天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『西遊記 1986』の興味深い中国語メモ8

※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

①快走(クァイゾウ/kuài zǒu)

 

新たな弟子、猪八戒を旅の仲間に加えて高老荘を後にした孫悟空一行。浮屠山を経て黄風岭を通過しようとした時、黄風怪(妖怪の黄風大王)に襲われて玄奘が捕らわれる難に遭う。孫悟空猪八戒は黄風怪が巻き起こす砂嵐(三昧神風)に成す術なく一時退散。孫悟空はこれによって目が見えなくなってしまうが、その様子を見ていた霊吉菩薩が助けに入って悟空を癒した。

 

上の場面は黄風怪が「先把他栓在后洞的定风桩上(とにかく、まずはそいつ=玄奘を洞内の定風柱に縛り上げろ」と言っている。これを受けて、部下の虎先鋒らが返事をし、「走、快走(行くぞ、急げ!)」と言っている。「快走(クァイゾウ/kuài zǒu)」の使い方は他人に発破を掛ける意味でもあるが、中国語の感覚としては自分に言い聞かせている意図もあるように感じられる。この場面でも部下たちがそれぞれ「快走!快走!」と言い合うのだが、それは相手に言っているというより自分に号令を掛け、ついでに周囲に情報を共有しているといった感がある。

 

よって細かな言語感覚となるが、もしこの場面の「快走!」を日本語にしようとした場合、「急げ!」「早く行け!」など、"他者に対する指示"を意図する言葉はあまり適切ではない。自分に対する確認のニュアンスを含め、「急ぐぞ!」「早く行くぞ!」といった具合に、「ぞ=自分の認識に対する強調の語尾」を付ける事が望ましいと私は思う。(ちなみに、日本DVD版ではここの字幕は無し。ここは何かの号令だという事が音として分かれば良いという判断なのかもしれない。)

 

※こちらはアクションRPG黒神話:孫悟空』の世界で再登場する黄風怪。彼は悟空の六根(六個に分かれた魂)の一根と二郎真君の力を得て、より力を増している。画像が少し見にくいが、キャラクター造形は彼の真の姿(動物のテン)に近くなっている。左手に持っているのは、拝借した霊吉菩薩の頭だ。彼との戦闘後、霊吉菩薩は無事に頭を取り戻して主人公に協力をする。

 

※霊吉菩薩が主人公の天命人(妖猿)に黄風怪の中にあった孫悟空の六根のひとつを譲渡している場面。

 

②撮影の舞台裏、大聖の服が濡れたまま

 

玄奘を探しに黄風怪たちが根城にしている洞へと戻る、孫悟空猪八戒孫悟空が口にしている「快来(クァイライ/kuài lái)」「快点(クァイディエン/kuài diǎn)」はどちらも先の「快走」と同様に「急げ」のニュアンスがある。前者は「早く来いよ!」、後者は「急げって!」といった日本語訳が適切だろう。特に「快点(クァイディエン/kuài diǎn)」は現代でも日常のあらゆる場面でよく聞く表現だ。

 

それはそうと、この場面で面白いのが孫悟空のお尻のあたりの洋服が濡れたまま撮影が進行している点だ。特にこの前のシーンで水場に関わる出来事は無いので、本当に撮影の都合によるちょっとしたメタファーである。この後の場面で大河における沙悟浄との戦闘に進むので、そちらの撮影が先に行われていたのかもしれない。ビリビリコメントの「大圣坐到水上了(大聖=孫悟空は水の上に座っていたな)」が面白い。

 

※「快点(クァイディエン/kuài diǎn)」の対義語は「漫点(マンディエン/màn diǎn)」。ここでは孫悟空が「師父(お師匠様)、ゆっくり気を付けて」と言っている。

 

③三花九子膏(サンファージューズガオ/sān huā jiǔ zǐ gāo)

 

孫悟空たち「取経チーム」の旅を陰ながら見守っていた18名の護教伽藍神(ごきょうがらんじん)のひとり、霊吉菩薩(りょうきちぼさつ/líng jí pú sà)が人間に変身して登場。(日本のテレビ番組「はじめてのおつかい」シリーズのような構図だ。)霊吉菩薩(りょうきちぼさつ/líng jí pú sà)が黄風怪の術によって目が見えなくなった孫悟空の治療に当たる。治療に用いた薬剤は「三花九子膏(サンファージューズガオ/sān huā jiǔ zǐ gāo)」という軟膏。これを目の周囲に塗って一晩休む事によって、孫悟空の視力は無事に回復した。

 

補足であるが、黄風怪の術が孫悟空にだけ大ダメージを与えて、猪八戒にはそれほど効かなかったのには理由がある。それはかつて孫悟空太上老君八卦炉で焼かれた時に出来た病根、つまり「火眼金睛」に由来する。火眼金睛は妖気を見抜き、吉凶を素早く察知する"スパイダーマン"のような予見能力を発揮するが、それだけに妖気を吸い込みやすく傷みやすいという弱点がある。その為、孫悟空は黄風怪の三昧神風に吹かれ、すぐさま「目が痛み、冷たい涙が常に流れる」という状態に陥ってしまった。

