天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『黒神話:悟空』ラストシーン "逆再生"の追憶まとめ

※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

2024年に発表された中国初のAAAタイトル、アクションRPGゲーム『黒神話:悟空』では、一定の条件を満たすと分岐したトゥルーエンドのラストシーンを鑑賞できる。そのラストのアニメカットシーンは『西遊記』原作または1986年のドラマ版などを鑑賞していないと何が起きているかさっぱり分からないだろう。

 

前回の記事でも少し触れたが、このカットシーンは「天命人(孫悟空の後継者)が孫悟空のすべての魂を宿したことで、かつて孫悟空が歩んだ記憶を逆再生で追体験することとなり、それを終えて完全な後継者になる」という描写になっている。

 

それぞれのカットにそれぞれの物語があるので、これを知るとこのラストシーンは二倍、その美しさや楽しさを味わえるだろう。以下、解説のメモを行うものとする。

 

YouTubeに投稿されているトゥルーエンディングはこちら。【ネタバレ注意(剧透注意)】

www.youtube.com

 

①二郎真君との決着/与二郎真君的决战

 

最初のカットシーンは二郎真君と孫悟空の対決。これは玄奘たちの取経の旅の後、「再び天宮と孫悟空との関係が悪化して戦争状態になった」という続編の創作から生まれた展開。本作は全面的に物語がシリアスな方向にシフトしているので、「どうにかなれー!」でどうにかなってきた原作やドラマ版の孫悟空とは少し異なり、ここで孫悟空は完全に敗北してしまう事になる。(ゲーム冒頭のチュートリアル的な二郎真君と孫悟空の戦闘の決着が、ここで改めて描いている。)

 

中華世界では非常に有名な神仙、二郎真君。たとえば仁宗が治めていた北宋王朝でも、治水事業を行う際は必ず治水に縁がある二郎真君が祀られていた。『西遊記』における彼の役職は灌江口の守護神。別名は「显圣真君(チャンシェンウェンユン/Xiǎn Shèng Zhēn Jūn)」。孫悟空に匹敵する神通力を持つ人物として描かれていた。

 

二郎真君と孫悟空は個人的な恨みなどは特に無い。お互いが所属する組織や立場が異なることによって衝突をした。龍王の娘婿(九頭駙馬)が悪事を働いた時は、灌江口の守護神として治安を守る為、義兄弟の梅山六兄弟を率いて孫悟空たちに加勢したこともあった。

 

※画像:西遊記トランプよりダイヤ5番、天宮における孫悟空と二郎真君の決戦。孫悟空を追い詰めた哪吒と黒犬の姿も確認できる。こちらは原作の序盤に登場する逸話。

 

②場面転換:天竺に到着して如来から神仙に封じられる(ここから追憶の逆再生が開始)/场景转换:抵达天竺,被如来封为神仙(从这里开始追忆的逆向播放)

 

原作の「第一百回 径回东土 五圣成真(第100回 東土に戻り、五聖が成道する)」に登場する一場面。

 

数々の難を乗り越えて取経の旅の最終地点まで辿り着いた玄奘たち。彼らはその後に一度唐に戻り、再び如来に呼ばれて天竺へ訪問した。そこで如来は彼らの功績を讃えて、彼らを神仙に昇格した(封じた)。これにより、玄奘は旃檀功徳佛、孫悟空は斗戦勝佛、猪八戒は浄壇使者、沙悟浄は金身羅漢、白龍馬は八部天龍となった。

 

③通天河で最後の難、老亀から転覆/在通天河的最后一难,被老龟掀翻

 

「第九十九回 九九数完魔剗尽 三三行满道归根(第99回 九九の数が尽きて魔は滅び、三三の行が満ちて道は根源に帰る)」に収録されている「第八十一难 通天河老鼋打湿经书(第八十一の難 通天河の老鼋が経書を濡らす)」と呼ばれる逸話の一場面。

 

1度目に天竺まで到達した孫悟空たちは、(ひと悶着あったものの)正しい経典を手にして意気揚々と護衛付きのスピード帰還を行っていた。中国の名所、黄山を登る時は自分の足で向かい、帰りはロープウェーで帰りましたといった具合に、驚くべき速度で楽々と帰る一同。しかし、如来があることに気が付く。「あれ、彼らは八十難しか乗り越えていないな」と。

 

