天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)執筆メモ 第零回】招安投票大会

※『械胡録(水滸伝+α)』執筆テスト:以下の『水滸伝』における招安投票大会の場面は、ChatGPT(4o)の思考及び言語出力の支援を受けて制作している。最終的には私の手作業による修正に及んでいるが、作業全体の半分またはそれ以上の支援を受けた状態での制作である。

※執筆に当たって構成を色々と検討してみたが、『械胡録』はこの招安投票大会の場面を冒頭のプロローグ部分に移行する方法が望ましいかもしれない。英傑たちの有する事象・心理・関係の基礎的な要素を一斉に提示する事が出来るので、これが極めて効果的な導入になるように感じられる。その後は時間を遡り、第一回から原作に準拠した展開で物語を進めると良いと思われる。

 

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知我者谓吉之先,不知我者谓凶之类。故告之则反灾于身,不告之者则稔祸于人。主恩或忘,我怀靡臧。虽死而告,为凶之防。亦由桑妖于庭,惧而修德,俾王之兴;雉怪于鼎,惧而修德,俾王之盛。天听甚逊,人言曷病。彼希声之凤皇,亦见讥于楚狂;彼不世之麒麟,亦见伤于鲁人。凤岂以讥而不灵,麟岂以伤而不仁?故割而可卷,孰为神兵;焚而可变,孰为英琼。宁鸣而死,不默而生。--- 范仲淹《霊烏賦》

 

私を理解する者は、吉兆の先駆けだと言い、理解しない者は、凶事の象徴だと言います。だから、告げれば災いを招き、告げなければ人に災いをもたらすのです。主人の恩を忘れられても、私は心に悩みを抱えます。たとえ死んでも、凶事を防ぐために知らせるのです。昔、桑の木が庭に怪異をもたらした時、人々は恐れ、徳を修めました。それが王の興隆をもたらしました。また、雉が鼎の中に怪異をもたらした時も、人々は恐れて徳を修め、それが王の盛りをもたらしました。天は慎重に聞き入れ、人々の言葉は病ではありません。あの声高な鳳凰でさえ、楚の狂者に批判されましたし、不世出の麒麟でさえ、魯の人々に傷つけられました。しかし、鳳凰は批判されたからといって霊性を失うことはなく、麒麟も傷つけられたからといって仁愛を失うことはありません。だから、切り裂かれても丸められるなら、誰が神兵と呼ばれるでしょうか。焼かれても変えられるなら、誰が英玉と称されるでしょうか。鳴いて死ぬほうが、黙って生きるよりも良いのです。

 

――北宋の功臣、范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)による《霊烏賦》より

 

第零回 招安投票大会、英傑たちの見解とその結果

「替天行道」と大きく書かれた旗が、梁山泊の風を受けてまるで天へ昇る龍のようにたなびいていた。その姿は、天下の不正を正す決意を示すかのように、遠くからでも一目でわかるほどの威厳を放っている。百八人の英雄たちが、それぞれの家族や部下と共に梁山泊へと集い、いまや数万を超える一大勢力となった。このような混乱した世の中では、その出来事はもはや驚くべきことではなく、歓迎するべきことですらあった。

 

実際、天界の神々や仙人たちも、この地上における壮大な運動を好意的に捉えていた。しかし、その未来に何が待ち受けているのか、あの強烈な神通力を持つ九天玄女ですら予見できなかったのである。

 

重陽節の訪れが近づくと、梁山泊の統領である宋江(そうこう/sòng jiāng)は弟の宋清(そうせい/sòng qīng)に命じ、大宴会の準備を命じた。そして当日、忠義堂は、色鮮やかな菊の花々で飾られ、祭りの始まりを告げるように銅鑼や太鼓の音が堂内に響き渡った。堂の外では、馬軍、水軍、歩兵の各頭目たちがそれぞれの陣で肉をかみしめ、杯を重ね、宴はますます賑やかさを増していた。

 

この席で、宋江(そうこう/sòng jiāng)が書き上げたのが『満江紅』という詩であった。彼の筆の先から紡がれたその言葉は、梁山泊の歴史に新たな一頁を加えるものとなる。楽和(がくわ/lè hé)がその詩を高らかに歌い、馬麟(ばりん/mǎ lín)が笛の音色を響かせ、燕青(えんせい/yàn qīng)が筝の弦を爪弾いた。その調べは、梁山泊全体に満ちる喜びとともに、秋の風に乗って忠義堂の隅々にまで届いた。

 

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喜遇重阳,更佳酿今朝新熟。见碧水丹山,黄芦苦竹。头上尽教添白发,鬓边不可无黄菊。 愿樽前长叙弟兄情,如金玉。统豺虎,御边幅,号令明,军威肃。中心愿,平虏保民安国。日月常悬忠烈胆,风尘障却奸邪目。望天王降诏,早招安,心方足。

 

重陽節の喜び、そして今日新たに熟成された美酒を心から楽しむ。

碧い水と赤い山、黄色い葦や苦竹が私たちの眼前に広がる。

白髪が増えることを許しても、鬢には黄菊が欠かせない。

この杯の前で、兄弟たちと深く情を語り合いたい。それは金や玉のように大切だ。

豺狼や虎を統率し、国境を守り、号令は明確、軍の威光は厳粛である。

私の願いは、敵を平らげ民を守り、国を安定させること。

太陽と月のように忠義を胸に刻み、風塵は邪悪を遮り、その目を覆う。

天子の詔が下され、早く招安が叶えば、心はようやく満たされるだろう。

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詩が終わり、空気が一瞬静まり返った。その時、あの最後の一文さえなければ、彼らはそのまま珠玉の時間を存分に味わい続けていたことだろう。「招安」という言葉が響いた瞬間、忠義堂を包んでいた平穏な空気は、まるで石を投げ入れた水面のように揺れ動いた。英雄たちの中に波紋が広がり、動揺と困惑が次々に顔に現れた。

 

楽和(がくわ/lè hé)の歌が終わるや否や、沈黙を打ち破るように武松(ぶしょう/wǔ sōng)が立ち上がり、拳を振り上げて声を上げた。

 

武松(ぶしょう/wǔ sōng):「住嘴(ツゥーツイ/zhù zuǐ:黙りやがれ)!休得胡言(シウダフーヤン/xiū dé hú yán:デタラメを言うな)!可惊 可怖(クージン クーブー/kě jīng kě bù:驚くべきことだ、恐ろしいことだ)!昨日も招安、今日も招安、明日もまた招安かよ!?こんなふうにこの場が冷めちまうとは思いも寄らなかった!」

 

その言葉は、梁山泊全体に響き渡り、楽しく賑やかだった宴の空気を一変させた。宋江(そうこう/sòng jiāng)は短く息を吐き、周囲の反応を見守ったが、その眼には覚悟とも後悔とも取れる微かな影が揺れていた。ひとつ間を置いてから、武松(ぶしょう/wǔ sōng)の言葉を引き取ったのは李逵(りき/lǐ kuí)であった。

 

李逵(りき/lǐ kuí):「哼(ヘン/hēng)!武師兄(武松兄貴)の言う通りだ!そいつはな、其心当誅(チーシンダンツー/qí xīn dāng zhū:その心は罰せられるべき)ってやつだ!たとえ招安によって俺たちの罪が許されるにしてもよぉ、招安によって朝廷の犬っころに成り下がっちまったら、俺たちも腐った極悪人の仲間入りじゃねぇかよ!それ自体が罪だと俺は思うんだが、違うか?なぁ、鮑先生(彼の親友の鮑旭[ほうきょく/bào xù])、そうじゃねぇのか!?招安よりも、公明哥哥(ゴンミングーグー/gōng míng gē gē:宋江の愛称で「公明な兄貴」の意)が皇帝になって国を建てりゃ良いだろうがよ!そういうことなら、ここにいる全員が迷いもなく「万歳 万歳 万万歳(ワースイ ワースイ ワーワースイ/wà suì wà suì wà wà suì:臣下が皇帝や大王に敬意を示す際に合唱する儀礼表現)」って叫ぶんだがなぁ!皆、そうだろう、えぇ!?そう思うだろう!俺の言っていること、合ってんだろ!」

 

李逵の轟くような声が堂内に響き渡り、まるで梁山泊全体が揺れたかのようだった。場の空気は更なる緊張に包まれた。宋江の詩を契機に、これまで静かにくすぶっていた「招安」という問題が、ついに爆発したのである。武松(ぶしょう/wǔ sōng)と李逵(りき/lǐ kuí)の雄たけびは、梁山泊に集う英雄たちの心に火をつけた。

 

これまで噂として流れていた「招安」の話題が、ここにきて初めて正式に宋江の口から明確に語られたため、各人の感情が抑えきれずに溢れ出した。忠義堂はまるで嵐のような騒ぎに発展した。これまで溜まっていた鬱積が一気に爆発し、仲間たちはまさに血みどろの争いへと発展しかねない勢いだった。しかし、林冲(りんちゅう/lín chōng)や呉用(ごよう/wú yòng)が素早く仲裁に入り、どうにかその場を鎮め、騒動は一旦収束へと向かった。

 

宴が壊れて終わり、忠義堂に残っていたのは、宋江(そうこう/sòng jiāng)、呉用公孫勝(こうそんしょう/gōng sūn shèng)、盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)、柴進(さいしん/chái jìn)、朱武(しゅぶ/zhū wǔ)ら数名の首領たちであった。彼らは荒れ狂った宴会の後片付けをする宋清(そうしん/sòng qīng)や雑役たちを背に、今後の方針について深夜まで議論を続けたが、結論は出なかった。

 

翌朝、梁山泊の全員に呉用を通じて通知が出された。その内容は、三日後に招安についての是非を問う投票が行われるというものであり、各人がその間にしっかりと考え、議論を深めるようにと促すものであった。また、呉用は次のように書き添えた。

 

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<通知>

もともと地位が高かった者で、国の現体制に大きな恨みのない兄弟は、宋軍に戻り世を正すことを「替天行道」と考えています。もともと地位が無かった者で、現体制に深い恨みを持つ兄弟は、勢力を維持すること、また宋軍を打倒し新たな国を興すことを「替天行道」と考えています。さらにその中間派として、特異な才能と独自の人生目標を持つ兄弟たちは、招安しようがしまいがどちらでも構わないと考えている者もいます。

 

私はそれぞれの意見を尊重し、理解を示します。しかしながら、我々は一つの大きな力として組織を成している以上、今後の道筋を定めなければならないのです。「顧此失彼(グーチーシービー/gù cǐ shī bǐ:一方に気を取られると全てが疎かになる)」という言葉の通り、それぞれの勇士が異なる志を抱えて進めば、何事も成せなくなってしまいます。

 

今回の投票は、梁山泊の未来を決める大切な一歩となります。この機会に皆が自らの心に問い、梁山泊が進むべき道を真剣に考えて欲しいのです。そして、この投票によって一度道が決まったならば、それがいかなる道であろうとも、各人はその総意に忠実に従って欲しいのです。

 

公明哥哥(宋江兄貴)が「替天行道」の旗を掲げたのは、この地に集う全ての英傑がその理念のもとに結束し、世を正す力となることを願ってのことです。兄弟たちよ、意見を交わし、梁山泊の未来を共に考えてください。投票は三日後に行います。自らの信念に基づき、最良の道を選んでください。

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この通知が出された瞬間から、梁山泊の空気は急速に重く、緊張感が漂い始めた。誰もが己の信念と仲間との絆、そして梁山泊の未来について深く悩み、考え込んでいた。ある小隊では激しい口論が交わされ、一方で静かに集まり、互いに意見を共有する者たちもいた。梁山泊にとって、この三日間はまさに運命を左右する重要な時間となった。

 

そして、ついに投票の日の朝がやってきた。忠義堂には、重厚な投票箱が設置され、その前に並んだ英傑たちの顔には著しい緊張の色が浮かんでいた。各人に一枚ずつ投票用紙が手渡され、そこには招安に対する賛成・反対・棄権の意向を書き込むよう指示されていた。賛成は「可」、反対は「不可」、棄権は「白紙」として示すことになっていた。文字を書けない者には、蕭讓(しょうじょう/xiāo ràng)が代筆を担当した。また、各人には投票の際、簡潔に自分の意見を述べる機会が与えられており、そちらも蕭讓(しょうじょう/xiāo ràng)が書き留める役を担った。

 

投票大会の議長は呉用(ごよう/wú yòng)が務め、監視者として裴宣(はいせん/péi xuān)と武松(ぶしょう/wǔ sōng)が配置された。また、開票者には楽和(がくわ/lè hé)と扈三娘(こさんじょう/hù sān niáng)、集計者は蔣敬(しょうけい/jiǎng jìng)と燕青(えんせい/yàn qīng)という布陣であった。

 

忠義堂内は静寂に包まれ、投票者以外の者は無言のまま状況を見守った。英傑たちは、紙に記した一つの言葉が梁山泊の未来を決定するという重圧に直面しながら、投票箱にそれぞれの票を入れていった。一挙一動が緊張感を引き裂くような静けさの中、投票は粛々と進んでいった。

 

ついに全員の投票が終了し、開票が始まった。楽和と扈三娘が慎重に投票用紙を整え、その内容を確認し、蔣敬と燕青が集計を進めた。すでに投票開始から二刻もの時間が経過していたが、誰一人として休もうという者はいなかった。そして遂に投票結果が発表されることとなった。この瞬間、忠義堂に一層の緊張が走り、英傑たちの目と耳が発表者である呉用(ごよう/wú yòng)に向けられた。

 

招安投票大会の内容と結果は、次のようなものとなった。

 

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梁山泊総司令官 二名>

宋江(そうこう/sòng jiāng):「可」

"兄弟たちよ、招安を通じて国家に尽くし、我らの力で天下を正すのだ。忠義を重んじる我らが招安を受けること、これこそ『替天行道』に他ならない。"

 

※天魁星 “呼保義”の宋江、字は公明、黒く小柄な体をしており、義を重んじて財を施すことを惜しまないため、人々は「及時雨(恵みの雨の如し)」と呼んだ。鄆城の水堡出身で、早くから鄆城県の押司を務めていたが、晁蓋のために密告がばれないように報せを伝えたことから罪を被ることになり、江州に流刑となった。後に、潯陽楼で反旗を翻したことにより死刑を宣告されたが、多くの英雄たちに救われ、梁山に上った。晁蓋が矢を受けて死去した後、宋江は山の頭領となり、梁山泊の総兵二都頭の一人となり、梁山の百八人の英雄の中で第一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】公明哥哥は国家への忠誠心と「忠」を重んじるため、朝廷への招安を受け入れることが彼にとって「世を正す」方法だと考えているのです。また、兄弟愛や梁山泊集団の結束を保つため、集団が分裂することを避けるためにも、公明哥哥は招安という選択を掲げたのでしょう。

 

盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì):「可」

"梁山泊がいくら強大でも、国家に敵対して勝ち続けることは不可能だ。招安を受け入れ、我々の武勇を国家のために役立てるべきだ。義を重んじる者として、これは避けられない道だ。"

 

※天罡星 ”玉麒麟”の盧俊義は、北京城の名家の出で、武芸に優れ、棍棒の使い手として知られていた。宋江は義軍の勢力を強化するため、呉用に計略を立てさせ、彼を梁山に誘い込んだ。盧俊義は本来、山賊になるつもりはなかったが、家の災難に巻き込まれ冤罪で死刑囚にされ、救出された後、やむを得ず梁山の第二頭領の座に着くこととなった。

 

【後日、呉用による覚書】盧俊義は、強い生存欲求と知的欲求を持つため、梁山泊が持続的に存在するための現実的な選択として招安を受け入れることを理性的に判断したと考えられます。また、彼は忠義や義理を重んじる人物であり、国家体制に従うことが義に反しないと考えたのでしょう。

 

[投票進捗状況] 可=二 不可=零 白紙=零

 

梁山泊機密管理参謀長 二名>

呉用(ごよう/wú yòng):「可」

"国家と手を取り、梁山泊の力をさらに広げる道がここにある。公明哥哥と共に、正義を成し遂げるためには、朝廷と協力するしかない。"

 

