天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 045】燕順

燕順

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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燕順(えんじゅん/yàn shùn)

 

<三元論に基づく個性判定>

27番 **強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**弱い存在欲求** - **「直観的な生存者」** - 直感に従って行動し、自分の生存本能に忠実に生きる。

 

<概要>

燕順(えんじゅん/yàn shùn)、あだ名は「錦毛虎」。莱州の出身で羊馬の売買人をしていたが、商売の大失敗を経て山賊に落草した。これまでも英傑たちが属していた幾つかの山賊勢力に記事で触れ、直近では"温情の武人"である鄧飛(とうひ/dèng fēi)、"造船の専門家"である孟康(もうこう/mèng kāng)、"事務の達人"である裴宣(はいせん/péi xuān)が率いる飲馬側の山賊勢力を取り上げた。今回の燕順(えんじゅん/yàn shùn)は「清風山」の山賊勢力の寨主(第一頭領)として活動していた人物だ。彼は仕事の過程で付近を通過しようとしていた人物を捕まえて殺そうとするが、その相手が憧れの宋江(そうこう/sòng jiāng)であると知ると即座に態度が変化。宋江を歓待して彼の意見を聞き入れ、宋江が窮地に陥った際は命を賭けて救出に参加。その後、彼らは梁山泊勢力に合流。百八人の英傑たちが集結した際には序列第50位に定まり、「騎兵小彪将兼遠距離斥候隊長」に任じられた。最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦において、烏龍嶺で殉死。戦後、朝廷から義節郎に追封された。

 

<「水戸黄門」方式はかなり珍しい>

実在・架空を問わず、中華世界に登場する賊は独立した掟や無道の行動原理を有しているのが一般的で、日本の「水戸黄門」の活劇のように「偉大な人物に即座に平伏する」ような形式の展開はほとんど見受けられない。『荘子』には「聖人不死、大盗不止(聖人は死してもその名声が遮られる事はなく、強盗は生きている間にその悪事を止める事はない)、北宋の蘇東坡は「盗有道、捕盗者無道(盗人には盗人の道理があるが、彼らを捕まえる者は往々にして道理がない)」と語っている。燕順(えんじゅん/yàn shùn)らが宋江(そうこう/sòng jiāng)を捕まえて殺そうとしながらも、相手が「あの宋江」だと知るや否や一転して彼に敬意を示すようになるこの珍しい展開には、おそらく第一に宋江(そうこう/sòng jiāng)という人物のカリスマ性を、第二に燕順(えんじゅん/yàn shùn)らの心に宿っていた善良な義侠心を、それぞれ表現したように思われる。

 

<女性が壊れている?>

素直な燕順(えんじゅん/yàn shùn)、憎めない王英(おうえい/wáng yīng)、繊細な鄭天寿(ていてんじゅ/zhèng tiān shòu)。彼らは清風山の山賊勢力の頭領である。宋江(そうこう/sòng jiāng)がこの場所を立ち寄ったのは、その清風山の先にある清風寨(清風要塞)の街にいる花栄(かえい/huā róng)を訪ねるつもりだったからだ。その清風寨で長官を担っていた役人は劉高(りゅうこう/liú gāo)。これがまたいい加減で無能な役人であったが、それよりも悪く描かれているのが彼の妻、劉夫人。この劉夫人、燕順(えんじゅん/yàn shùn)たちに捕らわれてしまったのだが、たまたま燕順(えんじゅん/yàn shùn)たちから歓待を受けていた宋江(そうこう/sòng jiāng)がそれを見知って「解放をしてあげるべきだ」と進言。王英(おうえい/wáng yīng)のように解放に反対する者も多かったが、燕順(えんじゅん/yàn shùn)が宋江(そうこう/sòng jiāng)の意見を第一に考えて解放してやった。すると劉夫人、邸宅に戻ると命を救ってくれた宋江への恩義を忘れ、「私を捕まえた山賊勢力を懲らしめてくれ」「あそこの勢力の指導者は宋江だ、あいつを殺してくれ」と夫に泣きついた。これが発端となって宋江(そうこう/sòng jiāng)と花栄(かえい/huā róng)が捕まる事になり、燕順(えんじゅん/yàn shùn)たちによって救出されるという展開になる。2011年製作の中国大河ドラマ水滸伝』でも花栄(かえい/huā róng)が「あんな女、解放する事なかったのに」と言っている。

 

この展開は普段から劉夫人は毒婦(壊女人)であったという前提条件が必要となるが、「そもそも罪のない通行人から『金や物(女性もここに含む)』を奪い取って生活する山賊は社会の毒ではないのか?」という疑問も生まれる。劉夫人の怒りはもっともであるし、状況的に見れば「黒社会の人間を従えている宋江」を悪人だと判断するのも的確である。それにも関わらず、劉夫人はこの展開において徹底的に悪人とされ、征伐の対象となってしまう。

 

このように、『水滸伝』では当人が悪さをしようが、しなかろうが、女性の存在が発端となって家族や自分自身に無端の災難や苦難が降りかかるという展開が多い。普通の女性でさえ「禍水(不幸を引き込む人物)」としての機能を果たしている事が少なくない。例えば、以下の両名は性質が全く異なる陰陽の女性像だが、どちらも災いの中心点となっている。

 

