天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

閑情をもたらす、李漁の風雅メソッド

閑情偶寄

私:中国の明時代に李漁が著した『閑情偶寄』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:『閑情偶寄』(かんじょうおうき)は、中国の明時代に李漁(りぎょ)によって著された作品です。この本は、中国文学における重要な作品の一つとされています。李漁は多才な文人であり、詩人、劇作家、小説家としても知られています。

 

『閑情偶寄』は、具体的な生活技術や実用的な知識を豊富に含んだ書籍で、生活の様々な面をカバーしています。家庭管理、園芸、料理、美容など、日常生活に関する広範な話題を取り扱っており、当時の中国社会の風俗や文化を理解するための貴重な資料となっています。

 

この本は、実用書であると同時に、李漁自身の生活哲学や価値観を反映しており、彼の豊かな知識と深い教養が伝わってくる作品です。また、閑情偶寄には李漁の個性が色濃く反映されており、彼の文学作品としての側面も見逃せません。

 

文学的な価値だけでなく、当時の生活や文化を知る上での歴史的な価値も高いため、中国文学や文化史の研究において重要な参考文献とされています。

 

私:ありがとう!次は2011年製作の中国歴史ドラマ『孔子(原題:孔子春秋)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2011年に製作された中国の歴史ドラマ『孔子』は、中国の偉大な思想家であり教育者である孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)の生涯を描いた作品です。孔子儒教創始者としても知られており、彼の教えは中国はもちろんのこと、東アジアの多くの国々における文化や倫理観に大きな影響を与えました。

 

このドラマは、孔子の若き日から晩年に至るまでの波乱に満ちた生涯を追います。政治的な紛争や倫理的な対立、弟子たちとの関係など、多岐にわたるストーリーが展開されます。特に彼の思想や教え、そして彼が直面した様々な困難や挑戦が重要な要素となっています。

 

このドラマは、孔子という人物の深い人間性と、彼の時代における社会的・政治的な背景を丁寧に描いています。また、豪華な衣装やセット、伝統的な音楽など、中国古代の文化を色濃く反映したビジュアル面も魅力の一つです。

 

孔子』は、中国歴史における重要な人物を深く理解するための一つの窓であり、中国の歴史や文化に興味のある人々にとって価値ある作品となっています。

 

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 約2500年前、春秋戦国時代に巨大な論理学の柱を打ち立てた中国人の孔丘(孔子)を主題とした視聴覚作品のうち、日本で手に入りやすいものは俳優チョウ・ユンファ主演の映画『孔子の教え(原題:孔子)』、論理的な内容が各所で丁寧に描かれているドラマシリーズ『絮の人 -孔子伝-(原題:孔子)』、激動の生涯を主軸に据えたドラマシリーズ『孔子(原題:孔子春秋)』、この三作品だ。Netflixなどのストリーミングサービスには登録されていないが、TSUTAYAの店舗によってはアジアコーナーに並んでいる。中古品の流通もある程度あり、宅配レンタルぽすれんを利用するという手もある。中国語が理解出来るのなら、中国の検索サイト「百度」経由で公式の公開動画集がすぐに見つかる。

 先ほどの三作品のうち、本日ようやく最後に名を挙げた『孔子』を鑑賞した。『孔子の教え』は人物描写が、『絮の人』は論理描写が本当に素晴らしかった。一方、この『孔子』については時代描写に見応えのある部分が多かったものの、遠慮のない怒涛の脚色と乏しい論理の描写が相まって、私としては"論語史記の二次創作"のような印象を覚えた。よって、孔子追体験する作品としては効果が薄い。「春秋時代に活躍した架空の政治家の物語」として鑑賞するのなら、興味深いと言えるかもしれない。

 この作品で孔子の母親である顔徴在を演ずるのは、女優のソン・ジア(宋佳)。ハルピン出身の女優で、ジョン・ウー監督の三国志を主題としたハリウッド映画『レッドクリフ』では曹操の愛人・驪姫を演じていた。この『レッドクリフ』には、諸葛亮孔明の次の台詞が登場する。

 

