天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『西遊記 1986』の興味深い中国語メモ18 

※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

①山西广胜寺飞虹塔(山西省 広勝寺 飛虹塔)

画像:百度百科「飞虹塔(世界最高的多彩琉璃塔)」より引用。1961年に第一批全国重点文物保護単位に制定された山西省の名所。

 

玄奘一行は芭蕉扇によって火焔山を越えることができ、祭賽国の領域に入った。石窟が続く砂の多い丘陵地帯を進む一行が遠景に仰ぎ見たのは、見事な仏塔。今回はこの塔のてっぺんに備わっていた宝玉を巡って珍事が発生する。

 

この塔のロケ地は山西省の広勝寺にある名高い飛虹塔。この見事な仏塔の原型は阿育王塔。阿育王塔というのは、何と建和元年(147年)に建立されたもの。およそ1900年の歴史がある。

 

飛虹塔は楼閣式の塔で、八角形型の全13層構造。底部の周囲は136m、全高は47.31mで、基礎的な素材は煉瓦で十字形の歇山頂を有する。各層には琉璃(ガラスの一種)で覆われた庇があり、一階の塔心室の内部には琉璃製の藻井(装飾天井)が、塔頂には宝瓶形の銅製塔刹がある。塔刹の頂輪は鉄製で、流蘇(垂れ飾り)が緑色の琉璃で作られている。

 

この琉璃焼成技術は魏晋南北朝時代に生み出されたもので、非常に精緻。この飛虹塔は中国琉璃塔の代表作であると言われている。塔全体が陽光を浴びた時、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の色が鮮やかに輝き、まるで雨後の虹のような美しさを誇る。これが塔名「飛虹」の由来だ。

 

 

仏塔を見て玄奘も実に嬉しそう。彼は嬉々として「徒弟们(トゥーディーメン/tú dì men:弟子たちよ)!」と一声発し、「你们看好一座雄伟的宝塔呀(見てごらんよ、あの雄大な宝塔を)!」と口にしている。孫悟空たちも一斉に歓声を上げて喜び合った。

 

②猴哥(ホウグー/hóu gē)

 

玄奘孫悟空猪八戒沙悟浄、白竜馬。彼らがお互いに呼び合う名前には幾つかの種類がある。ここでは猪八戒孫悟空のことを「猴哥(ホウグー/hóu gē)」と呼んでいる。かなり親しい感じの呼び方で、意味は「猿兄貴」。『水滸伝』でもやはり親しみを込めて、英傑たちが宋江(そうこう/sòng jiāng)のことを「公明哥哥(ゴンミングーグー/gōng míng gē gē:公明な心を持つ兄貴という意)と呼んでいる。

 

「哥(gē/グー)」は日本語漢字で「兄」。既に何度も取り上げている中国語における重複法則(発音を繰り返すと柔らかな印象になる法則)の通り、「哥哥(gē gē/グー グー)」という表現もよく用いられる。孔子に由来する儒学の道徳観により、中華世界では「兄」「弟」という関係性がとても重要だった。先ほどの玄奘は「徒弟们(トゥーディーメン/tú dì men:弟子たちよ)!」といった具合に孫悟空たちを「弟」と呼び、猪八戒玄奘の第一弟子である孫悟空を「猿兄貴」と呼ぶ。

 

 

沙悟浄が「あそこの塔まで行けば水がようやく飲めそうですね」と言うと、猪八戒は「猴哥 这火焰山的火是把这的水都给烧干了(猿兄貴、例の火焔山の火でこのあたりの水も全部干上がっちまったんじゃないか)」とふざけて冗談を言った。これを受けて孫悟空はいつものように「又胡説 呆子(またデタラメを言っているな、このオバカチャンめ)」と、猪八戒を笑いながら諫めている。孫悟空からあまり「師弟(シーディー/shī dì)」と呼ばれない猪八戒、多くの場面で「呆子(オバカチャン)」と呼ばれているが、彼は気にしないどころかむしろ猿兄貴が親しく自分に接してくれることを楽しがっている模様。彼らは気の置けない関係なのだ。

 

③枷鎖(ジャーソウ/jiā suǒ)

※「混蛋(フンダン/hún dàn)」は「馬鹿野郎!」「クズが!」といった、かなり激しく攻撃的な罵倒言葉。

 

