天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

ぜいたくな名だね。今からお前の名前は「先」だ。

Tales from Earthsea

私:1968年から2001年にかけて発表されたアメリカのファンタジー物語のシリーズ『Tales from Earthsea(邦題:ゲド戦記)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろんです。『Tales from Earthsea』(邦題:ゲド戦記)は、アーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれたファンタジーのシリーズです。このシリーズは1968年に第一作『A Wizard of Earthsea』が発表され、2001年までに数作が発表されました。

このシリーズは、架空の世界アースシーを舞台にしており、魔法、ドラゴン、そしてさまざまな島々が特徴的な世界観を持っています。主人公はゲドという名前の若い魔法使いで、彼の成長と冒険が物語の中心です。ゲドは最初の本で自己発見の旅に出ますが、その過程で自身の内なる影と向き合うことになります。

ル=グウィンの作品は、その豊かな世界観、深いキャラクターの描写、そして複雑なテーマにより高い評価を受けています。『ゲド戦記』は、環境問題やバランス、性別の役割、権力の乱用など、多くの重要なテーマを探求しています。また、このシリーズは多くの賞を受賞し、ファンタジー文学の中でも特に影響力のある作品として認識されています。

 

私:ありがとう。それを原作として2006年に日本のスタジオジブリが製作した、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろんです。2006年に公開された『ゲド戦記』は、スタジオジブリによって製作された日本のアニメーション映画で、宮崎吾朗監督による作品です。この映画は、先ほどのアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズを基にしています。

物語は、若き魔法使いゲド(アースシーではスパークとも呼ばれる)の成長と冒険を中心に描かれています。ゲドは才能ある魔法使いですが、若さと驕りから危険な魔法を使い、世界に暗黒をもたらす影を解き放ってしまいます。映画は、彼が自分の過ちと向き合い、世界を救うための旅をする様子を描いています。

ゲド戦記』では、魔法と対立、自己発見、そして環境との調和など、原作の主要なテーマが取り入れられています。映画はビジュアル面で高く評価されており、美しいアニメーションと独特な世界観が特徴です。

しかし、原作のファンからは、ストーリーやキャラクターの解釈について賛否両論がありました。原作との違いや、スタジオジブリの他の作品との比較において、意見が分かれることがあります。それにもかかわらず、『ゲド戦記』はスタジオジブリの映画として、その独特な魅力を持つ作品です。

 

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 上海の"真人"から、日本アニメ史に革命を起こした宮崎駿監督の最新作『君はどう生きるか(中文:你想活出怎様的人生)』の映画ポスターの写真を貰った。主人公から三本の道が印象深く伸び、作品内に登場する三つの異なる世界に繋がる構図だ。その世界の扉の前に、それぞれの世界を代表する人物が主人公を見つめて立っている。相変わらず中国の映画配給会社が製作する作品ポスターのデザインは本当に秀逸で、いつも深く感心する。「分かりやすさ」と「

興味深さ」がちょうど良いバランスで成り立っているのだ。(日本の映画宣伝ポスターのデザインは、往々にしてそのどちらかに振り切られてしまう事が多く、極めてバランスが悪い。)

 「真人」とは、老子を創始として荘子が体系化した「老荘思想道教)」における完成した人間を意味する。先ほどの冒頭では最大の朋友のひとりという意味で用いさせてもらった。孔子儒教思想は「理を通じて天と合一する人(天と人が融合する)」を目指すが、こちらの老荘思想は手段が異なり「理を捨てて天と合一する人(天そのものに溶け込む)」を目指す。『君はどう生きるか』の主人公の少年の名が、まさにその「真人」の旧字体である「眞人」だ。宮崎駿監督が彼の名前を定める際にそうした論理学的な観点を適用したのかどうかは不明だ。相変わらず、スタジオジブリ作品は1997年以降、『もののけ姫』以降、「分かりやすさ(物語性)」よりも「興味深さ(意匠性)」に振り切っているので、作品からそれを明確に読み取る事は出来ない。

 「分かりやすさ」を掃き捨ててしまったスタジオジブリ作品のひとつが、宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗氏が初めて監督として2006年に製作した『ゲド戦記』である。GPT君が先ほど解説してくれた通り、視覚効果には目を見張る興味深さがあるが、物語が完全に破綻していて分かりやすさは放置状態にある作品だ。当時、この作品を鑑賞した私はエンドロールが始まった際に「え?」という驚きの声を出してしまった。物語が何も始まらないまま物語が終わるという矛盾した体験は、なかなか味わえるものではない。(『君はどう生きるか』でも私は同じ反応をしている。)先ほど再び『ゲド戦記』を鑑賞したが、やはり物語性が完全に破綻している。とは言え、唯一の論理学的な閃きがあるとすれば、それは「真の名」という設定であろう。(もっとも、これに類似する概念は、2001年の宮崎駿監督による『千と千尋の神隠し』において重要な主題のひとつとして既に描かれている。)

 原作者のグウィン氏は、この架空の世界において、名前と魔力に関する独特の設定を構築した。それは「人々には真の名前があるが、その真の名前が悪意ある他人に知られると魔法による被害を受ける事がある。よって、人々は真の名前とは異なる通り名を用いて生活をしている」というものだ。この設定はネイティブ・アメリカンの名前に関する風習から生み出されたのではないかと考察する者もあるようだが、実際にはより多文化的な素養からこの設定を構築したものと私は考える。