"Confucius spoke of giving oneself to justice, and Mencius spoke of sacrificing for righteousness, surrendering is not a matter of victory or defeat, but rather one of virture! Cao Cao, the self-proclaimed Prime Minister controls the Han Emperor, and fabricated His Majesty's commands. If he conquers the Southland, he will surely usurp the throne. If we surrender to Cao Cao, then we would be aiding a tyrant. Lord Mayor Liu Bei is of His Majesty's Royal Family. His wisdom is known to the world and respected by the people. If a noble man, who has been loyal to the Han court all his life, failed to succeed, then that is fate. But, how could he surrender to Cao Cao? That would be an unbearable shame!(孔子は正義に身を捧げることを説き、孟子は義のために犠牲を払うことを説きました。我々が降伏するかどうかというのは、単に勝利か敗北かの問題ではなく、むしろ美徳の問題なのです!自称皇帝の曹操は今、漢の皇帝を操って、陛下の命令を都合良く捻じ曲げています。もしそのような彼が南方を征服すれば、すかさず王位を簒奪して自分のものにするでしょう。つまり、私たちが曹操に降伏すれば、暴君を助けることになります。一方、劉備玄徳は確かな王族の血筋です。彼の存在は天下に知られ、人々に敬われています。生涯に渡って漢朝に忠実であり高貴であった彼が覇者にならなかったとしても、それは天命と言えましょう。しかし、曹操に降伏することだけは天命が許しません!それは耐え難い恥に他ならないのです!)"

 

 中国の壮大な歴史の中に必ず登場する論理学が、この「尚古主義(古いものを尊ぶ考え方)」と評されるものだ。彼らは古い時代の規範・良識・美徳に絶対的な正解を求める傾向がある。孔明は先ほどの言葉の中で「孔子孟子が打ち立てた考え(古い時代に構築された論理)を思い出すべきだ」「正統な血筋にある者(古い時代から続く名家)こそが天下を治めるべきだ」と語っている。自分たちの行動選択における善悪の境界線を、古くから続く規範・良識・美徳に頼るべきだと語るのである。またここで孔明が名を上げた孔子自身が、古い周王朝の礼制度を完璧な国家運営方法と考え、それを復古するべきだと考えていた。

 このように古代から近代に至るまで、中国では多くの場合において尚古主義が規範・良識・美徳の絶対的な正解であるとみなされ、新しく創造的な言動や価値観は否定されがちであった。とはいえ、その万里の長城のようにがっちりと組み込まれた尚古主義が現代社会並みに瓦解した時期も存在する。例えば、明朝の中期から末期には大衆文化が華開く創造的な時代となった。ここでは先の『レッドクリフ』の原作である『三国演義』を始め、『西遊記』『水滸伝』『封神演義』といった大衆娯楽作品がタケノコのように登場し続けた。孔子が打ち立てて朱熹が手直しをした儒学朱子学)も王陽明が大規模アップデートを行うなど、尚古主義から尚新主義への移行が実によく見受けられる。

 明朝の次に登場した中国歴史最後となる統一王朝、女直(東北民族)創始の清朝の時代にも色彩豊かな文化が咲き誇った時期がある。それが「千年一帝(千年に一人の名君)」として中国歴史上もっとも長く在位した皇帝(在位61年)、康熙帝の治世だ。清の第4代皇帝で、本名は愛新覚羅・玄烨。国外の大混乱状態を大規模かつ的確な軍事行動で制圧しながら、内部で権力のあった権臣の鰲拜を排除して徹底的な親政(皇帝自らが政治を行う体制:西洋で言う絶対王政)を展開。規範の整備と外交問題を次々に解決しながらも、一方では良識・美徳に基づく仁義ある内包的な政策によって漢民族の士人との共存体制を築く。こうして、康熙帝の時代において中華世界は柔軟性の高い多民族文化を確立。ここに、清朝が爆発的に発展する「康乾盛世(第4代康熙帝・第5代雍正帝・第6代乾隆帝の治世)」の基礎が築かれる事となった。(孔子は仁義を伴う理想の指導者を生み出そう苦心惨憺した偉大な論理学者だ。彼の理想に最も近い指導者が、彼が活動していた春秋時代から約二千年後、遂に誕生したという訳である。)

 この名君によって国家が栄華へ突き進む尚新主義的な時流において、康熙10年(1669年)に劇団を経営していた李漁が著したのが『閑情偶寄(別名:『笠翁一家言』)』という教養本だ。この時、李漁は60歳であった。彼の書籍は明王朝清王朝における文化や生活の細部を研究する事にとても役立つ上に、現代生活にも通じる鮮やかな論理学も混じっているのだが、残念な事に日本における本格的な翻訳・解説等の取り扱いが無い。ちょうど良い機会なので、私はここで本作の内容を整理する事にしよう。

 李漁は主に、詞曲、演習、声容(美人法)、居室、器玩(主に観賞用の雑貨)、饮馔(飲食)、植栽、養生(健康法)の分野を論考している。彼は実業家のみならず昆曲(古典的な戯曲の一方式)の作家でもあったので、非常に幅の広い文化的な知見を有していたのだ。もともと、彼は明朝末期の時点で官僚になる為に科挙の試験を何度も受けていた人物なので、古典的な中国の知識に関する造形も深い。結局、彼は試験に合格できず、自分なりの文化人の道を歩む事になった。(彼のように長年科挙を受け続けた後に官僚の道を諦める文人が大勢いた。)