 

ここに登場するのはもちろん仙薬であるが、現代中医中国医学)の分野でも「三花九子膏」が漢方薬として存在している。これは花、連翹、菊花、山楂、大棗などの漢方薬材から作られる軟膏。主な効果には、清熱解毒、潤腸通便、涼血止血、消腫止痛、生津止渇など。喉の腫れや痛み、口内炎、歯茎の腫れ、便秘など、熱が原因で引き起こされる症状の治療に用いられる。

 

④定风丹(定風丹)

 

引き続き、孫悟空の支援を行う霊吉菩薩(りょうきちぼさつ/líng jí pú sà)。次は「拿我定风丹(私の定風丹を持って)、去降那妖怪吧(その妖怪を退治しに行きなさい。)」と言って、風の術を防ぐ事の出来る「定風丹」を悟空に貸した。「丹」は「霊薬」を意味するのだが、この後の場面では飲まなくても持っているだけで効果を発揮している。孫悟空はこれによって黄風怪の術を無力化し、彼らの制圧に成功した。

 

 

※黄風怪が退治されて真の姿であるテンに戻る。(『スタートレック』の「惑星パイラスセブンの怪」で、エンタープライズ号を翻弄していた凶悪な敵の真の姿がちっぽけな虫だったという展開を思い出す光景だ。)孫悟空は「哦 原来是这么畜孽(あ、なんだよ。こんな畜生だったのか。)」と呆気に取られる。「畜孽(チューニエ/chù niè)」は、中国語で「罪を犯す悪者」や「災いをもたらす存在」という意味。物語や宗教的な文脈では、悪者や妖怪、罰を受けるべき存在を指す事が多い。

 

 

※霊吉菩薩がテンを回収。孫悟空が「どうしてそんな奴を助けるんだよ?」と聞くと、霊吉菩薩はにこにこしながら「これは霊山の足元で得道(道を得て特別な力を宿した)黄鼠(テン)なのだ。如来が養っていたのだが逃げ出して下界で悪さをするようになったので、連れ帰って向こうで裁くよ。」と答えている。悟空は「そういう事だったのか」と満足そうに納得したが…今回の難は完全に如来たちの管理不足によるとばっちりだ。

 

⑤八百流沙河 三千溺水深

 

このキャッチコピーは何となく字面だけで、日本語感覚で理解出来そうだ。大地を隔てる流沙河に孫悟空一行が到着。ここに設けられていた石碑には「八百流沙河 三千溺水深(八百里も続く流沙河、三千丈の深さで溺れる水)」と刻まれていた。「どう渡ろうか?」と悩む孫悟空たち。「筋斗雲使って一人ずつ運べば良いじゃないか」、という突っ込みは野暮。

 

このような「数字を冒頭に置いて、対句的に情景や論理を描く」という中国式の言語論理の法則はとても力強く、また美しいと感じる。例えば、「十年樹木,百年樹人」、意味は「木を育てるには10年の時間がかかるが、優れた人材を育てるには100年かかる」。「千軍易得,一将難求」、意味は「多くの兵士を集める事は容易だが、有能な将軍を得る事は難しい」。数字の対比が法則性の強調と理解に大きく作用する素晴らしい中国の成語構造だ。

 

※この法則に類する言葉で、“一日不见,如隔三秋”というものもある。これは若い恋人同士の心情を成語にしたものであり、「1日見なければ、3つの秋を隔てたような気持ちになる」という意。しかし、情熱が強過ぎると恋愛が成就した際に燃え尽きた状態になり、"如鸡肋,食之无味、弃之可惜(鶏のあばら骨のように、食べると味がないが、捨てるには惜しい)"になるかもしれない。

 

※中国ドラマ『岳飛伝(原題:精忠岳飞)』の一場面。皇帝の高宗が「百人の文官が腐敗するより、一人の武人が腐敗する方が怖いのだ」と語っている。高宗は力を付け過ぎた救国の英雄、将軍の岳飛(がくひ/Yuè Fēi)の事を危険視しており、奸臣の秦檜(しんかい/qín guì)がそれを巧みに煽り立てていた。

 

⑥多謝(ドゥオーシェ/duō xiè)

 

流沙河を牛耳っていた妖怪、沙悟浄孫悟空一行が衝突。てんやわんやの戦闘が繰り広げられる。しかし、孫悟空猪八戒の力をもってしても、水中戦では沙悟浄のが一枚上手。そんな苦戦を強いられる孫悟空たちの前に、観世音菩薩の支援チームのひとりが到来。彼が沙悟浄に「この人たちがこそが、お前に前々から命じていた旅の一行だよ。玄奘の弟子となって、旅に同行しなさい」と言う事により、沙悟浄が平伏して仲間となった。戦う前に来てくれよ、という突っ込みは野暮。