取経の旅は「八十一難(八十一の困難)」を乗り越える必要があるので、孫悟空たちはあとひとつ困難が足りない。そこで、如来の指示によって彼らは雲のエスカレーターから突然下界に落とされてしまい、通天河を渡れずに困り果てる。そこに運よく馴染みの大亀が現れて河を渡り始めたが、話の中で大亀が怒ってしまって孫悟空たちは激流に振り落とされてしまった。孫悟空たちは何とか経典を集めながら向こう岸に渡るも、一部は消失し、一部は濡れて破損してしまった。

 

 

孫悟空が雨をもたらして民を救う/孙悟空降雨救民

 

「第八十七回 凤仙郡冒天止雨 孙大圣劝善施霖(第87回 鳳仙郡で天に逆らい雨を止め、孫大聖が善を勧めて雨を降らせる)」の一場面。1986年のドラマ版ではこの逸話はカットされている。

 

鳳仙郡の郡守が、怒りに任せて天に供えるための供え物の台を倒してしまったことから、玉帝が不敬の罪によって当地に3年間雨を降らせないように命じた。これによって鳳仙郡では大干ばつが起こり、住民たちは生命の危機に晒されていた。

 

この苦境を知り、孫悟空が鳳仙郡の住民を救うために玉帝に嘆願。玉帝は「孫悟空が天の前でひざまずいて謝罪すること」「住民に善行を広めること」「一羽の鶏を殺して住民と共に食べること」を条件に雨を降らせても良いと合意。孫悟空は玉帝の要求にすべて従った後、東海の龍王である敖広を呼び寄せて、彼に雨を降らせることに成功した。

 

ここのアニメカットでの描写は限定的。地面にある大量の砂は雨が降っていないことを示すもので、鶏は玉帝の三つ目の条件を示唆するものだと思われる。

 

⑤比丘国で赤ちゃんたちを救う/在比丘国救婴儿们

 

「第七十八回 比丘怜子遣阴神 金殿识魔谈道德(第78回 比丘が子を哀れんで陰神を遣わし、金殿で魔を見破り道徳を説く)」の一場面。こちらは現代の倫理観に反する設定があるせいか、1986年のドラマ版で先ほどと同じくスルーされた話となる。

 

比丘国はもともと繁栄していた国であったが、国王がある美少女にぞっこんになり、その美少女を連れて来た道士を国丈(国王の義理の父)にしてしまう。

その道士というのが、もともと南極寿星(南極老人)の乗り物であった白鹿の精妖。美少女というのは狐の精妖で、彼女は白鹿精が策略のために白面の狐を育てた者。国王は国丈の邪説を信じるようになり、小児たちの心臓と肝臓を使って不老長寿の薬を作ろうと画策していた。なんとおぞましや。

 

※こちらが白鹿精。『西遊記』の天宮の神仙たちの「乗り物(動物たち)」はいつも下界に降りて弱い者たちを虐げる。なぜそうなるのか。それはおそらく、彼らが上司たち(神仙たち)から虐げられているからだろう。この「弱者が更に弱者を虐げる」という社会現象は、談話を構築していった談話者たち、またそれを小説としてまとめ上げた作家の呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)が、意図的に隠喩として表現したのだと私は考える。

 

玄奘たちは無実の子供たちが犠牲になることに心を痛め、孫悟空は子供たちを守るために神々に頼んで子供たちを隠す策を講じた。まず、孫悟空は国丈の正体を暴くため、小さな虫に変身。玄奘が国丈と関文を交換する際、油断をしていた国丈が妖怪であることを見抜いた。

 

国丈は玄奘の心臓と肝臓を薬にしようと国王をそそのかしたが、玄奘に変身した孫悟空がこれを阻止。金銮殿で、悟空は妖怪と知恵比べを繰り広げ、最後は見事に相手を成敗するに至った。

 

 

⑥青獅精、白象精、大鵬精との戦い/与青狮精、白象精、大鹏精的战斗

 

「第七十七回 群魔欺本姓 一体拜真如(第77回 群がる魔物が本性を欺き、一体が真如に帰依する)」の一場面。カットに印象深く登場しているのは精妖の大鵬精(金翅大鵬)。孫悟空大鵬精を乗りこなしているようにも見えるが、実際は彼らは激しい戦闘を行っている。羽根が飛び散っているのが、その戦闘を示唆する描写だ。

 

ちなみに「鵬(ほう)」は中華世界における伝説の大鳥で、日本ではよく相撲力士の四股名大鵬白鵬露鵬など)で見かける漢字。『西遊記』と同時代の明王朝時代に施耐庵(したいあん/shī nài ān)が著した『水滸伝』では、百八人の英傑のひとり、欧鵬(おうほう/ōu péng)のあだ名「摩雲金翅」がこの金翅大鵬に由来している。その他、『水滸伝』には西遊記由来のあだ名が多数登場している。

