天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 088】龔旺

龔旺

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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龔旺(きょうおう/gōng wàng)

 

<三元論に基づく個性判定>

26番 **強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**強い存在欲求** - **「実践的な仲間思い」** - 仲間と共に活動し、実際の行動を通じて物事を解決することに重きを置く。

 

<概要>

龔旺(きょうおう/gōng wàng)。彼は丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)と共に、東昌府の飛石技術の使い手、張清(ちょうせい/zhāng qīng)の副将を務めていた人物。その特徴は「虎の斑模様と虎の頭の刺青を持つ」というもの。それゆえにあだ名は「花項虎」。張清(ちょうせい/zhāng qīng)と同じく飛び道具(飛び槍)に通じていた。梁山泊勢力と東昌府の衝突を経て、後に梁山泊勢力に合流。百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際には序列第78位に定まり、「歩兵将校」に任命された。その後も丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)と共に歩軍の一員として各地を巡り、最終戦となった方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦において戦死。戦後、朝廷は彼を「義節郎」の称号に追封した。

 

<騎軍から歩軍への奇妙な変更>

龔旺(きょうおう/gōng wàng)は丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)同様に、『水滸伝』においてほとんど明確な活躍場面がなく、人物造形にもこれといった描写が無いという存在感の薄い人物だ。だが、読者にとって不思議に思う彼に関する事象がある。それが大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際の彼の役職。彼は馬上で飛び槍を使う事に長けた人物であると描写があったのだが、配属されたのは騎兵ではなく歩兵だった。これは丁得孫も同様。官軍の騎馬隊に属して副将まで務めている彼らが、歩兵将校(歩兵隊長の下位職)に任命されるのはどうにもおかしな印象がある。宋江(そうこう/sòng jiāng)や呉用(ごよう/wú yòng)は特にこの人事に関して特別な理由づけなどを行っていない。私なりの考察として、これは丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)に関連するものであると感じる。それは次の通りだ。

 

<改修事項:感恩の関係性と生物兵器の存在、虎柄の刺青>

前回の記事で、多少強引ながら「変な設定のごった煮」である丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)に整合性を持たせる為、彼が天然痘を患った経緯と、そのウイルスの付着したかさぶた(生物兵器)を懐に忍ばせて、いざという時には使おうとしていた設定改修を考察した。そして、何の繋がりもなかった龔旺(きょうおう/gōng wàng)とは古い友人関係にあり、張清(ちょうせい/zhāng qīng)の舞台に丁得孫(ていとくそん/dīng dé sūn)が所属できたのも龔旺(きょうおう/gōng wàng)の推薦があったからだと考えた。

 

これを踏まえて、次は龔旺(きょうおう/gōng wàng)側の視点から改修を試みる。龔旺はなぜ「顔に虎柄の刺青」を彫るなどという、刺青文化が流行っていた宋王朝時代においても非常に奇抜な行為に出たのか。それは彼も少年時代に天然痘に感染し、痘痕が顔に残ったからであると私は推測する。ただ彼の場合は幸運にも軽傷のまま快復する事が出来たので、その痘痕は刺青を入れれば目立たない程のものであった。

 

この少年時代、龔旺は杭州の叔父の家で暮らしていたが、叔父もまた天然痘を発症して死に、彼の面倒を見る者がいなくなってしまった。その時、身寄りのない丁得孫が何も見返りを求めず、ただ親友の龔旺を助ける為に命懸けで彼の看病を実施。龔旺はそれによってすぐに快復したものの、今度は丁得孫が重体に陥ってしまう。生死を彷徨った丁得孫だが、龔旺が名医を何とか見つけて治療をお願いし、これによって丁得孫は奇跡的に生還をした。

 

この感恩の関係から、龔旺は丁得孫にいつか恩返しをしなければならないと考えていた。幸運にも武芸に通じていた彼は張清の部隊に入れたので、落ち着いた段階ですぐに丁得孫を推薦。梁山泊勢力に合流した際には騎兵の誰か(誰だろう、育ちの良い花栄[かえい/huā róng]か朱仝[しゅどう/zhū tóng]のどちらか?)が、悪意はないものの天然痘罹患者の痘痕を軽蔑するような言動を行ったので、龔旺は丁得孫の名誉を守る為に「丁得孫と一緒に、騎兵ではなく歩兵にしてくれ」と呉用(ごよう/wú yòng)に嘆願。こうして、この二人は人数が多く賊の多い(つまり天然痘などまったく気にしない連中の多い)歩兵将校として働く事になった。

 

また龔旺は丁得孫がお守りのように持っている"生物兵器"を捨てるべきだと説得を続けていた。もしそれを用いて敵軍に勝利したとしても、人として許されない道である事はもちろん、梁山泊勢力の威信と信用も失墜させると彼は言った。丁得孫はそうだと合意しながらも、自分の意志ひとつで大量の憎むべき敵たちを一掃できる兵器の魔力を捨てられなかった。招安後に朝廷の腐敗役人たちの指示によって悲壮な連戦が続くと、彼の魔力に対する依存はいよいよ大きくなっていった。「もしこの男が天然痘ウイルスを使おうというのなら、俺は責任を持って、友人を殺さなねばならない」と龔旺は決意したのだった。

 

大まかには、このような事象・関係・心理の改修が、この二人の存在感を改めて引き立たせる効果を発揮すると考える。

 

<原型>

龔旺(きょうおう/gōng wàng)は『宋史』『三朝北盟会編』などの史書には記載がなく、『宋江三十六人贊』『大宋宣和遺事』や元雑劇の水滸戲などの初期の水滸伝関連の文学作品にも登場しない。施耐庵(したいあん/shī nài ān)の小説『水滸伝』におけるオリジナルキャラクターである。原作では天然痘に関する描写は一切無いが、龔旺と丁得孫の二人の身体中に傷があった事、丁得孫のあだ名が「痘痕顔」を意図した可能性がある事など、天然痘と結びつける事が出来そうな幾つかの要素は存在する。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※上述の考察事項を反映する。

 

#### 千恩万谢(心術)

**説明**: 龔旺は、恩人に対して限りのない報恩の意志を持ち、その人物を助けるためにはあらゆる困難も厭わなくなる能力「千恩万谢」を持っている。この心術は、彼の強い感謝の気持ちと献身に基づき、困難な状況でも果敢に行動する力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この心術は、道具に依存せず、龔旺の精神的な力と感謝の気持ちに基づく。

  - **思考性(中程度)**: 効果的に報恩の意志を発揮するためには、高い自己認識と判断力が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 龔旺の心術は、恩人との信頼関係を強化し、困難な状況でも彼らを助ける力を高める。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **恩人への報恩**: 龔旺は、恩人に対して限りのない報恩の意志を持ち、あらゆる困難を乗り越えて助けるために行動する。
  2. **献身的な行動**: 龔旺の強い感謝の気持ちが、仲間たちに信頼を与え、彼らを鼓舞する。

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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