 

沙悟浄玄奘の前で述べた「多謝(ドゥオーシェ/duō xiè)」は「感謝致します」の意。中国語の一般的な御礼表現は「謝謝(シェシェ/xiè xiè)」であり、「多謝(ドゥオーシェ/duō xiè)」はより丁寧な言い回しとなる。この他、丁寧な御礼表現としては「非常感謝(フェイチャンガンシェ/fēi cháng gǎn xiè)」も良く用いられる。

 

沙悟浄、彼はもともと天宮で皇帝が乗る車や輿を管理する巻帘大将であった人物。同じ天宮の要職に就いていた武人の猪八戒とは面識が無かったようだ。彼は蟠桃会の行事中に誤ってガラスの盞を割ってしまい、その罰として下界に落とされて妖怪となった。彼が使う武器の方天戟(月型の両刃が先端に付いている長槍)は、『水滸伝』の郭盛(かくせい/guō shèng)と呂方(りょほう/lǚ fāng)の得意武器である。

 

ちなみに、なぜか日本では「河童」のイメージがある沙悟浄。確かに猿、豚、河童といった具合に、玄奘の弟子たちが動物を模した妖怪になった方が統一感がある。しかし、原作では一般的な人間の姿。日本で彼が河童の妖怪とされるのは、明治時代の講談師が理解をしやすいように江戸時代から人気のある河童を引き合いに出すようになったから、という事である。

 

⑦観世音菩薩、普賢菩薩文殊菩薩、黎山老母

 

沙悟浄のお蔭で流沙河を渡る事に成功した孫悟空一行。ここで再び玄奘の旅の支援チームが到来。護教伽藍神のうち、観世音菩薩(かんぜのんぼさつ/guān shì yīn pú sà)、普賢菩薩(ふげんぼさつ/pǔ xián pú sà)、文殊菩薩もんじゅぼさつ/wén shū pú sà)、黎山老母(れいざんろうぼ/lí shān lǎo mǔ)が「一母三女」の美女に化けて、色欲により惑わされないかテストをする事にした。これに見事に惑わされたのが猪八戒。後に罰として、猪八戒は気に縛り付けられた。

 

この四名の仏の概要は次の通り。それぞれ如来の周囲を固める、存在感の大きな仏や仙人である。

 

- 観世音菩薩(かんぜのんぼさつ/guān shì yīn pú sà:仏教の菩薩の一人で、サンスクリット語「Avalokiteśvara」の意訳。如来の左脇侍であり、「西方三聖」の一人。大乗仏教では、観世音菩薩は大慈大悲を司る菩薩とされ、困難に直面する衆生が彼の名を唱えると、「菩薩が即座にその声を聞き」救済に向かい解放するとされている。別名で「観音菩薩」という名でも日本に知られている。そちらは唐王朝の太宗の本名が「李世民」である為に、避諱(不敬にならないよう皇帝の名前に関連する感じを回避する儀礼制度)によって「世」が外されたもの。

 

- 普賢菩薩(ふげんぼさつ/pǔ xián pú sà):仏教の菩薩の一人で、サンスクリット語「Samantabhadra」の意訳。かつては「遍吉菩薩」とも訳され、音訳では「三曼多跋陀羅」とされる。中国仏教の四大菩薩の一人で、理徳と行徳を象徴。智徳と正徳を象徴する文殊菩薩と対をなし、共に如来の左右の脇侍に据えられる。毘盧遮那仏文殊菩薩普賢菩薩は「華厳三聖」として崇められている。

 

- 文殊菩薩もんじゅぼさつ/wén shū pú sà):仏教の菩薩の一人で、サンスクリット語「Maňjuśrī」の音訳。略称「文殊」、その意は「妙徳(格別の美徳)」「妙吉祥(格別の縁起)」などで、新訳では「曼殊室利」とも訳される。中国仏教の四大菩薩の一人で、智徳と正徳を象徴し、理徳と行徳を象徴する普賢菩薩と対を成す。上述の通り、普賢菩薩と共に如来の左右の脇侍に据えられる。

 

- 黎山老母(れいざんろうぼ/lí shān lǎo mǔ):神話や伝説に登場する女性の仙人。「驪山老母」とも称される。伝説では、黎山老母は複数の時代をまたいで存在し、各時代の英雄的な女性将軍を教え導いたとされている。例えば、斉宣王の妻である鐘無艶、薛丁山の妻である樊梨花、高君保の妻である劉金定、楊門女将の穆桂英が、黎山老母の弟子とされている。

 

※左が黎山老母(演者:孫風琴)、右が観世音菩薩(演者:左大玢)。

 

※今回の題材として用いたのは中国ドラマ『西游记(1986年製作)』の第八集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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