※天機星 “智多星” 呉用、名字 学究、道号 加亮先生。もとは東渓村の書生で、宋江と親しく、智謀に優れている。武芸に疎いが、機略に富み、巧妙な計略で敵を制圧する。柴進の邸宅で晁蓋に招かれ、後に花石鋪の伏兵を指揮し、官軍の要員を追い払った。梁山泊に入った後、身分や立場の異なる英傑たちの行動を巧みに統率し、鋭利かつ大胆な軍事計画を策定する軍師となった。

 

【後日、呉用による覚書】私は戦略家として、現実的な目標達成のためには協力が必要だと考えています。知識と戦略を駆使して、招安を梁山泊の力をさらに広げる機会であると捉え、尊敬するべき大兄の考えに賛同しました。

 

公孫勝(こうそんしょう/gōng sūn shèng):「白紙」

"修行が自分にとって最も重要であり、招安については全く関心を持てない。自らの道を歩み続けることしか私の眼中にない。招安は天意に任せれば良い。"

 

※天間星 “入雲龍公孫勝は、河北蓟州の出身で、号を一清先生といい、道士(道教の修行者)として幻術に精通し、奇策で勝利を収めることができた。彼は七星聚義の一人であり、生辰綱(腐敗役人による不義の財)を奪取する計画にも参加した。その後も幻術と奇策による稀有な異能才子として存在感を示し、梁山泊では機密を司る副軍師となって、英雄の中で第四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】公孫勝は政治的な問題に興味がなく、天意や修行を重視しているため、招安に対する明確な賛否を持たず、どちらでも構わないと考えたのでしょう。自分の道に専念するため、棄権する選択をしたのです。

 

[投票進捗状況] 可=三 不可=零 白紙=一

 

梁山泊金銭兵糧管理長 二名>

柴進(さいしん/chái jìn):「可」

"自らの立場を活かし、国家に尽くすことで、義を広める道がある。私は皇族の末裔としての責務を全うし、正義を追求すべきだ。"

 

※天売星 “小旋風” 柴進は、沧州黄海郡の出身で、大周王朝の皇族の嫡流にあたり、人々からは柴大官人と呼ばれていた。彼は特に天下の豪傑たちと交友を結ぶことを好んでいたが、そのために冤罪に巻き込まれ、高唐州の牢獄に投獄された。宋江たちが高唐州で大暴れした後、彼も梁山泊に加わることとなった。梁山泊では財務と糧食の管理を担当する二大首領の一人となり、梁山泊の英雄の中で第十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】柴進は強い生存欲求と存在欲求を持つ野心的な人物であり、正義や義に基づく行動を重視しています。招安を受け入れることで、自分の立場や影響力をさらに広げ、国家に貢献しつつ義を貫きたいと考えた結果、招安に賛成をしたのだと思います。

 

李応(りおう/lǐ yìng):「可」

"我々が持つ力と知恵を国家のために使い、安定した未来を築くことが最善だ。協力することでこそ、大きな成果を得られるのだ。"

 

※天富星 “撲天雕” 李応は、鄆州李家荘の荘主で、隣接する祝家荘や扈家荘と誓いを立て、互いに助け合っていた。彼は鋼鉄製の鞭を使い、背には5本の飛刀を隠し持ち、百歩先からでも人を取ることができ、その動きは神出鬼没であった。後に李応は知府に捕らえられそうになったが、宋江が救い出し、梁山泊に送られた。梁山泊では財務と糧食を管理する二大首領の一人となり、英雄の中で第十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】

李応は協調性が強く、他者と協力して問題を解決することを重視している。梁山泊という一大勢力が招安を受け入れることで、より大きな安定と繁栄をもたらせると考え、国家と協力する道を選んだと考えられる。

 

[投票進捗状況] 可=五 不可=零 白紙=一

 

<騎兵五虎将 五名>

関勝(かんしょう/guān shèng):「可」

"公明哥哥の義気に心を動かされ、ここに至ったが、今は国家に従い、正しい道を共に歩むべき時だ。祖法を活かし、民を守ることが最善だ。"

 

※天要星 “大刀” 関勝は、武聖・関羽の末裔である。赤兎馬に乗り、青龍偃月刀を振るい、刀馬の戦いに長けている。元は前東巡検として仕えていたが、蔡太師の命を受け、梁山泊を攻撃するために宋江に挑んだが敗北し、生け捕りにされた。関勝は宋江の胆力と義気に感動し、梁山泊に帰順した。彼は馬軍五虎将の第一位に就き、梁山泊の英雄の中で第五位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】関勝は理論派で知的欲求が強く、正義や義に重きを置く性格から、朝廷への帰順を合理的な選択と捉え、招安に賛成したのでしょう。また、彼はもともと朝廷の武将であり、その立場に戻り、戦略を通じて国を守ることに価値を見出した思われます。

 

林冲(りんちゅう/lín chōng):「可」

"これまでの戦いは、自分や家族を追い詰めた腐敗に対する怒りが原動力だった。しかし、今は再び運命に従い、国家に寄り添って、力を発揮する時が来た。正義のために、私はもう一度立ち上がる。"

 

※天雄星 “豹子頭” 林冲は、もともと東京八十万禁軍の槍棒の教頭を務めていた。しかし、嘉被高俅の息子である高衙内に妻が侮辱され、さらに自らも高俅に陥れられてしまった。配流先の滄州へ向かう途中、『野猪林』や『風雪山神廟』などの事件を経て、ついに梁山泊に逃れ、晁蓋を頭領とした第二体制の確立に貢献した。その後、馬軍五虎将の第二位を務め、梁山泊の英雄の中で第六位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】林冲は知的欲求と生存欲求が強く、計算高く行動する性格のため、現実的に国家に従うことで自分の力を発揮し、過去の復讐より未来の正義を追求する道を選んだのです。また、彼は深い学びと忍耐力を持ち、状況に応じて柔軟に対応できる人物であるため、招安を合理的な選択肢として受け入れたものと考えます。

 

秦明(しんめい/qín míng):「可」

"家族の名誉と自分の名誉を取り戻すため、国家に仕え、正しい道を歩むべきだ。義を重んじる武将として、国を守るのが我々の使命だ。"

 

※天猛星 “霹靂火” 秦明は、天州の出身で、武門の家系に生まれた。彼は狼牙棒を使い、力は人並み外れて強く、強者も弱者も平等に打ち負かす力を持っていた。ただし勇猛果敢に戦うものの、性格は神経質かつ急躁な側面があり、勇気はあっても知略に欠けていた。梁山泊に合流後、彼は馬軍五虎将の第三位を務め、梁山泊の英雄の中で第七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】秦明は非常に強い生存欲求と社交性を持ち、行動を通じて他者と関わる性格から、国家に従うことで自分の武勇と名誉を回復することを目指したのでしょう。彼は正義感が強く、国を守る立場に戻ることで自らの存在意義を再確認しようとするため、招安に賛成したのです。

 

呼延灼(こえんじゃく/hū yán zhuó):「可」

"我が武芸と知識は国家のためにこそ役立つ。梁山泊の中で独立して戦うより、招安を受け、国家の安定を守る方が我が役割に相応しい。"

 

※天威星 “双鞭棒” 呼延灼は、鋼の鞭棒を操り、雪のように白い馬に乗る武芸の達人で、非常に強く、敗れることの無い無敵の将軍であった。名将の呼延讃の子孫である。高俅は彼を兵馬指揮使として梁山泊を攻撃させ、連環馬の戦術で宋江軍を次々と打ち破ったが、徐寧の鉤鎌槍により連環馬は敗れた。後に梁山に降伏し、馬軍五虎将の第四位となり、梁山泊の英雄の中で第八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】呼延灼は、強い生存欲求と知的欲求を持ちながらも、他者との関わりを最小限にしたい性質です。そのため、彼は国家の組織の一部として自分の武芸を発揮し、個人的な成果を上げることに重きを置き、招安を通じて安定した地位を手に入れることを現実的に選択したのでしょう。

 

董平(とうへい/dǒng píng):「可」

"梁山泊で得た力を、さらに大きな舞台で発揮するべきだ。個人的な復讐も果たした今、国家の一部となり、新たな機会を手に入れたい。"

 

※天立星 “双鎗将”の董平は、もともと東平府の兵馬都督であり、二本の槍を使う武勇は人並み外れていた。しかし、その性格は激しく、攻撃的な一面を持っていた。宋江が東平府を攻めた際、敵をおびき寄せて董平を捕らえる策を用い、董平は宋江に敗れた。宋江の恩に感じた董平は、梁山泊に降伏した。彼は馬軍五虎将の第五位を務め、梁山泊の英雄の中で第十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】董平は強い生存欲求と知的欲求を持ち、個人的な目標を追い求める性格から、国家の一員となることでさらに自分の力を発揮できると考えたのだろう。また、復讐を果たし、梁山泊における立場を得た後は、招安によって新たな安定と権力を求めることが彼にとって合理的な選択となり得たのだ。

 

[投票進捗状況] 可=十 不可=零 白紙=一

 

<騎兵八驃騎先鋒隊長 八名>

花栄(かえい/huā róng):「可」

"我らの武力を無駄にするより、国家のために役立てる道を選ぶべきだ。大兄の正義を支え、招安でさらなる功績を上げよう。"

 

※天英星 “小李広” 花栄青州府の出身で、秦明の義弟である。もともと清風寨の副知寨を務めており、槍術や弓術が非常に優れていて、特に弓術においては百歩先の楊木を射抜く腕前を持ち、天下にその名を轟かせていた。花栄は幾度も弓術で敵を打ち破り、仲間を助けた。清風寨の正知寨である劉高が宋江を陥れた際、花栄はそれを知り反旗を翻し、宋江を救出した。その後、馬軍八虎騎兼先鋒使の第一人者となり、梁山泊の英雄の中で第九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用の覚書】花栄は義兄弟である宋江への強い忠義と、知的欲求が強いため、合理的に物事を考える傾向がある。国家への奉仕を通じて自身の武功を正当に評価してもらえることを望み、招安に賛成することでその実現を図ろうとしたと考えられる。

 

徐寧(じょねい/Xú Níng):「白紙」

"どちらでも構わない。武器の研究さえできれば、私はどこで何をしていても問題はない。"

 

※天佑星 "金鎗手" 徐寧は、京師で金槍を教える教頭であり、武芸に優れ、槍術が卓越していた。宋江呼延灼の連環馬に敗れた際、吴用は時遷に命じて徐寧を騙して梁山に引き入れた。徐寧は梁山の将士に鉤鎌槍の使い方を教え、これにより呼延灼を打ち破った。徐寧は武器全般に対する愛着と研究心が強く、その熱が乗じて日常生活が疎かになることもあった。彼は馬軍八虎騎の先鋒使の第二位を務め、梁山泊の英雄の中で第十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】徐寧は政治的な動きにはあまり関心がなく、武器の研究に没頭しているため、招安に対する強い賛否は持っていなかったと思われます。彼は武器や戦術を追求できる環境さえあれば、どこに身を置いても気にしない性質であり、結果として棄権する選択をしたのです。

 

楊志(ようし/yáng zhì):「可」

"これ以上の逃亡生活は望んでいない。招安を受け、名誉と地位を取り戻し、安定した生活を送りたい。"

 

※天暗星 “青面獣” 楊志は、関西出身で、三代続く将門の家柄に生まれ、五侯楊令公の孫である。武挙(武官の試験)に合格し、司制使の官職に就いたが、黄河では花石綱(奇岩や希少植物を収集する公共運搬事業)の任務に、黄泥岡では生辰綱(腐敗役人の不義の賄賂運搬事業)の任務に失敗したことで官職を失い、魯智深のいる二竜山に身を寄せ、後に梁山泊に加わった。彼は馬軍八虎騎の先鋒使の第三位を務め、梁山泊の英雄の中で第十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】楊志はこれまでの不運と失敗から、安定と生存を強く求めており、国家に従うことで再び地位や名誉を取り戻せる可能性があると考えている。強い自己防衛意識からも、招安によって安全な立場を確保することを優先したのだろう。

 

索超(さくちょう/suǒ chāo):「不可」

"腐敗した朝廷の下に再び仕えるなど、考えられない。我々が正義のために戦ってきたのに、あの腐った体制に加わるのは裏切りだ。"

 

※天空星 “急先鋒”の索超は、大名府の留守使の正規軍であり、北京の将軍だった。彼は大斧の使い手で、性格は火のように激しく、人一倍の努力家だったが、歪んだ世を憂いて情緒が定まらず失敗することも多かった。梁山泊が大名府を攻めて盧俊義と石秀を救おうとした際、大名府の梁中書は索超と李成を先鋒として出陣させた。索超は罠にかかり、楊志に説得されて梁山泊に降伏した。梁山泊では、馬軍八虎騎の先鋒使の第四位となり、英雄の中で第十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】索超は朝廷の腐敗に対する強い不満を抱いており、実践的に社会に貢献することを重視しています。そのため、招安によって再び腐敗した体制に従うことは彼の信念に反すると感じ、反対したのでしょう。彼は正義を重んじ、民を守るために戦ってきたことから、朝廷との和解に対する強い拒否感を持っていたと考えられます。

 

張清(ちょうせい/zhāng qīng):「可」

"国家との戦いは終わりにし、安定した地位を得るべきだ。これ以上の無駄な争いは避け、我らの力を正しい方向に使おう。"

 

※天捷星 “没羽箭” 張清は、宋江と盧俊義が東平府と東苗府を攻めた際に現れた猛将で、飛び石を使う名手である。彼は百発百中で、梁山泊の大将15人を次々と打ち倒した。後に呉用の策略によって水中に誘い込まれ、梁山泊に降った。彼は馬軍八虎騎の第五位を務め、梁山泊の英雄の中で第十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】張清は直感と感覚を重視する協調的な人物であり、強い生存欲求からも、長く続く戦いに終止符を打ち、安定した立場を得ることを望んでいたでしょう。国家に従うことで安全を確保し、これ以上の危険を回避することに賛成したのだと思います。

 

朱仝(しゅどう/zhū tóng):「可」

"これまでの流れに従い、皆と一緒に進む道を選ぼう。義を重んじ、共に戦ってきた仲間たちを信じて、これからも協力し続けたい。"

 

※天満星 “美髯公” 朱仝は、鄆城県の出身で、地元の裕福な家柄であった。その長い髭と堂々とした顔立ちから『髯公』と呼ばれていた。彼はかつて鄆城県の馬兵の都頭を務めていたが、義兄弟の歩兵都頭・雷横が刺客に襲われたため、滄州に配流されることとなった。滄州の知府は朱仝の非凡な風貌を見て、小衙内(知府の息子)の遊び相手にさせたが、呉用が計略を用いた為、朱仝はやむを得ず梁山泊に加わった。梁山泊では馬軍八虎騎の先鋒使の第六位を務め、英雄の中で第十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】朱仝は強い欲求を持たず、極めて質実剛健に他者と協力して生きることを重視する性格のため、梁山泊の仲間たちの意志に従って協調する傾向があります。彼は大義や正義を尊重し、皆で決定した道に従って生きることを選び、招安にも積極的に賛成したのでしょう。

 

史進(ししん/shǐ jìn):「不可」

"腐敗した官吏と一緒に働くくらいなら、梁山泊の兄弟たちと共に天道を歩む方がよほど良い。俺たちには、まだやるべきことがある。"

 

※天巧星 “九紋龍” 史進は、華州府華陰県の史家村の出身で、地主の息子であった。幼い頃から槍や棒を振るうことに没頭し、東京の八十万禁軍教頭・王進に師事したことをきっかけに急激に才能が開花。並々ならぬ武芸者として名を馳せるようになった。「九紋龍」は背中に彫られた見事な龍の刺青に由来する。梁山泊の好漢として、馬軍八虎騎の先鋒使の第七位を務め、英雄の中で第二十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】史進は生まれながらに正義感が強く、腐敗した官僚制度に対して深い憤りを感じています。兄弟たちと共に理想を追求する道を選びたいと考え、招安に反対したのでしょう。

 

穆弘(ぼくこう/mù hóng):「不可」

"我々は義気のためにあの公明な人(宋江)と共に歩んできた。権力にこびへつらうくらいなら、揭陽鎮での豪強としての生活に戻った方が良い。"

 

