天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など3:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

上のトップ画像は豪雨の中、地元の公園で珍しく見かけた鷺(さぎ)。2024年8月30日現在、異様な大型台風10号が日本列島を舐めるように通過中。台風による直接的な被害はもとより、農作物への影響も懸念される所だ。とにかく全国の無事を祈るしかない。

 

水滸伝』の北宋王朝においても水害は深刻だった。そもそも、北宋が都を汴梁(現在の開封)に置いた主な理由は、黄河の治水対策の陣頭指揮を取りやすい場所だったからである。宋王朝の167年間において、黄河が決壊しなかったのは101年間。その他の年では黄河流域の決壊による水害が各地で起きており、市民生活に多大な被害をもたらしていた。

 

例えば、982年には黄河の多くの場所で決壊が発生し、現在の山東省、江蘇省湖北省陝西省、広西省、福建省、河北省など広範囲にわたる地域で水害が発生している。その翌年も全国的な大水害が発生し、黄河は滑州で大決壊し、東南へ向かって淮河に流れ込み、谷、洛、伊などの河川が暴れ、京城の官署、民家、軍営、寺院など1万軒以上の建物が破壊され、「溺死者は万にのぼる」と記録されている。併せて長江、漢水、易水、滹沱などの川も氾濫して災害を引き起こした。

 

また1019年には黄河が滑州(現在の河南省濮陽市)で決壊して州城も水没し、周辺の32の州や県が被害を受けた。1077年には黄河が澶州で決壊し、45の郡や県に洪水が流れ込み、数万軒の官舎や民家が破壊され、30万頃の農地が被害を受けた。1084年には次の記録がある。「河溢元城埽,决横堤、破大名(今北京)……河水暴至,数十万众号叫求救(黄河が元城埽で決壊し、堤防を破り、大名[現在の北京]を襲った……黄河の水が激しく押し寄せ、数十万人が救助を求めて叫び声を上げた)」。

 

異民族の金に北方地区が奪われてしまった後、宋は都の機能を南部の臨安に移した。これより水害の記録は主に南方に集中する。1144年には婺州、信州、衢州、建州で大洪水が発生し、浙江省蘭渓県では山洪(土砂災害)も発生。都この年には1万人以上が死亡したとある。1181年には嚴州で大洪水が発生し、1万9000軒以上の民家が流され、紹興府の五県では8万3000軒が浸水した。1188年には淮河と長江で同時に大洪水が発生し、淮河南岸の数百里の地帯がほとんど一面の水となり、廬州(現在の合肥市)の城壁が崩壊している。また祁門県では山洪が発生し、家畜、家屋、作物が七割から八割失われた。翌年も水害が浙西、湖北、福建、淮東、利西の各道に広がった。

 

また1191年には福建省四川省で数十の州や県が大洪水に見舞われ、福建省福州や建寧などの地域では長雨が災害を引き起こした。四川省嘉陵江は増水し、興州の3400軒余りの家が浸水し、城門が破壊された。1193年には江蘇省安徽省浙江省で大洪水が発生し、江西省の9州37県が同時に水害に見舞われ、北方の黄河も決壊した。

 

河だけではない。南宋王朝の時代には海洋災害も猛威を振るった。1166年、温州で大風が吹き荒れ、海溢が発生。ここでは2万人以上が溺死したという記録がある。1195年には台州で大風雨が発生し、山洪と海潮が同時に襲った結果、「死者が川を覆い、漂流して数日間も沈まなかった」という悲惨な状況が記録されている。

 

こうした自然災害に真剣に向き合っていたのが、ここで題材として取り上げている名君の仁宗とその功臣たちだ。この頃から政治的な腐敗の種が大いに巣くっていたものの、仁宗たちは常に民に目を配って災害対策を講じ、王朝の発展と延命に貢献していたのだった。

 

本題に入ろう。

 

①混账(フゥンザン/hùn zhàng)!

