天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

チャーリーは消去法か、それとも積極法か

Charlie and the Chocolate Factory

私:1971年の映画『Willy Wonka & the Chocolate Factory(邦題:夢のチョコレート工場)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:1971年の映画『Willy Wonka & the Chocolate Factory』(邦題:夢のチョコレート工場)は、ロアルド・ダールの児童文学『チョコレート工場の秘密』を基に制作されたファンタジー映画です。監督はメル・スチュアート、主演はジーン・ワイルダーがウィリー・ウォンカ役を演じています。

この物語は、貧しい少年チャーリー・バケットが、他の4人の子供たちと共に、伝説的なチョコレート製造者ウィリー・ウォンカの工場見学に参加することから始まります。ウォンカ氏は、彼の秘密の世界を見た5人の幸運な子供たちに、特別な金のチケットを提供しました。工場内での冒険を通じて、チャーリーはウォンカの個性や工場の不思議な秘密を次々に発見していきます。

この映画は、その独特なビジュアルスタイル、カラフルで幻想的なセット、そしてユニークなキャラクターたちで知られ、多くの観客に愛されています。ジーン・ワイルダーの演技も高く評価されており、映画の中でも特に記憶に残る役割を果たしています。

 

私:2005年の映画『Charlie and the Chocolate Factory(邦題:チャーリーとチョコレート工場)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2005年の映画『Charlie and the Chocolate Factory』(邦題:チャーリーとチョコレート工場)は、ロアルド・ダールの同名の児童小説に基づいており、ティム・バートンが監督を務めています。ジョニー・デップが変わり者のチョコレート工場主、ウィリー・ウォンカを演じています。

この物語は、貧しい少年チャーリー・バケットが、偶然にもウィリー・ウォンカのチョコレート工場見学に参加できる金のチケットを手に入れることから始まります。チャーリーと他の当選者たちは、ウォンカの奇想天外で大規模な工場内を探検します。工場見学は、参加者それぞれの性格と行動によって異なる結果をもたらし、最終的にはチャーリーの純粋さと誠実さが重要な役割を果たします。

映画は、ティム・バートン特有のゴシックとファンタジーが融合したビジュアルスタイルで描かれ、ジョニー・デップの独特な演技が特徴的です。また、映画の特殊効果やカラフルなセットデザインも観客を魅了しました。

 

私:2023年の映画『Wonka(ウォンカとチョコレート工場のはじまり)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2023年の映画『Wonka』は、ポール・キング監督によるミュージカル・ファンタジー・コメディで、ロアルド・ダールの有名な小説のキャラクター、ウィリー・ウォンカの起源を探る作品です。主演のティモシー・シャラメが若き日のウィリー・ウォンカを演じ、自分のチョコレート店を開く夢を追い求めます。物語は、ウォンカが彼の革新を抑えようとする強力なチョコレート業界カルテルに直面しながら挑戦を乗り越えていく様子を追います。ウォンカは、孤児のヌードルという味方と共に、企業の妨害や法的トラブルを克服していきます。

映画は、ウォンカが最終的に夢のチョコレート店を開く場面でクライマックスを迎え、友情や愛する人との瞬間を共有することの重要性についての深いメッセージを発見します。

『Wonka』は、企業の強欲を批判しつつ、ファンタジカルでありながらもグリッティーな世界を創造する鮮やかなプロダクションデザインで物語性を表現しています。また、家族や友情のテーマにも触れ、個人の夢を追求することと個人関係が共存できることを強調しています。

 

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 1916年、ウェールズの裕福な造船業者の家に生まれたロアルド・ダール。著名な冒険家ロアルド・アムンセンに因んで名づけられた彼は、4歳の時に父親が病気で失った。母親は故郷のノルウェーに戻るべきかどうか迷ったが、ウェールズの教育が世界最高であると信じていた為、ダールと妹をこの地で育てる事にした。だが、ダールの学生時代は不幸の連続だった。セント・ピーターズ寄宿学校ではひどいホームシックに掛かって、その後に13歳から通い始めたレプトン・スクールではいじめと体罰が横行する残忍な環境に耐えなければならなかった。この暗い経験が、後に"世界中で3億部以上を売り上げた偉大な英国人作家"として知られる事になるダールの作風に大きな影響を与える事になる。

 この彼にとって暗黒の時代に僅かな心地よい気晴らしがあったとすれば、それはキャドバリー・チョコレート・カンパニーが定期的に学校へ送っていたチョコ―レート製品であったろう。この会社はここの学生を使って新作製品のテストをしていたのだ。このチョコレート会社とのささやかな思い出もまた、彼が後に生み出すダークファンタジー作品に活かされる事になる。

