天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など22:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

①年年有余(ニエンニエンヨウユー/nián nián yǒu yú)

 

相変わらず造り込みが凄まじい開封の一場面。ここでは、左遷先から一時的に帰還した范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)が、仁宗と韓琦(かんき/hán qí)共に牛車に乗りながら目抜き通りを進んでいる。范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)は三年でこれだけ自由で賑やかな街になったことに驚愕し、ため息をついた。

 

3枚目の画像の中に、アーケードのように吊り下げられた魚の飾り物が見える。中華世界では魚(ユー/yú:簡体は「鱼」)は縁起の良い存在で、今でも飾り物などによく使われるモチーフだ。そうした縁起物の中でも特に有名なのが、「年年有余/年年有魚(ニエンニエンヨウユー/nián nián yǒu yú)」。これは「年を追うごとに、財産(余り)が増えて生活が豊かになっていく」という願いを込めた縁起物。「余」と「魚」の発音が同じ「ユー/yú」であることから生まれた、遊び心のある楽しい工芸品だ。

 

日本人には「ネンネンヨユー(どんどん余裕になる)」とも聞こえるので、そこに奇妙な縁起の一致を感じることができる。ちなみに、このような発音による言葉遊びを、中国語で「諧音(シエイン/xiéyīn)」と言う。

 

※私の自室にも飾られている年年有魚さん。これは五匹が連なっている、綿製のもの。胴体には「福」という文字が装飾されている。色々な大きさ、形状の年年有魚があるが、共通点は必ずどこかに赤色が入っているということだ。

 

ネンネンヨユーの魚さんのは、『西遊記』でお馴染み、この世を統べる玉帝(玉皇大帝)の逸話に由来する。玉帝はある時、竜王に急いで雨水を呼び寄せ、共光の地に甘露を降らせるよう命じました。竜王はこの命令を受けてすぐに海から水を呼び出し、共光に甘露を降らせた。しかし、せっかちで緊張していた竜王は、誤って海の鯨を共光の地に降らせてしまった。竜王はこの失態を玉帝に叱られるのを恐れて、「鯨を共光の地に送り込んだのは、百姓たちが年々豊作であるよう願ってのことなのです」と主張しました。この取って付けたような弁明を聞いた玉帝は「なるほど、そういうものか」と妙に納得。こうして玉帝はその鯨を魚神として任命し、人々が毎年平和で豊かに暮らせるようにして欲しいと依頼したという。

 

②昔は英明な皇帝になりたい、今はただ間違いを犯したくない

「官家(仁宗)に逢いたい!逢いたい!」と暴れ放題、情緒不安定な妊娠中の張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)。それを巡って疲れ果て、仁宗との関係も悪化する皇后の曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)。西夏との戦いでは一部の敗北があり、内部では金と権力を巡る不穏な動きもある。そうして失態を犯した人物の誰もが「私に罪をお与え下さい」と仁宗に迫るが、罪を与えたからとて現状が改善する訳ではない。仁宗はあまりの重圧に苦しみ、遂に心臓を抑えて倒れてしまう。すぐに回復したが、彼はしばらく宦官の張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)に背負われて福寧殿(ふくねいでん/fú níng diàn)に戻ることになった。

 

※韓国ドラマだと「酔いつぶれた女子を仕方なく背負って夜中に歩く男子」は腐るほど目にするテンプレートだが、明らかな外傷がある状況を覗き、男子が男子を背負って歩く場面というのは全世界のドラマを通じてもなかなか珍しいかもしれない。

 

張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)に背負われた仁宗が、次のように言う。皇帝という地位が「ダモクレスの剣古代ギリシャの成語:豊かな太平の社会があるように見えても、指導者の少しの判断ミスでそれが全て壊れてしまうので、指導者の責任と重圧がいかに大きなものかということを示す例え)」であることを表現する、血の通った台詞である。

 

仁宗:朕小时候想想 如何如何做个英明皇帝 暗自存了超越祖宗 开疆扩土的雄心 汉武唐皇做过的朕都要何做 后来 太后在上压着 朕盼着亲政 后来太后薨逝 朝局不稳 朕要花心思稳定 后来 朕发觉 从前能有盼头的日子 是何等清楚 朕如今最怕做错 损囯 害民(幼い頃、朕は英明な皇帝になるにはどうすればよいかと思い、密かに祖先を超え、領土を拡大するという壮大な野心を抱いていた。漢の武帝や唐の皇帝が成し遂げたことを、朕もすべて成し遂げようと誓っていた。だが、後宮太后が権力を握り、朕は親政できる日を心待ちにしていた。その後、太后崩御し、政局は不安定となり、朕は国を安定させるために心を砕いた。振り返ってみると、かつて目標に向かって進む日々がどれほど輝いていたかを痛感する。今の朕が最も恐れているのは、過ちを犯して国を損ね、民を害してしまうことだ。)

 

仁宗は「昔は正しいことをしたかったが、今は間違ったことを避けたいとだけ願っている」と言っている。嵐の中では陸地を目指すどころか、航海を続けるだけでも難しいのだ。

 

③補足:花心思(フゥアーシンシ/huā xīn sī)

 

仁宗を背負っている、張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)。張役を演じているのは、日本の妻夫木聡っぽい容姿の叶祖新(ようそしん/yè zǔ xīn:日本漢字は「葉祖新」)。本ドラマでは忠誠心と謙虚さ、そして聡明さを表現するため、微笑みの表情が演技のベースとなっている。ここでもうっすらとほほ笑んでいるように見えるのだが、見方によっては笑いを堪えているようにも見えるので、個人的には少し気になる。

