続時間でした。地球の地震は一般的にどーんと大きく数秒から十数秒揺れるのが普通ですが、その東日本大震災では6分間揺れ続けたのです。その後も、大きな余震が断続的に続きました。そしてその約30分後に、体験した事のない大津波が地域一帯を襲いました。海辺にいた人たちは、大きく迫り上がったドス黒い塊がこちらへ向かってくる光景を目の当たりにしました。この津波は大勢の人々の尊い命を一瞬で奪いました。この島国東北部の海辺の地域は、古い地名に因んで『三陸』と呼ばれていまして、1896年、1933年にも、同じように大きな地震津波の被害を受けています。現地では『ここまで津波が来たから、未来の人たちは気をつけて』という石碑も残っていまして、多くの家庭や学校では『津波が来たら人に構わず必死に高台に逃げて』という教訓が伝えられて来ました。それだけに災害には注意を払っていた地域なのですが、それでも人間というのはなかなか皆さんのように論理的に行動しきれない生命体でして、また今のように情報を保存・共有する便利な道具が普及しきれていなかった事もあり、2011年の大津波で甚大な被害を受けることになりました。この震災による死因の9割は、この大津波による溺死です。

 ここまで話した時、ひとりの異星人の生徒が「なぜ彼らは全員が高台に逃げなかったのですか?」という質問をした。私は答えた。「はい、もちろん津波の危険を知っていて、高台にすぐに逃げた人たちが大勢います。彼らの多くは助かりました。しかし、防災の知識に乏しかった人たちや、情報を得られる環境に無かった人たち、高齢者、子供など移動が困難な人を抱えていた人たちといった具合に、複雑な条件が重なって瞬時の正当な判断をしきれなかった事例も多くあったのです。皆さんだって、そうではありませんか?宇宙を航海している過程で予想外の混沌とした星団の地域に入ってしまい、四方八方を岩石の屑に囲まれてしまったとしたら、瞬時にどの方角へ進むべきか、あるいは止まるか、戻るべきか、その判断に苦しむはずです。どの選択も見通しが立ちませんからね。これに関する話で悲しい事例は、宮城県石巻市の旧大川小学校で起きた出来事です。この小学校は地形上、三つの危険がありました。まずは裏山です。そちらは高台ですが、余震が続いていたので土砂災害の危険がありました。次は陸です。海からは4kmほど離れた場所でしたが、その陸からも津波が来る危険がありました。その次は川です。近くに流れている北上川から逆流の氾濫が起こる危険がありました。子どもを命を守らねばならないという責任を負った教員の皆さんは悩み抜いた末に、子どもたちと共に川の方面へ避難する選択をしました。しかし、結果としては川を伝って押し寄せた津波に飲まれ、児童108名中74名と教員10名が亡くなりました。」

 異星人たちが眉を細めた。中には悲しげに俯く者もいた。私はもうひとつの出来事を話した。

 「この出来事とは逆に、岩手県釜石市の3000人近い小学校、中学生の子供たちのほとんど全員が高台に避難して助かったという出来事もあります。これは『釜石の奇跡』とも呼ばれています。この地域では特に『高台へ逃げろ、自分の命を守れ』の防災教育が徹底されていましたので、子供たちが独自判断のもとで山や高い場所に逃げることが出来たのです。奇跡の生還の話ですと、宮城県女川町にある水産加工会社『佐藤水産』で起きた出来事も、皆さんに伝えておきましょう。この会社の専務だった佐藤充という方が、中国の大連から出稼ぎに来ていた研修生20人を急いで高台へ誘導させたのです。その後、彼は宿舎に残った研修生がいないか確認に戻りましたが、そこで津波に飲まれてしまって命を落としました。当時の日本と中国は政治的に緊張した関係にあったのですが、文化・経済・歴史の中では常に隣人であり続けている朋友です。佐藤さんの犠牲に対して、中国の新聞は『愛に国境はない』と書き、深い感謝と追悼の意を示しました。ただし、彼らが助かったからと言ってそれで全てが解決したわけではありません。生存者たちは『自分だけがどうして助かったのか』という罪悪感を抱え続けています。これを心理学的には『サバイバーズ・ギルド』と言います。その深い心の傷はどれだけ時間が経過しようとも、癒えるものではありません。生還した方には犠牲になった方々の分も素晴らしい人生を歩んで欲しい生きて欲しい──そのように、私は願っています。」