 

玄奘たちが獅駝嶺に到着した際、青獅精、白象精、大鵬精という三匹の精妖の王に遭遇したことから騒動に発展。青獅精は計略を使って猪八戒を捕え、白象精は沙悟浄を巻き込み、大鵬精は孫悟空を捕まえた。彼らによって玄奘が食べられそうになるが、孫悟空が何とか脱出をして玄奘たちを救出。しかし、三匹の精妖王は手ごわく、再び孫悟空たちは窮地に陥ってしまう。

 

どうしようもなく、孫悟空は遂に如来に助けを求めることに。(孫悟空本人は十万八千里を一気に筋斗雲で移動できるので、行こうと思えば気軽に西方の天竺に行くことができる。)如来は事情を知り、文殊菩薩普賢菩薩を伴って孫悟空に加勢。如来は青獅精と白象精を降伏させると共に、大鵬精には仏門に帰依させた。

 

※一瞬だけ挟まる孫悟空と赤い目のカットは、大鵬精との最終戦を表現したもの。背景で赤い目を浮かべている如来で、激しい怒りを示している様子を確認できる。

 

※先の場面の後ろにいる如来の目元はこのような具合。アニメカットで表現されているのは右目。そして、右目の上にある「黒い斑紋」にも意味がある。如来の頭上の黒斑は「肉髻(ロウジー/ròu jì)」と呼ばれるもの。「髻(ジー/jì)」というのは髪の毛を固く結ったもの。例えば、北宋王朝時代の子どもたちがほとんど全員行っていたのが、二つの角のように髪の毛を結って髻(ジー/jì)を作った「丫鬟髻(やかんき)」という髪型であった。

 

肉髻は頭部の骨や肉が隆起して形成されたものであり、仏の持つ「三十二相」の一つとされ、仏陀智慧と深い修行の境地を象徴している。『西遊記』では如来の肉髻が「黒葡萄」のように描かれている。

 

⑦穢れた山道と大蛇の戦い/污秽的山道与大蛇的战斗

 

「第六十七回 拯救驼罗禅性稳 脱离秽污道心清(第67回 駱駝城を救って禅性を安定させ、穢れを離れて道心を清める)」の一場面。これは七絶山を進んでいた玄奘たちが、精妖の巨大な蟒蛇(うわばみ:紅鱗大蟒)に襲われる逸話となる。

 

七絶山は柿の木に覆われている場所であったが、柿が熟しても誰も収穫せずに、腐った柿が道に積もるようになった。こうして長い間にわたって汚れた道ができた結果、「稀屎衕(きしとう)」と呼ばれる不浄の悪気が満ちるようになり、この蟒蛇の精妖が生まれてしまった。

 

孫悟空たちは村人たちの依頼を受けて、この蟒蛇を退治。その後、悪気に満ちて通れない山の道を切り拓くため、猪八戒が体長百丈、高さ千尺もの巨大な豚に変身。彼が道を押し広げながら進んだことで、滞留していた悪気の流れを解放され、昔のように山道を通れるようになった。

 

※この話に登場する蟒蛇(うわばみ)は「大蛇(おろち)」と同義。

 

⑧金光寺の宝玉窃盗犯を成敗する/惩治金光寺的宝玉窃贼

※空中や地面の目は何だろうか?これはまた別の話、「第七十三回:情因旧恨生灾毒,心主遭魔幸破光(第七十三回:情因旧恨生灾毒,心主遭魔幸破光(第73回:古い恨みが災いを生み、心の主が魔に遭うも光に救われる)」で、蜘蛛女たちと結託をする百眼魔君(多目怪)を示唆しているのかもしれない。

 

九つの頭を持つ精妖と孫悟空たちが戦う。これは「第六十三回 二僧荡怪闹龙宫 群圣除邪获宝贝(第63回 二人の僧が怪物を払って龍宮を騒がせ、群れの聖者が邪を除いて宝を得る)」の一場面。先ほどの二郎真君が孫悟空たちに加勢する話。このアニメカットには二郎真君は登場していない。

 