 第二次世界大戦では空軍パイロットに従事する一方で、作家C・S・フォレスターとの出会いを通じて元々興味のあった文学活動を開始。1942年に戦争手記を出版した後、翌1943年に初の児童書となる『グレムリン』を発表。ここから大人向け、児童向けそれぞれの作品の執筆を次々に行い、1964年に先『チョコレート工場の秘密』を発表。既に児童作家として大きな名声を受けていた彼のこの作品は大いに受け、パラマウント社が実写化の権利を獲得。ダール本人が脚本家として再構成をし始めたが、複数の脚本を執筆していた彼はこれを期日までに間に合わせる事が出来ず、ホラー映画『オーメン』などで知られるデビッド・セルツァーが穴埋めを担当。セルツァーはダールの脚本のほぼ3割程度書き直して、これを提出。こうして1971年、俳優ジーン・ワイルダー主演によるミュージカルを交えたダークファンタジー映画『夢のチョコレート工場』が生み出される事になった。興行収入面では大失敗に終わった本作はパラマウント社から見捨てられ、しばらくビデオソフト化はお蔵入り。しかし異様な魅力があると感じたワーナーブラザーズ社が権利を買い取ってビデオ販売を始めた所、作品のファンが急増。こうして『夢のチョコレート工場』は欧米人を中心とした子供たちに大いに気に入られる所となった。

 だが、『夢のチョコレート工場』は原作者には気に入られなかったらしい。脚本家セルツァーはチョコレート工場の創始者であり発明家の「子供染みて気まぐれなウィリー・ウォンカ」を中心に脚本を書き直していた。原作とは異なり、主人公チャーリーの父親がいなかったり(ウォンカをチャーリーにとって父親のような存在として位置づけたかったらしい)、子供たちの悪事を唆すアーサー・スラグワース氏という新たな人物が登場していたり、天罰を受けた子供たちが工場から去るシーンを描かなかったりと、幾つかの点でダールの原作から逸脱する所があった。20世紀以降の複雑化した娯楽文化においてすっかりお馴染みとなった「創造物における原作者と製作者の間に起きる対立・衝突・分断」がここに起きた結果、ダールは続編『ガラスのエレベーター 世界にとびだす』の実写化を許可しなかった。

 1990年にダールが逝去した後、ワーナーブラザーズ社は再び『チョコレート工場の秘密』を実写化するプロジェクトを立ち上げる。こうして2005年、ティム・バートン監督、俳優ジョニー・デップ、俳優フレディ・ハイモア、女優ヘレナ・ボナム=カーターらが参加した映画『チャーリーとチョコレート工場』を製作。この作品で初めて「ウォンカ」と出会った鑑賞者も多く、評価は概ね好評。当時の俳優ジョニー・デップらしい奇怪な演技やOompa Loompa(ピグミー族をモデルとした架空のキャラクター)のミュージカル劇を気に入った子供たちも多かった。この時期、バートン監督と実質婚の状態だったヘレナ・ボナム=カーターの母親役も上手に機能していたし、俳優フレディ・ハイモアも完璧にチャーリー役をこなしていた。原作小説にもかなり忠実で、大きく付け加えたプロットはウォンカの子供時代に関する描写ぐらいである。それにも関わらず、原作小説や1971年版のファンたちからは賛否両論。自分が最初に愛した作品の魅力との違いに戸惑ったのだろう。

 その後、ワーナーブラザーズ社は2017年にアニメ「トムとジェリー」シリーズから『トムとジェリー 夢のチョコレート工場』を発表。こちらは1971年版の『夢のチョコレート工場』をそのままトムとジェリーの世界に融合した児童アニメだ。そして、現時点で最新となる『夢のチョコレート工場』と我々との関わりは、2023年に製作された『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』となる。前作のティム・バートン監督作品との関わりはなく(宣伝の失敗により、その関わりを期待しながら鑑賞して拍子抜けしたという人も多かったかもしれない)、原作小説や1971年版との関わりも薄い。ありきたりなプロットの寄せ集めと何となく心地良いが印象には全く残らないミュージカル劇が進行する、薬にも毒にもならない作品。俳優ヒュー・グラントが演じるOompa Loompaには多少の小気味良さがあり、1971年版の楽曲をリブートも美しかったが、それらは衝撃を残すという程の芸術性はない。"ミスター・ビーン"で知られる俳優ローワン・アトキンソンの使い方も退屈と言えるぐらいで、非常に勿体ない印象を覚えた。だがこれもまた、私がティム・バートン監督版のチョコレート工場をベースに感じているがゆえの違和感であって、原作小説版が好きな者、1971年版が好きな者、この作品で初めてウォンカ達に出会った者は、また違う印象を持つかもしれない。(この作品はどこから工場に入ったかで、それぞれの感覚が大きく変わる。)

