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【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 012】花栄 

花栄

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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花栄(かえい/huā róng)

 

<三元論に基づく個性判定>

17番 **強い生存欲求**、**とても強い知的欲求**、**とても強い存在欲求** - **「熱心な博学者」** - 広範な知識を持ち、他者とその知識を共有することに熱心な人物。

 

<概要>

花栄(かえい/huā róng)はもともとは清風寨の副知寨(副知事)であった人物。美しい目、白い歯と紅い唇、濃い眉と細い腰。銀の兜と鎧を身につけ、烈馬を乗りこなし、比類のない硬弓の名手。銀の槍の使い手でもある為、戦況によって遠近の攻撃を使い分ける事の出来る、非常に戦略的な意義の大きい人物である。弓の名手として知られる実在の猛将、西漢の"飛将軍"こと李広(りこう/lǐ guǎng:後述参照)に例えられて「小李広」と呼ばれた他、先述の銀槍の名手の意味で「銀槍手」とも称された。義兄弟の宋江(そうこう/sòng jiāng)の不遇に義憤を覚え、自らも権力闘争の中で貶められた事を発端に、梁山泊勢力に帰順する。以後のいずれの戦いにおいても武功を挙げた。方臘(ほうろう/fāng là)の討伐戦が終わった後、朝廷の奸臣たちに殺された宋江李逵(りき/lǐ kuí)の墓前に向かい、呉用(ごよう/wú yòng)と共に自ら命を絶った。この花栄の結末は、実在の李広将軍の結末との類似点がある。

 

<実在の李広>

歴史上の英雄である李広は隴西成紀(現在の甘粛省天水市秦安県)出身。生年は不明で、没年は前119年。西漢の名将と知られ、彼自身も秦朝の名将である李信(りしん/lǐ xìn:漫画『キングダム』の主人公として描かれている将軍)の後裔である。彼は漢文帝十四年(前166年)、良家子として軍に入隊。匈奴との戦いで功績を挙げ、中郎に任じられた。漢景帝の時代には七国の乱を平定するのに参加し、北部辺境の七郡の太守を歴任。漢武帝が即位後、未央宮衛尉に召し上げられた。元光六年(前129年)には、驍騎将軍として匈奴を撃退。この時、彼は負傷して捕らえられたものの死を装って生還し、右北平郡の太守に遷された。この頃から「飛将軍」の名が知れ渡るようになり、匈奴を畏服させ、数年間侵入を防ぎきった。その後、郎中令に昇進。元狩四年(前119年)には漠北の戦いに参加し、前軍将軍として任命されたが、これが李広にとって最期の任務となる。何と彼らの軍は途中で道に迷って戦闘に参加できないという手違いが起こり、この大失態が国益を行う反逆的な行為であると憤った李広は自害をした。後に歴史家の司馬遷(しばせん/sī mǎ qiān)は彼の生涯について「桃李不言,下自成蹊(桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す:後述参照)」と感銘を示した。彼の死後、唐の徳宗の時代に「武廟六十四将」の一人に選定。『水滸伝』の舞台となる宋の徽宗の時代には、追封されて「懐柔伯」が与えられ、「武廟七十二将」の一人に連なった。

 

※「桃李不言,下自成蹊」は、「桃李(モモやスモモ)は言葉で語らずとも、自然とその豊かな香りに惹かれて人々が列をなす」という状況を示す格言。転じて、立派な人物は言葉で何かを語らずとも、その輝くような才能・良識・美徳によって自然と人々の尊敬と賞賛が集まるという意味になる。

※「任務に遅刻したぐらいで命を絶つなんて信じられない」というのが我々現代人の倫理観であるが、日本の『忠臣蔵』と同様、時代と社会によって自害は栄誉ある選択となる。李広が激烈な決断を下した理由としては、次の3点が考えられる。

 

  1. **名誉と責任感**:彼は将軍としての責任感と名誉を重んじる武人として、戦闘に参加できなかったことを大失態と捉えた。自らの名誉を傷つけ、軍の士気にも悪影響を与えるだけではなく、国益を大きく損ねたと考えた。
  2. **軍規と慣習**:古代中国では、将軍が任務を果たせなかった場合や敗北した場合、自害する事が名誉ある行動とみなされる事があった。特に、責任を果たせなかった将軍に対する罰は厳しく、自分と部下と家族の名誉を守る為の選択として自害は有り得るものだった。
  3. **個人的な失望と絶望**:李広は非常に誇り高い武将であり、自身の失敗を受け入れる事が出来なかった。重要な戦闘に参加できなかった事による自己嫌悪や失望感が非常に大きかった。

 

花栄を形成したもうひとりの猛将>

上述の通り、『水滸伝』の物語中で具体的に言及されている彼の原型は李広(りこう/lǐ guǎng)であるが、もうひとりの猛将、「岳飛(がくひ/Yuè Fēi)」もまた彼の人物設定に関わっているという説がある。彼は『水滸伝』の舞台となった時代の直後に起きた、「金国(女真族)による北宋の滅亡と南宋の建国」という一連の荒々しい動乱期に活躍した武将だ。以前取り上げた女武将の梁紅玉(りょうこうぎょく/liáng gōng/hóng yù)、その夫の韓世忠(かんせいちゅう/hán shì zhōng)と同時期に南宋王朝を支えた功臣である。中国大河ドラマの『岳飛伝(2015)』や北方謙三歴史小説岳飛伝』など、彼を題材とした様々な作品がある。