 

先の台詞内にある「朕要花心思稳定(私は政局を安定させるために心を尽くさなければならなかったのだ)」という部分。ここにある「花心思(フゥアーシンシ/huā xīn sī)」という言葉もまた個人的に気になる。この表現の構造は「花心」+「思」ではなく、「花(使う)」+「心思(精神)」。この結果、「心を尽くす」「それに集中する」という意味が生まれる。

 

中国語の「花(フゥアー/huā)」は文字通り「花」としての役目を果たすが、もうひとつ「費やす」「使う」という意味を持つ動詞にもなる。たとえば、「花時間(フゥアーシージエン/huā shíjiān)」は「時間を使う」という意味になり、「花銭(フゥアーチィエン/huā qián)」は「お金を使う」という意味になる。

 

※大手SNSサービス「Wechat(微信)」のステッカー例。くまもんは「时间花在追剧上(ドラマに夢中で時間が溶けているぜ)」の状態。猫ちゃんは「花钱如流水(金を使うこと流れる水のごとし)」と唖然としている。

 

④補足:「花」と「華(华)」

※画像:百度百科「中华香烟」より引用。「中华(中華)」は現代中国の贈呈用煙草として非常に有名なブランド。ニコチンの重さによって数種類があり、値段は現地で1箱45~100元(約900~2000円)。成田空港の免税サイトでは1カートン7500~12500円のものが掲載されている。私は煙草をやらないので分からないが、おそらく高価格帯だと思われる。

 

日本漢字の「花」と「華」は何となく境界線が曖昧で、どちらも同じように植物の花として用いることができる。「華道」「文化の華が咲き誇る」など文芸的、芸術的な感性が加わると「華」が用いられる印象だ。

 

一方、中国語の「花」と「華(华)」は別物。植物の花として用いることができるのは「花」の方のみで、「華(华)」は「華やか」「素晴らしい」などの意味を表現する際に用いられる。

 

⑤满眼破败(マンイェンポーバイ/mǎn yǎn pò bài)

先ほどの仁宗の「ダモクレスの剣」状態を語る台詞で、この場面のものも印象深い。ここでも張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)と対話する仁宗。難儀な情勢を語り合った上で、「一不小心就能一溃千里 满眼破败」と言う。これにはそれぞれ次の意味がある。

 

- **一不小心就 能一溃千里**:ほんの少しの不注意で、一瞬で千里の道のりが崩壊する。つまり、ちょっとしたミスや不注意で、状況が大きく崩れてしまうという意味を持つ。「一溃千里(yī kuì qiān lǐ)」は、非常に速く大規模に崩れる様子を表す。

 

- **满眼破败**:目の前には破壊や荒廃が広がっている。つまり、見る限り一面が破れかぶれの状態、荒れ果てた光景が広がっているという意味になる。

 

つまり、ここで仁宗は「ちょっとした不注意で大規模な崩壊が起こり、結果的に目の前に荒廃した世界が広がってしまう」という意図を口にしている。国の中側も外側も不安定な柱があり、いつそれが崩れてもおかしくはない。仁宗の懸命な舵取りが続く。

 

⑥同室操戈(トンシーカオグー/tóng shì cāo gē)

 

あまりに周囲に騒ぎ立てるので、前日は仁宗の福寧殿(ふくねいでん/fú níng diàn)で寝入った張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)。起床すると仁宗が姿が無かったので、また滅茶苦茶に取り乱して「一緒に朝餉(朝食)を食べると言ったのに!政務をしているなどといってごまかしている!」と周囲にわめきたてる始末。早朝から起きて政務を行っていた仁宗はひとまず中断し、彼女を慰めることになった。

 

この朝議の場で話し合われていたのが、西夏の敗走問題。ここではただ負けたというのが問題になっている訳ではなく、宋側の将軍が西夏に寝返ったのではないかという疑念の真偽が問題となっている。各方面から奏状が来るものの、将軍が寝返ったという根拠はなく、ただ官僚や武官たちが責任転嫁や自己保身の思惑から将軍に罪を押し付けようとしている気配もある。西夏との戦いに集中しなければならないのに、仲間同士で足を引っ張り、仁宗の足にも張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)のようにしがみつく者たちがいる。

 

同室操戈(トンシーカオグー/tóng shì cāo gē)。これは「同じ部屋の中で刀を持って争う」という意味で、特に兄弟や同じグループ内での無益な争いを示している。内部の不和や対立が激化し、共に協力するべき関係が崩れ、お互いに傷つけ合う不毛な状況だ。

 

この成語の出典は、春秋戦国時代の鲁(孔子の出身国)、左丘明による《左传·昭公元年》の一節から。公孫楚と公孫黒という兄弟が同じ女性を巡って争い、最終的に武力で対立する場面が元である。記述には「公孙楚执戈逐之,及冲,击之以戈。(公孫楚は戈[ほこ]を持って彼を追いかけ、追いつくと、その戈で公孫黒を打った。)」とある。

 

「兄弟同心、其利断金(兄弟が心を一つにすれば、その力は金属すらも断ち切る)」という理想的な協力体制を体現したい仁宗であるが、身近な者たちがその足を引っ張り続けている。

 

※今回の題材としたのは、中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』の第二十二集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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