※天究星 “没遮攔”穆弘は、潯陽江のほとりにある揭陽鎮の出身で、地元の有力者であった。真似碁戦術の使い手で、相手の武芸を巧みに模倣する天性の術を有している。宋江が江州に流刑となった際、穆弘とその兄である穆春と衝突したが、後に和解した。その後、張横、張順、金成、童猛ら多くの好漢と知り合い、共に梁山泊に加わった。穆弘は馬軍八虎騎の兼先锋使の第八位を務め、梁山泊の英雄の中で第二十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】穆弘は独立心が強く、権力者に従うことに対して大きな抵抗感を持っているのです。彼は自分の速度で生き、兄以外の他者に頼らずに行動することを好むため、招安のような体制の中で従属することには賛成しないということでしょう。

 

[投票進捗状況] 可=十四 不可=三 白紙=二

 

<騎兵小彪将兼遠距離斥候隊長 十六名>

黄信(こうしん/huáng xìn):「可」

僕は元々朝廷の軍官であり、賊となったのは一時的なことに過ぎない。招安を受けることで、再び正規の軍官として活躍できるなら、それが僕にとって最も望ましい道だ。

 

※地節星 “鎮三山”の黄信は、青州の兵馬都監で、武芸に優れていた。青州には清風山、二竜山、桃花山の三つの山賊勢力があったため、黄信はこれらの山賊をすべて自分が討伐すると豪語した。その若さゆえの空威張りを皮肉られ、彼は「鎮三山」と呼ばれるようになった。その後、清風寨の劉高が宋江を捕らえた際に護送役を担ったが、張順らに襲われて敗北した。その後、秦明が降伏し、黄信も宋江に降伏して梁山泊に帰順した。彼は梁山泊の馬軍小彪将の第一位に位置づけられ、英雄の中で第三十八位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】野心を持ち、協力的でありながらも自分の目標を追求する黄信は、朝廷での地位に戻ることに強い願望を持っています。彼にとって、正規の立場に戻るための手段として招安は非常に魅力的な選択肢なのでしょう。そのため、招安に積極的に賛成の立場を表明しています。

 

孫立(そんりつ/sūn lì):「白紙」

"追い詰められて苦渋の選択を焦ると、かえって結果が悪くなるものだ。急に招安の是非を問われても、すぐには答えが出ないし、そのように出すべきでもない。時間が欲しい。"

 

※略歴:天機星 “智多星”呉用、名字 学究、道号 加亮先生。もとは東渓村の書生で、宋江と親しく、智謀に優れている。武芸に疎いが、機略に富み、巧妙な計略で敵を制圧する。柴進の邸宅で晁蓋に招かれ、後に花石鋪の伏兵を指揮し、官軍の要員を追い払った。梁山泊に入った後、新旧の将校の行動を統率し、軍事計画を策定した。宋江梁山泊軍の頭領に推され、呉用は軍師の地位に就いた。

 

【後日、呉用による覚書】孫立は自分から望んで賊寇に加わったわけではなく、他者の圧力や状況に追い込まれて行動した背景を持っています。そのため、自らの意思で判断することを避け、棄権を選ぶ姿勢が見られたということでしょう。彼は、すでに人生が思い通りに進んでいない為、大きな決断を下すことに慎重な態度を取るべきだと考えているのでしょう。

 

宣賛(せんさん/xuān zàn):「可」

"皆、もっと単純に考えるべきじゃないか?罪が消えて、官職に復帰できる。これほど悪くない選択肢だろう。梁山泊に留まるよりも、正式な地位を持って生きる方がはるかに良い。"

 

※地杰星 “醜郡馬” 宣贊は、東京の太師府の防御使であり、顔は鍋の底のように黒く、天を向いた鼻孔、巻き髪と赤い髭を持つ大男である。あだ名はかつて王府で郡馬(皇族の娘の夫)を務めていたことに由来する。梁中書が大名府で蔡京に救援を求めた際、宣贊は郝思文と共に関勝の副将を務めたが、三人とも捕らえられて梁山泊に帰順した。馬軍の小彪将として第三位に位置づけられ、梁山泊の英雄の中で第四十位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】宣賛は、自らの野心や地位に対する欲求が強いことから、朝廷に復帰することで官職を得られるならば、招安は非常に理にかなった選択だということでしょう。彼の普段の発言からも分かるように、彼は複雑なことを避け、実利的な選択を好む人物です。

 

郝思文(かくしぶん/hǎo sī wén):「可」

"俺自身の心には迷いがあるが、ここは関勝兄の意見に従おう。彼に従って招安に賛成だ。"

 

※地雄星 “井木犴” 郝思文は、関勝の義兄弟であり、母親が夢の中で井の神が投胎したと言われ、十八般武芸に精通している。関勝と宣贊と共に梁山泊を攻めた際に捕らえられ、梁山泊に帰順した。彼は馬軍の小彪将として第四位に位置づけられ、英傑たちの中では第四十一位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】郝思文は協調的な知識家として、他者との協力を大切にし、知識や意見を共有することに喜びを感じる人物です。彼は独自の迷いを抱えつつも、関勝に対する深い信頼と協調心から、関勝の意向に従って行動しています。これにより、彼もまた招安に賛成の立場を取りました。

 

韓滔(かんとう/hán tāo):「可」

"自分の才能をまっとうに活かせる道を歩むべきだ。賊寇に留まることに意味はなかろう。"

 

※地威星 “百勝将” 韓滔は、東京出身で、陳州の団練使であった。武挙に合格し、棗木槍を使う名手である。連環馬を使って梁山泊を掃討しようとしたが、徐寧らが製造した鉤連槍に破れ、劉唐らに捕らえられた後、梁山泊に帰順した。馬軍の小彪将として第五位に位置づけられ、梁山泊の英雄の中で第四十二位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】韓滔は孤独な理論家であり、他者との接触を避けつつ、自分の理論や考えに没頭する人物です。彼は朝廷の将領としての経験を持ち、梁山泊の賊寇として過ごすことに不満を感じています。彼の論理的な考えに基づくと、元の職務に戻り、自身の知識や才能を発揮できる場を求めるために、招安に賛成するのが自然だということでしょう。

 

彭玘(ほうき/péng qǐ):「可」

"私は梁山泊に加わったのは一時的な措置であったと考えている。朝廷に戻って再び正当な地位で生きる方が賢明だ。"

 

※地奇星 “天目将” 彭玘は、東京出身で、欽州の団練使の役職を持つ将門の家柄の出身である。三尖両刃刀を使い、武芸に優れていた。呼延灼の副先锋として梁山泊を攻めた際、扈三娘との戦いで思わず油断し、生け捕りとなって梁山泊に帰順した。彼は馬軍の小彪将として第六位に位置づけられ、梁山泊の英雄の中で第四十三位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】彭玘は即断即決の行動家であり、理論よりも迅速な行動を重視する性格です。また、彼は代々軍人の家系であり、朝廷に仕えていた経験があるため、賊寇としての生活よりも、再び正規の地位に戻りたいと考えています。そのため、彼は梁山泊に一時的に身を寄せていたものの、最終的には招安を受け入れて朝廷に復帰することを望んだと言えるでしょう。

 

単廷珪(ぜんていけい/shān tíng guī):「可」

"俺は戦略的に、草寇としての将来は暗いと判断し、長期的な安定のために招安を強く支持する。"

 

※地奇星 “聖水将” 単廷珪は、凌州の団練使であり、水兵の戦術に長けている。梁山泊に加わった関勝が兵を率いて彼と戦い、激戦となった。李逵、焦挺、鮑旭の支援を受けた関勝は単廷珪を捕らえ、梁山泊に帰順させた。彼は林冲、董平、魏定国と共に梁山泊の西側を守備する役目を担った。馬軍の小彪将として第七位に位置づけられ、梁山泊の英雄の中で第四十四位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】単廷珪は社会的な実践者として、社会とのつながりを重視し、実際の活動を通じて他者に貢献する人物です。彼は水攻めの戦法に長けた武将であり、戦略的思考が強いことから、長期的な視点での安定を重要視しているのでしょう。そのため、草寇として反抗し続けることには限界があると考え、朝廷に従うことで将来の安定を図ろうとする立場です。社会的安定を重視する彼にとって、招安は理に適った選択と言えるでしょう。

 

魏定国(ぎていこく/wèi dìng guó):「不可」

"組織を急激に変えることには危険を伴う。もっと時間をかけて変化を進めるべきだと考えているため、今は招安に反対する。"

 

※地猛星 “神火将” 魏定国は、凌州の団練使であり、火攻めの戦術に精通している。単廷珪と共に梁山泊を攻撃する命を受けたが、出征する前に関勝によって凌州城を包囲され、梁山泊に帰順した。彼は馬軍の勇将として八位の頭領を務め、英雄の中で第四十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】魏定国は均衡型の探求者として、知識と実践の均衡を重視しながら活動する人物です。火攻めの戦略に長けている彼は、急激な変化が大きなリスクを伴うことをよく理解しており、その考えを組織にも当てはめたのでしょう。彼は最終的に招安に賛成する方向性を持っていますが、現時点では準備が整っておらず、より慎重に時間をかけて進めるべきだと考えています。そのため、今すぐの招安には反対の姿勢を示しました。

 

欧鵬(おうほう/ōu péng):「不可」

"黄門山で山賊に身を落としたのは、この世の中の実態を見抜いた結果だ。梁山泊に参加したのは天道を行う為であり、再び朝廷の奸賊に振り回される為ではない。"

 

※地闊星 “摩雲金翅” 欧鵬は、貴州の出身で、長江を守る軍人であったが、上官とのトラブルで黄門山に身を隠していた。そこで宋江と出会い、共に梁山泊に加わった。彼は馬軍の勇将として九名の頭領の一人であり、梁山泊の英雄の中で第四十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】欧鵬は行動派の実践家として、理論よりも実践を重視し、現実的な行動によって物事を解決する人物です。彼はすでに朝廷の腐敗や裏切りを体験し、失望した結果、山賊となった過去を持っています。そのため、朝廷に再び従う招安に対しては、再び同じ過ちを繰り返すことになると考え、強く反対の立場を表明しました。彼の行動指向と現実的な視点が、招安を拒む理由となったのです。

 

鄧飛(とうひ/dèng fēi):「不可」

"裴宣兄は朝廷が大頭巾たちによって激烈に腐敗していると断言した。裴宣兄は知恵があるし、実際に孔目として朝廷にいた人だ。俺は彼の見識に従うね。"

 

※地猛星 “火眼狻猊” 鄧飛は、襄陽府の出身で、瞳の色が赤みがかっていたためめ「火眼狻猊」と呼ばれていた。体格が大きく、力強い武器を使い、近寄る者を寄せ付けなかった。花石鋼の輸送を担当する役人に虐げられたため、義憤のあまりにその者を殺して飲馬川に逃れて山賊となった。後に寨主の裴宣や孟康と共に梁山泊に帰順した。彼は馬軍の勇将として十位の頭領を務め、英雄の中で第四十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】鄧飛は社交的な実行者であり、知識よりも行動と他者との交流を重視します。彼自身は知恵や戦略を緻密に考える性格ではなく、信頼する仲間や頭領の意見に従って行動する傾向が強いです。彼は知恵者である裴宣(はいせん/péi xuān)の見識を心から信じていますね。裴宣が招安に大反対していますから、彼もまたそれに倣って反対の立場を貫きました。

 

燕順(えんじゅん/yàn shùn):「不可」

"かつて羊馬を販売していた時、あらゆる場所で役人たちに掠奪された。それで無路可走(行く道が無くなり)で清風山に落草した。俺はあの官吏たちの醜悪な顔つきは死ぬまで忘れない。"

 

※地強星 “錦毛虎” 燕順は、山東莱州の出身で、羊馬の商人であったが、商売に失敗して賊に身を落とし、清風山で王英や鄭天寿と共に山賊頭領として活動した。宋江が清風山を通りかかった際、罠を仕掛けて捕らえたが、宋江の名を聞いて降伏し、梁山泊に帰順した。彼は馬軍の勇将として十六頭領の一人となり、梁山泊の英雄の中で第五十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】燕順は直観的な生存者として、自身の直感に従い、生存本能に忠実に行動する人物です。彼の過去の経験や強い自己防衛意識から、再び官吏たちの支配下に戻ることを嫌い、梁山泊での自由な生き方を選び続けることを望んだものと思います。

 

馬麟(ばりん/mǎ lín):「不可」

"欧鵬と蔣敬が言っていることは正しい。壊れた船に乗れば、一緒に沈むだけじゃないか。今の朝廷に帰順するというのは、無謀すぎる考えだ。俺はそんな不安定な未来に賭けるつもりはない。"

 

※地明星 “鉄笛仙” 馬麟は、南京建康の出身で、身分の低い家庭に生まれたが、笛の名手であり、二本の短刀を巧みに使い、敵百人が彼に近づけないほどの腕前を持っている。彼は欧鵬、蒋敬、陶宗旺と共に黄門山で山賊をしていたが、江州で宋江に出会い、梁山泊に帰順した。彼は梁山泊で馬軍小彪将として第十二位を務め、英雄の中で第六十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】馬麟は理論派の探求者として、理論的な思考を重視し、深く物事を考えた結果、招安によってもたらされる危険を冷静に見抜いているのでしょう。彼は他の仲間たちと共に、自身の知識や経験に基づいて、現実的な判断を下していると思います。

 

陳達(ちんたつ/chén dá):「不可」

"俺たちはもともと、あの腐った官吏どもに追い詰められて少華山で落草したんだ。史大郎(朱武)が言っていたように、招安なんてしたところで、結局はまたあいつらに振り回されるだけだ。"

 

※地周星 “跳涧虎”の陳達は、邺城の出身で、力強く声が大きく、性格は粗野だが忠義に厚い人物だ。白い柄の棍棒を使い、朱武や楊春と共に少華山で山賊となり、その後梁山泊に帰順した。彼は梁山泊の馬軍小彪将として第十三位を務め、英雄の中で第七十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】陳達は穏やかな生存者として、究極的には素朴で落ち着いた生活を望む人物だと思います。彼は再び権力者の影響下に入ることに抵抗を感じていますので、朱武の理論に従って、梁山泊での安定した生活を維持することを重視したようです。

 

楊春(ようしゅん/yáng chūn):「不可」

"史大郎(朱武)は招安に反対している。彼は義気を重んじ、陳達と私に道を開いてくれたんだ。招安なんてしてしまったら、また官吏の手に縛られて、自由な生活はどこに行くというんだ。"

 

※地隠星 “白花蛇” 楊春は、蒲州解良の出身で、大槍を使い、腰が長く腕が細いが、槍術に優れている。刀の切っ先が花のように舞い、武芸に長けている。朱武、陳達と共に少華山で山賊となり、史家荘を攻撃した際に史進と出会った。宋江が西岳華州で戦った際に梁山泊に帰順し、馬軍の勇将として第十四位を務め、英雄の中で第七十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】楊春は自己満足型の実行者として、自分の快適な生活を維持することを重視しているのだと思います。彼は権力に縛られず、自由に生きることに価値を見出していますから、招安によってその自由が脅かされることを強く嫌って、反対の立場を表明したのです。

 

楊林(ようりん/yáng lín):「白紙」

"江湖生活で分かった。風に舞う木の葉のように、肩の力を抜いて環境に身を委ねるのが、俺の性に合ってるみたいなんだよな。今回も俺は余計なことを考えずに、白紙のままにしておくのが一番だ。"

 

※地暗星 “錦豹子” 楊林は彰徳府の出身で、丸い頭に大きな耳、端正な顔立ちを持ち、筋肉質の体をしている。妙な幸運の持ち主であり、緑林に身を落としても特別な労なくトントン拍子に自らの居場所を得ていた。その後、戴宗との出会いを通じて梁山泊に帰順した。彼は馬軍の勇将として十六頭領の一人となり、梁山泊の英雄の中で第五十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】楊林の性格は直感的な実行者であり、他者と協力しながら実践的な活動を行いますが、余計なことを深く考えず、敢えて状況に流されようとする傾向があります。このため、彼は招安という複雑な問題に対して、特に意見を持たず、環境に身を任せる姿勢を取ったのです。

 

周通(しゅうつう/zhōu tōng):「不可」

李忠兄や魯大師(魯智深)が招安に反対している。俺にとっちゃ、この二人は俺を導いてくれた大切な存在だし、今までもずっと信頼してきたし、これからも信頼する。

 