この精妖は万聖龍王の娘婿である九頭蛇王(九頭虫)。彼が金光寺の宝玉を盗み出したことから寺の輝きと恩恵が消失してしまい、寺に支えられていた祭賽国が大混乱に陥ってしまった。祭賽国の国王は仏僧が犯人であると決めつけて彼らを迫害していたが、孫悟空たちは真相を暴いて九頭蛇王(九頭虫)の成敗へと向かった。

 

最終的には先述の通り、二郎真君たちの加勢によって九頭蛇王を成敗。孫悟空たちは二郎真君たちに感謝しつつ、旅を続けることになった。

 

⑧偽孫悟空に大苦戦/与假孙悟空的苦战

※背景にある文字が並んでいる道具は、如来が持っている金钵盂(金色の鉢)という宝貝である。

 

これは「第五十八回 二心搅乱大乾坤 一体难修真寂灭(第58回 二つの心が大乾坤を乱し、一つの体では真の寂滅を修めるのが難しい)」の一場面。孫悟空が悲しそうに倒れた誰かを抱えているシリアスな状況に見えるが、実際はあっさりとした活劇の展開である。彼が抱えているのは「偽孫悟空(六耳猕猴)」であり、別に悲しくも何ともない。

 

事の発端は、六耳猕猴(ろくじこう)が孫悟空に化け、偽孫悟空として活動をしていたこと。本物の孫悟空が故郷の花果山にいったん戻ると、そこには自分に化けた六耳猕猴が玉座で胡坐をかいていた。孫悟空は「この偽物め!」といって退治をしようとするが、両者の実力は拮抗。玄奘たちはどちらが本物か分からない激戦に困惑し、玉帝、閻魔王などに助けを求めるものの彼らも見分けを付けられない。ここまで数々の旅の支援を行ってきた観音菩薩でさえ手を焼いてしまい、最終的に如来に問題解決を依頼した。

 

如来は自分の宝貝である「金钵盂(きんはつう)」を二人の間に投じて、変身をしている偽者の孫悟空、六耳猕猴を封じ込めることに成功。これにより、ようやく偽孫悟空の大問題に終止符が打たれることになった。

 

孫悟空たちの武器が根こそぎ奪われる/孙悟空他们的武器被全部夺走

 

「第五十一回 心猿空用千般计 水火无功难炼魔(第51回 心猿があらゆる計略を尽くすも、水火では魔を煉ることができない)」の一場面。上の画像にいるのは孫悟空、哪吒、火徳星君、猪八戒。下の画像は青い牛の精妖である青牛精である。先に言うと、この精妖は天宮の太上老君の乗り物だ。だが、今回は青牛精が自ら悪事に及んだわけではなく、衝突を引き起こす原因を作ったのは猪八戒にあった。

 

孫悟空が托鉢(民から食べ物を分けて貰う仏僧の行動)に出かけている間、猪八戒は悟空の警告を無視して青牛精の洞窟に興味本位で入り込んでしまう。そこで猪八戒は妖怪の錦の衣を盗んで得をしたと喜んだが、これが発端となって玄奘猪八戒沙悟浄、白龍馬が青牛精に捕らわれてしまった。

 

托鉢から戻った孫悟空が事情を知って青牛精のもとへ向かうも、青牛精の宝貝である「宝圈」の神通力が非常に強力なため大苦戦。孫悟空は宝圈によって自分の武器である金箍棒が奪われてしまう。孫悟空は天宮に一度向かって托塔天王と、彼の息子の哪吒に助力を願い、続けて火徳星君、水徳星君もこれに加勢するが、自分たちの武器が全て青牛精に奪われてしまって敗北してしまった。

 

絶体絶命に陥った孫悟空たちであるが、遂に、青牛精の正体が太上老君の乗り物のであると解明。孫悟空はすぐさま太上老君に助力を願い、彼に青牛精を成敗してもらった。

 

※青牛精がいたのは金兜山。ちなみに、青牛精の別名は「独角兕大王(どっかくじだいおう)」。兕(シー/sì)は水牛に似た幻の一角獣を意味する。このトランプの絵柄では青牛精の元の姿として普通の水牛のような描写がなされている。

 

⑩三名の堕落道士との神通力対決/与三名堕落道士进行神通力对决

 

「第四十五回 三清观大圣留名 车迟国猴王显法(第45回 三清観で大聖が名を残し、車遅国で猿王が法術を示す)」の一場面。かなり不穏な描写であるが、その処刑は自業自得である。

 

