天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『西遊記 1986』の興味深い中国語メモ4(前)

※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

①《生无名 本无姓》

※挿入歌に加え、戦闘シーンの動きや特殊映像も非常に独特な味わいがあるので、ビリビリユーザーたちのコメントも大盛り上がり。このカットの直前に映った哪吒の演技を面白がっているユーザーが多い。

 

トップ画像は、天界で最後の大暴れをする孫悟空の一幕。この場面で流れる曲《生无名本无姓》がこれまた味わいがある。作詞は付林と晓岭、作曲は许镜清、歌唱は王小青。他の挿入歌《大圣歌》と同じメロディ。ドラマ『西遊記』の第3集「大圣闹天宫」で登場をする。(ちなみに、日本で入手出来る同ドラマのDVDでは第4集に収録されている。中国原版と日本DVD版は微妙に物語の区切りがずれている。その意図は不明。)同曲の歌詞は次の通りだ。

 

《生无名 本无姓》

生无名 本无姓 天道铸就有精灵有精灵 来无影 去无踪 千锤百炼真功 见真功 闯东海 闹龙宫 鬼神惧 天地惊 身披旋风 火眼金睛 齐天大圣孙悟空 身披旋风 火眼金睛 齐天大圣孙悟空

 

生まれた時から名もなく、もともと姓もない

天の道が鍛えた精霊ここにあり

来るときは影なく、去るときは足跡なし

幾度も鍛えられた真の力ここにあり

東海に挑み、竜宮を騒がせ

鬼神も恐れ、天地も驚く

旋風を身にまとい、火眼金睛を持つ

斉天大聖 孫悟空

旋風を身にまとい、火眼金睛を持つ

斉天大聖 孫悟空

 

②不得不礼(ブーダーブーリー/bù dé bù lǐ)

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遂に天界最強格の如来が登場。従僕たちが「不得不礼(ブーダーブーリー/bù dé bù lǐ)」「休得放肆(シューダーファンスー/xiū dé fàngsì)」と言っている。「放肆」は無礼を意味する言葉。どちらも「無礼を止めよ」というニュアンスの古典的な儀礼表現だ。日本の時代劇感覚で最も近い表現は「控えおろう!」といった所だ。

 

ちなみに、如来(インド梵語:Tathāgata)を仏教的な概念から厳格に説明するなれば、これは特定の神仏を意図する言葉ではない。「①真如の道に基づき、努力を積み重ね、善因を蓄積して、最終的に仏になる事」、②「真如の道を伝え、人々の智慧を増し、煩悩を消し、利益を得させる事」、その「行為」を「如来」と定義している。

 

転じて、民間や物語などにおいては「如来」を仏教の創始者である「釈迦牟尼仏」、すなわち「悉達多太子(ゴータマ・シッダールタ/Gautama Siddhārtha)」を示す表現として用いる事が多い。中国語では「世尊」「老瞿曇」「黄面老子」といった別名もある。『西遊記』ではまさにこの使われ方がなされており、如来孫悟空を軽くあしらう事の出来る唯一の存在として登場しちえる。

 

孫悟空のプレゼンテーション

 

孫悟空が「玉帝の座を俺に譲るように言ってくれよ!」と如来に言う。如来は微笑みながら、その悟空に「そなたに譲る理由はなんぞ」と聞いている。これに対する悟空の自己PRは次の通り。

 

"我有七十二般变化 万劫长生不老 会驾筋斗云 一纵就是十万八千里 如何坐不得天位(俺は七十二の変化の術を使いこなし、何度も生死を超えて長生不老になって、筋斗雲を駆って一跳びで十万八千里を移動できるんだ。帝位に就くのは当然だろ?)"

 

④ 做得 做得(zuò dé zuò dé)

 

ここの会話の流れとしては、如来が「なるほど、それならお前が空を飛んで行って、私の手から逃れられたら玉帝の座を譲ってやろう」と言い、悟空が「本当か?」と聞いたので、如来が「做得 做得(ズオーダ ズオーダ/zuò dé zuò dé)」「不悔 不悔(プーフイー プーフイー/bù huǐ bù huǐ)」と答えている。前者は「やってやる」「やり遂げる」の意味で、後者は「後悔しない」「悔いはない」という意味。つまり、それぞれ「やってやるとも やってやるとも(お前との約束を守るとも)」、「悔いはない 悔いはない(お前が玉帝になっても悔いはない)」と言っている。

 

孫悟空はこの如来の相槌を聞いて、「一言为定(決まりだな!、二言は無いな!)」と言って、「来(それじゃ行くぜ!)」と言っている。ここは『西遊記』の名場面のうちのひとつ。この後、孫悟空は10万8000里を駆け抜けたが、如来の手の平の上から逃れる事が出来なかった。

