天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:フランスを旅するドイツの猫ちゃんはいなかった

 

先日、日本のある記事の中で取り上げられていた、気になるドイツの格言に遭遇した。それは次のような言葉だ。

 

"猫がフランスを旅してもネズミ捕りのまま帰ってくる(Eine Katze, die nach Frankreich reist, kommt als Mäusefänger zurück)"

 

その意味は、「人間の本質は簡単に変わる事がない」というもの。これとよく似た格言としては、「ロバが旅に出たところで馬になって帰って来る訳ではない」というものが頭に浮かぶ。そちらは特定の地域で派生したものではなく、ヨーロッパで広く使われている格言だ。(ちなみにロバ〜は押守監督のSFアニメ映画『イノセンス』の作中でも引用されていた。)

 

ロバの方は「不可変の事物が変化する事は無い」という至極当然の論理構造が明確に示されているので納得できるが、ドイツ語の猫ちゃんの格言はどうしても奇妙な矛盾点が気になって仕方がない。意味そのものは何とか受け入れられるのだが、私の中に解決しきれない論理的疑問が生じるのである。それは主に次の三点だ。

 

- ① 彼らは猫ちゃんを軽視しているのか?:ドイツと言えば犬を愛するイメージが強烈だ。ドイツ国民は映画の中で犬が死ぬと怒り狂う、というジョークめいた言葉を聞いた事がある。実際、コメディ映画『帰ってきたヒトラー』では現代に生還したヒトラーがワンちゃんに暴行を加えたスキャンダルが知れ渡り、大騒動になるという展開があった。そう考えると、彼らは「猫がどのような事をしたところで成長しない生き物で、彼らはネズミ捕りぐらいしか取り柄がない」という意図を反映させているのだろうか。

 

- ② 彼らはフランスを軽視しているのか?:ヨーロッパは地域ごとにそれぞれの独自の帰属意識があり、往々にして隣国同士の仲が良くない。特にドイツ、フランス、イギリスはヨーロッパの長い歴史の中で常に戦い合ってきた関係性である。これを踏まえると、彼らは「フランスなんて何も学ぶものはないので、誰がそこに行ったところで成長するなんてあり得ない」という意図を反映させているのだろうか。

 

- ③ 彼らは人間の成長性を軽視しているのか?:先述の通り、ロバが馬にならない、という理屈は非常に筋が通っている。構造的に不可能な変化が起こる事は当然ながら不可能だ。"小泉構文(小泉進次郎議員がよく使う少々笨蛋な言い回し)"で言うなれば、「我々は変えられない事は変えられません。なぜなら、それは変えられないからです。」という事になる。しかし、ドイツの猫ちゃんの格言は「猫がどこに行っても成長しない」と断定をしてしまっているので、後天的に成長する可能性がありそうな技能性、精神性、関係性も否定してしまっている。猫ちゃんがフランスの猫ちゃんから新しいネズミ取りの方法を学ぶかもしれないし、ネズミに関する新しい知識を得るかもしれないし、ネズミとの違う関係性を会得するかもしれない。それらを全て否定してしまうと、「どうせ人間なんて一生成長しない生き物なのだ」という諦観的な意味に感じてしまう。どうにも人間の先天性、後天性を哲学的に探求する事を得意とし続けているドイツ人らしくない。

 

さて、ドイツ人はこれらの何を軽視しているのだろうか?あるいは、そのすべてを軽視しているのだろうか?これらの論理的疑問を解決しようと、私はインターネット上の捜索を開始した。すると、驚くべき事実が判明した。

 

無いのだ。そんな言葉、無いのだ。

 

ドイツ圏の検索サイトにも、英語圏の検索サイトにも、どこにも存在しないのだ。じゃあ、何だって言うのだ。日本語の記事に散見して堂々と紹介されている、この「ドイツのことわざ」なるものは何なのだ。文献に触れないほどに局所的な伝承なのか、それとも完全な捏造や創作なのか。

 

では、こういう事か。

 

"論理学者がインターネットを旅しても論理的疑問を解決できないまま帰ってくる(事が多い)"

 

※画像:DALL-E

※追記:ChatGPTさんによる見解は以下の通り。

 

ChatGPT:「猫がフランスを旅してもネズミ捕りのまま帰ってくる」ということわざは、一般的なドイツのことわざとしては確認できませんでした。いくつかのドイツのことわざに関する資料やデータベースを調査しましたが、この特定の表現は見つかりませんでした(Matterhorn Languages)​​ (Wikiquote)​​ (Plan For Germany)​​ (Transparent Blogs)​。このことわざは非常にマイナーなものか、地域的なバリエーションであり、広く認知されていないか、あるいは現代の創作や誤って伝わったものかもしれません。特定の情報源からこのことわざを聞いたのであれば、それがローカルな表現や口語的なものである可能性も考慮に入れるべきです。

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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