余談：『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など８：『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』

※補足１：画像は正午阳光官方频道（正午陽光公式チャンネル）で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy（邦題：孤城閉　～仁宗、その愛と大義）』より引用

※補足２：各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

①请陛下赐对（チンビーシャーツードゥイ/qǐng bìxià cì duì）

政権の主軸にあった太后の劉娥（りゅうが/liú é）が逝去した後、仁宗（じんそう/rén zōng）の親政（皇帝主体の政治体制）が開始。その新体制における仁宗の第一歩は、自身の「結婚問題」であった。彼は国母として相応しくない言動ばかり行い、太后の代わりに後宮を治めるには余りに力不足の"カマッテチャン女"、郭皇后を廃后する事（離婚する事）を決定。これが慣習と礼儀に反しているとみなされ、范仲淹（はんちゅうえん/fàn zhòng yān）らが廃后の撤回を求めて訴えを起こした。

上の場面は孔道辅らが仁宗のいる翰林御書院の扉を叩いている所。孔道辅がまず「臣孔道辅（臣下の孔道辅です）、请陛下赐对（チンビーシャーツードゥイ/qǐng bìxià cì duì：陛下にお答えいただくようお願い申し上げます！）」と大きな声を挙げている。続く范仲淹（はんちゅうえん/fàn zhòng yān）は「陛下臣等认为（チェンデンレンウェイ/chén děng rèn wèi：我々臣下たちには考えがあります！）」と述べている。

③臣告退了（チェンガオトゥイラ/chén gào tuì le）

宰相の呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）がこの騒ぎに乗じて、自身の権力増強を図り、范仲淹（はんちゅうえん/fàn zhòng yān）らに罰を与えるように仁宗へ申し出を行った場面。そもそも、仁宗に廃后の提案を持ちかけたのがこの呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）。彼はしたたかに立ち回り、自分と繋がりのある美人たち（別の妃たち）を仁宗に近づける事、そして政敵を中央から左遷させる事を内心で図っていた。

しかし、今や仁宗は「名君（極めて優れた皇帝）」の種が確実に花を咲かせようとしている所。仁宗は冷静に呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）に対応し、拙い目論見を逆に利用して国母を退けると同時に、隙の無い論理によって呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）に繋がる美人たちも後宮から追放する処分を下した。これによって老練な呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）も言葉を喪失。何も反論できずにそのまま退却した。

そのような状況にて、上の呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）の退室場面の台詞では、呂夷簡（りょいかん/lǚ yí jiǎn）の困惑を示すような妙な間が空いてしまっている。これは「臣告退了（チェンガオトゥイラ/chén gào tuì le：私はこれにて失礼致します）」という何でもない儀礼表現であるが、「臣……告退了」とまごついた言葉遣いになっている。こうした細かな機微の演技表現も非常に興味深い。

④失礼了（シーリーラ/shī lǐ le）

廃后後、空いた皇后の席に誰が座るべきか。これが次の仁宗の課題となる。彼本人は豪商の娘で後宮に入った、無邪気で好奇心の強い陳𤋮春が気に入っていた。上の場面はつい自分の好きな話題に夢中になって、友達のように話し込んでしまった陳𤋮春がふと我に返り、「失礼了官家莫怪」と深く謝罪をする場面。失礼了（シーリーラ/shī lǐ le）は日本語として理解出来る通り、そのまま「失礼致しました」の意味。「官家（陛下）」は皇帝の呼称。「莫怪（モーグァイ/mò guài）」は「怒らないで下さい」「お許し下さい」の意味となる。

⑤理当如此（リーダンルーツ/lǐ dāng rú cǐ）

以前の記事で取り上げた「原来如此（ユェンライルーツ/yuán lái rú cǐ）」と関連した言葉、「理当如此（リーダンルーツ/lǐ dāng rú cǐ）」。前者は「なるほど」、後者は「その通りだ」の意味。「如此」が「このように」「そのように」という意味であるので、この頭に着く熟語によって利便性の高い相槌や合意を示す言葉に変化できる。

上の画像は、妃の一人である苗心禾（びょうしんか/miáo xīn hé）と穏やかな夜の時間を過ごしている場面。苗心禾（びょうしんか/miáo xīn hé）は最も古くからいる妃で、仁宗が小さな頃から兄妹のような親しい関係にあった。陳𤋮春は仁宗と親しくなり、自分が夜に呼ばれるかと思っていたが、遂に召される事は無かった。仁宗は自由な気質の陳𤋮春が「皇后という重責を背負う事は出来ない」「この孤城に居続けると苦しむ」と考えており、むしろ彼女を後宮から出す事を決めていた。