 

「混账(フンザン/hùn zhàng)!」は罵倒の言葉だ。日本語で言うと「恥知らずめ!」「ばかやろう!」「どアホ!」といった言葉がそれに近い。仁宗の講師でもあった重臣の晏殊(あんしゅ/yàn shū)が公の場で醜態をさらす場面。これは本人が意図して行った演技。この時分、幾つかの問題が起きて誰かが責任を取らなければならなかったが、劉太后は誰を処罰対象にするか難しい判断を迫られていた。よって、晏殊(あんしゅ/yàn shū)が敢えて自分が適当な罪を起こし、暗に自分を左遷するように示唆した。朝廷内部の権力の統制を保つ為の政治的判断である。

 

語源的にはモンゴル語に由来。「账」は道理や事実を意味し、「混」はいい加減で無責任な態度を示す。人の行動や言葉が道理に合わない場合や、無責任な態度や行動を批判する状況で用いられる。「彼は混账だよ」といった具合に批判的な表現としても用いる事が出来るが、かなり感情的な言葉なので注意をして使わなければならない。

 

②妙人(みゃおれん/miào rén)

 

晏殊(あんしゅ/yàn shū)の起こした騒ぎに感銘を受けている劉太后後宮管理人の仁守忠に「可真是个妙人啊(彼は本当に興味深い人だね)」と感想を漏らしている。この「妙人」には文脈によって幾つかの意味がある。ここでは「巧妙である=思慮術数に長けている」といった考えが含まれており、「興味深い人」「面白い人」といったニュアンスになる。他のニュアンスとして考えられるのは次の通りだ。

 

- 年少で風流な男性:『妙人』という言葉の最初の意味は、若くて風流な男性を指していた。この表現は古代の文学作品に頻繁に登場する。たとえば、『風筝誤·鷂誤』では、『あの公子は詩を作ることができ、また凧を放つのが好きで、間違いなく妙人だ』と記されている。また、『醒世恒言·赫大卿遺恨鴛鴦縧』では、『思いもよらず、この場所にはこんな妙人が隠れていたとは』と描写されています。

- 滑稽で機知に富んだ人物:ユーモア感覚や機知が強調される場合の使われ方。上の劉太后はこの意図で「妙人」を用いていると思われる。

- 聡明で愛らしい人:聡明で可愛らしい人、あるいは機密で巧妙な仕事をする少女を指す事もある。

 

③请正典刑 以允公议(qǐng zhèng diǎn xíng yǐ yǔn gōng yì)

 

国策を決める朝議の場で、重臣たちの建議により晏殊(あんしゅ/yàn shū)の刑罰を求める訴えが全員から起こされた。「请正典刑 以允公议」は儀礼的な朝廷言葉。「请正典刑(正しき処罰を願います)以允公议(公議=法に基づいて実行して下さい)」という意味合いになる。

 

この場面で興味深いのは、誰かが指揮をしている訳でもないのに、このような決定がなされた際に自然に全員が決定事項を復唱するという点だ。こうした朝議の場における儀礼は細則で定められており、彼ら文官はその議事進行の規則を厳格に守っていた。

 

④责罚(ザーファー/zé fá)

 

これもよく見かける朝廷言葉。武人の上官と下官の間でもよく見受けられる。责罚(ザーファー/zé fá)は「(私は失敗をしましたので)罰を与えて下さい」という意味のある謝罪の言葉。この場面では左遷前の晏殊(あんしゅ/yàn shū)の邸宅に立ち寄った仁宗に対して、晏殊(あんしゅ/yàn shū)が「お立ち寄りを気付かずに出迎えをせず本当に失礼しました」と謝罪をしている。晏殊(あんしゅ/yàn shū)はもともと仁宗の教育者(儒学などの講師)であったので、若い仁宗は「気にしないでくれ」と朗らかに応対している。

 

