天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

5時から7時の存在欲求

5 to 7

私:2014年の映画『5 to 7(邦題:5時から7時の恋人カンケイ)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2014年の映画『5 to 7』(邦題:『5時から7時の恋人カンケイ』)は、Young aspiring writer(作家志望の青年)が年上の既婚女性と恋に落ちるロマンティックドラマです。この映画は、ニューヨークを舞台に、主人公のブライアンがフランス大使の妻アリエルと出会い、彼女との不倫関係を繰り広げます。この関係はフランスの文化的な習慣に基づき、「5時から7時」という時間枠内でのみ許されています。

 

映画は恋愛の美しさと複雑さを探求し、文化的な差異や恋愛観の違いを描いています。ブライアンとアリエルの関係は、感情的な成長と自己発見の旅を通して展開されます。美しい映像と心に響くストーリーテリングで、多くの観客を引き付けました。

 

私:ありがとう!続けて、中国の古典論理学の書籍『韓非子』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろん!『韓非子』は、紀元前3世紀頃の中国の法家思想家である韓非によって書かれた一連の論文です。この作品は、法家思想の代表的な文献とされ、中国の古典論理学や政治哲学の重要な一部をなしています。

 

韓非子は、法家の主要な概念である「法」(制度や規則)、「術」(政治的な策略)、「勢」(権力や影響力)に焦点を当てています。彼は、法律の厳格な適用と統治者の権威の絶対性を強調し、個人の徳や道徳よりも国家の法律と機構を重視しました。

 

韓非子』は、統治者がどのようにして権力を維持し、効率的に統治するかについての実践的なアドバイスも含んでおり、その思想は後の秦の始皇帝による中国統一に大きな影響を与えました。また、韓非自身が楚に仕えた経験から、個人の野望と国家の安定との間の緊張関係にも触れています。

 

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"楚人有鬻盾与矛者,誉之曰:“吾盾之坚,物莫能陷之。”以誉其矛曰:“吾矛之利,于物无不陷也。”或曰:“以子之矛陷子之盾,何如?”其人弗能应也。夫不可陷之盾与无不陷之矛,不可同世而立。"

「ある楚の人が盾と矛を売っていて、自慢してこう言った。『私の盾はとても堅くて、どんな物にも突き破られないのだ。』続けて、彼は自分の矛も褒めそやした。『私の矛はとても鋭くて、どんな物でも突き破ることができるのだ。』すると、ある人が聞いた。『それでは、その矛でその盾を突き破ったらどうなるのか?』と。その楚の人は答えられなかった。突き破ることのできない盾と、何でも突き破る矛は、同時に存在することはできない。」

 

 この『韓非子』の難編に登場する「矛盾(相互に干渉し合う論理要素が歪に混じり合う状態)」の語源は、我々の日本文化にも大いに浸透している。この逸話を文章だけで追う現代人は「この楚人は自分が馬鹿げた吹聴をしている事に気づかないそそっかしい奴で、周囲から横槍が入るのは当然だ」と感じるかもしれないが、実際にその場にいれば案外周囲の人々は感嘆の声を上げるだけで論理の瓦解に気づかないに違いない。当時の楚国と言えば強大な軍事力を持った大国。その"軍事オタク"の楚人が堂々と武器を高く評価すれば、こりゃ凄いやと納得してしまうに違いないのだ。

 この作品『5 to 7』もそのあたりの描写方法が実に秀逸だ。物語終盤まで多くの鑑賞者は、フランス人に現代のエピクロス派(古代ギリシャ時代に広がった快楽主義を主張する学問の一派)だと言わんばかりの偏見を抱きながら、「私たちの文化には美しき不貞行為が許されている」という人妻アリエルの言葉を信じてしまう。「美しさ」と「不貞行為」が両立するなどという事が有り得ないという論理的な瓦解を完全に見逃してしまう訳だ。しかし実際には、その美しき不貞文化などという矛盾した人間関係は存在していなかった事に気付かされる。(類似する経験を有するかどうか、その経験の中で自分がどの立ち位置にあったのかによって、この真実に気付く速度は変わるだろう。)

 人間の三元的な本能とは、「生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)」「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」という欲求である。この私の理論に基づけば、本作品でブライアンとアリエルが瞬間的に相手を求めた状況は「存在欲求」から生じたものである。人間またはその他の生物及び事物との関係性を良好な状態に保ちたいという存在欲求は、その対象者に対する「身体的要素」「精神的要素」「社会的要素」の注目に起因する。いつもの私の基本類型では、それは次の通りとなる。

 

弱い身体的要素・弱い精神的要素・弱い社会的要素(脆弱な注目)

弱い身体的要素・強い精神的要素・弱い社会的要素(素養に注目)

弱い身体的要素・弱い精神的要素・強い社会的要素(地位に注目)

弱い身体的要素・強い精神的要素・強い社会的要素(素養と地位に注目)

強い身体的要素・弱い精神的要素・弱い社会的要素(容姿に注目)

強い身体的要素・強い精神的要素・弱い社会的要素(容姿と素養に注目)

強い身体的要素・弱い精神的要素・強い社会的要素(容姿と地位に注目)

強い身体的要素・強い精神的要素・強い社会的要素(強烈な関心)

 

 ブライアンとアリエルはお互いのことを全く知らない状態で相手と強烈に繋がりたいという想いを抱いたことから、「強い身体的要素・弱い精神的要素・弱い社会的要素(容姿に注目)」、すなわち"見た目"による存在欲求を覚えたという事になる。それは一種動物的であるが、人間が現実情報の認識の大半を視覚に依存するが故に何の不思議もなく、むしろそれは人間という機械を設計した創造主が(いるとすればだが)最も効率的で有意義な種族繁栄の方法として組み込んだとすら考えられる。

 では、その「容姿」とは何を意味するのだろうか。それについても三元論に基づいて類型すれば、これを構成する根源的な要素は「形状(顔や体格、動作を含む)」「色彩(肌や瞳や髪の色)」「音質(声の高低)」となる。

 

鈍い形状・淡い色彩・低い音質

鈍い形状・濃い色彩・低い音質

鈍い形状・淡い色彩・高い音質

鈍い形状・濃い色彩・高い音質

鋭い形状・淡い色彩・低い音質

鋭い形状・濃い色彩・低い音質

鋭い形状・淡い色彩・高い音質

鋭い形状・濃い色彩・高い音質

 

 人間は身体的要素(容姿)においていずれかの類型に対して注目をしやすくなり、それが存在欲求を誘発させる。端的に言えば、それがその人物の「好み」である。一般的に、人間が他人に対して興味を抱く(繋がりたいと願う)起点、すなわち存在欲求が高まる起点は、身体的要素への注目が優先され、続けて精神的要素、社会的要素への注目が行われていく。ただし、先天的に物理的・精神的・関係的な紐付けされている対象者(血縁者等)はその限りではなく、これに対しては常に一定の存在欲求が発現し続ける。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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