宋王朝の皇帝が夜に妃を呼ぶ仕組みは、中国語で「侍寝制度」と呼ばれる。この制度は、皇帝が夜にどの妃や女性を召し出すかを決定するための制度。政治的な立場から言うなれば、これは世継ぎを産んで貰う為の夜伽（性交渉）が主な目的。しかし、皇帝の立場としてはそのように生々しい話ではなく、普通の夫婦のようにここでようやくプライベートな静かな時間を持てるという事になる。制度としてはかなり合理的に洗練されていた。その管理体制を次に記しておく。

＜敬事房の管理＞

皇帝と後宮の妃の房事（夜伽）を管理するために、専用の「敬事房」が設置されていた。この敬事房は内務府に属していた。この部署は歴史的に宦官や宮女を管理する機関であったが、宋王朝時代には皇帝と妃の房事も兼ねて管理するようになった。敬事房の総管宦官は皇帝の性生活を記録し、年月日や時刻を控えておき、妃が妊娠した際に確認できるようにしていた。

＜緑頭牌の使用＞

皇帝が侍寝する妃を選びやすくする為、敬事房では妃たちの身分や姓に基づいて「緑頭牌」という札を作成した。緑頭牌が完成すると、まず皇后の元に届けられ、皇后がそれを確認し、それを承認した上で鳳印を押した。これにより、初めて妃が侍寝の候補者リストに入る事が出来た。これは後宮（いわゆる日本・江戸時代の「大奥」）の妃たちが目指す出世の最終段階であり、男子であれば科挙の会試に合格するのに相当する栄誉であったと言える。

皇帝が夕食を終えると、敬事房の総管宦官が銀の盆に緑頭牌を乗せて皇帝の前に差し出し、皇帝がこれを選べるようにした。皇帝が侍寝したい妃の名が書かれた緑頭牌を裏返した。これを「翻牌子（ファンパイズ/fān pái zǐ）」と呼んだ。翻牌子された妃は、その夜に侍寝する幸運な者となった。

＜侍寝の具体的な手順＞

侍寝する妃が決定すると、総管宦官がすぐに妃を背負う役目の宦官に伝え、その妃の住居へ知らせる。報告を受けた妃は入浴により身体を洗い清める。すべての準備が整うと、背妃宦官が赤い絹の布で妃を裸の状態で何重にも包み、皇帝の住居へ運ぶ。皇帝の住居の第二の門に到達すると、妃は赤い布から出て、絹のローブに包まれ、背妃宦官によって龍床（皇帝のベッド）へ運ばれる。ここで、妃は裸の状態で皇帝の足元からゆっくりと這い上がり、侍寝が始まる。

清王朝時代では侍寝の時間が厳しく制限されており、一般的に半時間、つまり線香一本分の時間であったという。

※中国大河ドラマ『開封府〜北宋を包む青い天〜』第37集の一幕。このドラマは功臣の包拯（ほうじょう/bāo zhěng：日本の名奉行「大岡越前守」のような北宋の政治家）を主人公とした物語で本ドラマと時代が重なっているが、創作の色彩が強い内容となっている。ここに登場する皇族の青女が「翻牌子」を模した自分用の牌子を作り、夫である附馬に侍寝のYES/NOを問う賭け事を行っている。彼女は夫を心から憎んでいるので、実際にはどちらの牌子にも「NO（空）」と書かれている。

⑥请三思（チンサンスー/qǐng sān sī）

以前、今回のエピソードでこの「请三思（チンサンスー/qǐng sān sī）」を確認したように思ったのだが、探してもどうしても見当たらなかった。ゆえに参考画像なし。廃后について考え直して下さいという家臣の諌言であった気がする。「请（qǐng）」はどうか、お願いするという意味。「三思（sān sī）」は「三度考える」、つまり「よく考える」「慎重に判断する」という意味だ。儀礼的な朝廷言葉である。

⑦天哪（ティエンナ/tiān nǎ）

官僚たちが議論の末、皇后に家柄・人徳・才能の全てに秀でた曹丹姝（そうたんしゅ/cáo dān shū）を推薦する事に決めた。仁宗は相手の事を何も知らないが、これに素直に合意。彼女はまだ後宮に入っていないので、速やかにこの報告が曹家に通知された。

上の画像の手前にいるのが曹丹姝（そうたんしゅ/cáo dān shū）。話し相手は仲良しの朋友、蘅儿（こうじ/héng ér：蘅児）。実は曹丹姝（そうたんしゅ/cáo dān shū）が以前から皇帝に想いを寄せていたという事を知り、蘅儿が「天哪（ティエンナ/tiān nǎ）」と驚いている。これは英語の「Oh my God!」が最も近い意味。日本語で言うと「なんてこった！」といった表現が近い。