※地空星 “小霸王” 周通は、かつて打虎将の李忠と共に桃花山で山賊をしていた。彼が見惚れた娘を巡って村民と騒動になるが、当地に偶然立ち寄った魯智深の仲裁によって解決した。最終的に彼は二竜山、桃花山、白虎山の三山の人馬と共に梁山泊に帰順した。彼は梁山泊の馬軍の勇将として第十六位に位置づけられ、英雄の中で第八十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】周通の強い生存欲求と存在欲求により、彼は自らの生存や人とのつながりを重視しています。彼にとって、信頼する仲間の意見は非常に大切であり、そのため李忠や魯智深が反対する招安に対して、自らも反対の立場を取ることが自然な流れであったと言えるでしょう。

 

[投票進捗状況] 可=二十 不可=十一 白紙=四

 

<歩兵隊長 十名>

魯智深(ろちしん/lǔ zhì shēn):「不可」

"腐敗した役人たちに再び従うことなど、考えられない。俺たちが戦ってきたのは、この腐って歪みきった世を正すためだ。"

 

 ※天孤星 “花和尚” 魯智深は、本名を魯達といい、関西の軍漢で、渭州経略府の提轄官であった。金翠蓮の父を侮辱する肉屋の鄭屠を見かねて、三拳で彼を打ち殺し、官府に追われて五台山に逃れ、僧となり、法名を智深とした。彼は混鉄の禅杖を使い、その技は風雨も通さぬほどで、垂柳を引き抜き、野猪林での活躍や二竜山での指導者としての存在感を示した。彼の磊落で飾らない性格は比類なきものである。梁山泊では十名の歩軍頭領の第一位を務め、梁山泊の英雄の中で第十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】魯智深は実際の行動を重視し、これまで腐敗した役人と戦ってきた経験から、朝廷に従うことに強く反対していました。彼は宋江に忠義を示しつつも、招安に対しては反対の立場を取るのは、彼の正義感と現実的な判断に基づいたものであり、役人の腐敗を打倒することが彼の目標であったのだと思います。

 

武松(ぶしょう/wǔ sōng):「不可」

"腐った朝廷に頭を下げることなど、到底許せることではない。兄の仇討ちも果たした今、己の義に反することはできない。"

 

※天傷星 “行者” 武松は、清河県の出身で、兄弟の中では次男。江湖では武二郎と呼ばれていた。景陽岡で虎を打ち殺した後、陽谷県の歩兵都頭に任命された。兄の武大郎の復讐のため、奸夫の潘金蓮西門慶を殺害し、自首した。その後、『酔って蒋門神を打ち負かし』、『血が飛び散る快活楼の戦い』を経て、十字坡の張青の酒店で行者に身をやつした。後に梁山泊に加わり、歩軍の頭領の第二位となり、梁山泊の英雄の中で第十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】武松は腐敗した官僚や不正に対する強い憎悪を抱いており、自らの生存欲求や正義感に基づいて行動する性格です。そのため、朝廷への従属を意味する招安には強い反発を示しています。彼は個人的な正義と独立した行動を重視し、朝廷に加わることを義に反すると考えています。

 

劉唐(りゅうとう/liú táng):「不可」

"梁山泊の力は今のままで十分だ。朝廷に従う必要などない。俺たちはここで自分たちの力を維持していけば良い。先のことは状況を見ながら追って考えれば良い。"

 

※天異星 ”赤発鬼” 劉唐は、東潞州の出身で、江湖において人脈豊富な人物であった。多才多芸であり、朴刀の使い手でもある。また、情報収集にも長けており、生辰綱を智略で奪う際に通風報信(密かに情報を伝える役割)を果たした。彼は晁蓋呉用公孫勝、阮氏三兄弟と共に「七星聚義(七つ星の義兄弟)」の一人として活躍。梁山泊では歩軍の第三位頭領を務め、英雄の中で第二十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】劉唐は反体制的な人脈を活かして戦略的に行動しており、知識とつながりを重視して生きてきた人物です。現在の梁山泊の力には非常に満足しており、朝廷への従属を嫌っているので、招安には反対したということでしょう。

 

雷横(らいおう/léi héng):「可」

"俺は一時の怒りで官職を失い、命まで危うくなった。朱仝兄まで巻き込んでしまって猛省している。今は賊寇のままでいるよりも、招安を受けて再び正しくやり直したい。"

 

※天退星 “插翅虎” 雷横は、もともと鄆城県の歩兵都頭であり、優れた武芸を身につけている。特に徒手格闘に長けている。宋江殺人罪で捕らえられた際、雷横は仲の良い馬兵都頭の朱仝と共に、宋江を逃がす手助けをした。その後、彼の母が白秀英に侮辱された騒動により義憤の殺人を犯してしまい死刑囚となったが、朱仝に助けられて梁山泊に身を投じた。梁山泊では歩軍頭領の第四位を務め、英雄の中で第二十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】雷横は感情的なつながりを重視しつつも、現実的な問題解決を求める人物です。彼にとって、賊寇としての生活よりも、安定した官職に戻り、再び社会的な立場を得ることの方が重要であるため、招安を受け入れる立場を取ったものと思います。

 

李逵(りき/lǐ kuí):「不可」

"招安なんてクソくらえだ!俺たちが王国を作ればいいんだ!公明哥哥が皇帝になれば、みんな幸せになれる!"

 

※天魁星 “黒旋風” 李逵は、沂州沂水県百丈村の出身である。顔が黒く、性格は非常に荒々しく、勇猛で並外れた怪力を持つ。双斧の使い手で、人を殺すことを躊躇せず、ただ自分の思うままに行動する。もともと李逵は戴宗の部下であったが、知り合った宋江を大兄と慕って共に梁山泊へ帰順した。梁山泊では歩軍の第五位頭領を務め、英雄の中で第二十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李逵は純粋な行動派で、暴力的かつ直感的に動く性格の持ち主です。彼は現在の体制に強く反発し、宋江が新しい国を興すべきだと信じているため、招安には断固として反対を表明しました。

 

燕青(えんせい/yàn qīng):「可」

"招安は我々にとって良い選択だと思います。盧員外(盧俊義)がこの梁山泊で草寇を続ける必要がなくなるなら、私は彼にもう一度、故郷に戻ることを勧めたいとも思っています。"

 

※天巧星 “浪子”の燕青は、北京の出身で、幼少期に両親を亡くし、盧俊義に養子として育てられた。彼の体には美しい刺青があり、弓術に長け、さらに音楽や芸事にも通じている。李師師とは義兄弟の契りを結び、梁山泊の情報を皇帝に伝えるなど、宋江の帰順に大きく貢献した。彼は梁山泊の十名の歩軍頭領の中で第六位に位置づけられ、英雄の中で第三十六位、天罡星の最後の一人に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】燕青は、知識と実践の均衡を重視し、幅広い活動を行う人物であると感じます。彼は主人である盧俊義を深く案じており、盧俊義が安全に、そして尊厳を保ちながら朝廷での生活に戻れるよう招安を望んでいます。燕青自身はそれが非常に現実的な判断であると捉え、招安を受け入れることで盧俊義が危険な生活から抜け出し、再び平穏で豊かな生活を送れると考えています。

 

楊雄(ようゆう/yáng xióng):「可」

"俺は自分の行いを悔いている。このままでは俺は一生、罪に苛まれて生きることになる。招安が成功すれば、俺もまた正式に朝廷に戻り、過去の罪を清算できて、彼女に許しを乞えると思う。"

 

※天罡星 “病関索” 楊雄は、河南出身で、蓟州の牢役人だった。かつては市中で刑を執行する役割も担っていた。職場で起きた騒動を石秀に救われたことから彼と義兄弟の仲となり、彼の密告によって楊雄は不貞を働いていた妻の潘巧雲と召使の近児を成敗した。罪人となった彼は石秀と共に梁山泊に帰順し、歩軍頭領の第七位に定まり、英雄の中で第三十二位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】楊雄は知識よりも実際の行動や他者との交流を重視する性格であり、彼の行動は現実的で実践的なものであると感じます。妻の不貞による事件と、その後の梁山泊への合流という過去の経験から、彼は不安定な生活に対する恐れを抱いており、安定した生活を取り戻すために招安に賛成しています。また、自身の過ちを後悔し、招安によって罪を清算し、亡き妻の許しを祈ることができると考えていることから、招安は彼にとって心の平安を得る手段であると捉えたようです。

 

石秀(せきしゅう/shí xiù):「不可」

"官府の連中に良い人間など一人もいない!私たちが招安を受ければ、肉をまな板に乗せられるような、まさに『人は刀俎、私は魚肉』という言葉の通りになってしまう。その時に後悔しても遅い。"

 

※天罡星 “拼命三郎” 石秀は、金陵建康の出身で、叔父と共に荊州で羊や馬を売っていたが、叔父が途中で亡くなって商売が頓挫し、生計を立てるために蓟州で薪を売るようになった。何とか梁山泊入りを果たして大事を成したいと考えた彼は、武松の出来事を模倣し、楊雄と接点を持って一騒動を演じた。梁山泊に合流した後、彼は歩軍頭領の第八位を務め、楊雄と共に西山一帯を守り、英雄の中で第三十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】 石秀は知識と戦略を駆使して物事を進める性格であり、官府の腐敗や裏の事情を見抜いているため、招安が彼にとって不利な結果をもたらすと考えているのだと思います。彼は社会に貢献したいという強い想いを持ちながらも、官府に対して不信感を抱いており、招安が梁山泊の仲間たちを官府の犠牲にするだけだと見抜いています。そのため、招安に対して「肉をまな板に乗せるようなもの」と批判的で、最終的に後悔することになると強く感じているようです。

 

解珍(かいちん/xiè zhēn):「可」

"俺たち兄弟は、何ができて何ができないか、よく分かってるんだ。俺たちがここまでやって来られたのは、ただ自分の力だけじゃない。公明哥哥のお蔭だ。彼が招安を望むなら、俺は迷うことなく従う。"

 

※天罡星 “両頭蛇” 解珍は、登州の出身で、弟の解宝と共に猟師をしていた。鋼叉を用いて、武芸に優れていた。虎退治を巡って地方の官吏に陥れられ、死刑囚となっていたが、顧大嫂や孫新らによって救出され、梁山泊に帰順した。弟の解宝と共に梁山泊の南路第一関を守り、歩軍頭領の第九位を務めた。英雄の中では第三十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】解珍は自分たち兄弟の器量を理解しており、他者に頼らず自分たちの速度で生きていくことを重視しています。しかし、彼は梁山泊においては、公明哥哥の判断を尊重していることが明確です。自分自身が梁山泊勢力に加わった恩義を感じており、彼が招安を支持するならば、自分もその意向に従うという姿勢なのです。公明哥哥に対する忠誠心が招安支持の大きな理由となっています。

 

解宝(かいほう/xiè bǎo):「可」

"兄の解珍が言う通りだ。俺たちは自分たちの力をよく分かっているし、俺は兄と公明哥哥のことを心から信じている。二人が招安を望むならば、俺はもちろんそれに従う。"

 

※天罡星 “双尾蝎” 解宝は、解珍の弟で、猟師として兄と連携をしながら活動を行っていた。彼は常に兄と行動を共にし、孤影離れず一緒にいた。虎退治の騒動を巡って貶められて罪人となったが、兄と共に脱獄した後、梁山泊に加わった。彼は梁山泊の英雄の中で第三十五位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】解宝は欲求に従って力強く生きることを重視しており、複雑な問題について深く考えたり判断したりすることを避ける傾向があります。兄の解珍を信頼し、彼の判断に従う形で、また公明哥哥が招安を望むならば、それに従うという姿勢のようです。彼にとって重要なのは、信頼する兄や公明哥哥が選んだ道を歩むことであり、自ら深く考えずにその意向に従うことが自然であると考えています。

 

[投票進捗状況] 可=二十五 不可=十六 白紙=四

 

<歩兵将校 十七名>

樊瑞(はんずい/fán ruì):「不可」

"私は、師父である公孫勝と共に長生大道を追求することを望んでいる。腐敗しきった朝廷に身を捧げるなど、何の意味があるというのか。"

 

※地然星 “混世魔王”の樊瑞は、濮州の出身で、幻術に長け、風雨を呼び、兵を巧みに操ることができた。彼は項充、李袞と共に幻術や飛刀を用いて、徐州沛県の芝山で王として君臨し、梁山泊に対抗しようとした。宋江は大軍を率いて樊瑞を討伐しに行ったが、樊瑞の攻撃に危うく命を奪われそうになった。最終的に公孫勝が戴宗の助けで駆けつけ、樊瑞を降服させた。梁山泊に加わった後、彼は歩軍将校の第一位を務め、英雄の中で第六十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】樊瑞は静寂と孤独を愛し、他者との関わりを避けながら究極を求めて生きる性質を持っています。さらに、彼は師父である公孫勝と共に「長生大道」を追求する道を望んでおり、腐敗した朝廷に仕えることには全く興味がない様子です。自由を重んじる樊瑞にとって、招安はその自由を奪い、国家に縛られる選択肢であるため、彼の人生観や価値観とは相容れないものなのでしょう。

 

鮑旭(ほうきょく/bào xù):「不可」

"どれだけ優れていても、どれだけ忠実であっても、頭が腐りきった組織にいれば二心を起こすというもの。私はもうこの国を信用できない。"

 

※地展星 “喪門神” 鮑旭は、鄆州枯樹山の頭領で、顔は鍋の底のように黒く、目は突き出していた。大きな剣を振り回し、凶暴な気性を持っていたが、もともとは学問の道を歩んでいた科挙の合格経験者である。梁山泊の軍が凌州を攻めた際、鮑旭は李逵と焦挺に出会い、共に梁山泊に加わった。彼は歩軍将校の第二位を務め、英雄の中で第六十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】鮑旭は他者との関わりを避け、自分の意志に基づいて行動する孤高の人物です。さらに、彼自身が腐敗した組織や国家に対する信頼を完全に失っており、そのため「もうこの国を信用できない」という強い不信感を抱いています。このような考え方を持つ彼にとって、朝廷に仕えるための招安は受け入れられないものであり、むしろ反対するのは自然なことです。

 

項充(こうじゅう/xiàng chōng):「不可」

"招安の目的をまったく理解できない。あの国の連中から何が得られるというのだ。李逵に賛同する。国を興せば良い。"

 

※地飛星 “黒風大王” 項充は、徐州沛県の出身で、大きな盾と標槍を使い手であった。彼もまた樊瑞、李袞と共に芒砀山で幻術を用いる事の出来る王として君臨していたが、より高度な公孫勝の幻術によって捕らえられ、梁山泊に帰順した。彼は歩軍将校の第三位を務め、英雄の中で第六十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】項充は理論や思慮よりも実践的な行動を重視し、具体的に物事を解決するタイプの人物です。彼は「招安の目的を理解できない」と述べ、朝廷に従うことに全く価値を見出していませんでした。さらに、彼は李逵の考えに賛同し、「国を興すべきだ」と新たな道を模索する姿勢を示していました。このような背景から、彼は朝廷に従うための招安には断固として反対し、自分たちで新たな国家を作り上げるべきだと考えたのです。

 

李袞(りこん/lǐ gǔn):「不可」

"大きな力を持つ者が使い方を誤れば、簡単に人と社会を害することができる。今の朝廷がそれだ。あの連中には救いがない。"

 

※地走星 “黄風大王”の李袞は、邳県の出身で、大きな盾の使い手であった。また、芒砀山で樊瑞や項充と同じく幻術を用いる事の出来る王として君臨していた。梁山泊が芒砀山を攻めた際、彼はより高度な幻術の使い手である公孫勝により、石陣法に誘い込まれて捕らえられ、梁山泊に帰順した。彼は歩軍将校の第四位を務め、英雄の中で第六十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李袞の直感に従って行動し、他者との協力を重視する性格は、現在の朝廷の腐敗に対する強い不信感を抱くことにつながります。彼は、「大きな力を持つ者がその使い方を誤れば、社会を害する」として、今の朝廷をまさにそのような存在とみなしています。この発言からも、彼は朝廷の腐敗に対して絶望的な見方をしており、招安によって朝廷の支配下に戻ることに対しては否定的な感情を持ったということでしょう。