車遅国に入った玄奘たちは、同地で仏僧たちが労役で酷使されている異様な情景に出くわした。彼らに事情を聞いてみると、車遅国の国王に三名の道士が取り入って、彼らが好き放題に政治に関与することなり、仏僧たちが虐げられるようになっているのだという。その三名の道士というのは虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙であった。(アニメカットシーンのように、虎力大仙が虎の精妖のように描かれていることもあるが、原作では人間の道士である。)

 

孫悟空たちがこの惨状を打破するために、その三名の道士に国王の面前で神通力対決をしようと申し出た。三名は自信満々にこの挑戦を受けたが、孫悟空の圧倒的な力によってこてんぱんに負けてしまう。上の画像はその神通力勝負の第一番で、風と雨を呼び寄せる術を孫悟空が披露している場面だ。

 

虎力大仙は苦肉の策で、孫悟空に打ち首の勝負を挑んだ。斬首されていても生きていられれば敗北を認めると虎力大仙は言って、彼はもちろん孫悟空がそのまま命を落とすだろうと打算していたのだが、もちろん猿兄貴は何の問題もなし。こうして、次は虎力大仙の順番になったが、彼の神通力ではこの窮地から脱する事は出来なかった。こうして、彼は墓穴を掘る形で処刑され、国を乱していた道士三名は成敗と相成った。

 

※道士たちがいつものように神仙の力を借りようとしたが、孫悟空が天宮に先回りをして「あいつらには力を貸さないでくれよな」と言ったために、彼らは風や雨を起こすことができなかった。

 

猪八戒が猿兄貴の命を救う/猪八戒救了猴哥的命

 

「第四十一回 心猿遭火败 木母被魔擒(第41回 心猿(孫悟空)は火に敗れ、木母(妖怪の名前)は魔物に捕らえられる)」の一場面。ここは『西遊記』の中でも特に印象に残る名場面のうちのひとつ。孫悟空と義兄弟の間柄にある牛魔王の息子、紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)との戦いの中で起きた出来事だ。

 

玄奘の肉体を狙っていた紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)は、村娘に変身して孫悟空たちに近づいた。孫悟空は彼の正体をすぐに見抜いたが、玄奘が哀れな村娘だと信じきっているので手出しをせず様子を見ていた。しかし、結局は紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)が玄奘をさらってしまい、孫悟空はその成敗に乗り出すことになった。

 

紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)は火焰山で三百年の修行をして、三昧真火という炎の術を用いる事が出来た。孫悟空はこれに翻弄されて難局に陥り、龍王の水の力を借りるも撤退。再び戦った際も炎の術にすっかりはまり、河に墜落して水の気が一気に体内を駆け巡ったことによって仮死状態になってしまう。玄奘たちは慌てて天宮へ助けを求めようとしたが、いつもはせっかちであわてんぼうの猪八戒が真剣な顔をして冷静に猿兄貴(孫悟空)の状態を調べ、「慌てるな」と言いながら孫悟空に按摩禅法を施した。

 

この猪八戒の救命措置によって、孫悟空の閉ざされていた孔穴(体内のエネルギーの通り道)が再び開き、彼は見事に生還。孫悟空はこの時、猪八戒にお礼の言葉を述べていない。恩義に厚い孫悟空は「これだけの恩は言葉ではなく行動で返さなければならない」と考えた可能性が高い。

 

⑫無能上司極まれり/上司的无能到了极点

 

「第二十七回 尸魔三戏唐三藏 圣僧恨逐美猴王(第27回 屍魔が三度唐三蔵をからかい、聖僧が美猴王を恨んで追放する)」の一場面。玄奘観音菩薩からもらい受けた、孫悟空を制御するための緊箍咒(きんそうじゅ/jǐn gū zhòu:金の輪っか)の効果を発動し、孫悟空を徹底的に罰している。玄奘はもっともらしい顔をしているが、やっていることは完全に"クソ上司"だ。(玄奘は恐ろしく純粋な部分があり、身内の諌言より他人の嘘を信じ切って愚策へと暴走することがしばしばある。)

 

ここの登場するのは、玄奘の肉体をつけ狙っている白骨精。いわゆる"ゾンビ"の精妖であり、彼女は村娘、その母親と父親、この三回に渡って変身をして玄奘にすり寄った。このいつものパターンでも玄奘は彼らを哀れに思って助けようとするのだが、正体を見破っている孫悟空はすべてを成敗した。これを観た玄奘孫悟空が何の罪も無い村人を殺しているのだと勘違いし(無能の極み)、怒りのあまりに緊箍咒(きんそうじゅ/jǐn gū zhòu)を発動。孫悟空はのたうち回って苦しんだ末に、玄奘から絶縁を突き付けられてしまった。

