天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など1:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

宋王朝大河ドラマを描く際に最低限知っておくべき中国の「朝廷言葉」がある。覚えておくと中国大河ドラマ鑑賞がより耳に馴染むようになる慣用句等も含め、主だったものを紹介する。

 

①官家(グアンジャー/guān jiā)

 

「官家」という言葉は晋の時代に生まれたと言われている。元々は「官職に就いている者」を示す中国の朝廷言葉であった。宋王朝時代に入ると主に「臣下が皇帝を呼ぶ際の尊称」として用いられるようになった。

 

上のシーンは仁宗の乳母が、仁宗に向かって「官家是孝子(陛下は親孝行の気持ちがあるお方です)」と言っている。この「官家」には、皇帝が一般的な人間とは異なる絶対的な公正無私の天子であるという恐れ多さの意図も反映されている。「官家」を言っている側(家臣や後宮の人々)も、聞いている側(皇帝)も、常に明確な上下関係を意識している。

 

②天色清明(テンスーチーミン/tiān sè qīng míng)~

 

開封にある仏教拠点「大相国寺」付近の場面で、「天色晴明~天色晴明~」という仏僧の大きな掛け声が響き渡っている。これは特別な慣用句や仏教言葉という訳ではないようだ。意味は二つ考えられる。ひとつめは単純に「今日は晴天なり~今日は晴天なり~」と天気を示すもの。ふたつめは「今日も世は太平なり~今日も世は太平なり~」と平和を示すものだ。

 

尚、この大相国寺北斉天保六年(555年)に創建され、唐代の延和元年(712年)に唐睿宗が相王として即位したことを記念して「大相国寺」と名付けられた場所。『水滸伝』の舞台となる北宋時代には京城開封)最大の寺院となり、皇室から深く尊重されていた。ちなみに現在もこの寺は国家遺産として開封に残っており、施耐庵(したいあん/shī nài ān)が『水滸伝』制作において最も人物造形に注力したアイコニックな仏僧の英傑、魯智深(ろちしん/lǔ zhì shēn)の銅像も展示されている。

 

③請吧(チンバ/qǐng ba)

 

請(チン/qǐng)は「Please」を意味する丁寧語。この場面では「どうぞ(お通り下さい、やってください)」といった意味になる。「請(チン/qǐng)」だけでも意図は通じるが、その場合は慎重に重みを持たせて発声をしないとどこか相手を軽んじているように聞こえてしまう。(「はいはい、通って!」といった印象。)この「請」に「吧(ba)」を付けると、より相手を丁寧に促す効果が高まる。この用法は現代の中国語でも同様。

 

④臣该死(チンガイス/chén gāi sǐ)

 

家臣が皇帝など自分より目上の者に対して謝罪する場合において、様々な朝廷言葉が求められる。この「臣该死(チンガイス/chén gāi sǐ)」はそのひとつ。意訳をすると「私の命に代えても(この失態の)責任を取ります!」というニュアンスになる。絶対的な忠誠心を意図する言葉であると共に、時には自己批判の意味で用いられる事もあった。すなわち、本当に自分を処刑して下さいと懇願している深刻なケースもあれば、「自分は死に値する罪を犯しました!」と自己申告による反省を示す一般的なケースもあるという事である。

 

現代の論理性・倫理観とは異なるのは、この言葉が「皇帝の失態」に際しても使われるという点だ。つまり皇帝が失敗した時も、その傍にいる者、あるいはその出来事の担当者が、「自分が(皇帝の失態を)死を持って償います!」と言うのである。このあたりはさすが儒教大国として悠久の道を歩んだ中華世界、といった感がある。君臣関係の規範意識は強烈だ。『論語』の中にも「主辱臣死」という表現がある。これは、君主が侮辱を受けたり損害を受けたりした場合、臣下がその責任を負い、時には命を持って謝罪するべきだという意味になる。

 

⑤請陛下上辇(チンビーシャーシャンニエン/qǐng bì xià shàng niǎn)

 

この場面では、単独で実母のいる霊廟に駆けつけてしまった仁宗を引き留めに来た一団が、「請陛下上辇(陛下、お車にお戻りください)」と述べている。特定の儀式や議事の進行に応じてこの言葉が用いられる事があるが、絶対にこのような表現をしなければならないという決まりは特に無い。とにかく「お車にお乗り下さい」という意図が尊敬と共に伝われば問題なし。

 

ここで注目するべきは「陛下」という尊称。①の官家(グアンジャー/guān jiā)と同じく、この「陛下(bì xià)」も臣下が皇帝を呼称する際に用いられた。この「陛下」はそのまま日本にも到来して現代でも天皇に対して使われているので、我々にも馴染みがある。ちなみに、先日取り上げた1973年、日本テレビ製作の原作改変型『水滸伝』では、皇帝を「帝(みかど)」と呼称していた。北宋の物語で「ミカド」て…

 

⑥尝尝这个(チャンチャンチェーガ/cháng cháng zhè gè)

 