 人類史上において、「名に力あり、ゆえに大切に取り扱うべし」という観点のもとで規範・良識・美徳を構築した文化が多数存在する。例えば、古代エジプト人は言葉と文字に力があると考えていた。「太陽神ラーの圧倒的な力を得る為に、女神イシスがその力の原点であるラーの真の名前を策謀によって手に入れる」という神話があるが、これはまさに彼らの強烈な言霊感覚に基づくものだろう。またファラオを始めとした上流階級にとっての最も重い刑罰のひとつは、墓から名前が削り取られる事であった。自分の名が忘れ去られると、死後に得られる「永遠の生」が消滅すると考えられていた。

 中華世界でも古代から近代まで、名前は大きな社会的な力を有していた。地域と時代によって名前に関する規範・良識・美徳が大きく異なるものの、通俗的には「相手を『本名』で呼ぶのは親しい関係に限り、社会生活の中では通名の『字(あざな)』を用いるべきである」「学識ある文人については『号(ごう)を名乗る事が望ましい」「上流階級の人間は生前の功績に応じて『諱(いみな)』が与えられる」という論理学的な原則が機能していた。例えば、唐王朝の詩人である李白は、字が「太白」、号が「青莲居士」。文人なので諱は無いが、後世において評された「詩仙」は一種の諱と言えるかもしれない。私の場合で言えば字が「祥紀」、号が「佑中字」だ。諱のような後世の評価の名としては、自身の三元論に基づく論理学の活動を行なった者という意味で「三元論士」とでも名付けて欲しい。

 名前については、明王朝の文献の中に学術的な興味をそそる話題がいくつかある。ある日、「秀才の王さん」が所用により知县の李さん(正七品の官僚で、一地域の政治、経済、軍事、訴訟などを統括する人)のもとを訪ねた。「秀才」とは「歴県試、府試、院試に合格した文士」であり、士官をしていなくても人々から無条件に尊敬される存在であった。特に明朝では武人より文人への注目が高かったので、この「秀才の王さん」は社会的な地位はかなり高い人物だった。その王さんが李さんと会った途端、即座に頭を下げて拝礼した。李さんは愕然と恐縮して、それをやめて欲しいと慌てふためいた。現代風に考えれば、これは本社の役員が支社の一部長に対して膝をつき挨拶をするような構図である。しかし秀才の王さんは最後まで拝礼をして、こうも言った。「李翁、一つお願いがございまして、どうかそれをお許しいただきたく思います。」ここで「翁」という呼称は本来の礼制から鑑みれば、階級が三品以上の高級官僚にのみ使われる称号である。またも李さんは愕然としなければならなかったが、とにかく彼らは話し合いをし始めた。

 この出来事が何を意味するのかというと、当時の明王朝の人々が、「媚びへつらった言葉こそが至高である」という観念を規範・良識・美徳として捉え始めていたという事なのだ。当時、相手の階級や実力の優劣に関係なく、王さんのように官僚を目にしただけでへこへこと拝礼をしたり、翁と呼んでしまう者が世間に溢れかえっていた。これと同じ法則で、「晩生(長年の学識を培った文人)」「老爺(五品以上の官僚)」に用いられていた言葉も、ただ人々は媚びへつらう為にこれを無造作に乱舞させていた。

 号についても同じような事象が生じていた。号は本来、文人や雅士による学術的な性質を尊ぶ為に作られるものであった。しかし、この時代では誰も彼もが装飾品のように号を欲しがって、社会もそれを許してしまった。例えば、皮革職人の王さんが商売でかなりの金を貯めたので、今度は金ではなく尊敬が欲しくなって、下品で派手な庭園を建てた。彼はその庭園に号が欲しいと考えて(もはや人の号ですらない)、蘇州府太倉出身の詩人で、名だたる文化人であった吴伟业に号の制作を依頼した。吴さんは成金野郎の不作法な依頼に少し顔を歪めたものの、ふと笑顔になり即座に「阑楼」という字を書いた。王さんは飛び跳ねるように喜んでこの「阑楼」の号を人々に自慢して回った。(後に、知人から「阑楼」の意味を訪ねられた時、吴さんは皮肉に笑って「革職人の庭園という以外には、何ひとつ意味はないさ」と答えている。)張大狗という山賊が逮捕された際、字の「張大疤子(顔に大きな傷跡のある張)」を用いず、まったくその風貌にそぐわない「泉石」を名乗って、捕頭が爆笑した逸話もある。

 孔子は「君子は言葉を正しく誠実に使いなさい」「媚びへつらう事も、驕り高ぶる事も、君子の道ではないよ」という揺るぎない論理学の柱を築いていた。彼らもそれをしっかりと守っていた時代があったが、明王朝は経過と共に人間・社会・文化が著しく軟化(堕落)していったので、その根源的な規範・良識・美徳の柱が崩れてかけていたのである。

 我々の国でも、相手の功績や才能や人柄に関係なく、ある特定の上流階級の人間が「先生」などと呼ばれて崇められている。彼らに本当に「先生」と呼ぶだけの価値があるのだろうか。驕り高ぶる必要はないが、かと言って、そこまで媚びへつらう必要もない。礼儀を失せず、かと言って矜持を失わず。無知蒙昧で利己的な横暴なる先生には、"湯婆婆"の言葉をお借りしてこう言ってあげるべきだ。

 

「先生」?ぜいたくな名だね。今からお前の名前は「先」だ。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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