祭賽国では大変な騒ぎが起きていた。事情はこうだ。海底を治める龍宮の万聖龍王の娘とその婿の九頭駙馬(「駙馬」は皇族の娘の夫を意味する名称:ドラマ作中では「九頭虫」と呼称)が、祭賽国の宝塔を輝かせていた塔頂の宝玉を盗みだした。国王は、宝塔の偉大な輝きを消した犯人が金光寺の僧侶たちであると決めつけ、彼らを一斉に捕縛して拷問し、死刑に処すと乱暴に決めてしまったのだ。

 

上の場面では枷(かせ/jiā:首や手足を固定して自由を束縛する刑具)をはめられて牢屋に向かって歩かされている僧侶の姿を確認できる。この中国式の枷(正式には枷鎖[ジャーソウ/jiā suǒ]または木枷[ムージャー/mù jiā])は歴史を題材とする中国ドラマでは非常によく見かける道具。『水滸伝』では林冲(りんちゅう/lín chōng)、武松(ぶしょう/wǔ sōng)、盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)などがこの枷をはめられて護送される場面が印象的だ。

 

※画像:2013年版『水滸伝』に登場する林冲(りんちゅう/lín chōng)護送の場面。枷は一般的に首と手を二枚の板を挟む形状で、両手には更に手錠がはめられる。また、両足首にも長い鉄製の鎖を付け、鎖の先端には重しがつながっている。これにより囚人はのろのろと歩くことは何とかできるが、機敏で柔軟な動きは一切できなくなる。自らを害することすらできない。

 

※画像:同じく2013年版『水滸伝』に登場する、こちらは武松(ぶしょう/wǔ sōng)。同じく枷を付けられ、護送の最中に9名の刺客により暗殺されそうになった。ただ、さすが火事場の馬鹿力の持ち主、窮地で超人的な剛力を発揮する武松(ぶしょう/wǔ sōng)。枷を破壊し、9名の刺客を成敗した後、自分を罠にはめた黒幕の腐敗役人たちもまとめて徹底的に誅した。実に血まみれ。

 

罪人に容赦なし。物語では気軽に目にしているこのような枷鎖だが、現実には斬首にも相当する非常に重い刑罰の方法であったようだ。次に補足する枷鎖の歴史は残酷な性質を帯びる知識もあるので、血なまぐさい話が苦手な方は注意を願いたい。読み飛ばしてもらって構わない。

 

枷鎖は古代炎黄時代から既に存在していたそうで、19世紀の清王朝時代まで長く囚人たちの護送や刑罰に使われ続けた。特に明朝の開国期、初代皇帝の朱元璋はこの刑罰を改良し、より屈辱的な意味を持たせることにしたという。『明史』によると、枷鎖の長さは5尺5寸、幅は1尺5寸で、全体が堅木で作られ、死刑囚がつける枷は35斤(約17.5kg)もの重さがあった。これが意味するのは、重罪人の護送が目立たない形ではなく、大々的に行われるようになったことを意味する。つまり、彼らは護送に「さらし首」のような意味も明示したのだ。

 

護送中、罪人はしばしば民衆から罵声を浴びせられ、腐った野菜や小石を投げられることもあった。これは言うまでもなく、罪人にとって大きな心理的圧力となった。また、枷の重量を増やすこともあり、正徳年間には枷の重さが150斤(75kg)にまで達することもあったという。このため、重罪人の中には刑場に着く前に、枷の重さで窒息死する者もいたという。

 

清王朝の時代になると、彼らは明王朝時代の厳しい刑罰の法律を引き継ぎ、さらに刑罰を細分化した。枷鎖は25斤(12.5kg)、35斤(17.5kg)、60斤(30kg)、70斤(35kg)、さらには100斤(50kg)以上のものもあり、犯した罪の重さによって段階的な適用がなされた。また、この時代には行刑場に向かう前段階においても、枷をつける期間が設けられた。例えば、2000里以上流刑される者は事前に50日間、枷を付けて日々を過ごさねばならなかった。

 

ちなみに、清王朝というのは北方民族である女真族が建てた国であるので、これまで中華世界の中原を支配していた漢民族は、逆に彼らが「異民族」という状態になる。このため、清王朝は漢族の囚人に対する刑罰を強化しており、中には「永久枷号」という恐ろしい罰もあった。文字通り、これは囚人が永久に枷をつけられるという刑罰であるが、実際には多くの罪人がその苦しみに耐えきれず、刑罰開始から数年以内に命を落としていたという。