 教室が静まり返っていた。この異星人たちは共感性に欠けると評価される事があるが、決してそのような事はない。彼らはむしろ、我々以上に哀しみや憐れみを覚える種族であると、私は知っている。ただ、その感情を表に出す事が不作法であるとされているから、他人から見ると冷徹そうな態度を取るのである。私は「この大津波がもたらした被害は人だけではありませんでした。福島にあった原子力発電所に深刻な損傷を与えたのです。」と言って、立体映像を教室に映し出す準備を始めた。そして、私は編集を施した立体映像を流した。

 私たちはしばらく、原子力発電の危険性に焦点を当てた21世紀の映画作品を鑑賞した。1986年のチェルノブイリ原発事故を主題とした『チェルノブイリ ーCHERNOBYLー』『チェルノブイリ1986』、2011年の福島第一原発事故を主題とした『Fukushima50』『太陽の蓋』『The Days』、原発における核廃棄物問題を取り扱った『100,000年後の安全』、世界的な歴史を追体験するシリーズ『世界に衝撃を与えた日 No.9 マンハッタン計画の始まりとチェルノブイリ原発事故』、全7作品である。鑑賞後、ひとりが手を挙げて言った。「事実を再現する物語であるはずなのに、なぜ作品によって内容が違うのですか?」私はこう答えた。

 「我々の物語は、事実が題材であっても、それをそのまま描かないことが多くあります。ある時には自分たちに都合よく歪めて色を付けたり、あるいは都合の悪い部分を全て黒く塗りつぶすことがあります。例えば、『Fukushima50』は自民党という日本の勢力が制作に影響していますので、物語の中で描かれている民主党という対立的な勢力を喜劇のような悪役として描いています。『太陽の蓋』はそれとは逆に、民主党の勢力が制作に影響していますので、民主党の登場者たちは被害者ないし英雄として描かれています。『チェルノブイリ ーCHERNOBYLー』は、そこに登場するソ連と対立的な立場にあったアメリカが制作しているので、かなり深く組織の問題に切り込んでいます。『チェルノブイリ1986』はそのソ連を引き継いで新たに誕生したロシアが制作しているので、当時の政治的な大失態を全て削除して、単純なアクション映画に仕上げています。こういった具合に、私たちの事実に基づく映画は制作者の意図が大きく反映されるので、嘘である部分と本当の部分を自分の頭で分けながら、冷静に読み解く必要があります。」

 異星人たちは「事実を伝える作品なのに嘘を描く」という人間の創造性や悪意を理解しにくいようだった。私は言った。「要するに、我々の多くは常に都合よく生きているのです。私の『三元論』という理論では、人間には三つの本能があることを定めています。それは生きたい、身体的に健やかでありたいという『生存欲求』。知りたい、精神的に健やかでありたいという『知的欲求』。繋がりたい、関係的に健やかでありたいという『存在欲求』です。これらの欲求のうち、特に『存在欲求』の連鎖が加速すると、統治者やメディアによって情報が捻じ曲げられたり、消されたり、改造されたりする訳です。これらの欲求を制御する為に必要なのは、やって良い事とやってはならない事を示す『規範』、知るべき事と知るべきではない事を示す『良識』、積極的に守るべき事と何としても避けるべき事を示す『美徳』、それぞれの論理的な装置が必要となります。この規範、良識、美徳は、文明を構成する道具と論理と方法が向上して高度化するほど簡素かつ絶対的に遵守ものにするべきであり、そうでなければ道具と論理と方法のいずれかの領域において大規模な事件が起こる事になります。道具とは技術、論理とは思想、方法とは組織を意味します。これを私の基本的な八類型に集約すると、次の組み合わせが生じます。」