 

※中国最大手のSNSサービス「Wechat(微信)」のステッカー一例。「做得」は文脈に応じて「よくやった!」「うまくやったな!」という賞賛(Good Job!)に用いる事もある。「做得好!」という表現の方が使われる印象だが、「做得!」だけでも問題はない。下のステッカーは「不悔」の少し変化した言い方で、「无怨无悔(恨みも悔いもない)」という意味。ちなみに彼は『岳飛伝』で岳飛(がくひ/Yuè Fēi)役を演じた俳優の黄晓明。

 

⑤到此一遊(ダオチーイーヨウ/dào cǐ yī yóu)

 

孫悟空如来との賭け勝負を行って、自分では見事に如来の手を離れて天の果てまで到達したと思い込んだ。そして、そこにあった「柱」に「齐天大圣到此一遊(斉天大聖=孫悟空、ここに参上)」と一筆を残し、ついでに小便をして如来の元まで戻る事とした。後にこの「柱」が如来の指であった事が明らかになる。孫悟空如来の手の平の上から逃れられなかった。

 

ビリビリコメントが「猿兄貴、めっちゃ筆字が上手いやんけ」という突っ込みで溢れていて面白いが、それはさておき、実はこの「齐天大圣到此一遊」は社会問題として取り上げられる事がある。「市民が旅游先の遺跡や自然物に旅游を記念する落書きを書いたり掘ったりしてしまう」という規範、良識、美徳の問題がしばしば起こるのだ。この名所の落書き犯罪はそのまま「到此一遊現象」と評される。

 

中国の大小さまざまな観光地で、さまざまな方法でさまざまな素材に「到此一游」と刻まれている現象。これは中国の名所を旅した事のある人なら誰でも気付く所であろう。長城や故宮、泰山などの歴史的な名所にも無数の落書きがある。国内だけではなく、エジプトのルクソール神殿の浮彫に「丁锦昊到此一游」という刻字が見つかって大きな問題になった事もある。現代人の精神品質の低下が見受けられる現象だと言いたい所であるが、実は「現代」に限定した話ではない。

 

※画像:百度百科「到此一遊(游客不文明现象)」より引用。旅游客が史跡にこのような落書きをしてしまうケースが非常に多い。

 

明王朝時代と森本右近太夫

旅先での風景名勝に何らかの痕跡を残したくなるのは、どうやら時代を越えた人間の性のようだ。文献を紐解くと、明王朝時代(『西遊記』『水滸伝』『三国演戯』などが生み出された時代)の次のような逸話がある。

 

袁宏道は万暦二十年の進士で、荊州公安県の人物で、詩文に優れ、後世に「公安派」と称される人物であった。このような文人はよく旅行を好むもので、袁宏道も例外ではなかった。ある日、袁宏道は安徽省休寧県を訪れ、山上には多くの観光客がいて、非常に賑やかであったという。間もなく、彼はある亭に到着。それは八角の精巧な亭で、江南の山林に自然に溶け込んでいた。しかし、よく見ると、景色を損なうあまりに幼稚な落書きが多数書かれている事に気が付いて、彼は驚いた。亭の正面の柱などに「○○○がここに来た」「素晴らしい山水、○○○が記す」などといった言葉が刻まれていたのである。

 

袁宏道はこれを見て愕然となり、「美しい山水なのに、どうしてこのような悪質な真似をしてこれを台無しにするのか」と暗い気持ちになった。そうしているうちに、別の一人の男がふらふらとここに来て地面の石を拾い、歯を食いしばりながら、柱に「孫小二がここに来た」と刻んでしまった。彼はそれだけでは満足できずにしゃがみ込み「万暦二十五年秋」と小さな字で横に刻み込んだ。袁宏道はそれを見てどうしても我慢できず、二歩進み出てその人を呼び止め、尋ねた。「あなたはどこの人ですか?」その孫小二は袁宏道を上から下まで何度も見て、「私は徽州の孫小二だ。お前は誰だ?」と言った。袁宏道はそれには答えず、「綺麗なこの景色を勝手に台無しにして、一体どういうつもりなのですか?」と言った。すると、孫小二は嘲笑うように答えた。「お前が何者で、どうして余計な口出しをするのか俺には分からないが、見ての通り、この亭子に落書きをしたのは俺だけじゃない。もしお前が問題だと思うのなら、どうしてもっと早くからここに来てそれを止めさせなかったんだ。」

 

袁宏道は怒りで言葉を失った。この旅行が終わった後、彼は次のような記事を残した。「徽州の人々は落書きが好きだという偏見を聞いていたが、実際に目で見て確認をした。あの土地の人々が習慣になっていて、赤い字で白い看板に書き、石も至る所に見られる。青山白石に罪はないのに、なぜ勝手に文字を彫って壊してしまうのか。嘆かわしい限りだ。」