 

さらに、重罪人には「站枷(ツェンジャー/zhàn jiā)」という罰もあった。これは木製の「小牢獄」に閉じ込められ、首だけを外に出し、足元には石が置かれるというものだった。この足元の石を高く積めば多少楽になるが、少なければ呼吸が困難になり、石を全部取り除けば、木の檻に吊るされた状態ですぐに窒息死をしてしまう。この刑罰は生きながらにして死を味わうもので、助かる見込みはほとんどない。多くの者が苦しさのあまり、石を蹴り飛ばして自らを害そうとするのだが、あまりに狭い空間であるためにそれも出来ず、ただますます苦しくなる。こうして罪人たちは周囲の自由な人々を眺めながら進退両難の苦しみを浴び続け、自らの罪を後悔して徐々に命を落としていった。

 

こうした歴史を振り返ると、現代の刑罰は人道的なものになった。これについては様々な意見があるだろう。「十悪不赦の徒」に極刑が適用されるのは当然だという意見もあるが、状況によっては犯罪内容と酷刑が見合わず、その残酷な裁きこそが罪であると考える者もいる。罪には罰が必要だが、これは合理的かつ等価的なものでなければならない。今回の祭賽国の国王のような例は、まさに明らな過剰刑罰である。

 

④十悪と十善

※「冤枉(ユエンワン/yuān wǎng」は「冤罪だ!」「濡れ衣だ!」「誤解だ!」といったニュアンスの表現。不当な非難や誤った告発を受けたと感じた者が無実を訴える際に用いられる。

 

先ほど触れた「十悪不赦の徒」の「十悪不赦」という成語は「十悪の許されざる罪」という意味がある。この「十悪」はもともと仏教の用語。地獄、餓鬼、畜生という「三悪道」での苦しみの報いを招く10種類の悪業を示しており、「十悪業道」とも評された。

 

『仏説未曾有経』には、この「十悪」が次のように記されている。「罪の起こりの原因は、身、口、意にある。身の業が不善なのは『殺生』『盗み』『邪淫』であり、口の業が不善なのは『妄言』『二枚舌』『悪口』『綺語(美辞麗句)』である。そして意の業が不善なのは『嫉妬』『怒り』『慢心邪見』である。これが十悪であり、これを行った者は悪しき報いを受ける。今、一心に懺悔すべきである。」

 

この十悪は政治の世界に入り、形状を変えて法律にも組み込まれるようになった。例えば、『唐律疏議』における「十悪」は次のように定義されている。

 

1)謀反(むほん):朝廷を転覆させる企てを指します。これは歴史的に最も重い罪の一つとされてきました。

2)謀大逆(ぼうたいぎゃく):皇室の宗廟(祖先を祀る廟)、陵墓、宮殿を破壊することを指します。

3)謀叛(ぼうはん):朝廷に対する裏切りを意味します。

4)悪逆(あくぎゃく):祖父母や両親、伯父や叔父など目上の親族を殴打または殺害することを指します。

5)不道(ふどう):罪に問われるべきでない人を含む一家の3人以上を殺害したり、人を肢解することを指します。

6)大不敬(だいふけい):皇室の尊厳を冒涜する行為を指します。たとえば、皇帝の祭祀用具や日用品を盗む、御用の薬品を偽造する、あるいは食の禁忌を破ることが含まれます。

7)不孝(ふこう):祖父母や両親に対して不孝を示す行為、または喪に服している期間に結婚したり、楽しんだりすることを指します。

8)不睦(ふぼく):親族を殺害する、または女性が夫を殴打したり、告訴したりすることを意味します。

9)不義(ふぎ):官吏同士が殺し合うこと、兵士が上官を殺害すること、学生が教師を殺すこと、女性が夫の死に際して悲しまず、すぐに再婚することなどを指します。

10)内乱(ないらん):親族間の姦通や強姦などを指します。

 

これについては、幾つかは納得できるものもあれば、状況によっては上々の酌量の余地もあるのではないかと思うものもある。例えば8番の不睦(ふぼく)、これは『水滸伝』で武松(ぶしょう/wǔ sōng)が兄の妻である潘金蓮(ばんきんれん/pān jīn lián)を殺した事件が該当する。ただ、彼のその行為は仇討ちだ。潘金蓮(ばんきんれん/pān jīn lián)は別の男性と不貞行為を繰り返しており、それに気付いたで激怒した夫(武松の兄)を逆に痛めつけたばかりか、最終的に毒殺をした。武松が仇討ちの為に彼女を殺した理屈は十分に人として理解できる所であり、十悪即酷刑とするのは良識と美徳の観点からおかしいように感ずる。