 

薛永(せつえい/xuē yǒng):「可」

"南北を行き来する多年の経験から、招安が良い結果を生まないことは何となく予想できる。しかし、私は公明哥哥に恩を返さなければならないし、彼を信用したいという気持ちがある。"

 

※地幽星 “病大虫” 薛永は、河南洛陽の出身で、祖父は宋の将軍であったが、その祖父が同僚と騒動を起こして家門が没落した。これにより本人も出世できなくなり、家族は武芸と薬売りで生計を立てることになった。薛永は揭陽鎮で宋江と出会い、後に梁山泊に加わった。宋江が浔陽楼で反詩を書いて捕らえられた際、薛永は法場を襲撃して宋江を救出し、共に梁山泊に加わって、歩軍十七将の第五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】彼は感情的なつながりを大切にし、公明哥哥への恩返しと信頼を強く意識しています。南北を行き来した経験から、招安が良い結果をもたらさない可能性を感じながらも、彼の中で最も重要なのは公明哥哥に対する恩義と信頼なのです。彼の日々の言動からも、公明哥哥を信頼し、彼の決断に従いたいという感情が見て取れます。

 

施恩(しおん/shī ēn):「不可」

"私の恩人である武二哥(武松)が招安に反対しているので、私も当然反対する。また、私は官府のやり方をよく知っている。私たちは朝廷に絶対に歓迎されない。"

 

※地伏星 “金眼彪” 施恩は、孟州の出身で、孟州牢城の管営の子供であった。拳棒に長け、快活林で酒店を経営していたが、蒋門神に奪われた。武松が兄の復讐のために人を殺し、孟州に流刑となった際に施恩と知り合い、武松が酒店を取り戻す手助けをした。施恩は武松に対する恩義に報いるべく梁山泊に加わり、歩軍十七将の第六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】施恩は武松への恩義が非常に強く、彼の意見に従う傾向が強い人物です。武松が招安に反対しているため、施恩もそれに倣って反対の立場を取ります。また、彼自身が地元官府の腐敗を目の当たりにしており、官府のやり方や朝廷に対する不信感を持っているため、朝廷に招安されても歓迎されるはずがないという現実的な見解を持っているようです。

 

穆春(ぼくしゅん/mù chūn):「不可」

"兄の穆弘が反対している以上、私もそれに従う。今の梁山泊の生活が十分に満足できるものだから、わざわざ招安を受ける必要はない。"

 

※地鎮星 “小遮拦” 穆春は、穆弘の弟であり、もともとは潯陽江のほとりにある揭陽鎮の裕福な家の子息で、地元では有力者であった。後に兄の穆弘と共に梁山泊に帰順した。彼は歩軍十七将の第七位を務め、梁山泊の英雄の中で第八十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】実際の行動を重視し、仲間との絆を大切にする穆春は、兄であり神子(サヴァン症候群)である穆弘の意向を最大限に尊重しています。兄と一緒に賊寇としての生活に満足しているため、権力者に従属する招安には賛成しませんでした。

 

李忠(りちゅう/lǐ zhōng):「不可」

"公明哥哥の考えは間違いだ。東京汴梁城の天子と朝廷の奸臣たちに期待できる訳がない。奴らは良民でも生活が出来ない国にした連中だ。私は招安に賛同できない。"

 

※地僻星 “打虎将” 李忠は、契丹の血を汲む濠州定遠の出身で、江湖で槍や棒を使って武芸を披露し、薬を売っていた。彼は史進に武芸を教えた師匠でもある。桃花山を通過した際、周通に阻まれたが、李忠が周通を打ち負かし、桃花山の首領となった。後に梁山泊に帰順し、歩軍十七将の第八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李忠は社会とのつながりを重視し、実践的な活動を通じて他者に貢献することを大切にする人物ですが、彼の経験から朝廷や官僚への不信感が強く、彼らが支配する体制に期待することはできないと考えています。特に朝廷の奸臣たちによって国が乱れ、良民が生きづらい状況を生んでいることに憤りを感じており、そんな体制に従うことは理にかなわないと判断したのです。

 

鄭天寿(ていてんじゅ/zhèng tiān shòu):「不可」

"ここには良い酒と良い友がいる。ここには仁義と忠孝がある。賊寇とは聞こえが悪いが、それが何だというのか。招安とは聞こえが良いが、それが何だというのか。"

 

※地界星 “白面郎君” 鄭天寿は、浙西の蘇州の出身で、顔が白く美男子だったことから「白面郎君」と呼ばれていた。幼い頃から棒術を習い、江湖で流浪していた。清風山を通過した際、王英と五六十回合の戦いを繰り広げ、決着がつかなかったため、熊順に山上に留められ、三番目の座を与えられた。後に梁山泊に加わり、歩軍将校の第九位を務め、英雄の中で第七十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】鄭天寿は知識と実践の均衡を重視し、義理堅く仁義を大切にする人物です。彼にとって現在の梁山泊の兄弟たちとの生活は十分に満足に値するようです。良い酒、良い友、仁義、忠孝を備えた梁山泊の生活に対する愛着が強く、外見的な「賊寇」という言葉や「招安」という体裁に惑わされず、本質を見据えた考えを持っています。彼は賊寇と呼ばれることに対しても何ら恥じることなく、招安もまた表面的な名声に過ぎないと感じているようです。

 

宋万(そうまん/sòng wàn):「不可」

"梁山泊で初めて賊寇となったのは当時28歳、あれからもう20年も経った。世の中は変わったよ。ずっと悪くなった。招安して奸臣の手先になりたいとは思わない。俺は反対票を投じる。"

 

※地魔星 “雲里金剛”の宋万は、梁山泊の創始集団の一員であり、王倫、杜遷と共に梁山を拠点としていた。武芸は特に優れていなかったが、環境や人間関係に対する適応力が極めて高く、王倫が林冲に殺された後も自然と梁山泊に留まった。彼は歩軍十七将の第十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】宋万は梁山泊の創始集団として長年活動してきた人物です。彼は生存本能が強く自己完結的な性質を持っていて、自らの安定した生活を保つことが重要であり、知識や社会的つながりを求めるよりも、現状を維持したいと感じているのだと思います。また、自身の経験から世の中が悪化していると感じていて、国家の在り方には非常に懐疑的です。結果として、招安には賛成できないという立場を取ったのでしょう。

 

杜遷(とせん/dù qiān):「不可」

"王倫や宋万と梁山泊に拠点を築いた時、ここはひどい荒島だった。忠義堂の裏の棗の木は私たちが植えたのだ。見てくれ、あの木は立派に育った。ここまで育った梁山泊を捨てる理由がどこにある。"

 

※地妖星 “摸着天”の杜遷は、梁山泊の創始集団の一員であり、かつて王倫、宋万と共に梁山を拠点にしていた。武芸は平凡であったが、調整役としての能力が極めて高い事から、王倫が林冲に殺された後も第二体制である晁蓋に仕えた。彼は歩軍十七将の第十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】杜遷は素朴で安定した生活を重視しており、梁山泊での長年の生活に深い愛着を持っています。彼は梁山泊の初期から関わっており、その成長を見守ってきました。忠義堂の棗の木を育てたことを誇りにしている彼にとって、梁山泊は単なる拠点以上の意味を持っているのだと感じます。そのため、長年築き上げた梁山泊を捨て、朝廷の支配下に戻ることには強い抵抗を感じているのです。彼にとって、梁山泊での穏やかな生活を守り続けることが最優先であり、招安のような大きな変化は望んでいないのです。

 

鄒淵(すうえん/chú yuān):「不可」

"公明哥哥が言うには、招安を憂ければ皆が朝廷で大官になれるそうだ。さて、俺の頭に生えているものを見てくれ。俺が見ても大官には見えないそれを、奴らがそう見てくれるとは思わない。"

 

※地短星 “出林龍” 鄒淵は、莱州の出身で、鄒潤の叔父に当たる。幼い頃から博打を好み、喧嘩も得意で、誰にも負けなかった。甥の鄒潤とほぼ同じ年齢で、登雲山で山賊となり、仲間を集めて盗賊行為をしていた。孫新の頼みに応じて、解珍と解宝を救出し、後に梁山泊に加わった。彼は歩軍十七将の第十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】鄒淵は見た目は粗野ですが、実は理論的思考を重視し、冷静に物事を分析する能力を持つ人物です。そのため、彼は公明哥哥の提案する招安を理性的に検討して、朝廷の腐敗や、自分たちが朝廷の高官になるという未来を現実的に捉えることが出来ないと考えています。鄒淵は自分自身を含め、梁山泊の多くの面子が朝廷に迎えられるとは思っていないため、招安に対して懐疑的なのです。彼の理論的な視点から見れば、招安は梁山泊の未来を保障するものではなく、むしろ危険を孕んでいると考えています。

 

鄒潤(すうじゅん/chú rùn):「不可」

"恩人の顧大嫂たちは招安に好意的だが、私と叔父は生粋の賊寇だ。この通り、文字も書けない。世の片隅で生きて来た俺たちを、あの高慢な役人連中が受け入れるとは到底思えない。"

 

※地角星 “独角龍” 鄒潤は、莱州の出身で、鄒淵の甥にあたる。彼は体格が大きく、恐ろしいほど頭が固い事から「独角龍」と呼ばれていた。叔父と同じく独流で身に付けた喧嘩殺法の使い手。彼らは孫新と親しく、解珍と解宝を救うために尽力した。後に梁山泊に加わり、歩軍十七将の第十三位に、英雄の中では第九十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】鄒潤は自己満足を重視し、他者との関わりを最小限にする性格です。また、彼自身が生粋の山賊であり、文字の読み書きができないことから、朝廷や役人の世界に馴染む自信がありません。彼は、役人たちが自分たちのような賊寇を受け入れるとは到底思えず、その世界に足を踏み入れることに不安を抱いています。さらに、彼の叔父である鄒淵も同じように招安に反対しており、彼の意見も影響したものと思います。

 

龔旺(きょうおう/gōng wàng):「可」

"世間から忌み嫌われる病歴(天然痘)の履歴があっても尚、張清は俺と丁得孫を迎え入れてくれた。この恩人が招安に是を唱える限り、俺たちもまた彼に賛同する必要がある。"

 

※地捷星 “花項虎”の龔旺は、かつて東昌府の猛将であり、竹馬の友である丁得孫と共に張清の副将を務めていた。体に虎の模様の刺青を持ち、首には疫病の治癒跡がある。馬上で飛槍を使う名手である。宋江と盧俊義が東昌府を攻めた際、龔旺は林冲花栄に捕らえられ、梁山泊に帰順した。彼は歩軍十七将の第十四位を務め、英雄の中で第七十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】龔旺は仲間との協力を重視し、実際の行動を通じて問題を解決する性格です。彼は特に張清に対して強い恩義を感じており、その恩人が招安に賛同する限り、自分もそれに従うという忠義の意識を持っています。龔旺は過去に病歴があり、社会から忌み嫌われた経験があるため、自分と親友を受け入れてくれた張清への恩返しとして、彼の決断に従うことが重要だと考えたのでしょう。

 

丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn):「可」

"俺は幼少期から苦楽を共にした龔旺、その後に返しきれない恩を受けた張清、この二人の意見を全面的に支持する。"

 

※地速星 “中箭虎” 丁得孫は、東昌府の猛将であり、竹馬の友である龔旺と共に張清の副将を務めていた。顔に天然痘の治癒跡があり、左目は当時の罹患に伴って失明した。馬上で飛叉を使う名手である。張清が梁山泊の軍と戦った際、丁得孫は燕青の矢で馬から落とされ、呂方と郭盛に捕らえられて梁山泊に帰順した。彼は歩軍十七将の第十五位を務め、英雄の中で第七十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】丁得孫は実際の行動と実用的な解決策を重視する性格であり、合理的に物事を判断します。彼は幼少期から苦楽を共にした龔旺や恩義を感じている張清の意見を全面的に支持するとしており、二人が招安に賛成しているため、彼自身もそれに従いました。また彼は元々朝廷側の武人であり、張清のような義心のある上官のもとで活動できていたことから、招安に対する抵抗感が少なく、朝廷への帰順を実利的な解決策として捉えていたと思われます。

 

焦挺(しょうてい/jiāo tǐng):「不可」

"俺はやっと「顔」を持てたんだ。また有象無象の羊の群れに入って名声を失くしたくない。李逵兄は正しいよ。俺は招安に反対する。"

 

※地悪星 “没面目” 焦挺は、中山府の出身で、三代にわたり相撲を生業としており、父子で技を受け継いでいたが、弟子を取ることはなく、顔に特徴がなく誰にも覚えられないため「没面目(カオナシ)」と呼ばれていた。焦挺は、鮑旭と共に李逵と一緒に凌州を襲撃し、その後、曾頭市の攻撃にも加わった。彼は歩軍将校の第十六位を務め、英雄の中で第九十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】焦挺は生存欲求と知的欲求よりも、存在欲求に強烈な執着を持つ性格の持ち主です。彼は特に他者から承認されることに関心を持ち、社会的な評価を強く意識しています。彼は相撲大会の格闘家として不遇の経歴を持ち、やっとのことで梁山泊で名声を得ることが出来たと感じていますから、招安によって再び無名の存在に戻りたくないと考えています。また彼は李逵を敬服していますから、李逵の意見を支持する立場を取りました。

 

石勇(せきゆう/shí yǒng):「可」

"流浪の賭博人としてその日暮らしをしていた俺にとって、公明哥哥は初めて俺を導いてくれた人なんだ。公明哥哥は俺の心の柱だ。どこまでも彼に付いて行くさ。"

 

※地丑星 “石将軍” 石勇は、大名府の出身で、賭博で生計を立てていたが、ある日賭博の騒動により人を殺してしまい、江湖を流浪していた。しばらく柴進の荘に身を寄せた後、宋江の家にも一晩泊まったことがあり、宋太公から宋江に知らせを届ける役目を果たした。石勇は対影山近くの酒店で宋江と燕青に出会い、梁山泊に加わった。彼は歩軍将校の第十七位を務め、英雄の中で第九十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】石勇は自己満足を重視し、他者との関わりを最小限にする性格であるため、自分が満足できる状況であれば、それが賊であれ官であれ、特に強いこだわりを持たないと考えられます。彼は賭博でその日暮らしをしていた自分を救ってくれた公明哥哥を非常に敬愛しており、どこまでも彼に従う決意を示しているようです。公明哥哥が招安に賛成している以上、石勇もそれに従うのが自然な選択だということでしょう。

 

[投票進捗状況] 可=二十九 不可=二十九 白紙=四

 

梁山泊山寨水軍隊長 八名>

李俊(りしゅん/lǐ jùn):「不可」

"多年の私塩の販売経験から、腐敗した官吏たちの実態をよく知っている。李逵兄の言う通り新たな国を興すという決断をするべきだ。"

 

※天寿星 “混江龍” 李俊は、廬州出身であり、水中での技術に非常に優れ、揚子江で船頭をしていた。人望や統率力が多分にあり、周辺の黒社会の面々をまとめあげる求心的な人物であった。宋江が江州に流刑となった際、李俊が彼を救助した。李俊は梁山泊の八員水軍頭領の第一位を務め、英雄の中で第二十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李俊は革新的で行動力に富み、社会に変革をもたらすことを目指す人物です。また、彼は塩密売の経験を通じて腐敗した官吏の実態をよく知っており、朝廷に対して強い不信感を抱いています。彼は既存の体制に従うよりも、新しい秩序を作ることを重視しており、李逵の「新たな国を興す」という考えに賛同しています。彼は招安を受けて古く壊れかけた体制のもとで生きるよりも、自ら新たな道を切り開くことを選んだということです。

 

張横(ちょうおう/zhāng héng):「不可」

"俺は江辺で育ち、官司も天も恐れない人間だ。招安すれば安心を得られるって言うのか。今すでに安心している。俺は李俊兄の意見に従う。"

 

