天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 081】阮小七

阮小七

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)

 

<三元論に基づく個性判定>

31番 **強い生存欲求**、**とても弱い知的欲求**、**弱い存在欲求** - **「即断即決の行動家」** - 理論よりも迅速な行動を重視し、即座に問題を解決する。

 

<概要>

阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)は、阮家の七男。前回までに取り上げた阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr:次男)、阮小五(げんしょうご/ruǎn xiǎo wǔ:五男)の末弟となる。あだ名は「活阎罗(生きる閻魔)」。『水滸伝』に登場するこの水軍三兄弟のあだ名は(立地太歳の阮小二、短命二郎の阮小五)は、全て深く当時の日常生活に浸透していた民間信仰に基づく凶神。阮氏三雄(三兄弟)が反逆的で厳然としている人物像を表現していると言われている。私はそこに凶神並みの強さを持つ揺るぎない義侠心や武芸を有している意図もあると感じる。

 

もともと七人兄弟であった彼らは、かつて小悪党に過ぎなかった田虎(でんこ/tián hǔ)一味と衝突をして四名が殺害。残った三兄弟が農業から漁業に転じて、復讐の機を練る隠遁生活に入った(※これは裏設定:前回までの記事参照)。彼らが生活していたのは、梁山泊に隣接する石碣村。赤髪の劉唐(りゅうとう/liú táng)が生辰綱(腐敗役人が賄賂用に民から巻き上げた不義の財)の強奪計画を思いつき、これを地元で有名な教師の呉用(ごよう/wú yòng)と晁盖(ちょうがい/cháo gài)に相談した事から、過去の経歴と知己を辿って阮三兄弟を仲間に推薦する動きが生じた。こうして、阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)は兄たちと共に生辰綱強奪計画を成功に導いた一人となり、後に官府に追われる身となった梁山泊勢力に合流。百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際には序列第31位に定まり、「梁山泊山寨水軍隊長」に任命された。招安後も各地で水軍頭領のひとりとして武功を立てながら、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦も激戦を耐え抜き生き抜いた。しかし、方臘(ほうろう/fāng là)が生捕りにされて戦争が終結した直後の彼の行動が朝廷から問題視され、しばらくの後に官職が剥奪され追放処分となった。平民に降格した彼は母親と共に梁山泊石碣村に戻り、漁業をして生計を立てながら穏やかな余生を送った。

 

その後の京劇『打漁殺家』などの伝承によれば、彼は萧恩(しょうおん/xiāo ēn)に名を変え、特別な法術が宿る宝珠を入手。それを頭に乗せて水に潜ると行くべき道が拓けるという不可思議な力を発揮できるようになった。この宝珠は後に、彼の娘である萧桂英と花栄(かえい/huā róng)の息子である花逢春が婚約する際の信物になったという。

 

<方臘征伐戦の直後に取った彼の行動>

方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦が終わった時、阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)、阮小五(げんしょうご/ruǎn xiǎo wǔ)は戦死。兄弟の中では彼ひとりだけが生き残った状態であった。この時、最後まで前線の現場にいた阮小二の目の前には方臘(ほうろう/fāng là)が残した龍包(皇帝や王などが着用する正装)があった。阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)はこれを面白半分に羽織って、方臘(ほうろう/fāng là)の真似をして馬で周辺を駆け回って仲間たちを笑わせた。この彼の行為が後に朝廷に伝わる事となり、奸臣の童貫(どうかん/tóng guàn)と蔡京(さいけい/cài jīng)がこれを問題視。彼らはもともと梁山泊共同体の生き残った面々が官職を得る事を好ましく思っていなかったので、「龍包を着用したのは謀反の意があるからである」として阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)を弾劾。もともと、彼は戦後に「蓋天軍都統制」という高い官職を得る予定であったが、この弾劾によって帳消しとなり平民に降格させられた。

 

この逸話には色々な見方が出来る。まず、どうして最愛の兄たちを失ったばかりの彼が龍包を着て遊ぶなどという行動に出る事が出来たのかという点が疑問だ。2011年製作の中国ドラマ『水滸伝』では単純に阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)の軽率さから出た悪ふざけといった描写であったが、私はそれは違うと思う。そもそも、阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)とて龍包を着る行為が本来は斬首にも値する行為である事を知っているはずだ。それを敢えて来て馬で走り回ったのは、天国の兄たちに向けた彼なりの弔いではなかったかと思う。俺たちは最後まで成し遂げたぞ、安心して眠ってくれという、彼から兄たちの英霊に向けた行動によるメッセージだったのではないだろうか。

 