 作品の主題は大きく三つに捉え直す事が出来る。第一には、「养颐之福(幸福である為の方法)」という主題。これは主に住居環境に関する美学が述べられていて、居室、器玩、饮馔、植栽の四章がある。私の三元論で述べる人間の三本能において「生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)」と「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」を満たすための手段が、ここに書かれている。第二には「颐养天年(健康である為の方法)」で、楽しみと憂いを止める方法、飲食と性欲の調節、病気の治療法などが書かれている。これは上述の「生存欲求」「知的欲求」に加えて、人間的・社会的な関係性に関する欲求である「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」の事項も関わっている。またここでは「行楽(旅行)」に関する記述もあり、必要に迫られる苦しい移動行為が余暇を楽しむ娯楽に変化している時代の風景を垣間見る事が出来る。そして、第三には「丝竹风流(風流である為の方法)」で、こちらは特に現代の文化に接近している。李漁は劇団のプロデューサーとして、舞台演劇の核となる名女優を育てなければならない。その為、彼はその女性が"天然の美女"でなくても、化粧や服装などの容姿の美化、立ち振る舞いや姿勢の矯正などの雰囲気の美化によって「美女を作る」方法に精通した。また、ここでは李漁の専門分野である詞の詰め方、作曲、演技に関する詳細な技術の解説も十分に加えられている。

 ちなみに、李漁曰く、当時の美人の顔立ちは「肌が白く、瞳が澄んでおり、眉が月のように曲がっている」というものだった。彼はここに「媚」の価値が加わると更に魅力的であると考えられた。ただし彼は「媚」は感覚的なものであって、言語や技術として表現するのは難しいと語っていた。「媚」は現代の日本人が言う「あざとさ」のようなものだろう。女性が女性らしく立ち振る舞うエレガントな態度は、確かにその人のジェンダーの魅力を高める効果を持つだろう。「化粧をして媚を示すと、他人が興味を持つようになる」という手段は少々軽率にも思えるが、一理はある。人間は視覚的な情報を優先して取り入れる生命体であり、その視覚情報が注目に値するものであれば、その利益も少なく無い。ただし、私は美人の定義を「物理的要素・精神的要素・関係的要素が均衡を保っている状態」であると捉えており、容姿・服装・媚はその条件の一部でしかないと考える。

 李漁はそれらの実用的な記述の中に、理論的な幹を貫いた。彼は自分が閑情(穏やかな心)を手に入れる為には三つの原理が必要であるとした。それは次の内容である。

 

・節約をせよ(俗っぽく派手なものに浪費せず、高雅で素朴なものを得よ)

・既存の倫理思想に縛られ過ぎるな(柔軟性を持って考え、創造的に動け)

・情と理を兼ね備えよ(意匠と機能、風雅と礼節の均衡を保て)

 

 私は人間の本能を「生存欲求」「知的欲求」「存在欲求」と定め、これを節制する為に「規範」「良識」「美徳」が必要であるという論考を行なっている。李漁が挙げた上の項目は、その私の理論体系とも合一するものであり、非常に的を射る論理学となっていると私は感じる。

 当時も現代の成金連中と同じく、金を持っている人間は「美」を金で買えるものと勘違いをし、金銀をちりばめ、豪華に家や自分たちを装飾し、美を飾り立てる事が多かった。しかし、それらの下品な美しさは素朴な美しさに大きく劣るものであり、かえってその人の品性を陥れる事になる。そこに"閑情"は存在しない。

 続けて、彼の居住環境に対する考えを掘り下げておこう。彼は「居室部」の章において、「房舍と人は相応であれ」と述べた。家が豪華すぎて人が貧相ではいけないし、家が貧相すぎて人が豪華すぎてもいけないという考えだ。中国の伝統的な考えとしては、「社会的信用を保つ為にはとにかく見栄を張ってでも家を大きく豪華にしなければならない」というものであったので、李漁の見解は非常に前衛的である。そのほか、「器玩部」の章と併せて、彼の内装に関する感性は大いに現代生活にも通じる点が見受けられる。その一部を以下に記載する。

 

・【収納について】:室内は常に清潔に保ち、整理整頓をするべきだ。邸宅に「套房」と呼ぶ部屋を設けて、そこに雑多な品物を置くようにした方が良い。特に、廃紙、垢砚、秃毫など、急ぎで整理できないものは、一時的にここに置いておいて、時間がある時に整理をするのだ。「套房」は檐(ひさし)の下の空間を活用すると更に効果的だ。檐は一般的に深く作る。これは風雨をしのぐのに便利であるからだ。しかし、檐が深くなればなるほど、部屋の採光の能力が下がってしまう。そこで、私は「活動檐」を提案する。縦板で扉を作り、時に開き、時に閉じる事が出来るようにするのだ。この空間を「套房」とする事で、屋根の下の空間を最大限に有効利用できるようになり、採光と防雨と収納の機能性を全て果たせるようになる。

