天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

煙草を吸う人は信用できるのか、できないのか

Huit Femmes

私:2002年のフランス映画『Huit Femmes(邦題:8人の女たち)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2002年のフランス映画『Huit Femmes』(邦題:8人の女たち)は、フランソワ・オゾンが監督したミュージカル風のコメディ・ミステリー作品です。この映画は、ロベール・トマの戯曲に基づいており、1950年代の雪深いフランスの田舎を舞台にしています。

物語は、ある家族の邸宅で起こった男性の殺害事件を中心に展開します。この謎の犯人を探る過程で、映画には8人の女性が登場し、それぞれが犯人である可能性が浮上します。これらの女性たちは、家族のメンバーや使用人など、様々な関係性を持つ人物たちです。

8人の女たち』は、独特のスタイルとユーモア、強烈なキャラクターで知られています。また、映画全体を通じて、さまざまなミュージカルナンバーが挿入され、物語に華やかさと軽快さを添えています。キャストには、カトリーヌ・ドヌーヴイザベル・ユペールエマニュエル・ベアールなど、フランス映画界の著名な女優たちが名を連ねています。

この作品は、そのユニークなスタイルと演技、そして鮮やかなビジュアルにより、多くの批評家から高い評価を受け、複数の映画賞にノミネートされました。

 

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舞台劇原作のフランス映画。「大雪で外界と遮断された屋敷という都合の良い閉鎖環境で起こる殺人事件」というイギリス風味と「展開に困ると脈絡なくカットインされるミュージカル」というアメリカ風味、そして「パッケージは群を抜いて瀟洒なのに蓋を開けると中身が無い」というフランス風味が見事に混ざり合っている。予想の出来ない展開の連続によって退屈はしないが、だからと言って何かを感じるとか学ぶとかいった興味深い点はあまり無い。最後まで鑑賞してひとつだけ分かる事があるとすれば、フランス人の女性が本当に煙草好きだという事だろう。

 煙草害が取り沙汰されて国際的に敬遠され始めた時代においても、煙草大国フランスは健在。特に先進諸国の中で女性の喫煙率が約3割と高い事でも知られている。実際、パリを歩くと喫煙禁止の場所でもスパスパと煙草を吸うパリジェンヌばかりが目立つ。映画『5時から7時の恋人カンケイ』でも、フランス系のアリエルが「煙草を吸わない人は信用できない(On ne peut pas faire confiance à quelqu'un qui ne fume pas)」と言っていた。彼女たちにとって煙草とは香水と同じく、その実用性以上に"スタイルの確立(存在欲求の充足)"に欠かせないものなのだ。

 私の三元論に基づく人間の本能、「生存欲求(生きたい、健康的に健やかでありたい)」「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」のうち、存在欲求は最も複雑性を有するものだ。生存欲求であれば人間である限り、食べたい(食欲)・休みたい(休息欲)・動きたい(運動欲)という基礎類型に属する言動にほとんど大差は無いが、存在欲求は個人によってまったくその言動が異なって来る。煙草によって存在欲求の充足を覚えるフランスもあれば、逆にアジア(特に中国)では煙草は存在欲求を阻害するものとなる。

 私が分析する限り、煙草を存在欲求の充足に役立つと考える文化圏では、第一に、他人との物理的距離の維持を図りたいという感覚が強いと思われる。通常、煙草を吸っている者に抱き付いたり、ベタベタと触れたりするという事は通常は有り得ない。煙草は火気を伴う小さな武器だからである。煙草は自然に、かつ礼儀の範囲内において(これは文化圏によっては異なるが)、相手との一定の物理的距離を保つ効果を持ち、相手からの接触的希求(相手の身体に触れたい、近づきたいと求める存在欲求の三要素の一項目)を阻害すると共に、自分も相手にどう接触するべきか悩まずに済むという長所を有する。ただし、これは相手も煙草を吸う習慣がある者に限って有効である。煙草を吸わない者にとって"小さな武器"を向けられる事は威嚇や挑発を覚える事象であり、無意識下において相手を警戒する可能性が高い。嫌煙からしてみれば、先のアリエルとは真逆で「煙草を吸う人は信用できない(On ne peut pas faire confiance à quelqu'un qui fume)」という潜在意識を持つ事もある訳だ。

 第二に、精神的距離についても、煙草には長所がある。煙草は口を塞ぎ、必然的にその間の会話行動を遮断する事が出来る。人間同士の会話は、それが歓喜を伴うにせよ、嫌悪を伴うにせよ、精神の在庫を出し入れする極めて高度な活動ゆえに消耗と疲労が生じる。煙草は精神的距離を一時的に断絶させる効果を有し、それによって会話による消耗と疲労の蛇口を締める事が出来る。(私の論考で言うなれば、これは存在欲求の三要素の一項目である承認的希求、すなわち「理解して貰いたい、理解したい」という感覚に関する負担を排除出来る行為である。)ただし、これに依存すると煙草なしには会話が出来ないような状態に陥る危険性があるので、私個人としてはあまり健全な精神状態であるとは言えない。精神は筋肉同様に負荷を掛ければしっかりと増強していくので、煙草を伴わない真剣な会話を継続する程にだんだんと消耗も疲弊もしない屈強な精神が築かれていく。煙草はその険しいが役に立つ人生の道のりを遮断する危険がある。これは酒や麻薬についても同様である。

 そして社会的距離についても、煙草は一部において有用だ。再び先ほどの『5時から7時までの恋人カンケイ』を引き合いに出すと、物語の主人公となるブライアンとアリエルは煙草を通じて不貞関係に発展した。これは煙草を吸う者同士が簡易的な帰属感覚を味わった結果であると言える。(存在欲求の三要素の一項目である帰属的欲求は、「何かに属したい」という感覚であり、それには事物事象の共通項を求める事になる。)煙草は、集団における個人の帰属を、特別な技能・知見・方法を必要とせず、しかも瞬間的に実現させる効果を有する。簡単に言えば「煙草を吸っている人」というだけで、仲間意識が芽生えるという訳だ。この即席麺のような仲間意識は愛煙家にとっては非常に効果的であると言える。これに加えて先の接触的希求と承認的希求も簡単に満たせる文化圏であるのなら、健康を害しても煙草を吸い続けたいと考える気持ちは分からないではない。ただ、やはりこうした仲間意識が「即席」であるという点は忘れてはならないだろう。このような即席の接着を行った後、より高次の要素において帰属的な衝突や乖離が起きると、その接着痕がかえって復帰を難しくする事がある。こうなると、かえって相手との深い帰属関係を結ぶ事が出来なくなる危険性がある。

 以上を踏まえて、私は論理学者として煙草に関する警告文の表示を次のように訂正させて頂こう。

 

(現状)

Tobacco smoke causes fatal lung disease in nonsmokers.(タバコの煙は非喫煙者にとっても致命的な肺疾患の原因となります)

(訂正)

While smoking can satisfy physical, mental, and social needs, it can also fatally harm these aspects due to dependency.(煙草は身体性・精神性・社会性を満たす効果がある一方で、依存によりそれらを致命的に害する原因ともなり得ます)

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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