※天亮星 “船火児” 張横は小孤山の出身であり、揚子江のほとりで密かに渡し船を用いて財を奪う賊として活動していた。宋江が江州に流刑となった際、張横は宋江ら多くの好漢たちと出会い、弟の張順と共に梁山泊に投降した。彼は梁山泊義軍に加わり、各地を転戦し、水中でその神業を発揮した。梁山泊の水軍八寨の第二頭領となり、梁山泊の英雄の中で第二十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】張横は強い生存欲求と存在欲求を持ち、人との結びつきを大切にする力強い仲介者です。彼は水軍の頭領として活躍し、すでに揚子江の賊として自立している生活を送っており、官吏や朝廷に対しては特に恐れや依存心を抱いていません。また、李俊の意見に賛同しており、新たな国を興すという大胆な選択にも共感していることから、腐敗した朝廷に従うことを望みませんでした。

 

張順(ちょうじゅん/zhāng shùn):「可」

"悩ましい所だ。李俊兄と張横の見解も十分に理解できる。しかし、俺は公明哥哥に恩義がある。俺は公明哥哥と水火を共にする覚悟だから、招安に賛成する。"

 

※天損星 “浪里白跳” 張順は、実兄の張横と共に浔陽江で舟渡しをしていたが、後に漁師に転身した。ある日、巨大な川魚が彼の背に自ら飛び乗ったという非常に珍しい縁起の良い出来事があり、これにより「浪里白跳」と呼ばれるようになった。宋江の病魔を救う安道全を仲間に引き入れるなど大きな存在感を示し続け、梁山泊に合流した後は兄と共に西南水寨を守った。彼は梁山水寨の八頭領の第三位を務め、英雄の中で第三十位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】張順は感情的なつながりを非常に大切にし、特に公明哥哥に対して深い恩義を感じています。彼は兄の張横や李俊の反招安の意見にも理解を示していますが、それ以上に宋江との絆を重んじており、宋江と苦楽を共にする覚悟を持っていることから、招安に賛成する意思を固めたようです。

 

阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr):「可」

"役人は確かに腐っている。しかし、どのような身分にいても、この世に生きる限りは腐敗や醜悪さから逃れられないものだ。だとすれば、私たちは世の悪に対抗する力を持つべきだ。"

 

※天剣星 “立地太歳” 阮小二は、梁山泊の石鶏村の出身で、阮小五、阮小七との三兄弟で魚を捕って生計を立てていた。武芸に優れ、水上戦にも長けていた。生辰綱(腐敗役人の不義の財)を智略で奪取する計画に参加した後、宋江らの助けもあって官軍の追手を振り切り梁山泊に帰順した。兄弟で熟練した水上戦の技能を発揮し、彼は梁山泊で水軍頭領の第四位を務め、英雄の中で第二十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】阮小二は他者との親密な関係を重視し、実際の行動に力を注ぐ性格です。彼はこの世に生きる限り腐敗や醜悪さから逃れられないという考えがあり、世の悪に対抗する力、すなわち権力や地位を獲得することに意味があると捉えています。彼は現実的に分析して、招安によって官軍としての力を得ることが世の悪に対抗する手段になると考えたのです。

 

阮小五(げんしょうご/ruǎn xiǎo wǔ):「可」

"兄弟や仲間と共に生きるためには、招安を受け入れ、安定した生活を手に入れるのが一番だ。俺たちは、行動で新しい道を切り開いてきたんだから、これからもそうしていく。"

 

※天罪星 “短命二郎” 阮小五は、生き残った阮氏兄弟の五男であり、梁山泊で名高い水中の勇士である。彼は童威と共に梁山の東北水寨を守っていた。高俅が大軍を率いて梁山泊を討伐しに来た際、阮小五は水中で奮闘し、勇敢に敵を討ち取った。彼は梁山泊の八大水軍頭領の第五位を務め、英雄の中で第二十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】阮小五は実際の行動を重視し、仲間との関係を大切にするため、現実的に招安を受け入れることで自分や兄弟たちの生存を確保することを選んだものと思われます。彼は知識よりも行動を重視し、仲間と協力しながら新しい道を進むことに価値を見出していたのです。

 

阮小七(げんしょうしち/ruǎn xiǎo qī):「不可」

"兄たちとの意見には賛同できないね。朝廷の腌臜泼才(ならず者)のお仲間になって一緒に悪事を成したいって言うのかよ。論外だ。"

 

※天敗星 “活閻羅” 阮小七は、阮兄弟の中で最も年少で、二人の兄と共に江湖を行き来していた。水中戦の心得があり、兄たちと共に生辰綱の強奪計画で大きな活躍を示した。梁山泊に合流した後、彼は童猛と共に西北水寨を守り、梁山水軍八頭領の第六位を務め、英雄の中で第三十一位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】阮小七は迅速な行動を重視し、問題に対して即座に解決策を講じる性格の持ち主です。彼は朝廷の腐敗という問題に対して非常に強い嫌悪感を持っており、朝廷の悪徳官吏と手を組むことを論外と断じていました。彼の普段の言動からも、兄たちと異なる意見を持ち、招安を受け入れることを断固として拒否している姿勢が明確です。

 

童威(どうい/tóng wēi):「不可」

"李俊兄が招安について反対の立場を貫いている。彼がそう言うのなら間違いは無いと思う。"

 

※地進星 “出洞蛟”の童威は、浔陽江の出身で、水中に潜り、船を操る技術に優れており、密輸塩を生業としていた。宋江が李立に薬を盛られた際、童威は李俊と共に宋江を救出し、梁山泊に加わった。彼は阮小五と共に梁山泊の東北水寨を守り、水軍頭領の第七位を務めた。

 

【後日、呉用による覚書】童威は、理論よりも実際の行動を重視する人物で、実践的な判断を優先します。彼は李俊の判断を信頼しており、李俊が招安に反対していることから、童威自身もそれに従って反対の立場を取ったのです。

 

童猛(どうもう/tóng měng):「不可」

"ここにいる誰もが公明哥哥の人柄については心の底から信頼している。それは間違いない。しかし、先見の明については李俊兄に譲ると俺は思う。"

 

※地退星 “翻江蜃” 童猛は、童威の弟で、兄弟で水上での技術に長けており、浔陽江で密輸塩の商売をしていた。梁山泊に加わった後、童猛は水軍頭領の第八位を務め、阮小七と共に梁山泊の西北水寨を守備した。英雄の中で第六十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】童猛は、他者との関わりを避け、自分の意思で行動する性質を持っています。彼は李俊の先見の明を信頼しており、その李俊が招安に反対しているため、童猛も招安には反対の立場を取ったのです。

 

梁山泊四店情報募集来賓接待長 八名>

孫新(そんしん/sūn xīn):「可」

"言っておくが、恐妻家という君たちの俺に対する意見は間違っている。俺は妻を恐れているのではなく、崇めているんだ。彼女の決断はいつも正しい。"

 

※地勇星 “病尉遅” 孫立は、登州の兵馬提轄で、弓馬の術に優れ、長槍と鋼鞭を巧みに操る。弟の孫新と弟の妻である顧大嫂と手を組み、牢獄を襲撃して解家兄弟を救出した。また、祝家荘の攻撃でも大きな功績を上げた。梁山泊では馬軍の小彪将として第二位に位置づけられ、英雄の中で第三十九位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】孫新は感情的なつながりを大切にする人物であり、妻の顧大嫂や兄の孫立と強い絆を分かち合っています。彼の強い存在欲求は、家族や仲間とのつながりを最重要視し、そのために信頼する人々の意見を尊重する性質を反映しているように思います。妻たちが招安に賛成しているため、孫新もその意見に賛同しました。

 

顧大嫂(こだいそう/gù dà sǎo):「可」

"もらえるもんはもらっておけ。それから考えれば良いじゃないか。小賢しい議論は不要だ。"

 

※地陰星 “母大虫” 顧大嫂は、登州の出身で、孫新の妻であり、梁山泊の女性英雄の中で二番目の格を持つ人物である。彼女の表兄弟である解珍と解宝が毛太公に陥れられて大牢に入れられた際、顧大嫂は鄒淵、鄒潤、孫新、孫立らと共に牢を破り、解珍と解宝を救出した。さらに、彼女は自分の身分を利用して税家荘に潜入し、梁山泊の軍と内外から協力して税家荘を攻撃した。梁山泊に加わった後、四店を管理し、情報収集と来賓の迎接を担当した。英雄の中で第一百一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】顧大嫂は非常に実利的な考え方を持っており、深く考えずにまず恩恵を受け取ることを重視したようです。彼女は感情的なつながりを大切にしながらも、実践的な支援を行うタイプであり、状況に応じて柔軟に対応することが得意な人です。そのため、招安という機会を一度受け入れ、そこからどう進むかを考えるべきだと主張しました。

 

張青(ちょうせい/zhāng qīng):「不可」

"役人の腐敗は許せない。俺たちは山賊として生きる道を選んだ。梁山泊で義兄弟たちと共に、腐った世の中に立ち向かう方がよほどましだ。"

 

※地刑星 “菜園子” 張青は、孟州の光明寺で菜園を営んでいたが、小さな騒動により僧侶を殺害し、寺を捨てて大樹坡で盗賊となった。そこで孫二娘に打ち負かされ、彼女と結婚した。二人は十字坡で酒店を営み、蒙汗薬を使って腐敗役人や罪人を麻痺させ、強奪を行っていた。武松が通りかかった際、酒に問題があることを察し、酔ったふりをして孫二娘を捕らえ、張青夫妻と知り合った。後に梁山泊に加わり、四店の一つを管理して情報を集め、来賓を迎える役割を担った。英雄の中で第一百二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】張青は、直感を重視し、腐敗した体制に対する反感を持っています。彼は妻の孫二娘や魯大師(魯智深)と意見を同じくし、現在の体制に従うことに強い抵抗を感じているため、招安には反対の立場を表明しました。

 

孫二娘(そんじじょう/sūn èr niáng):「不可」

"腐った朝廷に従ったところで、私たちの過去の罪が帳消しになるわけじゃない。仲間たちと一緒に戦う方がずっと意味があるさ。"

 

※地壮星 “母夜叉” 孫二娘は、張青の妻で、かつては名将の祖父を持つ名家の娘であったが、権力闘争により祖父が貶められたことから没落した。その経緯から恨みを晴らすべく、孟州道の十字坡で夫の張青と共に酒店を営みながら、腐敗役人や罪人を殺して財貨を奪う悪事に及んだ。武松が孟州に流刑された際、十字坡を通り、酔ったふりをして孫二娘を捕らえ、彼女と夫の張青と知り合った。後に孫二娘は張青と共に梁山泊に加わり、英雄の中で第一百三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】孫二娘は感情的なつながりを重視し、仲間との絆を守りたいという想いが強くあります。また、その生い立ちから腐敗した朝廷に従うことが正しい道だとは到底思えないということで、招安には強く反対しています。

 

朱貴(しゅき/zhū guì):「不可」

"先父が私たち兄弟の名前を朱贵、朱富と名付けたのは子の出世を願う気持ちからだったろうが、歪んだこの世の中で表面だけの名声を得ても何も意味がないのだ。"

 

※地囚星 “旱地忽律” 朱貴は、沂州沂水県の出身で、元々は梁山泊の王倫の下で働いていた。彼は酒店を営み、往来する人々の情報を探っていた。梁山泊に上がろうとする者がいれば、湖の対岸に向けて信号の矢を放ち、対岸から船が来て迎えに行った。王倫が林冲に殺された後も、朱貴は梁山泊で引き続き情報収集を行い、梁山泊の四店を管理する八頭領の一人として活動していた。英雄の中で第九十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】朱貴は、世の中の名声や出世にはあまり価値を感じておらず、現実に深く幻滅していることが伺えます。彼の普段の言動からも、歪んだ社会の表面的な栄光を拒絶する姿勢が見て取れる所です。そのため、彼は腐敗した朝廷に従うこととなる招安には懐疑的であり、むしろ反発を示しました。彼は、他者と協力して支援活動を行うことを重視し、直感的に朝廷の偽善を見定め、それが協力体制を崩す結果となることを予想したのでしょう。

 

杜興(とこう/dù xīng):「可」

"盧員外(盧俊義)と燕青兄の関係と同じで、私も李家に忠義を尽くす家人だ。ご主人(李応)が招安に賛同するのなら、私もそれに異論はない。"

 

※地金星 “鬼瞼児” 杜興は、中山府の出身で、顔つきが粗野なため「鬼瞼児(鬼顔の人)」と呼ばれていた。宋江が祝家荘を三度攻めた際、杜興は李家荘の李応の家で管理人を務めていた。宋江が祝家荘を攻略した後、窮地に陥っていた李応と杜興を救出し、これにより梁山泊に加わった。彼は梁山泊で四つの宿屋の管理を担当し、英雄の中で第八十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】杜興は元主人である李応に対して強い忠義を示している人物です。彼にとっては李応の決断を尊重することが最優先の事項となります。杜興は穏やかで簡潔な生活を望んでいますから、他者との関わりを最小限にする上でも、李応の決断に素直に従うことが最も合理的な行動と考えたのです。

 

李立(りりつ/lǐ lì):「不可」

"李俊兄が招安に反対している。あの人は先を見通す目と新しい道を切り開く力を持った人だ。彼の意見に間違いはない。"

 

※地奴星 “催命判官” 李立は、浔陽江の揭陽嶺の出身で、李俊の弟だった。彼は浔陽江で商人に宿泊や運送の便宜を図り、酒店で蒙汗薬を使って役人や罪人を麻痺させて財産を奪うこともしていた。宋江も李立の毒手にかかりそうになったが、李俊が救出に駆けつけたため難を逃れた。後に梁山泊に加わり、四店の一つを管理して情報収集や来賓の迎接を担当した。英雄の中で第九十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李立は李俊を非常に信頼しており、彼の判断に従う傾向が日頃から見受けられます。李俊が招安に反対していることを理由に、李立もその意見に賛同しました。彼は直感を重視し、他者と協力して実践的な活動を行う性格であり、李俊の指導力と行動力を信頼しているため、自らの意見も反対に傾いたのは自然なことだと思います。

 

王定六(おうていろく/wáng dìng liù):「白紙」

"目の前で苦しむ人を私の医術で救いたい。ただ、私にあるのはそれだけだよ。政治に対する意見は持たない。皆に任せる。"

 

※地劣星 “活閃婆” 王定六は、南京建康府の出身で、六女だった。幼少期から活発に動き回るおてんば娘であったため「活閃婆」と呼ばれていた。医術に関心があり棒術にも通じていたが、師匠には恵まれず、江辺で漢方を売って生計を立てていた。張順が名医の安道全を探しに南方に向かった際、揚子江で張旺に襲われて命を狙われ、川に突き落とされたが、張順は水中を泳ぎ、王定六の治療により助けを得た。王定六は師父である安道全を招き入れ、共に梁山泊に加わった。彼女は北山の酒店兼診療所の管理者となり、情報収集を担当する八頭領の一人となって、英雄の中で第一百四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】王定六は自分の医術で人を救うことに重きを置き、政治や大きな決断に対する関心を示していません。彼女自身が日頃から政治に対する意見は持たないと明言していますから、招安には賛成でも反対でもなく、他者の判断に委ねる姿勢を取りました。

 

[投票進捗状況] 可=三十五 不可=三十八 白紙=五

 

梁山泊情報探索長 1名>

戴宗(たいそう/dài zōng):「白紙」

"我々の力を世のために使えば、より大きな夢を実現できるとは思う。梁山泊がこのままでは限界があることは間違いない。しかし、招安という選択を信じることもできない。"

 

※天速星 “神行太保” 戴宗は、もともと呉用の友人で、江州の牢役人を務めていた。彼は道術に通じ、両脚に神行甲馬を縛りつけることで、一日に八百里を走ることができたため、人々から『神行太保』と呼ばれていた。宋江が潯陽楼で反詩を詠んだ際、知府の蔡九は戴宗に宋江を捕らえるよう命じたが、戴宗は彼を狂人に装わせて難を逃れさせた。梁山泊では、戴宗は総探頭領(偵察部隊の指揮官)を務め、梁山泊の英雄の中で第20位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】戴宗は知的欲求が強く、夢を追い続ける性格のため、国家に仕えることで自分の能力や知識をさらに発展させられると考えたものの、一方では直感的に現在の国家を信じ切れない気持ちも残ったのでしょう。彼は異能才子として自分の特殊な能力を活かして何かに貢献したいとは願うものの、その対象が本当に宋であるべきなのかを考えあぐねたようです。結局、彼はどうしても結論を出せずに「白紙」の投票となったのだと思います。