この台詞の「还望陛下责罚(還望陛下責罰)」は「還望=どうか」「陛下=皇帝より)」「責罰(叱責やお咎めをして下さい)」という意味になる。この他にも「请官家降罪责罚」という言い回しもある。「请=どうか」「官家=陛下」「降罪(私の罪に対して)」「責罰(叱責やお咎めをして下さい)」といった意味合いだ。

 

⑤惭愧 惭愧(ツァンクイ ツァンクイ/cán kuì cán kuì)

 

これは現代日本語にも残っている朝廷言葉。「慚愧(ざんき)に堪えません」という意味で、自分の行為や言葉を恥じてお詫びをする表現になる。仁宗が見事な政治的見解を語ったので、教師であった晏殊(あんしゅ/yàn shū)は一種の親心から思わず「陛下も成長したもんだなぁ」と心の中で嬉しくなって微笑んでしまった。しかし、その直後に彼はそのように皇帝を子ども扱いした自分を恥じて、本気の議論を求めている仁宗に対して深く謝罪した。

 

この「惭愧 惭愧(ツァンクイ ツァンクイ)」も、これまでに何度か取り上げた中国語の「二度重ね」の用法を適用するのが一般的。「惭愧」だけでも意味は通じるのだが、その意味合いが挑発的な強さを帯びてしまう。ただし、文脈によって深く謝罪をする重みを持たせて「臣惭愧(チェン ツァンクイ/chén cán kuì)」という言い方も出来る。臣というのは家臣、つまり自分の事だ。

 

また、この場面では完全な謝罪の言葉となっているが、現代では「謙遜」をする時にもよく使われる。日本語としては、「とんでもない」「かたじけない」「お恥ずかしい」といったニュアンスだ。例えば、「君は外国人なのに、本当に私たちの文化をよく知っているね」と褒められた場合、「惭愧 惭愧(ツァンクイ ツァンクイ:とんでもない、お恥ずかしい限りです)」と返事をする事が出来る。古語的な表現となるが、丁寧さや誠実さを伝える事が出来る。

 

開封の街の様子(ドラマ制作予算の豆知識)

 

言葉とは関係がないが、中国大河ドラマは本当にこうした街や人の描写なども作り込まれていて凄まじい。制作費は4億人民元(約80億円)。全70話なので、単純計算で1話につき約1億1500万円が費やされているという事になる。日本のNHK大河ドラマを制作する場合は1話につき約6000万円だというから、そのおよそ2倍の規模だ。体力あるなぁ。

 

⑦绝对不可(ジュエヅイプーグイ/jué duì bù kě)

 

これは日本語漢字とも共通しているので分かりやすい。絶対不可、すなわち「絶対にそれは許されません」と言っている。ここでは異民族の遼国が図々しい要求をし始めて来ており、仁宗は「我々は大国として寛容に接するべきではないか?」と答えたが、重臣が「寛容に接しては絶対にいけません。彼らは少しでも甘く接すると図に乗ります」と強く反論をした。この後、同じ意図で彼は「绝不能允(ジュエプーネンユン/jué bù néng yǔn)」とも言っている。

 

ちなみに、歴史的には本当にこの通りの流れで宋は異民族によって滅ぼされてしまっている。宋は経済力が格段に向上したので、異民族に金や財を与える事によって「侵攻しないでね、仲良くしようね」と言い続けた。確かにこの「正しい戦争よりも、不義の平和を」といった具合のキケロ政策(古代ローマの政治家マルクス・トゥッリウス・キケロが議会で放った有名な言葉)が功を奏して長年に渡って太平が保たれたが、これによって宋の権威と財力が徐々に貶められていった。

 

小人というのは近づけば図に乗り、遠ざかれば恨まれる。孔子の言葉(子曰、唯女子与小人為難養也。近之則不孫。)が思い出される。

 

※今回用いた題材は中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』の第三集。YouTubeリンクは以下の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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