 ダールの原作小説を実写化した映画としては特に1971年版の『夢のチョコレート工場』と2005年版の『チャーリーとチョコレート工場』の2本が有名な作品という事になる。この両作品においては、共通するラストシーン付近で決定的な論理性の違いがあり、そこに私は象徴的な興味深さを覚えている。そのシーンというのは、主人公チャーリーがウォンカから「勝利」を言い渡される場面。ウォンカは5人の子供たちを工場見学に呼び、そこで後継者を選ぶ計画だった。主人公チャーリーはその5人の中で唯一、工場見学の最後まで残ったので、ウォンカが「君が勝者だ!後継者は君だ!」という事を伝えるのである。1971年版も2005年版もこのプロット自体は同じなのだが、実は大きな違いがある。それは前者が「善い事をしたチャーリーが積極法で勝利した」と描かれている一方で、後者が「悪い事をしなかったチャーリーが消去法で勝利した」と描かれてる点なのだ。

 作家ダールの原作小説は後者であり、2005年版はそのプロットを踏襲している。他の子供たちは全員何らかのあからさま問題があり、規範・良識・美徳に欠けた言動を行った。だが、チャーリーだけはそれを行わなかったので、勝者となった。原作小説の該当箇所は以下の通りである。

 

'Which room shall it be next?' said Mr Wonka as he turned away and darted into the lift. 'Come on! Hurry up! We must get going! And how many children are there left now?'

Little Charlie looked at Grandpa Joe, and Grandpa Joe looked back at little Charlie.

'But Mr Wonka,' Grandpa Joe called after him, 'there's... there's only Charlie left now.'

Mr Wonka swung round and stared at Charlie. There was a silence. Charlie stood there holding tightly on to Grandpa Joe's hand.

'You mean you're the only one left?' Mr Wonka said, pretending to be surprised.

'Why, yes,' whispered Charlie. 'Yes.'

Mr Wonka suddenly exploded with excitement. 'But my dear boy,' he cried out, 'that means you've won!' He rushed out of the lift and started shaking Charlie's hand so furiously it nearly came off. 'Oh, I do congratulate you!' he cried. 'I really do! I'm absolutely delighted! It couldn't be better! How wonderful this is! I had a hunch, you know, right from the beginning, that it was going to be you! Well done, Charlie, well done! This is terrific!

 

「次はどの部屋にしよう?」とウォンカさんが言いながら、エレベーターに飛び込みました。「さあ、急げ!行かなきゃ!それで、今は何人の子供が残っているんだ?」

チャーリーはジョーおじいさんを見ました。そして、ジョーおじいさんもチャーリーを見返しました。

「いや、ウォンカさん」とジョーおじさんが彼の後を追って呼びかけました。「今は…今残っているのはチャーリーだけです。」

ウォンカさんは振り返ってチャーリーをじっと見ました。静寂が流れました。チャーリーはジョーおじいさんの手をしっかりと握りながら立っていました。

「君が最後の一人ってことか?」とウォンカさんが驚くようなふりをして言いました。

「ええ、そうです」とチャーリーは小声で言いました。「はい。」

するとウォンカさんは突然、興奮が爆発したようでした。「あぁ、僕の親愛なる少年よ!」と彼は叫びました。「それは君が勝ったということだ!」彼はエレベーターから飛び出し、チャーリーの手を激しく握って、もう少しで手が取れるほどでした。「おめでとう!」と彼は叫びました。「本当におめでとう!本当に嬉しいよ!これ以上のことはない!なんて素晴らしいんだ!初めから感じていたんだ、君がそれになるとね!よくやった、チャーリー、よくやった!これは素晴らしいことだよ!」

 

 このようにチャーリーは他の子とは違って何も悪さをしなかったから、消去法で残ったという事になる。2005年版は原作小説を再現しているが、ジョニー・デップ演じるウォンカはもっと淡白で、「へぇ、残ったのは君か、それなら君が勝利だ」といった極めて軽い調子であった。私たちはチャーリー少年は確かに礼儀をしっかり弁えた愛情のある子供である事を知っているので、この結末には一定の納得が出来るだろう。しかしウォンカ側の視点からよく鑑みれば、チャーリー少年は工場見学の際に「ただ静かだった」というだけだ。あくまでも「他の子があまりにも悪いやつらだった」「何もしなかったチャーリーが他の子よりマシと感じた」だけなのである。

 これに対して、映画の1971年版は真逆の描写となっている。チャーリー少年は最後の場面で、ウォンカがこっそり子供たちに与えていた善人テストに合格したので、それを受けてようやく「勝利」を宣言されている。(チャーリー少年は最後に1人だけ残っていたが、彼が正しい行動を取るまでウォンカは

彼を後継者として認めなかった。)よって、ここでは原作小説や2005年版映画とは違って、チャーリーは「正しい人間であった」という事を証明する行為に及んだ事によって、積極法により勝利を獲得したという事になる。