 

尚、この「十悪」に対し、仏教では「十善」という考え方も存在した。これは十悪に基づいた定義であり、その内容は十悪をそのまま反転させたもの。殺さない、盗まない、邪淫しない、妄言を言わない、二枚舌にならない、悪口を言わない、美辞麗句を言わない、嫉妬しない、怒らない、慢心せず横柄にならない、といった具合だ。こちらも状況によっては怒るべき時があるように思うから、十善即賞賛とするのは良識と美徳の観点からおかしいように感じる。よってこれらは精神運営の原則であり、鉄則とみなすことはできない。

 

⑤上殿(シャンディエン/shàng diàn)

 

孫悟空たちが、宝玉の真の窃盗犯が九頭駙馬や万聖公主(万聖龍王の娘)であることを告げる為に、国王の前に進み出た。ここで家臣が「唐僧高徒上殿~!」と大きな声で告げている。「唐僧高徒」は玄奘のこと。「上殿(シャンディエン/shàng diàn)」は「殿に上がる」という儀礼言葉。皇帝や王侯が居る「殿」に入ること、もしくは目上の人が居る場所に参上する際に報告として用いられる。

 

以前、烏鶏国(国王が道士に成り代わっていた国)の回で取り上げた、「太子覲見(タイズージンジエン/tài zǐ jìn jiàn:太子が謁見に参りました)~!」の儀礼言葉と大まかな意味は同じ。ただ、用いられるニュアンスとしては若干の違いがある。

 

- 覲見(ジンジエン/jìn jiàn)は、「目上の人、特に皇帝や君主に謁見すること」を意味する。特に公式な場面で皇帝や君主に会う場合に使われる。この言葉は謁見という行為そのものを強調している。主には事前に何らかの目的が分かっていたり、相手が何者かが分かっているような状況で用いられる。

 

- 上殿(シャンディエン/shàng diàn)は、「殿に上がる」という動作を強調しており、君主や皇帝がいる場所に行くことを示す。謁見の場面で使われることもあるが、物理的にその場に入る行動に焦点が置かれている。主には目的が不明であったり、急にその人物が場に現れた際に用いられる。

 

⑥岳父(ユエフー/yuè fù)

孫悟空たちは黒幕の退治へ急行。九頭駙馬は海底の龍宮に潜入した彼らを適当な言葉で誤魔化して、万聖公主の毒かんざしで茶に毒を入れる。孫悟空がこれにすぐ気が付いて茶を入れ替え、その毒茶を飲んだ万聖龍王は敢えなく絶命。この場面で、九頭駙馬が龍王に向かって口にしている「岳父(ユエフー/yuè fù)」は「お義父さん」を意味する。(原作では展開が大きく異なるが、やはり龍王はこの一件で孫悟空の一撃を受けて絶命する。)

 

その後、彼らは大乱闘に発展。最終的には白竜馬が人の姿に戻って万聖公主に接触し、彼女から宝玉を奪還。孫悟空たちは途中で出会った二郎真君にも加勢してもらい、九頭駙馬を成敗。これにて落着と相成った。

 

国王から感謝された孫悟空は、国王に「金光寺」を改名するべきだと提言する。その言葉は次の通りだ。

 

孫悟空:「陛下 金光二字不好 金乃流动之物 光乃闪烁之气 我看就叫伏龙寺吧(陛下、『金光』の二文字は良くないぜ。『金』は流動するもので、『光』は瞬きするものだろ。どちらも安定がない。それより、「伏龍寺」にした方が俺は良いと思うぜ。」

 

 

孫悟空の見事な文才に国王も「好好好(ハオハオハオ:良いぞ良いぞ)!」と大満足げ。ビリビリユーザーのコメントも「还是猴哥厉害有文化(やっぱり猿兄貴はすっげぇ知識が豊富だよなぁ)」といった具合の大絶賛だ。孫悟空は力だけではなく、知と心もある。さすが、我らが猿兄貴。

 

※今回の題材としたのは、中国ドラマ『西游记(1986年製作)』の第十八集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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