 

最終的に玄奘孫悟空は和解をするのだが、読者としては「俺たちの猿兄貴に何をするんだ、この呆子!」と怒り心頭となる展開だ。才能と忠義心ある部下や身内の言葉を信じず、赤の他人が言う事を無条件に信じる。これぞ、まさに"クソ上司"の体現。玄奘は前世の身で何度も取経の旅を失敗しているが、このあたりの迂闊さにその原因があるものと思われる。(話を醸成した民間の談話師たちや作家の呉承恩は、こちらも悪い上司の典型として隠喩的に玄奘の言動を描いたのかもしれない。この隠喩は現代にも十分に通じる。時代が変わっても、クソはいつまでもクソである。)

 

※こちらがアニメカットシーンの白骨精。してやったりの得意顔で、孫悟空を嘲笑っている。「馬鹿な師父を持つとつらいよねぇ」という白骨精の煽り文句が聞こえてくるような一場面。

 

西遊記トランプの絵柄は、村娘に変身する白骨精の姿。

 

⑬人参果の樹を引っこ抜け/拔掉人参果树

 

「第二十五回 镇元仙赶捉取经僧 孙行者大闹五庄观(第25回 鎮元仙が取経の僧を捕らえ、孫行者が五荘観で大暴れする)」の一場面。こちらも非常に印象的な逸話で、特に「人参果」という赤ちゃんの形をした聖なる果物が興味深い。(実際の赤ちゃんではなく、そういう形をしているだけである。)

 

万寿山にある五荘観という道院を取り仕切る鎮元大仙(ちんげんたいせん/zhèn yuán dà xiān)は、当地でしか取れない霊力を宿した貴重な人参果を、そろそろこのあたりを通過するという玄奘に分け与えようとしていた。しかし、鎮元大仙は天宮で講義をする予定が入っていたので、部下の童子たちに「しっかり玄奘たちを持てなして、玄奘に人参果を与えるように頼むぞ」と言いつけて外出した。

 

そうして五荘観に到着して歓待を受けた玄奘たちであったが、孫悟空童子が弟子の自分たちに人参果をくれないことに激怒。そこで人参果の樹を引っこ抜くという荒業に出て憂さ晴らしをしてしまう。ちょうどそこに鎮元大仙(ちんげんたいせん/zhèn yuán dà xiān)が戻り、大問題に発展。鎮元大仙は事の大きさに応じて玄奘たちを処刑しようとするが、孫悟空が神仙の力を借りて樹を復元。鎮元大仙は孫悟空の力技にことごとく感服し、孫悟空を認めて義兄弟の仲になった。

 

※鎮元大仙の童子が人参果を玄奘に献上する場面。

 

⑭流沙河で猪八戒沙悟浄が激突:在通流沙猪八戒与沙悟净激战

 

「第二十二回 八戒大战流沙河 木叉奉法收悟净(第22回 八戒、流沙河で大戦し、木叉が法に従い悟浄を降伏させる)」の一場面。まだ沙悟浄孫悟空たちの仲間になっていない頃の話。ファーストコンタクトだ。

 

沙悟浄、彼はもともと天宮で皇帝が乗る車や輿を管理する巻帘大将であった。ちなみに、かつて同じ天宮の要職に就いていた武人の猪八戒とは面識が無かった。生真面目な彼は真剣に職務を果たしていたが、蝶桃会の行事中に誤ってガラスの盞を割ってしまったことで処罰され、下界の流沙河という大河に落とされてしまった。こうして彼は精妖として流沙河の主となり、この河を渡ろうとする人々を害する存在となった。

 

玄奘孫悟空猪八戒の取経の旅は始まったばかり。この河を渡るには沙悟浄と一戦を交えなければならない。猪八戒が先陣を切るも決着はつかず、劣勢に追い込まれる。しかし、実は沙悟浄はもともと観音菩薩から「取経のために天竺へ向かっている唐の仏僧たちを支援しなさい」と言われており、相手がその人物であることを知って即座に平伏。こうして、沙悟浄孫悟空たちの仲間として旅に同行することになった。

 

ちなみに、彼が使う武器の方天戟(月型の両刃が先端に付いている長槍)は、『水滸伝』の郭盛(かくせい/guō shèng)と呂方(りょほう/lǚ fāng)の得意武器である。先述の通り、『水滸伝』には『西遊記』のエッセンスがたくさん登場する。作者の施耐庵(したいあん/shī nài ān)は、西遊記のファンであったのかもしれない。(小説の『西遊記』は『水滸伝』より後に発表されたものと考えられているが、『西遊記』の原型になった民間の談話はそれよりも前から存在していた。)