 

・【窓について】:窓はとにかく頑丈に作る事を最優先として、その十分な耐久性の上で工芸的な装飾について考える。窓の装飾は華美なものとせず、質素で自然味のあるものが最適だ。また、ここでは家の方角についても考慮する必要がある。窓から十分な日光を確保する為に、家は南向きに設計するべきだ。もしそれが地形の条件によって不可能であるのなら、その方角に応じて南側に窓を設けるべきだ。(当時の中国の家屋は伝統的に、側面や後方に窓を設けなかった。)

 

・【借景について】盆栽、鳥籠、奇石などを室内に置くことがあるが、これは部屋を狭苦しくするだけで、まるで囚人のような気分になる。それらは屋外に置くべきであって、窓格子を通じてそれらの景色を鑑賞する事が望ましい。このような借景用の窓を設置する場合は、必ず壁の外に盆栽などを置く棚を作る。窓外に兰花を設置すれば、窓から見える形式がまるで一枚の美しい兰花の画となる。同じように菊花を配置すれば、美しい菊花の絵となるのだ。これによって、日々の工夫により異なる美しい景色を楽しむ事が出来るようになる。

 

・【壁について】厅堂(広間)の壁も窓と同じように質素である事が望ましい。壁には名人の書画を飾るべきであるが、裱軸より実貼にするべきだ。軸にすると風に揺れて情緒が損なわれる。

 

・【食器棚について】食器棚は収納の大きさよりも、仕切りの在り方を考慮した方が良い。多様な物品を収納できる空間が多い程、食器棚としての性能が上がる。よって、小さな隔板を利用して多宝格のような食器棚を作るべきだ。各階の両側に細い木材を二本別に打ち付け、そこに板を置く。板の幅はあまり広くないもので、身の半分か三分の一程度が望ましい。必要に応じて着脱を可能にして、柔軟に様々な形状の物品を置けるようにする。

 

・【汚物について】汚物(糞尿)を捨てる回数は一日に何度もある訳だが、適当な場所を選ばずに捨てると、綺麗な土地がすべて汚れてしまう。男性の場合は書斎の横に壁に穴を開け、そこに小さな竹をはめ込み、内部に流して外に出す事によって、汚れた空気を感じずに快適に過ごせるようになる。天気も関係が無くなるので、この方法を推奨する。(→宮殿も街も糞尿に溢れていた同時代のパリの事例から鑑みると、この衛生観念は進んでいると言える。しかし、同時代において既に独立した清潔な厠と、糞尿を農地の肥料として再利用する循環体制が普及していた日本の事例と比べると、劣っていると言える。日本の江戸時代はかつて世界にも類を見ないほど環境循環の技術発明に長けていた。)

 

・【机周りの整理について】机の上に物を置くときには配置方法を強く意識する必要がある。大抵の場合、八文字形(前後を分けずに寸法を無視して並べる形)、四角形(各角に一つずつ物を置き、皿のように並べる形)、梅花形(中央に大きな物を置き、周りに小さな物を並べる形)は避けるべきである。また、普段使わない文具や糊などは机の上に絶対に置かず、使う時だけ引き出しから持ち出すのが好ましい。また、隔板を手元に置いておくべきだろう。冬に囲炉裏を囲む際に、その隔板を設置して机や物品の損傷を防ぐのだ。机敷きもあると良い。これは机や椅子が安定していない時に、脚の部分に敷いて固定させる事が出来る。板などは職人にお願いして、作業中に余った材料を残してもらうと良いだろう。

 

・【地形と建築について】家を建てる際は地形を上手く利用する事が重要だ。家は平原のようにしてはならず、高低の抑揚が不可欠である。高い場所に低い家を建て、低い場所に高い楼を建てる。低い地には石を積んで山を作り、高い地には土を掘って池を作る。このような抑揚が美しい建築に繋がるのだ。また、同じように家の周辺の通路についても抑揚をつける事が望ましい。直線は俗な雰囲気になりがちであるが、左右に豊かに曲げる事で雅が生まれる。

 

長物と演劇を通して雅俗の探求を進めた清王朝時代の名文士、李漁。中国の論理学世界はどの時代を発掘しても希少な宝玉に出会えるので、非常に興味深い。

 

"変則新、不変則則腐;変則生、不変則板。(変えて新しさを求めなければ、必ず事物は腐っていく。変えて生み変えなければ、必ず事物は硬直する。)"变则新,不变则腐;变则活,不变则板。——《闲情偶寄·演习部·变调第二》

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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