※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用
※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。
孫悟空一行は盤絲岭に到着。今回のロケ地は四川省の奥地にある美しき峡谷、中国名所の九塞溝だと思われる。ちなみに、トップ画像の右下にいるのはおそらく撮影班のひとり。見切れが生じている。この直前の場面でも電柱が一瞬映る場面がある。予算が限られているので撮り直しや編集もある程度は妥協しながらの旅路なのだ。
①瞧(ティアオ/qiáo)
「八戒 瞧 多像花果山呀(八戒、見てみ!まるで花果山みたいじゃないか?)「是啊(本当だなぁ)。」何気ない会話だが、孫悟空の故郷(花果山)に対する郷愁の念や二人の仲の良さをしみじみと感じることの出来る一場面だ。
この「瞧(ティアオ/qiáo:見る)」は主に口語で用いられるカジュアルな性質の中国語だ。物語内の台詞であれば文章の中でも使われるかもしれないが、正式な文章では用いらない。一般的な「見る」を意図する表現としては、口語でも文語でも「看(カン/kàn)」が用いられる。
<「瞧」の事例>
- **見る**(通常は軽く、日常的な意味で使われる)
- 「瞧一瞧」= ちょっと見てみて / 見てごらん
- 例: 「瞧,这是什么?」(見て、これは何だと思う?)
- **注意を引く**(他人に何かを見てもらいたい時)
- 「你瞧!」= 見て! / 見てみなよ!
- 例: 「你瞧,这个真不错。」(見て、これ本当に良いよ。)
- **観察する / 確認する**
- 「瞧病」= 診察する / 病気を見てもらう
- 例: 「医生过来瞧瞧。」(医者が来て見てくれた。)
- **皮肉や冗談で使われる場合もある**
- 「瞧你」= あなたを見てみろよ(皮肉を込めて)
- 例: 「瞧你,怎么又迟到了?」(また遅刻かよ、全く。)
②长辈(チャンベイ/zhǎng bèi)
玄奘が丘から茅屋(小屋)を見つけて、食べ物を分けて貰いに行くよと申し出た場面。孫悟空たちがわっと驚いて、「いやいや、お師匠さん、そんな弟子がやるべきことをしないでくださいよ」と大騒ぎ。特に猪八戒は「あなたは长辈(zhǎng bèi / チャンベイ)、我々は弟子なんですよ」と一生懸命に玄奘を説得して、自分が行くと申し出た。
「长辈(zhǎng bèi / チャンベイ)」は、「年上の人」や「目上の人」を指す言葉。特に家族や親族において、自分よりも年齢が上で尊敬すべき立場にある人たちを指すのに使われる。祖父母、父母、叔父、叔母などが典型的な「长辈」だ。また、職場や社会の中で自分より経験が豊富な先輩や上司に対しても使うことがある。また、长辈(zhǎng bèi / チャンベイ)は日本漢字に置き換えると「長輩」。同じ熟語は日本には無いが、派生表現として「年輩」「先輩」などを日常的に用いている。
自ら走る指導者か、他者を走らせる指導者か。これはどちらが正解であるとも言い難く、どちらが間違いであるとも言い難い。ケースバイケースだ。今回の玄奘のように自らプレイヤーとして活躍する"カーク船長(『スタートレック』)"のような指導者によって上手く機能する集団もあれば、『三国演義』の劉備のように神輿の上から降りずに有能な部下たちに支えてもらうことで最大の結束力を発揮する集団もある。
ただし、ここで問題は「気まぐれにその指導スタイルのスイッチを変えてはならない」ということだ。玄奘は美しい景色や素晴らしい天気によって気分が高揚し、急に思い立って「カーク船長」になってしまったが、このような指導スタイルの急転回は思わぬ事故を招くことが多い。そして実際、そうなってしまった。
③洗澡(シーザオ/xǐ zǎo)
いざ玄奘が小屋に向かってみると、そこにいたのは七人の美女たち。こんな山奥でどうして若い女性たちがいるのか不思議に思いつつも、玄奘は「食べ物を分けていただけませんか」と打診。しばらく彼女たちから歓待を受けた玄奘であったが、彼女たちの正体は蜘蛛の精妖。彼女たちは相手が玄奘と知るや否や、不老不死になれるという噂の玄奘の肉体を求め、蜘蛛の糸で彼を束縛してしまった。