 

沙悟浄は日本人にとって「河童」の妖怪であるイメージが強いが、そちらは江戸時代の作家たちによる創作。原作では人型の精妖である。

 

玄奘孫悟空の出会い/玄奘与孙悟空的相遇

 

追憶の景色もあとわずか。「第十四回 心猿归正 六贼无踪(第14回 心猿が正道に帰り、六人の盗賊は跡形もなく消える)」の一場面。天宮で大暴れした孫悟空如来により罰せられ、五行山に封じ込められてしまう。そうして月日が流れること五百年。観音菩薩の導きによって玄奘がこの場を訪れ、五行山の封印の幕をはがすこととなった。

 

このアニメカットシーンでは、五行山が如来の手のひらの形をしている。原作では特にそうした描写はなかったと思う。山の形状はさておき、孫悟空がこの山に封じ込められる際には、如来がその手のひらで孫悟空を押しつぶすように山へ押し込んでいる。

 

五行山の封印の幕に書かれている文字は「六字真言」と呼ばれる仏教の概念。それぞれの言葉の内容は次の通りだ。

 

唵(アン/ǎn):傲慢を消し去る

嘛(マ/ma):嫉妬を消し去る

呢(ナ/ne):貪欲を消し去る

叭(バー/bā):愚かさを消し去る

咪(ミー/mī):吝嗇(けち)を消し去る

吽(ホン/hōng):瞋恨(怒り)を消し去る

 

※左側に山の裂け目から顔を出している孫悟空の姿が確認できる。ここから、玄奘孫悟空の取経の旅が始まった。

 

⑮もっとも調子に乗っていた頃の猿兄貴/最得意忘形的时候的猴哥

 

「第七回 八卦炉中逃大聖 五行山下定心猿(第7回 八卦炉から逃げ出した大聖、五行山で心猿を落ち着かせる)」の一場面。正気を受け続けた石から精妖として生まれた猿が花果山で王となり、修行により神通力を得て、天宮でも名を馳せる存在となった。もっとも調子をこいている頃の孫悟空。怖い者なしの彼が天宮で大騒ぎを起こすことになり、如来が彼の成敗に乗り出した。

 

如来孫悟空に賭けを持ちかけた。「私の手から逃れることができたら、お前を玉帝にしてやろう」。孫悟空は二つ返事で快諾し、十万八千里を一瞬で駆け抜けることのできる筋斗雲の術を使って移動をした。ちょうどそこに山があったので、孫悟空は自分が如来の手を離れたことを証明しようと思い、意気揚々と一筆を啓上した。

 

「齐天大圣 到此一遊(斉天大聖=孫悟空、ここに参上!)」

 

※2枚目のほどばしる液体は孫悟空の小便。若気の至りで、かなり調子に乗っている。おそらく創作物語から真剣な文献まで全てを見回しても、人類史において如来におしっこを掛けた人物は猿兄貴だけだ。

 

さて、実際にはこの「山」は如来の手のひらであった。孫悟空の神通力をもってしても如来の手からは逃れられなかったのだ。こうして賭けに負けた孫悟空は、如来によって五行山に閉じ込められる罰を受けることになった。

 

⑯蝶桃会騒動の後始末/桃会骚动的善后处理

 

「第五回 乱蟠桃大圣偷丹 反天宫诸神捉怪(第5回 蟠桃を荒らし、大聖が丹薬を盗む、天宮を反逆し諸神が妖怪を捕らえる)」の一場面。先ほどの「天宮での大騒ぎ」というのは、高位の神仙たちが集まる蟠桃会に呼ばれなかった孫悟空が、腹立ちまぎれに会の料理を食い漁り、滅茶苦茶に暴れまわったという騒動であった。

 

この騒動を受け、天宮の軍隊が総動員された。しかし、彼らは孫悟空を捕らえようとするも全く太刀打ちできずに惨敗。そこに新たに派遣されたのが、指折りの神通力を持つ二郎真君と哪吒。両者の激突により、最終的には孫悟空が生け捕りにされ、太上老君八卦炉で焼かれるという刑罰を受けることになった。(しかし、この刑罰は孫悟空にとって何の意味も持たず、むしろその焼灼によって邪気を見破る「火眼金睛」という眼力を獲得した。)

 