 

[投票進捗状況] 可=三十五 不可=三十八 白紙=六

 

梁山泊軍中機密伝令歩兵隊長 四名>

楽和(がくわ/lè hé):「可」

"確かに国家は疲弊した状態にあると思うが、私の官職時代は充実していたよ。文化人としても重宝されていたしね。大丈夫、招安は良い結果をもたらすと思う。"

 

※地楽星 “鉄叫子” 楽和は、登州の出身で、音楽に通じ、武芸にも優れている。登州府で小役人をしていたが、解珍と解宝兄弟が毛太公に陥れられた際、孫立、孫新、顧大嫂らと共に牢を破って兄弟を救出し、梁山泊に加わった。彼は軍中で機密伝令を担当し、歩軍頭領の第一位を務め、英雄の中で第七十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】楽和は知的欲求と存在欲求が強く、知識と文化に対する強い関心を持っており、かつ過去に官職に就いていた時代を充実したものとして肯定的に捉えています。彼は文化人としても重宝されていた経験を踏まえて、再び官職に就けることを期待しているので、積極的に招安を支持する意見を示しました。

 

時遷(じせん/shí qiān):「可」

"公明哥哥は大した人物だよ。今どき、これほどの正しさを持った人はいない。全員、彼を信じて進めば良いんだよ。俺はそうする。"

 

※地賊星 “鼓上蚤” 時遷は、高唐州の出身で、流れ流れて荊州に辿り着き、飛檐走壁(屋根を飛び移る技術)や馬をかすめ取る泥棒として活動をしていた。楊雄、石秀と出会って梁山泊を目指すことになり、祝家荘の騒動を経て梁山泊に合流した。梁山泊軍では、機密伝達を担当する歩兵部隊の四頭領の一人となり、序列では第107位に列せられた。

 

【後日、呉用による覚書】時遷は生存欲求や存在欲求が非常に低く、独自の知識を追求しながらも、周囲との協調や名誉にはあまり関心がありません。しかし、彼は公明哥哥の精神性や求心力を高く評価しており、彼の正しさを信じています。時遷は公明哥哥に全幅の信頼を寄せており、その指示に従うことが最善だと考えて、招安については深く考えずに彼に従う姿勢を取りました。

 

段景住(だんけいじゅう/duàn jǐng zhù):「可」

"公明哥哥が招安を望むなら、俺は強く支持する。今の梁山泊で最も重要なのは公明哥哥の大腿を抱えることだ。今後も彼に従う。"

 

※地狗星 “金毛犬” 段景住は、涿州の出身で、馬商人をしていたが、実は馬泥棒でもあった。赤い髪を持つ事から「金毛犬」と呼ばれていた。彼は嶺北で名馬「照夜玉獅子馬」を手に入れて梁山泊に献上しようとしたが、途中で曾頭市を通過した際、曾家の五虎にこの馬を奪われた。この報を聞いた晁蓋は激怒し、梁山泊の軍を率いて曾頭市を攻撃した。段景住は梁山泊に帰順し、軍中の機密伝令を担う歩軍頭領の第三位を務め、梁山泊の英雄の中で第一百八位に定まった。

 

【後日、呉用による覚書】段景住は存在欲求が非常に強く、他者との感情的なつながりや社会的な地位を重視するタイプです。彼は公明哥哥を信頼しており、自分の野心の達成が彼の導きによって叶うと考えているのだと思います。この結果として、彼は招安にも積極的に賛成する立場を取りました。

 

白勝(はくしょう/bái shèng):「不可」

"晁天王(晁盖)が存命中、彼は招安に反対していたんだ。彼の言葉が俺の中に深く刻まれているし、昨日も夢で彼を見たんだ。招安は不吉だ。止めた方が良い。"

 

※地耗星 “白日鼠” 白勝は、済州府黄泥岡東十里の楽村の出身で、賭博師だった。彼は生辰綱を奪取する計画に参加し、蒙汗薬を混ぜた酒を押送官たちに売り、官兵15人を麻痺させた後、十一担の生辰綱を奪い取った。彼は梁山泊の機密伝令を担当し、歩軍頭領の第四位を務め、英雄の中で第一百六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】白勝は存在欲求が強く、他者との交流を重視する性格で、行動を通じてその影響力を発揮するタイプです。彼は晁蓋の影響を強く受け、晁蓋が生前に招安に反対していたことが彼の判断に大きく影響したと思われます。また、彼は前夜に夢で晁蓋の言葉を聞いたと話しており、これによって招安に対して不吉な感情を抱いたようです。こうしたことから、彼は晁盖の意志を尊重し、招安に反対の立場を取りました。

 

[投票進捗状況] 可=三十八 不可=三十九 白紙=六

 

<司令部護衛騎兵驍将 二名>

呂方(りょほう/lǚ fāng):「可」

"公明哥哥は間違っていないと思う。彼が招安を良いと考えるなら、それは確かに良いことだ。俺はそう信じるね。"

 

※地佐星 “小温侯”の呂方は潭州の出身で、生薬を売りに山東へ向かい、その後帰郷できなくなって対影山で盗賊となった。三国時代の名将である呂布に憧れ、方天画戟を習得している。宋江と知己を得た後、同じ方天画戟の使い手である郭盛と共に梁山泊に帰順した。中軍馬軍の二名の勇将の一人となり、梁山泊の英雄の中で第五十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】呂方は強い生存欲求と存在欲求を持ち、物理的な活動や他者との関わりを重視する人物です。彼は人と人を結びつける力に長けており、実践的な行動を通じて他者と強いつながりを築くことを重要視しています。その彼の現在の行動選択の原動力になっているのは公明哥哥であり、公明哥哥が招安を良いことと考えるならば、それを信じて従う姿勢を取るという訳です。

 

郭盛(かくせい/guō shèng):「可」

"俺のような役人のせいで人生を踏み躙られた兄弟は、どうしても国を信じられないものだ。しかし、俺たちには公明哥哥がいる。彼がいれば招安も良い結果になる。"

 

※地祐星 “賽仁貴” 郭盛は、四川嘉陵の出身で、水銀を売りに黄河を渡っていたが、強風で船が転覆して帰郷できなくなった。嘉陵で方天画戟を学んでおり、武芸に非常に長けている。梁山泊に戟を使う者がいると聞き、勝負を挑むために梁山に向かって呂方と戦った後、宋江と知己を得て梁山泊に加わった。呂方と共に山寨の中軍馬軍の勇将として守備に当たり、英雄の中で第五十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】郭盛は強い生存欲求を持ち、理論よりも実践的な行動を重視する性格です。彼は自身の過去の経験から役人に対しては不信感を抱いているものの、公明哥哥に対しては非常に強い信頼を寄せています。彼の日頃の言動からも分かるように、公明哥哥がいることで招安も良い結果になると信じています。

 

[投票進捗状況] 可=四十 不可=三十九 白紙=六

 

<司令部護衛歩兵驍将 二名>

孔明(こうめい/kǒng míng):「可」

"師父(宋江)が招安を望むというのなら、俺たち兄弟はこれを強く支持する。そもそも師父は大官として国を正すべき人なのだ。"

 

※地猖星 “毛頭星” 孔明は、白虎山の山賊で、孔亮の兄である。彼ら兄弟は地元の財主と揉め事を起こし、その財主を殺して白虎山で王となり、略奪をしていたが、宋江に出会い、梁山泊に帰順することとなった。彼は中軍を守る役割を果たし、英雄の中で第六十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】孔明は非常に強い知的欲求と存在欲求を持ち、他者と知識を共有し、社会的な貢献をすることを大切にする性格です。彼は師父と仰ぐ公明哥哥に対して深い尊敬の念を抱いており、公明哥哥が大官となって国を正すべき人物であると信じています。よって、招安が国を正すための一歩だと考え、孔明は積極的に招安を支持しました。

 

孔亮(こうりょう/kǒng liàng):「可」

"俺は身分に何のこだわりも無い。良き人に仕えられればそれで十分だ。兄と師父の意見に賛同する。"

 

※地狂星 “独火星”の孔亮は、孔明の弟であり、性格は激しく、よく喧嘩をしていた。兄弟共に槍術と棒術を好み、青州牧を攻撃した際、兄の孔明呼延灼に捕らえられたため、孔亮は武松や魯智深に助けを求め、三山の兵を集めて青州を攻撃した。彼は宋江と共に梁山泊に加わり、兄弟で中軍を守る役目を果たし、英雄の中で第六十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】孔亮は知的欲求が強く、理論的に物事を考える人物です。身分や地位には特にこだわりを持たず、自分にとって大事なのは良き人に仕えることであるという考えを貫いています。彼の兄である孔明や、尊敬する師である宋江が招安を支持しているため、彼もそれに賛同しました。

 

[投票進捗状況] 可=四十二 不可=三十九 白紙=六

 

梁山泊刑罰執行管理人 二名>

蔡福(さいふく/cài fú):「白紙」

"招安か。良くも悪くもある。"

 

※地平星 “鉄臂膊” 蔡福は、北京の出身で、大名府の牢役人であり、行刑を担当する処刑人であった。内面を一切表に出さない彼の心や表情が鉄のようだと言われ、その優れた処世術から「鉄臂膊(鉄の腕)」と呼ばれた。梁中書と李固の結託により盧俊義が処刑されようとした際も処世術を発揮して難儀な場を何とかまとめ、後に孫娘の蔡慶と共に梁山泊に加わった。彼は梁山泊で刑罰の管理者となり、英雄の中で第九十四位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】蔡福は知識と戦略を駆使する戦略的な思考者であり、物事を冷静かつ論理的に判断する性格を持っています。彼は内面を表に出さず、処世術に優れていることから、招安という重要な選択においても慎重に判断し、明確な賛成や反対の姿勢を避けたものと思われます。自分の立場を保ちながら、あえて決定的な意思表示をしないという戦略を選んだのです。

 

蔡慶(さいけい/cài qìng):「白紙」

"大名府に未練はなく、梁山泊に執着はない。私はただ担うべき仕事を確実にこなすことに集中する。"

 

※地損星 “花項虎” 蔡慶は、蔡福の孫娘で、大名府で牢役人と刽子手を兼任していた。彼女と祖父の蔡福は盧俊義を助けたことがあり、宋江が大名府を攻略した際、兄弟揃って梁山泊に加わった。彼女は梁山泊行刑を担当する刽子手の一人となり、英雄の中で第九十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】蔡慶は実行力を伴った社交的な性格を持ち、特定の場所や立場に強い信念を持ちながらも、それを表に出さない処世術を心得ているように思います。やはりこれは祖父の蔡福の影響、あるいは血筋による所でしょう。このため、祖父同様に招安に関しても強い賛成や反対の立場を取らず、中立的な立場を維持したのだと思います。

 

[投票進捗状況] 可=四十二 不可=三十九 白紙=八

 

<三軍内検察管理騎兵隊長 二名>

王英(おうえい/wáng yīng):「可」

"公明哥哥は俺たちのことをずっと考えてくれている。招安、結構じゃないか。三瓦两舍、秦楼楚館。官吏として堂々とあそこに入って、女たちにチヤホヤされたいもんだな。おい、これは書き残さなくて良いからな。"

 

※地微星 “矮脚虎” 王英は、両淮の出身で、車の修理を生業としていたが、背が低く、財を求めて商人を襲い、官に追われて逃げ延びた。清風山で燕順や鄭天寿と共に山賊となり、祝家荘を攻めた際に扈三娘に捕らえられた。宋江が祝家荘を攻略した後、扈三娘は王英と結婚し、共に馬軍の将となった。英雄の中で第五十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】三瓦两舍~のくだりを蕭讓が書き残したのは笑えます。この文章の発表時、扈三娘が激怒していつものように王英をとっちめた時、兄弟たちがどっと笑いました。明らかに余計なことだと思いましたが、今考えてみれば、この笑いが分断しかけていた兄弟たちの中に潤滑油のように広がって絆を取り戻したように感じます。さて、王英は他者との親密な関係を重視し、実際の活動に力を注ぐ性格の持ち主で、特に公明哥哥に強い信頼を寄せています。招安は公明哥哥を信奉する以上、彼にとって必然の選択だったということでしょう。

 

扈三娘(こさんじょう/hù sān niáng):「可」

"遅かれ早かれ、梁山泊はどこかの道には進まなければならない。呆子の李逵が言ったような建国の道も悪くないが、現実的ではない。私たちが宋を建て直そうじゃないか。"

 

※地慈星 “一丈青” 扈三娘は、梁山泊で唯一の女性将軍であり、郓州扈家荘の出身で、祝家荘の祝彪と婚約していた。彼女は美しく、武芸に優れており、双剣を使いこなした。宋江が祝家荘を攻めた際、扈三娘は王英を捕らえ、後に林冲に捕らえられたことで宋江により王英と結婚することとなった。彼女は夫と共に馬軍の将として活躍し、英雄の中で第五十九位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】三娘は感情的なつながりを大切にし、実践的な支援を行う性格を持ちます。彼女は梁山泊がどの道に進むかを現実的に考え、公明哥哥の指導の下で招安を受け入れ、宋の国を建て直すという選択肢に賛同しました。彼女は理想的な建国の道も悪くないとは思っているものの、それよりも現実的な解決策として、招安を支持するに至りました。

 

[投票進捗状況] 可=四十四 不可=三十九 白紙=八

 

梁山泊軍事共同参議長 一名>

朱武(しゅぶ/zhū wǔ):「不可」

"他の者の意見にもあった通り、これは時期尚早であると私は考えた。十分な環境と精神の醸成なしに強引に招安を受け入れることは危険だ。"

 

※地魁星 “神機軍師”の朱武は、定遠の出身で、双刀の使い手であり、陣法に精通し、策を立てるのが極めて得意である。陳達、楊春と共に少華山で山賊となり、後に梁山泊に帰順した。彼は呉用に次ぐ軍師としての才能を示し、単独の職務である軍務参謀として活躍し、英雄の中で第三十七位に位置づけられ、地勇星の第一位に列した。

 

【後日、呉用による覚書】朱武は強い知的欲求と戦略的な思考を持ち、物事を計画的に進める性格です。彼は招安を受け入れるには時期尚早であり、十分な準備や精神的な準備が整わないままでは潜在的な危険が大きいと考えています。このような慎重な姿勢から、彼は現状のままでの招安には反対しました。

 

[投票進捗状況] 可=四十四 不可=四十 白紙=八

 

梁山泊諸製造事務管理長 十六名>

蕭讓(しょうじょう/xiāo ràng):「可」

"呉用先生が私を賊寇に引き込んだ。これは興味深い体験ではあったが、人生には身分というものが必要だ。私たちの才能は安定した身分の上で活かすべきだと思う。"

 

※地文星 “聖手書生”の蕭讓は、済州の出身で、秀才の位まで到達した科挙の合格経験者である。多くの書体に精通すると共に、槍や棒、剣、刀を使いこなすことが出来る。宋江が反詩を詠んで捕らえられた際、金大堅と共に宋江の救出作戦の要となった。その後、梁山泊に加わって文章制作軍隊派遣管理者となり、英雄の中で第四十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】蕭讓は自分の専門性を重視し、安定した地位でその才能を発揮することを求めています。彼の日頃の発言からも人生には身分が必要であり、才能は安定した身分の上でこそ活かされるという考えを持っていることが分かります。彼は梁山泊での経験を興味深いものとしつつも、賊寇としての生活には限界を感じており、安定した地位や身分を得るために招安を望みました。

 

裴宣(はいせん/péi xuān):「不可」

"この目でどれだけ朝廷の穢れた姿を見て来たことか。もはや朝廷に正義も公平もないのだ。あれはもう修復は不可能だ。招安しても良い結果は絶対に得られない。"

 