仁宗の幼少時代の記憶。実母から棗(ナツメ)のお菓子を渡される場面。「尝尝这个(チャンチャンチェーガ/cháng cháng zhè gè)」は「尝尝(味わってみて)这个(これを)」という意味になる。ここで注目したいのは「尝尝(チャンチャン/cháng cháng)」という表現。中国語には「重厚な意味を有する単語を二つ重ねる事によって軽快さを表現する」という慣習的な法則性がある。それはあたかも、ローマ建築物が重厚な石材を装飾によって軽快な壮麗さを演出するかのような仕組みだ。これは現代中国語でも同様である。

 

「尝(チャン/cháng)」はそれだけで用いると「食べろ」「食べな」といった硬派な印象となる。母親が息子に向かって「さぁ、このお菓子の味を挑戦されよ」と言うのはもちろん奇妙だ。これを「さ、これを食べてみて」と気軽に催促する意味にする為に、「尝(チャン/cháng)」を二つ重ねて「尝尝(チャンチャン/cháng cháng)」となる訳である。

 

この「二つ重ね」の法則は名前などでも共通して用いる事が出来る。例えば、上野公園に在籍していた歴代のパンダの名前は「カンカン(康康)」「ランラン(蘭蘭)」「シャンシャン(香香)」など。このように発音を二つ重ねる事によって愛らしさ、親しみやすさの印象が高まるのだ。

 

ちなみに、二つ言葉を重ねる事によって、文法的には誤りであるが、それだけ感情が高まっているという事を示す語法もある。

 

 

この場面ではお菓子を食べた仁宗が(相手を母親とは知らず)、「你的蜜饯是最最好吃的(あなたの蜜銭はとっても、とっても、美味しいよ)」と言っている。「蜜銭(ミーチェン/mì qián)」は、果物を蜜と塩で煮込んだお菓子の事。ここでは「最(ツイ/zuì)=本当に、とても」を一つだけ置けば表現としては問題無いのだが、敢えて仁宗はこれを二つ重ねて言っている。「本当に、本当に」といった具合に、自分の好意を強調しているのだ。

 

⑦拍马屁(パイマーピー/pāi mǎ pì)

 

この場面は後に科挙試験に合格し、仁宗の右腕的な存在となる韓琦(かんき/hán qí)が、相手が仁宗であるとは知らずに皇帝や朝廷の批判を行っている。(小説版の創作を反映した内容で、歴史上、このようなドラマティックな展開があった訳ではない。)かんきがここで、「只会説好的(奴ら=高級官僚たちは、皇帝に都合の良い事しか説明しないんだ)拍马屁(ゴマすり野郎たちなんだ)」と述べている。

 

「马」は日本漢字に直すと「馬」。この「拍馬屁(パイマーピー/pāi mǎ pì)」の直訳は「馬のお尻を叩く」となる。意味としては上述の通り「ゴマすり(お世辞やへつらいの言葉で他人に媚びへつらう事)」だが、これが使われるのはより嫌悪感を露わにする状況が多い。意訳して日本語に当てはめれば「相手の足をペロペロ舐めやがって」といったニュアンスとなる。現代中国語でもよく使われる慣用句であり、腐敗した組織や人間関係の中で非常によく起こり得る卑屈な行為だ。

 

ただ、厳密に言えば、この「拍馬屁」を韓琦(かんき/hán qí)が使うのはおかしい。北宋時代にはまだ誕生していない言葉なのだ。この言葉が誕生したのは北宋王朝の後に中華世界の覇者となった、モンゴル民族による元王朝の時代だと言われている。モンゴル人は馬を引いた人と会った際、相手の馬の尻を軽く叩いて尊敬や称賛を示す礼儀の風習があった。その行為に軽蔑を伴う意味は全く無かったが、いつしかこの風習をモチーフとして「へつらい」を揶揄するスラングが生まれ、これが慣用句として定着した。

 

⑧是(シュー/shì)

 

是(シュー/shì)は中国語の入り口部分にある、現代でも誰もが使う単語。使い方は主に2種類。ひとつめは、冒頭で取り上げた「官家是孝子(陛下は親孝行の気持ちがあるお方です)」の「是」のように「is(~は)」という助詞で用いられる。ふたつめは、単独で「是(シュー/shì)」を用いると「Yes(はい、分かりました、そうです)」といった肯定表現となる。この対義語は「不是(プーシュー/bù shì)」となる。

 

私が意外だなと感じたのは、皇帝に対してもこの日常的な肯定表現が用いられていたという点だ。上の場面では、太后の言いなりになっていた仁宗が成長して政治に参画したいと考えるようになり、「(今日は考え事をしたいから)食事は要らない、下がってくれ」と宦官(皇室の管理者)に命じ、宦官がそれに対して「是(承知致しました)」と答えている。

 

日本語の感覚では、人間関係によって肯定表現は大きく形を変える。身内や親しい人物には「うん」「ああ」「おう」などを用いて、目上の人や社会的な距離の遠い人には「分かりました」「承知致しました」「かしこまりました」といった表現を用いる。一方、「是」は特に変化がない。宦官と皇帝の関係でもこの言葉が通じるのは便利だと感じた。

 

※今回題材として用いたのは、中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』

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作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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