彼女たちは童子の蜘蛛たちも呼び、全員で玄奘を食べようとウッキウキの大喝采。だが、その神通力の効果を最大限に浴びるために、"食事"の前に身体を清めようと行水へと向かった。中国語で「水浴び」を意味するのは「洗澡(シーザオ/xǐ zǎo)」だ。
※この後、心配になって様子を見に駆けつけた孫悟空が蜘蛛女たちが水浴びをしている光景を確認し、彼女たちの足止めをするために鷹に変身して衣服をすべて盗み取った。
※「女妖怪の洗澡(シーザオ/xǐ zǎo)」と聞いて、猪八戒が急に並々ならぬ興味を発揮。女好きの猪八戒ならでは。種族は関係ないようだ。
当時は湯船に浸かるという習慣が無いので「洗澡(シーザオ/xǐ zǎo)」は水浴びをそのまま意味するが、現代では「シャワーを浴びる」「お風呂に入る(湯船に入る)」という意味も持ち合わせる。日本語のように区分しなくても特に気にならない。もし「シャワーを浴びる」ことを強調したい場合は「冲澡(チョンザオ/chōng zǎo)」、「お風呂に入る」ことを強調したい場合は「泡澡(パオザオ/pào zǎo)」を用いる。
④今度は猿兄貴がカーク船長に
沙悟浄から「どうして奴らを退治しなかったんですか?」と聞かれた孫悟空が、次のように返事をしている。
孫悟空:你不知道啊 我若打死她们 岂不坏了 我的名头(分からないか?もし彼女たちを殺してしまったら、俺の名声(名頭)を傷つけることになるじゃないか?)
猿兄貴も"カーク船長"のように「男性たるもの、女性を守るべし」という騎士道精神を発揮しているが、ここまで手段を選ばず、ただただ玄奘を守り抜くことだけに集中してきた彼としては何やら生ぬるい。今回は玄奘と孫悟空が自分のスタイルを気まぐれに急転回させた結果、集団全体に問題が生じてしまったという展開のように感じられる。
この後、猪八戒は美人の女妖怪たちを退治するついでに何とか彼女たちの水浴びを見るべく、「後になって師匠に累(苦難)が及ばないように、自分が退治してくる」と強く主張し、現地の河へと走って行った。そして、彼は見事に彼女たちの返り討ちに遭って蜘蛛の糸で束縛されてしまうのだった。
※アクションPRGゲーム「黒神話:孫悟空」のアニメカットシーンに登場した蜘蛛女の水浴び場面。このアニメカットシーンではどこかシリアスなラブロマンスを彷彿とさせる描かれ方がなされている。
⑤失迎了(シーユィンラ/shī yíng le)
孫悟空の活躍によって何とか蜘蛛女たちから難を逃れた玄奘一行。彼らは近隣の道院(道教の僧院)である黄花観に立ち寄り、長老から歓待を受けることになった。この場面では長老が口にしている「失迎了(シーユィンラ/shī yíng le)」という儀礼言葉は、「お迎えが遅れてしまいました」「お迎えできず失礼しました」という意味を持つ。
この儀礼言葉の「失迎了(シーユィンラ/shī yíng le)」は、相手が自分のところに来たのに、十分に迎える準備ができていなかったり、単に相手の面子を立てたかったりと、そのような謙遜を示す表現である。
玄奘たちは「長老なのに何と腰の低い善良な人だろう」という印象を受けたかもしれないが、孫悟空は一発で彼の殺気を見抜く。彼の正体はムカデの精妖である「蜈蚣精」。別名は「多目怪(百眼魔君)」。胴体に千の目があるというおぞましい妖怪で、その魔眼から強烈な神通力を含む金光を放つ強敵であった。彼は蜘蛛女たちとも知己があり、蜘蛛女たちの唆しによって玄奘に毒を飲ませることに成功。孫悟空は彼の金光に翻弄されて撤退。玄奘たちはすっかり苦境に陥ってしまった。
※適度な手作り感による滑稽味が笑える多目怪の胴体。ビリビリユーザーのコメントで「笑死了(シャオスラ/xiào sǐ le:笑い死にそう)~」が飛び交っている。今回何度か話題に出した『スタートレック(1964~67年製作)』でも、「壮大な物語+技術が未発達の時代+限られた予算」という視聴覚芸術の奇跡の調和が絶妙な人の温かさを放っている。現代では特殊映像技術によってさらに洗練された映像が生まれるのだが、この時代にしか出せなかった独特の味わいにはなかなか勝てないものだ。