- 潘金蓮(ばんきんれん/pān jīn lián):王婆を通じて西門慶と不貞行為に及び、武松(ぶしょう/wǔ sōng)の兄である武大(ぶだい/wǔ dà)を毒殺。これによって激烈に征伐された。しかし、過去の出来事を鑑みれば完全な毒婦とは言い難く、むしろ一部においては被害者でもある。彼女は『罪と罰』における主人公ロージャの姉ドーニャと同じような方式で、その美貌により屋敷の主人から言い寄られたのを断った事によって罰を受けた(地域で最も醜い顔の武大と無理やり結婚させられた)という過去を持つ。

 

- 劉太公の娘:林冲(りんちゅう/lín chōng)の妻である。彼女は美しく従順な妻であり、まったく落ち度らしいものは描かれていない。しかし、彼女は奸臣の高俅(こうきゅう/Gāo Qiú)の庇護を受けている養子の高衙内(こうがない/gāo yá nèi)に目をつけられて、自分の妻になれと言い寄られてしまう。この"ドーニャ方式"の展開がきっかけとなり騒動に発展。最終的に林冲(りんちゅう/lín chōng)は高俅(こうきゅう/Gāo Qiú)の罠によって罪人となる。夫が流刑された後、彼女を含めて家族全員が心中に至る。

 

水滸伝』という活劇娯楽のでそこまで真面目に倫理の談義を交わす必要も無いだろうが、現代的な価値観から鑑みると疑問も生じる。人によっては、「なぜいつも女が悪いんだ」と感じるかもしれない。作者の施耐庵(したいあん/shī nài ān)が『徒然草』作者の吉田兼好のように女嫌いであったのか、当時の物語の作り方の典型的な法則性のひとつであったのか、そのどちらの要素が強いのかは不明だ。

 

ちなみに、孔丘先生(孔子)はこう言っている。「子曰、唯女子與小人、爲難養也、近之則不孫、遠之則怨。(『論語』陽貨第十七)」。小人の解釈が学者によって分かれるが、後に儒学の大規模アップデートを行う朱熹が「これは家庭内の事を示しており、小人は家の男性使用人を示している」と言っている。つまり、ここで孔丘先生は「女性と男性の使用人は非常に扱いにくい。親切にすればすぐに図に乗って、親切にしなければ憎まれてしまう。」と述べている。

 

※『水滸伝』の作者とされる施耐庵(したいあん/shī nài ān:本名は施耳)が、特別に女性に対して嫌気を覚えたような事件や出来事の記録はない。むしろ、彼は女性を含めて社会的に弱い立場にある者の味方であり、官僚時代はあまりに腐敗していた上司たちに見切りをつけ、民衆の指導者側について改革運動を起こしたぐらいだ。その弱者救済の視点は大いに『水滸伝』の各逸話にも反映されている。「女性が騒動を巻き起こす」という展開は、当時の紋切り型の物語の作り方のひとつだったと考える方が妥当かもしれない。

 

<原型と評価>

燕順(えんじゅん/yàn shùn)に話を戻すと、『水滸伝』の雛形または原型とされる『大宋宣和遺事』や『宋江三十六人賛』にはその名前の登場がない。ただし、元雑劇『同楽院燕青博魚』には燕順というキャラクターが登場しており、その際のあだ名は「卷毛虎」で、「鍼灸治療が得意」だという設定が示されている。この人物が『水滸伝』の燕順の原型であると考えられる。

 

- 王望如:「清風寨では、燕順、王英、鄭天寿が凶悪な行いをしていたが、宋江の名を聞くと直ちに釈放し、兄弟として迎え入れ、命令を聞くようになった。これは古今の交遊の中でも類を見ないことである。」

 

<所感>

燕順(えんじゅん/yàn shùn)。彼は極悪な山賊である事は間違いないのだが、「無道」「非道」ではないらしい。彼なりの信念があり、宋江(そうこう/sòng jiāng)という仁義礼智に満ちた善良な人物に教えを乞い、救いを求めるという柔らかな気質が見受けられる。となると、彼は生存の為に仕方なく落草した後、案外自分に賊としての才能がある事が分かって安穏と暮らしてしまったが、本心では賊としての自分たちを誇りに思ってはいなかったという事になる。信じられるものが得られさえすれば、彼はいつでも「正道」に戻る気構えがあったのだ。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※上述の雑劇設定と所感を反映する。

 

#### 鍼灸の達人(具術)

**説明**: 燕順は、鍼灸を用いた滋養治療の効果を高める能力「鍼灸の達人」を持っている。この具術は、彼の卓越した技術と知識に基づき、鍼灸治療を通じて仲間たちの健康と活力を向上させる力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(とても濃い)**: この具術は、鍼灸針という特定の道具に強く依存する。

  - **思考性(中程度)**: 鍼灸治療を効果的に行うためには、高い技術と解剖学の知識が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 燕順の具術は、仲間たちとの信頼関係を強化し、彼らの健康と士気を高める。

 

#### 正道の力(心術)

**説明**: 燕順は、自分が正しく誇れる道を進んだ際に今まで以上の才覚を発揮できる能力「正道の力」を持っている。この心術は、彼の強い信念と道徳心に基づき、困難な状況でも優れた能力を発揮する力を持つ。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この心術は、道具に依存せず、燕順の精神的な力と信念に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 正しい道を進むためには、高い自己認識と強い信念が必要。

  - **関係性(中程度)**: 燕順の心術は、仲間たちとの信頼関係を強化し、全体の士気を高める。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **鍼灸治療**: 燕順は、戦闘や日常生活の中で仲間たちに鍼灸治療を施し、彼らの健康と活力を向上させる。
  2. **正道の行動**: 燕順は、自分が正しいと信じる道を進むことで、困難な状況でも優れた判断力と行動力を発揮する。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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