 私は機器を操作して、その一覧表を提示した。

 

  1. 弱い技術的課題・弱い思考的課題・弱い組織的課題
  2. 弱い技術的課題・強い思考的課題・弱い組織的課題
  3. 弱い技術的課題・弱い思考的課題・強い組織的課題
  4. 弱い技術的課題・強い思考的課題・強い組織的課題
  5. 強い技術的課題・弱い思考的課題・弱い組織的課題
  6. 強い技術的課題・強い思考的課題・弱い組織的課題
  7. 強い技術的課題・弱い思考的課題・強い組織的課題
  8. 強い技術的課題・強い思考的課題・強い組織的課題

 

 「高度化した社会が起こす大規模な事件というのは、この8種類のいずれかの事項に帰属するというのが私の考えです。福島第一原発事故と呼ばれる大惨事は、私が考える限りでは、もっとも深刻な8番に属します。先ほど皆さんに観て頂いたチェルノブイリ原発事故も同様です。技術や組織の課題についてはすぐに理解できると思いますが、『思想の課題』というのは、想起をしにくいと思います。この『思想の課題』は、実は1950年代から始まっています。日本はこの時期に、原子力発電の導入を検討し始めました。そして1960年11月、三陸地域の一部である福島県東京電力という電力会社に対して『私たちの場所に原子力発電所を作ってください』と初めて打診を行いました。」

 異星人たちが一斉にざわめいた。(実際には、ざわめきというよりも、何か小さく頭を左右に動かすような仕草であった。しかしそれは、彼らには最大級のざわめきであるに違いない。)そして、ひとりの生徒が手を挙げて言った。「論理的に2つの点が大きく矛盾しています。私たちが地球の歴史を知る限り、その日本という国は歴史上唯一の被爆国であるはずです。原子力技術の恐怖を体験した唯一の国であれば、どうしてそのような恐怖の技術を国内に招き入れることに簡単に賛成したのでしょうか?また、あなたは先ほど、三陸地方が古くから津波による被害を受ける地域であると言いました。自然災害の危険が多い地域で、防災意識の伝承がなされている福島の人々が、どうして原子力発電を招き入れたいと考えたのでしょうか?」

 「鋭い質問です。」と言って、私はうなずいた。そして、こう続けた。「それこそが『強い思想的課題』なのです。端的に言えば、人間は先ほどの本能的な欲求を集団化させると、『他の選択肢を考える事を止めてしまう』事があります。それが思想的課題です。これは先ほどの世界戦争の引き金となったドイツにおいても顕著に示されました。当時のドイツ社会は疲弊し、未来が見えない状況にありました。そこに、ヒトラーという指導者が率いるナチスという政党が現れ、小学生でも理解できるような『完璧かつシンプルで過激なスローガン』を掲げました。規範・良識・美徳が正しく機能していている人々はその馬鹿げた考えを一蹴しましたが、思考を停止させてしまった多くの人々はその分かりやすい選択に飛びつきました。誰が考えても最終的には絶対に破滅する選択であるのに、他の道を考える力を失ってしまうのです。日本はアメリカから原子爆弾を2発落とされて敗北した後、何とか社会・文化・産業を立て直そうとしていました。しかし、当時の日本には再び社会を躍進させるための技術・思想・組織が欠けていました。その時、魔法のように登場したのが原子力発電技術でした。この夢のようなチケットがあれば、国を立て直す近道に入れると考えて、集団的本能が肥大化した結果、他の安全な選択肢を考えることを止め、地域や世界に危険をもたらす可能性のある道具であると知りながら、それを国内に導入しようという動きを一気に進めてしまいました。福島もやはり他の選択を思考することを止めて、積極的な原子力発電所の誘致へ乗り出しました。原子力発電所を呼び込んだ福島県双葉郡大熊町は地形的に農業・漁業を行いにくく、他の産業も育たない過疎地だったので、現地の人々は苦しい生活を送っていました。そこに、『絶対に危険のない未来のエネルギーだ』『この発電所をここに作ればたくさんのお金がもらえる』『そこからたくさんの雇用が生まれて、若者たちも一流企業に入れるようになる』という甘言が入って来たので、他の選択肢を模索する努力を怠り、これに飛びついてしまったという訳です。」