 

岳飛(がくひ/Yuè Fēi)

岳飛(1103年3月24日~1142年1月27日)、字は鵬挙、宋朝相州湯陰(現在の河南省湯陰県)出身。南宋時代の抗金名将、軍事家、戦略家であり、書道家、詩人でもあった人物。南宋で怒涛の活躍を示した「中興四将(岳飛、張俊、韓世忠、劉光世」の筆頭に挙げられている。そしてまた、彼も李広同様に悲劇的な結末を辿る事になった英傑だ。彼は二十歳から四度に渡って金軍との戦いに従軍。建炎二年(1128年)から紹興十一年(1141年)まで、その戦闘数は大小合わせて数百回。紹興四年(1134年)の襄陽六郡の回復、紹興六年(1136年)の商州、虢州等の攻略、紹興十年(1140年)の鄭州、洛陽等の奪還など、南宋にとってその戦略的な意義は計り知れないものだった。指揮官としての統率力も傑出しており、黄河以北の民間抗金義軍と連動する複雑な軍構成であるにも関わらず、賞罰を明確にし、規律を厳正にしつつ、部下を思いやり、自ら模範を示す徹底的な公平さと透明性の統率よって、完璧に大所帯をまとめ上げた。岳家軍は「冻死不拆屋,饿死不掳掠(自分たちが凍死しようとも民の家を壊さず、自分たちが餓死しようとも民から略奪しない)」と民から厚く信頼され、敵の金軍からも「撼山易,撼岳家军难(山を動かすのは、岳家軍を動かすことよりも容易い)」と敬意と畏怖を込めた言葉が示された。これだけの功績にも関わらず、南宋の高宗(趙構)と宰相の秦檜が極めて保守的な思想の持ち主であり、金軍と和議を進める方針へ突き進んだ為、抗金運動のカリスマ的指導者のひとりである岳飛が彼らにとって不要な存在となってしまった。この政治的判断の結果、岳飛は秦檜、張俊らの誣告(ふこく:偽証による訴訟)により投獄。梁紅玉や韓世忠らが明らかな不正であると激しく上奏するも、朝廷側は確かな証拠も示さず、一方的に処刑を実行。こうして1142年1月、岳飛は息子の岳雲、部将の張憲と共に他界した。後に孝宗の時代になってからようやく冤罪とされ、西湖畔栖霞嶺に改葬されて「武穆」と追諡された。更に時間をおいて「忠武」に追諡され、鄂王に封じられる事になったのだ。なお、岳飛は文才にも優れており、彼の代表作『満江紅・怒髪冲冠』は千古の愛国名篇として中国史に名を刻んでいる。

 

<その他の原型>

花栄は原型が豊富な人物で、元王朝の『大宋宣和遺事』には、宋江の部下三十六員頭領の一人としての登場がある。また、宋元時代の龚開による『宋江三十六人贊』では、「小李広花栄、中心慕漢、奪馬而歸、汝能慕広、何憂数奇(小李広花栄は、李広の魂を引き継ぎ、見事に敵の馬を奪還した。皆が彼を慕うのなら、何一つ心配事は無いだろう)」と書かれている。雑劇『争報恩三虎下山(小李広大闹元宵夜)』においても花栄のあだ名が弓手とされており、梁山泊勢力の頭領の一人として登場をしている。他にも、花栄の原型が明の洪武年間に宝応県三阿郷にいた名士であると考える説もある。様々な英傑の要素が加わって誕生した人物のようだ。

 

<評価>

- 金聖嘆:1.「花栄は自然と上々の人物であり、非常に文秀に描かれている。」2.「花栄の描写を見ていると、極めて文秀であり、武松の伝説に次いで欠かせない人物だ。彼は矯矯たる虎臣であり、翩翩たる儒将であり、その二つの魅力が合わさっている。」

 

<三元論に基づく特殊技能>

#### 弓槍の達人(具術)

**説明**: 花栄は、弓と槍を用いた遠近攻撃により敵を翻弄する能力を持ち、その卓越した技術で戦場での優位性を発揮する。この具術は、彼の多才な戦闘技術に基づき、あらゆる距離での戦闘に対応できる。

- **効果**:

  - **道具性(とても濃い)**: この具術は、弓と槍という特定の武器に強く依存する。

  - **思考性(中程度)**: 武器の使い方と戦術的な判断力が必要。

  - **関係性(薄い)**: 主に自身の戦闘能力に関わるため、直接的な人間関係への影響は少ない。

 

#### 桃李不言の矢(導術)

**説明**: 花栄は、その存在だけで敵側が畏怖し、敵の戦力と士気を下げる能力「桃李不言の矢」を持つ。この導術は、彼のカリスマ性と恐れられる名声に基づき、敵に心理的な圧力をかける。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この導術は、道具に依存せず、花栄の存在と名声に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 敵の心理を見抜き、戦況を有利に進めるためには、戦略的な判断力が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 花栄の導術は、敵の士気を低下させることで、戦局全体に大きな影響を与える。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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