 さて、世界中いつでもどこでも政治の問題があり、どこにでも暗君と佞臣がいるものだ。私たちの国にも問題がある。間違いがあっても間違いを認めず、民が嫌がることを意欲的に施し、朝から何も知ろうとせずに漫然と夕に至る。孔丘先生(孔子)が聞けば憤怒するような君子の道から外れた人々が、仁義礼智忠孝誠信の実践を遥か遠くに置き去りにし、未来の道を用意する力もなく、玉座と宮殿を死守する事だけに腐心しているのだ。こうして私たちはつい先日、補助選挙において歴史が再び動くような別の選択をした。しかし、それは消去法に偏る選択であって、「他の子があまりに悪いやつらであるのなら、静かにしていた方を選ぼう」といった心理が働いたに過ぎないと分析する。

 民が積極法によって統治者たちを選べないという現状は誠に嘆かわしいものだ。元来、善良な政治家(君子)の条件とはそれほど複雑なものではない。

 第一に、政治家当人が、安定した規範・良識・美徳を持つ事。政治家が技能面・論理面・方法面で優れていなくても構わない。「嘘を付かない」「欲に負けない」「法を曲げない」。ただその当たり前を実践するだけで、彼らは政治家として尊敬を得るだろう。幼稚園児でも教わるような事だが、現代の政治家たちの多くが、そのもっとも簡単な人としての道(君子としての道ですらない道)を歩むことが出来ないでいる。

 第二に、政治家は常に国家運営の基本機構となる法律(生存欲求の制御棒:規範を育むソフト)、教育(知的欲求の制御棒:良識を育むソフト)、文化(存在欲求の制御棒:美徳を育むソフト)の改良を常に考え、これに具体的に取り組む事。簡単に言えば、「国の運営がよくなって民が幸せになるように不具合部分の修理の方法を日々考えてください」という事だ。これも政治家としては当たり前だが、議員の中には法律を壊して特定の組織を守ったり、教育の舵を他国の組織に売り渡したり、文化の流通を大きく妨げる忖度と中抜きの関係を築いたりと、国と民に甚大な損害を与え続ける事しかしないような政治家も少なくない。彼らはその重罪を自覚し、真に悔い改めなければならない。

 第三に、彼らが「言葉の力」に責任を持つ事。以前の記事でも触れたが、政治家の武器は言葉であり、これを適切に扱えない者に政治家の資格はない。驕り高ぶった傲慢な言葉であったり、何を言っているのか理解に苦しむ冗長な言葉であったり、装飾だけ優れていてひとつの中身もない言葉であったりと、言葉の大きな力を軽率に取り扱って無責任な発言をしてはならない。要するに、これもまた「責任を持って話をしなさい」という初級教育で身につけるべき技能であるが、政治家の多くはこの責任感を忘れているか、あるいはそもそも持っていない。何という嘆かわしい事だろう。

 私たち民が積極法により君子を選ぶ時代が来て欲しいと切に願う。心から喜んで「君が勝利だ!」と言える人材が、若い人たちから生まれて欲しいと私は願っている。

 え、何だ?おぉ、先ほどから私の目の前をうろうろしていたOoompa Loompaたちが、何かを歌い始めてくれている。少しだけ、耳を澄ませてみよう。

 

Oompa Loompa Doompadee Doo

We've got a perfect puzzle for you

 

Oompa Loompa Doompadah Dee

If you are wise, you'll listen to me

 

Oompa Loompa doompadee dah

Fawning on rich, mocking the poor

Thinking of self, sealing the fate

Ignoring the truths they abhor

 

Shunning all duty, taking no stand,

Proudly displaying ineptitude

 

Oompa Loompa doompadee doo

Can happiness stem from such feud?

 

Oompa Loompa doompadee dee

If you're touched by the words we impart

Think for yourself, make a fresh start

Oompa Loompa doompadee doo

True change begins right in your heart 

 

 

オンパ・ルンパ ドゥンパディ・ドゥー

私はあなたに大事な話がある

 

オンパ・ルンパ ドゥンパダ・ディー

賢いなら、僕の言うことを聞いてね

 

オンパ・ルンパ ドゥンパディ・ダー

金持ちには追従し、貧しい人を嘲笑う

自分のことしか考えず、運命を封じ込め

嫌う真実から目を背ける

責任を放棄し、立場を取らず、

無能を誇らしげに見せる

 

オンパ・ルンパ ドゥンパディ・ドゥー

こんな争いから幸せが生まれると思う?

 

オンパ・ルンパ ドゥンパディ・ディー

もし僕らの言葉に心が動いたなら

自分で考え、新しい一歩を踏み出そう

 

オンパ・ルンパ ドゥンパディ・ドゥー

本当の変化はあなたの心から始まるのだ

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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