 異星人が「そこの統治者ではなく、生活している人たちは反対しなかったのですか?地震が来たら危ないと分かっていたのではありませんか?」と質問した。私は答えた。「そうです。彼らは危ないと頭の中で分かっていました。当時の資料などに目を通すと、現地の住民が『原発ができておっかねえことはおっかねえけども、原発がなかったころには俺たちこんな暮らしできなかったもんな』という言葉を口にしていたという話に出会います。自分たちが良い暮らしさえできれば良い。大丈夫、危険はないはずだ。彼らはそう思い込むことにしました。心理学で言えば、このように『破滅的な結末を明らかに推測していながらも、それが起きないと自分自身を信じ込ませて、誤った選択を行う行為』は『正常化バイアス』と呼ばれます。私は『本能の暴走による節制(規範・良識・美徳)の融解』と呼んでいます。このように、福島第一原発事故が起こるまでにおいて長い時間をかけて、強い思想的課題が生じていったという点を指摘できます。」

 「一般の民衆が危険を十分に理解せず、考えることを止めるという点は、我々にも理解できます。しかし、専門家の人々はどのように考えていたのですか?津波を想定して対策をしていなかったのですか?」という質問が出た。私は答えた。「それも良い質問です。その点が、技術的課題と組織的課題に直結する部分となります。福島第一原発を運営していたのは東京電力という会社です。この会社にいる専門家は、東日本大震災で起きた15m級の津波を、実は事前に想定していました。しかし、その専門家の意見を、その上部にいる経営者たちが聞き入れませんでした。これは日本に限ったことではありません。当時の世界の管理者たちは、往々にして安全よりも利益を優先する事があり、その結果として大惨事を引き起こしています。例えば、1986年1月28日に有人の宇宙船チャレンジャー号が発射直後に爆発したという悲劇的な事件が起きました。これは宇宙船開発の管理者であるNASA社の上層部が利益と実績確保の為に、現場の不具合部品に関する警告を無視した事によって起きました。規範・良識・美徳を無視した不適切な命令を下す体制は組織的課題であり、また限られた予算・資源・人材の中で安全な装置を生み出せなかった技術的課題でもあります。東京電力も、原発事業を統括する政府も、それらの課題を抱えながら津波に対する対策を取らなかったので、発電所津波が流れ込んで電源設備を全て喪失し、炉心融解を引き起こしたのです。組織的課題と言えば、チェルノブイリ原発事故を始めとしたソ連時代の幾つかの放射線汚染事故は、特にその傾向が色濃く出ています。崩壊するまで、ソ連という組織は常に100点の答案を出し続け、0点の答案を全て隠す体制でした。厳格な官僚主義により、彼らは意図的に人々に思考を停止させる体制を構築していました。その組織的課題によって、放射線汚染事故の情報は、外国どころか周囲の住民たちにも隠蔽され続けました。ソ連チェルノブイリ原発事故の核心的な情報を隠蔽したせいで被爆の健康害を受けた人々が無数にいます。その影響を算出する事は不可能です。」