孫悟空の誤算は、黒犬(哮天犬)の噛みつきと太上老君による「金剛琢(きんごうたく:鋼鉄を精錬し、還丹によって精錬された、霊性を帯びた武器)」の投擲攻撃。そこに二郎真君と哪吒の攻撃も合わさって、孫悟空は制圧されることになった。ここで大きな存在感を示した哮天犬であるが、原作での登場はこの場面のみだ。

 

⑰猿兄貴、冥界に殴り込み/猴哥闯入冥界

 

「第三回 四海千山皆拱伏 九幽十类尽除名(第3回 四海千山すべてがひれ伏し、九幽[冥界]のすべての種類が名簿から除かれる)」の一場面。彼は天宮だけではなく、かつて冥界でも大暴れをしている。(冥界は天宮に属する司法組織で、霊魂の裁きを行う場所。天宮に属しているとは言いながら、独立した権力を持っている。)

 

これは孫悟空が花果山で王として君臨した頃の話。龍王の龍宮に殴り込んで重さ1万3千5百斤の如意金箍棒を手に入れた後、今度は幽冥界(冥界)に殴り込んで猿一族の名前を生死簿からすべて抹消した。すなわち、これは孫悟空とその仲間の猿たちの寿命が消えた(不老不死になった)ということを意味している。

 

龍王と閻王の報告を受けた玉帝は、そのあまりの事態を受けて太白金星に対処方法を相談。太白金星は「これだけの神通力を持つ猿王と対決するよりも、むしろ招安(罪人の罪を許して正規軍に組み込む措置)をするべきです」と語り、玉帝はその通りにした。その選択が、先ほどの蟠桃会の騒ぎへとつながっていく。

 

⑱大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)

 

ここは先ほどの続き。「第四回 官封弼马心何足,名注齐天意未宁(第4回 弼馬温に任命されても心は満足せず、斉天大聖の名が記されても気はまだ安らがない)」の一場面。招安を受けた孫悟空であったが、天宮で与えられた役職は「弼馬温」という非常に低く、何の意味も無い肩書であった。

 

これに激怒した孫悟空は「俺を舐めるんじゃない」と言って天宮からさっさと去り、自ら「斉天大聖(天に等しい大聖)」と名乗って勢力を拡大。その孫悟空のもとに続々と各地の精妖の王たちも集い、大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì:英傑たちが一同に介する会)が執り行われることになった。

 

画面の奥に影になって見えている面々は、孫悟空と精妖の王たち。平天大聖(牛魔王)、覆海大聖(蛟魔王)、混天大聖(鵬魔王)、移山大聖(狮驼王)、通風大聖(猕猴王)、驅神大聖(禺狨王)、そして斉天大聖(美猴王、孫悟空)。彼らは盃を交わして、義兄弟の仲となった。

 

⑲追憶の終わり/追忆的终结

 

画面の色彩が変わる。この瞬間、孫悟空の魂が天命人にもたらした追憶が終わりを告げた。孫悟空の後継者である天命人は、かつて大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)が交わされた花果山でひとり酒を飲み、亡き英傑たちを偲んだ。天宮によって賊とみなされた精妖の王たちはすべて滅ぼされた。(これは正史ではなく、ここから先は『黒神話:悟空』の創作設定である。)

 

 

彼は花果山を後にした。その手には如意金箍棒が握られていた。孫悟空と英傑たちの意志を受け継いだ彼は、これからどこへ向かうのか。仇討ちのために天宮へ向かうのか、それとも自由と共に大地を駆けるのか。その結末は、まだ誰にも知られていない。

 

以上、これが『黒神話:悟空』のラストシーンの解説である。私の見解では、最後に登場するこの天命人はオリジナルの孫悟空であると考える。彼は魂は残っていたが肉体が滅んだ状態であったため、自分の魂の器となれる人材を探しており、天命人がそれに運命的に合致した。だが、おそらくこの運命は確かな意志のもとで導かれたものだ。これは腐敗した天宮を建て直す為に、太白金星、太上老君観音菩薩らが孫悟空の復活を画策したのである。

 

復活した孫悟空が向かう先は、天宮だ。彼は腐敗を正すべく、そして義兄弟たちの無念を晴らすべく、再び単身、天宮に乗り込むのである。

 

※ラストシーンに登場する孫悟空の最後の表情のカットは、どこか不敵で不遜な笑みを浮かべている。無個性であった天命人の表情とはまったく異なるので、これはオリジナルの孫悟空の復活を示唆しているような気がするのだ。

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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