⑥毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ/pí lán pó pú sà)
この苦境で救いの手を差し伸べたのが、千里離れた紫雲山の千花洞に住んでいるという神仙、二十八星宿の一つである昴日星官の母親である毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ/pí lán pó pú sà)だ。彼女は作家の呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)によるオリジナルキャラクターであり、仏教や道教などの原典には存在していない。または、彼女は法華経に登場する十羅刹女の一人ではないかと考える者もいる。
毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ/pí lán pó pú sà)は解毒薬と多目怪の金光を打ち消せる刺繍針を孫悟空に提供。後者の刺繍針は彼女の息子、昴日星官の「日眼」で鍛えられた宝貝であった。これによって見事に孫悟空たちは多目怪と蜘蛛女たちを成敗することに成功した。
毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ/pí lán pó pú sà)は蜘蛛に戻った精妖たちを引き取ると告げる。猪八戒が「こんなやつらを引き取ってどうするんだい」と聞くと、毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ/pí lán pó pú sà)は「彼女たちには私の家の庭を掃除して貰いたいんだ」と笑顔で答えたのであった。「ロボット掃除機やんハハハ」という突っ込みが飛び交うビリビリコメント欄が愉快。
だが実際、家に住まう蜘蛛は多くの場合でダニやノミを食べてくれる益虫であると言われている。実証されている訳ではないが、最近話題となった凶悪な害虫「トコジラミ」も蜘蛛がいると彼らが退治してくれるという話がある。
ちなみに、宋代の詩人である徐元杰(じょげんけつ/xú yuán jié:儒学の大家である朱熹の弟子)が、蜘蛛に関する次の七言律詩を書いている。
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《蜘蛛》
倦倚阑干小院东,蜘蛛惊雀堕虚空。
细看缕缕挂枝上,旋复丝丝收腹中。
偶尔得生诚险道,幸而不堕赖无风。
如何薄相才安迹,便欲经营网众虫。
小さな中庭の東側に疲れたように欄干に寄りかかっていると、蜘蛛が雀を驚かせ、そのせいで虚空に落ちた。
よく見ると、蜘蛛の糸は枝に残っていて、また中腹まで戻っていった。
偶然に命を得るのはまさに危険な道で、幸いにも風がないので落ちることはなかった。
しかしどうしてだ、そのか弱い姿でやっと安らかに身を置いたのに、蜘蛛はまたすぐに虫を捕らえるために巣を張り出した。
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運命に翻弄される生命の儚さと、それでもなお強く生きようと自分の力を尽くす蜘蛛の姿。徐元杰(じょげんけつ/xú yuán jié)はその運命と行動の狭間にある蜘蛛を人間の姿と照らし合わせている。
※画像:百度百科「蜘蛛侠(美国2002年山姆·雷米执导动作科幻电影)」より引用。スパイダーマンの中国語は「蜘蛛侠(ツィーツゥーシャア/zhī zhū xiá)」。「蜘蛛の侠客(きょうかく/xiá kè:義理人情に厚く、弱い者の苦しみを救うために強い者と戦う人物)」という意味を持つ。
※今回の題材としたのは中国ドラマ『西游记(1986年製作)』の第二十一集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。
作品紹介