 異星人たちが再びざわめいた。「あまりに非論理的です」「なぜ今まであなた方の種族が繁栄を続けて来たか分かりかねます」「今はどのような対策が取られているのですか」などの意見が出た。私は「皆さんの言う通り、我々は賢さと愚かさの応酬を繰り返しながら、なぜか奇跡的に繁栄を続けて来られました。どのように賢さを保って愚かさを制御するべきかの模索を続けています。私は先ほど言ったように、その本能の制御棒は規範・良識・美徳であると感げています」と言って、その後にこう続けた。

 「また、私は『有事における三権分立の原則』という考えを持っています。これもやはり、私の『三元論』に基づいて構築したものです。自然災害、放射線汚染、戦争などが起きた時、その事件を収拾する為に命を賭ける人物の要素はそれは『実行者』『専門家』『管理人』となります。『実行者』は物理的な貢献を果たす人物であり、『専門家』は概念的な貢献を果たす人物であり、『管理人』は体制的な貢献を果たす人物です。もちろん緊急性の高い現場ではその複数の要素をひとりが抱えることもありますが、基本的には有事においては自分の所属する要素を固定化する事が重要であると、私は考えています。中国の古代世界では『五祭神』というものがありまして、それは『奥の神、竈(かまど)の神、戸の神、門の神、道の神』となります。それを上手くここで用いましょう。『竈の神』は『実行者』であり、作業・記録・報告を行う存在です。『門の神』は『専門家』であり、分析・構想・提案を行う存在です。『奥の神』は『管理人』であり、調整・統制・命令を行う存在です。平時であればお互いに仲良くやれば良って、ある程度は別の神が担当している仕事も行っても良いのですが、有事では絶対にそれをやってはいけないというのが、私の考えです。また、協力の循環は常に同じ方向へ進むことが推奨されます。例えば、火事が起きたとしましょう。『竈の神(実行者)』は鎮火作業を行いながら、その状況を逐一記録して、これを『門の神(専門家)』に報告をします。『門の神』はその報告を受けて、現在の状況を正しく理解した上で火事収束に向けた展望を構想し、これを『奥の神(管理者)』に提案をします。『奥の神』はその報告を受けて、提案に準じて消火と復旧の為の組織を調整し、憶測や流布により混乱が出ないよう情報を統制した上で、『竈の神』に新しい作業の命令を行います。実行者は特に状況変化によって命令を待たずに独立行動する事もあるでしょうが、それが規範・良識・美徳に基づく行動であるのなら許されるべきです。福島第一原発事故において『竈の神』として活動した吉田所長らの『奥の神』命令を待たない緊急冷却対応は、まさにその原則外行動として許されるべきです。とは言え、生存欲求に直結するような緊急性の高い場合を除いて、原則的に有事における神様の循環は守られるべきだと私は考えます。『奥の神』が『門の神』に命令する事は許されませんし、『門の神』が『竈の神』に提案する事も許されませんし、『竈の神』が『奥の神』に報告する事も許されません。それを行うと、全ての神が混乱する事になるからです。私の見解では、福島第一原発事故において、ひとり怒り狂って、無意味に他の神の足並みを乱し続けていた『奥の神』がいましたが、あれこそがもっとも最悪の事例です。この有事における循環原則を言語として表現しますと、こうなります。」

 私はそう言って機器を操作し、空間に資料を示した。

 

<有事における三権分立の原則>

第1条:役割の定義

  1. 実行者(竈の神):管理人の命令に基づき収拾の作業を行い、現場の常時記録を経て、その記録を専門家に報告する。
  2. 専門家(門の神):実行者の報告に基づき現状の分析を行い、戦略的な構想を経て、その構想を管理人に提案する。
  3. 管理人(奥の神):専門家からの提案に基づき組織の調整を行い、情報の統制を経て、実行者に命令を行う。

 

第2条:有事収拾までに負うべき義務

  1. 実行者は、勇気に基づいて作業・記録・報告を実行し、技術的課題を解決する為に一切の躊躇をしてはならない。
  2. 専門家は、善意に基づいて分析・構想・提案を実行し、思考的課題を解決する為に一切の躊躇をしてはならない。
  3. 管理人は、責任に基づいて調整・統制・命令を実行し、組織的課題を解決する為に一切の躊躇をしてはならない。