※地正星 “鉄面孔目” 裴宣は、京兆府の出身で、科挙の合格経験者だ。文筆に優れ、また武術にも長け、剣や棒を自在に使いこなす智勇兼備の人物である。少しの過ちも許さない真っ直ぐな性格である為に新任知府に恨まれることとなり、沙門島に流刑となった。その後、楊林、杜遷、孟康らに救われ、飲馬川の寨主に推挙された。後に梁山泊に帰順して賞罰査定軍政管理者となり、梁山泊の英雄の中で第四十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】裴宣は強い正義感を持つ人物であり、その目で朝廷の腐敗を見てきた経験から、朝廷に対する強い不信感を抱いています。彼は朝廷に正義も公平もなく、修復は不可能だという考えを示しており、招安が良い結果をもたらすことはないと確信しているようです。また彼の直情的な性格も、朝廷との協力を断固として拒絶する判断につながっています。こうした背景から、彼は朝廷への帰順には賛同せず、強い反対の意を示しました。

 

蔣敬(しょうけい/jiǎng jìng):「不可」

"俗に言う「秀才不出门,能知天下事(秀才は家から出なくても天下の事を知る)」だ。蔡京、童贯、高俅、朱勔、王黼、梁师成、どれも奸臣で、皇帝の心腹だ。招安は必ず悲劇を生む。"

 

※地会星 “神算子” 蒋敬は、湖南漳州の出身で、科挙に落第した後に武術の道へ進んだ。策を用いるのが得意で、計算に長け、金銭の計算や帳簿の管理で細かい過ちを一切犯さなかった。また、槍や棒を使いこなし、軍の配置にも精通していた。黄門山で欧鵬、馬麟、陶宗旺らと共に盗賊となり、宋江と出会い、梁山泊に帰順した。梁山泊では金銭兵糧算定支出収納管理者となり、英雄の中で第五十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】蔣敬は細かい計算や策謀に長けた人物であり、現実的かつ冷静な判断力を持っています。彼は投票大会が開かれる以前から、朝廷の腐敗した奸臣たち(蔡京、童貫、高俅など)が招安を利用して、梁山泊勢力を滅ぼそうとしていると言っていました。このような訳で、彼は招安が必ず悲劇を招くと考え、断固反対の立場を取ったのです。

 

孟康(もうこう/mèng kāng):「不可」

"官職時代、俺たち職人がどれだけ腐敗役人から虐げられていたか、言葉にも出来ない。あそこに戻って再び奸賊の下で苦しめというのか。招安は受け入れられない。"

 

※地満星 “玉楼竿” 孟康は、真定州の出身で、背が高く色白で、立派な体格をしていたことから「玉楼竿」と呼ばれていた。彼は大小の船を建造し、その管理も行っていた。花石綱の運搬の際、大船を建造するための提調官に虐げられたことから、激怒して提調官を殺害し、家を捨てて逃げ、鄧飛や杜興と共に飲馬川に身を隠していたが、後に梁山泊に帰順した。彼は梁山泊で大小軍船製造工作管理者となり、英雄の中で第七十位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】孟康は過去に提調官に虐げられた経験があり、腐敗した役人に強い嫌悪感を抱いているのです。招安によって再び腐敗した朝廷の役人の下で働くことになると考え、そのような未来を受け入れることができないと強く感じています。また彼は現実的かつ実践的な性格の持ち主ですから、国が引き起こしている数々の事件を目の当たりにして、現在の朝堂を絶対に信用してはならないと考えているようです。

 

金大堅(きんだいけん/jīn dà jiān):「不可」

"私の技術は死者で楽に金を稼げるが、そうはなりたくない。招安を受けると異民族や他の賊との闘いが避けられない。俺は仲間の墓石を造りたくないよ。"

 

※地巧星 “玉臂匠” 金大堅は、済州の出身で、金石の彫刻師であり、書体を四種類も巧みに彫刻する技術を持っている。宋江が江州で捕らえられた際、彼は金大堅を梁山泊に招き、蔡京の偽の印を彫らせて宋江を救おうとしたが、この計画は後に黄文炳に見破られてしまい、宋江と戴宗の命が危険にさらされた。金大堅は梁山泊で一切兵符印章製造管理者となり、英雄の中で第六十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】金大堅は、自分の技能を独自に発揮し、自分らしい速度で生きたいと考える性格です。招安はそれを阻害する要因になると彼は考えています。彼は特に招安によって異民族や他の賊との戦いが避けられないことを懸念しているのです。必要以上に戦争や闘争に巻き込まれることを避けたいという姿勢が強いため、彼は招安に対して反対を表明しました。

 

侯健(こうけん/hóu jiàn):「不可」

"今の梁山泊の仕事はやりがいがある。糸の先に希望と活力が見えるから。腐敗役人や堕落貴人の服を縫うようになったら、そうはいかないだろう。"

 

※地道星 “通臂猿” 侯健は、洪都の出身で、黒く痩せて軽快な体つきで、猿に似た容貌をしていた。裁縫の名手で、飛ぶように針を進め、技術は非常に高い。また、槍や棒を使った武術にも長けている。宋江たちが黄文炳を捕らえようとした際、侯健は黄文炳の家で服を作っており、内応として加担し、黄文炳一家を成敗した。梁山泊に加わった後、彼は一切旗衣服製造管理者となり、英雄の中で第七十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】侯健は、裁縫に情熱を持ち、自分の技術を最大限に活かせている梁山泊での仕事に満足しています。彼は現在の梁山泊での活動に希望と活力を見出していますが、腐敗役人や堕落貴人のために服を縫うことになると、その喜びを失うだろうと考えたのです。つまり、彼にとって招安は、自分の信念ややりがいを損なうものであり、現状を続けたいという意思が強いことから、招安に反対したと思われます。

 

皇甫端(こうほたん/huáng fǔ duān):「可」

"正直に言うが、私はただの腕の良い馬飼いとして人生を終えたくはない。再び官職が得られる可能性があるのなら、その道を進みたい。"

 

※地獣星 “紫髯伯” 皇甫端は、幽州の出身で、碧眼黄髭の姿は異国の人のようである。張清の親友であり、東昌府の獣医で、馬の病を診るとたちまち治す腕前を持つ。張清と共に梁山泊でに合流して一切馬匹医専門管理者となり、英雄の中で第五十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】皇甫端は、自分の獣医としての腕を誇りにしているだけでなく、それ以上に野心を持っており、ただの馬飼いとして終わりたくないという強い意志があります。彼は再び官職に就く可能性を高く評価し、招安によって自分の能力をより広く認められたいという欲望があるため、招安に賛成していると考えられます。

 

安道全(あんどうぜん/ān dào quán):「不可」

"俺は高い場所にある新鮮な花を追いかけるのが好きでね。地に落ちた作り物の花には興味がない。今の国に魅力なし。招安には興味を持てないね。"

 

※地霊星 “神医” 安道全は、南京建康府の出身で、医術に非常に優れ、内科外科を問わずあらゆる病気を治療できたため、『当世の華佗』と呼ばれていた。宋江が大名府を攻めた際に背中に腫れ物ができ、梁山に戻ることを余儀なくされたが、張順が安道全を呼び寄せ、勝手に弟子を名乗っている王定六と共に宋江の病を治療した。彼は梁山泊で諸疾病治療内科外科医員管理者となり、英雄の中で第五十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】安道全は言うまでもなく神がかった医術の持ち主ですが、色恋沙汰にせよ、職務にせよ、人のできないことを達成したいという気概が強すぎるように感じます。彼は国のために尽くすというよりも、自分の理想や興味を優先している人物ですから、一度でも興味を失ってしまえば半永久的にその対象からそっぽを向きます。彼の判断基準から言えば、今の国には何の魅力もなく、達成したいと思える何事も存在していないようです。こうした結果、彼は招安に反対する姿勢を示しました。

 

湯隆(とうりゅう/tāng lóng):「不可」

"罪を許して欲しくて招安を望むのか、国を正したくて招安を望むのか、品(特権)を得たくて招安を望むのか。私はそのいずれの理由にも当てはまらない。"

 

※地孤星 “金銭豹子” 湯隆は、父が難与府の知案官であったが、亡くなった後に賭博に手を染め、流浪の末に鍛冶職人として生計を立てることになった。呼延灼が連環馬を使って梁山泊を攻めた際、湯隆は徐寧の指示のもとで極めて精巧な鉤鎌槍を作り、これによって呼延灼軍を打ち破ることに成功した。彼は梁山泊で一切武器鉄製甲冑製作監督管理者となり、英雄の中で第八十八位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】彼は新しい着眼点を取り入れ、それを実際に形にすることで鍛冶屋として成果を上げてきた人物です。呼延灼軍を打ち破った際も、精巧な鉤鎌槍を作り出して状況を変える革新性を示しています。こうした職務上の成功を優先するという点では安道全とよく似ています。彼は自身の行動や発明によって現状を変えることに喜びを見出しており、招安という外的な力に頼る必要はなく、梁山泊でそれが十分に成し得ていると考えたようです。

 

凌振(りょうしん/líng zhèn):「不可」

"何人かが、招安の選択が急過ぎると言っていたが、私もそれに賛成する。招安は良い事だと思うが、まだその火を付けるべき時ではない。"

 

※地軸星 “轟天雷” 凌振は、庶民の出身で、宋朝第一の火砲手であり、武芸にも通じ、弓馬の技も卓越していた。呼延灼梁山泊を攻めた際に凌振が召し出され、鴨嘴灘で戦ったが、晁蓋の計略により阮小二に水中で捕らえられ、梁山泊に帰順した。彼は梁山泊で一切大小号砲製造管理者となり、火砲の管理と製造を担当した。梁山泊の英雄の中で第五十二位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】凌振は直感を重視しながら他者と協力して実践的な活動を行う性格の持ち主です。彼は招安そのものには賛成しているのですが、その時機には慎重な考えを持ち、それを待たなければ築き上げた義兄弟たちの絆が不安定になると感じています。招安が成功するには適切な時期と準備が必要であると思い、現時点では早すぎると判断したのです。

 

李雲(りうん/lǐ yún):「白紙」

"私は外地人だからね、一種の部外者だ。この難儀な問題には答えを見出せない。総意に寄り添うことにして、棄権させてもらう。"

 

※地察星 “青眼虎” 李雲は、沂水県の都頭であり、朱富の師匠でもあった。李逵が沂嶺で四虎を殺した後、李鬼の妻が李逵を訴え出たため、李雲は李逵を捕らえようとしたが、朱富と朱貴が酒に薬を盛り、李雲ら兵士を麻痺させて李逵を救出した。李雲は、李逵を逃がしてしまったことで自身が罰せられるのを恐れ、梁山泊に加わった。彼は家屋建築修繕専門管理者となり、英雄の中で第九十七位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】李雲は他者との関わりを最小限にし、自己満足を重視する性格の持ち主です。彼は沂水県の都頭という安定した地位にあった人物ですが、自身が西方民族ということもあって常に我々中原の人間に一歩を譲るような姿勢を貫いています。こうした彼の謙虚な精神ゆえに、招安に関しては皆に歩調を合わせることを優先し、自ら明確な意見を持とうとせず、白紙という選択を取りました。

 

曹正(そうせい/cáo zhèng):「不可」

"師父の林冲先生は純粋なところがある。魯大師(魯智深)と武二兄(武松)の方がより世の中を深く見定めていると思うね。招安には反対だ。"

 

※地稽星 “操刀鬼” 曹正は、開封府の出身で、林冲の知り合いであり、元々は屠夫だった。卓越した刀裁きの技を持っていたが山東で商売に失敗し、帰郷できずに地元の農家に身を寄せていた。その後、楊志魯智深、武松、施恩らと共に梁山泊に加わった。彼は梁山泊で牛馬豚家畜専門管理者となって、英雄の中で第八十一位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】 曹正は自分の直感に従い、生存本能に忠実に生きる性格です。その直感はかなり鋭く、たとえば具体的な根拠はないものの、林冲より魯智深や武松の方が現実をより深く見定めているという確信を得ているようです。このような理由から、彼は招安についても、現状維持や反骨的な思考を有している魯智深と武松の見解に同意し、招安に反対を表明しました。

 

宋清(そうせい/sòng qīng):「白紙」

"僕はよく老子のような人だと言われる。兄(宋江)は孔子のような人だと言われる。兄とは根本から考えが違う。招安に反対も賛成もない。在るべき道は他にある。"

 

※地俊星 “鉄扇子” 宋清は、宋江実弟であり、父の宋太公と共に村で農業を営んでいた。宋江が江州に流刑となった際、宋清と父が捕らえられるのを恐れて、宋江は一晩で宋家村から家を引き払おうとしたが、都頭の趙得、趙能に追われた。幸いにも、呉用が派遣した李逵、劉唐、石勇、李立らによって救出された。宋清は梁山泊に加わり、宴会準備専門管理者となって、英雄の中で第七十六位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】彼は兄の公明哥哥とは本当に異なる考えを持っていますね。兄弟なのに実に不思議です。彼を「老子のようだ」と言っているのは特に私かもしれませんね。彼は誠に老子のように自然に従った生き方を志向しており、公明哥哥のような求心性や強い意志とは対照的に、しなやかでありのままの生き方を望んでいるように思います。彼は招安という選択に対しても特定の感情や信念を抱かず、「在るべき道は他にある」として、意見を表明せず棄権に至りました。

 

朱富(しゅふ/zhū fù):「不可」

"俺も兄の意見に賛同するね。招安は質の悪い冗談だ。笑えない。"

 

※地藏星 “笑面虎” 朱富は、沂州沂水県の出身で、朱貴の弟であり、李逵と同郷だった。彼は酒店を経営して生計を立てていた。李逵が沂州で捕らえられた際、朱富は兄の朱貴と共に薬を盛った肉を作り、兵士たちを麻痺させて李逵を救い出し、共に梁山泊に加わった。彼は梁山泊で一切酒酢製造供給管理者となって、主に酒や酢の供給を管理した。英雄の中で第九十三位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】朱富は兄の朱貴と共に難儀な世の中を渡って来た人物です。感情と行動を重視する彼ですが、基本的には兄の意見に従って自分の役割をまっとうしているように感じます。彼はその兄の影響を強く受け、招安が質の悪い冗談であると考え、招安に対して非常に否定的な見解を持っていました。朝廷に従う招安は信頼できないものと捉え、彼は反対の立場を貫きました。

 

陶宗旺(とうそうおう/táo zōng wàng):「不可」

"黄門山の兄弟たち、そして鲁大師(魯智深)も言う通り、朝廷は奸邪の極みだ。私たち農民の眼は世が良く見えるもので、実にその通りだと思う。であり、招安は無意味だ。"

 

※地理星 “九尾亀” 陶宗旺は、先州の出身で、農家の出身であった。鉄斧の使い手であり、槍や刀も扱うことができ、力は虎のように強い。彼は欧鵬、蒋敬、馬麟らと共に黄門山で山賊となり、宋江と出会って梁山泊に帰順した。彼は城壁の建設などを担当し、梁山泊梁山泊一切城壁製造専門管理者となって、英雄の中で第七十五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】梁山泊にはもちろん無数の農民がいますが、筆頭の英傑たちに名を連ねている農民は陶宗旺、彼だけです。本人も日頃から度々口にしている通り、農民としての視点から世の中の状況を見極めているというのは非常に重要な意味を持っていると私は思います。彼は朝廷が腐敗していることに対して強い不信感を持っており、仲間である黄門山の兄弟たちや、魯智深の意見に賛同して、招安は無意味だと主張しました。

 

郁保四(いくほうし/yù bǎo sì):「可」

"元々私は賊になることを望まなかったから、梁山泊の戦馬を奪って曾頭市に送ったのだ。生きるためには力が必要だ。公明哥哥の招安計画は良いことだ。"

 

※地健星 “険道神” 郁保四は、青州の出身で、段景住、楊林、石勇と共に北方で良馬を200匹以上購入したが、曾頭市で馬を奪われた。宋江は曾頭市を攻撃して晁蓋の仇を討ち、馬を取り戻すため、曾頭市との戦いを繰り広げた。最終的に郁保四が条件として宋江に引き渡され、曾頭市は陥落した。彼もまた梁山泊に加わり、司令官旗捧持専門管理者となって、英雄の中で第一百五位に位置づけられた。

 

【後日、呉用による覚書】郁保四は理論的な思考を持ちながら、協力関係を大切にする人物です。招安に対しては、梁山泊の兄弟たちが良い結果を得られるだろうと前向きに考えています。また彼は公明哥哥を強く信じていますので、招安計画を高く評価しており、朝廷の一員になることで新しい活路が開かれると考えました。

 

[最終投票結果] 可=四十七 不可=五十一 白紙=十

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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