 

また万暦二十三年の進士、張京元が西湖を訪れた時にも、湖心亭の看板に落書きの文字がいっぱい刻まれているのを見て気分を害したそうだ。彼は「咸陽の大火を借りて、この業障を終わらせたい」とすら語った。湖心亭を焼き払ってしまった方が、落書きを目にするよりはマシだという過激な意見だ。文人墨客が憤激するのも無理は無い。自然景観は天地が作り出したもので、人文景観は歴史が積み重ねたもの。どちらも再現が不可能なのだ。落書きはそれらの奇跡の産物に対する意図的な破壊であり、犯罪に等しい。

 

※画像:百度百科「湖心亭」より引用。湖心亭は中国四大名亭の一つであり、浙江省杭州市の西湖の中央に位置する文化遺産だ。三層の亭閣で、八方に広がる飛檐(ひえん)、高い瓴(れい)瓦、そして翘(きょう)角に滴る翠色が特徴的。独特な風格を持ち、亭の角には龍や鳳凰の彫刻が施され、巧みかつ壮大な気勢を備えている。

 

中国だけではない。1632年、江戸時代。鎖国制度が始まる前、肥前国の武士の森本右近太夫一房が「仏教の聖地」と考えられていたカンボジアアンコールワット遺跡に落書きの詩を残してしまっている。内容は次の通りだ。

 

<原文>

※□は判別不可能な文字

 

□初此所来

肥州之住人藤原之朝臣森本右□□

一房御堂心数千里之海上渡一念

之儀念生々世々寿世之思清

者也為其 佛四躰立泰□□

寛永九年正月卅日

 

<現代語訳>

初めてこの場所に来た

肥州(現在の熊本県あたり)の住人、藤原氏朝臣である森本右近太夫

一房の御堂にて、心は数千里の海を越えて一念を渡る

生々世々にわたり、長寿と世の平穏を願う清い思いから

四体の仏像を奉納し祈願した

寛永九年正月三十日

 

真面目な内容であるが、やはりこれも遺跡の破壊行為に他ならない。仏教の聖地としての敬意があれば、このような良識に反する行為に及ぶはずが無いと思う。当時の日本人の審美の意識が異なっていたのか、あるいは当人の良識に問題があったのか、そのどちらであるかは分からない。いずれにせよ、これは非常に宜しくない歴史的な事例として扱わなければならないと私は思う。

 

⑥五百年間の幽閉

 

如来によって五行山に幽閉される事になった孫悟空。観世音菩薩が彼に復帰の機会をあげるのは、これから五百年後。ドラマがその五百年間の描写を行う際、次の歌曲を挿入している。これも非常に味わい深い。

 

《五百年桑田沧海》(作詞:阎肃/作曲:许镜清)

他多想是棵小草 染绿那荒郊野外 他多想是只飞雁 闯翻那滔滔云海 哪怕是烈火焚烧 哪怕是雷轰电闪 也落个逍遥自在 也落个欢欣爽快 蹉跎了岁月 伤透了情怀 为什么为什么 偏有这样的安排 五百年 桑田沧海 顽石也长满青苔 长满青苔 只一颗 心儿未死 向往着逍遥自在 向往着逍遥自在 哪怕是 野火焚烧 哪怕是 冰雪覆盖 依然是志向不改 依然是信念不衰 蹉跎了岁月 伤透了情怀

为什么为什么 偏有这样的安排 为什么为什么 偏有这样的安排

 

彼はどれほど願ったことだろう

小さな草となり、荒れ果てた郊外を緑に染めることを

彼はどれほど願ったことだろう

飛び立つ雁となり、滔々たる雲海を駆け巡ることを

たとえ烈火に焼かれようとも

たとえ雷鳴と電光が轟こうとも

それでも自由を得て、

喜びと爽快感を得ることを

時は流れ去り

心は深く傷ついた

なぜ、なぜだ

どうしてこのような運命があるのだろうか

五百年、桑田沧海(世の中の移り変わり)

頑固な石にも青苔が生える

青苔が生える

ただ一つ、心は死んではいない

自由と逍遥を夢見ている

自由と逍遥を夢見ている

たとえ野火に焼かれようとも

たとえ氷雪に覆われようとも

志は変わらず

信念は衰えない

時は流れ去り

心は深く傷ついた

なぜ、なぜだ

どうしてこのような運命があるのだろうか

なぜ、なぜだ

どうしてこのような運命があるのだろうか

 

※今回題材として用いたのは中国ドラマ『西游记(1986年製作)』の第四集。YouTubeの公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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