 

第3条:職務の独立と循環

  1. 実行者、専門家、管理人の各役割は独立しするべきであり、他の役割を代行することは禁じられることが望ましい。
  2. 実行者、専門家、管理人の協力の循環は固定するべきであり、その方向を逆転させることは禁じられることが望ましい。
  3. 但し、身体的な健康害の発生または拡散を瞬間的に制止しなければならない事象に臨む実行者またはほかの職務者は、社会的な規範・良識・美徳に基づいて自ら判断し、最善と思われる言動を取ることが望ましい。

 

 私は頭を持ち上げて、壁に掛かっている時計を確認した。時計はちょうど、東日本大震災の発生日時の付近を示していた。ふと、私は虚しさを覚えた。異星人たちが私に投げかけた疑問はもっともだ。我々は非論理的であり、学習をせず、利欲にまみれている。同じ問題を古代から繰り返しているが、社会の高度化にしたがって、その問題の規模が肥大化し続けている。「なぜこの種族が繁栄を続けているのか?」という疑問に、私は答えられない。天がそうさせているとしか言いようがない。だが、どこまで天が我々の無作法を許してくれるのかは分からない。

 

It was all very well to say “Drink me,” but the wise little Alice was not going to do that in a hurry. “No, I’ll look first,” she said, “and see whether it’s marked ‘poison’ or not”; for she had read several nice little histories about children who had got burnt, and eaten up by wild beasts and other unpleasant things, all because they would not remember the simple rules their friends had taught them: such as, that a red-hot poker will burn you if you hold it too long; and that if you cut your finger very deeply with a knife, it usually bleeds; and she had never forgotten that, if you drink much from a bottle marked “poison,” it is almost certain to disagree with you, sooner or later.

「飲め」と書かれているのは分かるけれど、賢明な小さなアリスはそんなに急いでそれをするつもりはなかった。「いいえ、まずはよく見てみなきゃね」と彼女は言った。まずは「毒」と書かれているかどうかを確認する。なぜなら、彼女は子どもたちがやけどをしたり、野生の獣に食べられたり、その他の嫌なことに遭遇する話を何度も読んだことがあった。それはすべて、単純なルールを守らなかったために起きるのだ。例えば、赤く熱くなったポーカーは、長く持っているとやけどをするし、ナイフで指を深く切ると、通常は出血する。当たり前の事なのに、それを守らずに怪我をする子がたくさんいるのだ。

──ルイス・キャロル不思議の国のアリス

 

※画像:DALL-E

※補足:「巨大ポンプ車『大キリン』を無償提供 原発事故の危機的状況を救った中国企業」という記事を目にして、本記事の主題を設定した。福島第一原発には、1号機に392本、2号機に615本、3号機に566本、4号機に1535本の使用済み核燃料がプール内に保管されていた。このうち後者の4号機の冷却の技術的課題を解決してくれた人物が中国出身の龍潤生さんだった。彼は福島第一原発事故の状況を注視し、原発上部からの散水冷却が必要だと知るや否や、世界一長い62mアームを持つコンクリートポンプ車を無償で手配しれくれたのだ。感謝に堪えない。彼は親から『滴水之恩,涌泉相报(一滴の水の恩には、湧き水で報いる)』という言葉をよく聞かされて育ち、留学生時代に日本から受けた恩を返すべく行動をしてくれたという。先の佐藤充さん然り、天はそのような崇高な良識と美徳を持つ人も生み出しているのだ。天はまだ、人を滅ぼそうとしているわけではないのかもしれない。

※補足:私が用いる「天」という用語には特定の宗教観や思想は反映されていない。それは具体的な対象物ではなく、この世の物理的法則や運命のリズムのような、人が捉えきれない壮大かつ深遠な事象を想起するものだ。

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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