そして、童貫(どうかん/tóng guàn)と蔡京(さいけい/cài jīng)の弾劾が奸臣らしい不適切なものであったとする見解が強いが、よくよく考えてみると、これも私としてはどうも印象が異なる。本当に彼らが弾劾しようと思えば、阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)を死罪にでも出来ただろう。しかし、その「腐敗役人」たちは阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)の平民降格という、むしろ当人にとっては最高の褒賞を与えてくれた。現に、阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)はこれをとても喜んで、飛ぶように母のいる石碣村に戻っている。確証は無いが、この二人はかろうじて人の心をこの時点で発揮して、阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)を腐敗した世界から解放してやるという慈悲を与えたのかもしれない。

 

<若干の改修事項>

阮家が七兄弟であった事は前回までの記事で述べた通りである。その上で、私は中華世界の民間伝承に基づく「七兄弟の性質傾向」を基に、阮家それぞれの性質を次のように整理する事とした。

 

阮家まとめ

  1. **小一(長男)**: 力大無窮で、力と勇気を象徴する。
  2. **小二(次男)**: 聡明絶頂で、智慧と決策を代表する。
  3. **小三(三男)**: 性格剛烈で、実直と勇気を体現する。
  4. **小四(四男)**: 忠厚老実で、誠実と謙譲を代表する。
  5. **小五(五男)**: 機智霊活で、機智と応変を象徴する。
  6. **小六(六男)**: 風趣幽黙で、牧歌性に趣味性を添える。
  7. **小七(七男)**: 善良勇敢で、同情心と正義感を体現する。

 

そして、かつて田虎(でんこ/tián hǔ)一味との戦いによって命を落とした兄弟の性質や才能については、生き残った阮小二(げんしょうじ/ruǎn xiǎo èr)、阮小五(げんしょうご/ruǎn xiǎo wǔ)、阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)がそれぞれ継承すると想定した。阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)の場合は、阮小六(げんしょうろく/ruǎn xiǎo liù)から性質と才能を受け継いで、「素朴かつ寡黙であるが勇敢で義心に厚く、時折は突拍子もない言動を行う人物」と位置付ける。

 

<原型>

阮小七は『大宋宣和遺事』と『宋江三十六人賛』に記載された宋江の起義軍の三十六頭領の一人である。『大宋宣和遺事』は宋代の何者かが著した講史話本で、後に増補された可能性がある。書中では、宋江ら三十六人が太行山梁山泊に集結する物語が語られており、その中に短命二郎・阮進(阮小二)、立地太歳・阮通(阮小五)、活閻魔・阮小七が登場する。龚開の『宋江三十人賛』は『宣和遺事』の後に創作され、その中で阮氏三雄は短命二郎阮・小二、立地太歳阮・小五、活閻魔・阮小七として、小説『水滸伝』と同じ登場がある。これら二つの文学作品が、施耐庵(したいあん/shī nài ān)による『水滸伝』の阮兄弟の青写真である。

 

<1998年版のドラマで阮小七が歌っていた漁歌>

1998年製作の『水滸伝』において、阮小七(げんしょうち/ruǎn xiǎo qī)が漁業の最中に歌っていた妙な内容の歌がある。凶悪な内容であるが、これは阮家の史実を説明しているものというより、ただ面白半分に誇張して遊んでいるだけであろうと思われる。内容は次の通りだ。

 

阮小七渔歌

1、

爷爷生在石碣村!禀性生来要杀人!

先斩何涛巡检首!再杀东京鸟官人!

英雄不会读诗书!只在梁山泊里住!

虽然生得泼皮身!杀贼原来不杀人!

爷爷生在天地间!不怕朝廷不怕官!

水泊撒下罗天网!乌龟王八罩里边!

爷爷生在天地间!不求富贵不做官!

梁山泊里过一世!好吃好喝赛神仙!

 

祖父は石碣村に生まれた!生来の性格は人を殺すことだ!

まず何涛巡検の首を斬り!次に東京の鳥官人を殺す!

英雄は詩書を読めない!ただ梁山泊に住むだけだ!

たとえ無頼の体で生まれても!盗賊を殺すが人は殺さない!

祖父は天地間に生まれた!朝廷も官も恐れない!

水泊に天羅網を撒けば!亀やすっぽんがその中に入る!

祖父は天地間に生まれた!富貴を求めず官も望まない!

梁山泊で一生を過ごし!美味しいものを食べ飲み神仙のように暮らす!

 

2、

爷爷生在天地间!杀贼杀官把命玩!

阎王大帝奈我何?观音菩萨又怎般!

难忍世间无义事,只为生平性情刚!

举刀乱杀随我心,明朝便死又何妨?

 

祖父は天地間に生まれた!賊を殺し官を殺し命を遊ぶ!

閻王大帝がどうすることもできない!観音菩薩もまたどうにもできない!

世間の無義な事を我慢できない、ただ生平の性情が剛直なため!

刀を挙げて心のままに乱殺し、明朝には死んでも何の問題もない!

 

※「爷爷(イエイエ/yé yé)」は父方の祖父を意味する。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※上述の「素朴かつ寡黙であるが勇敢で義心に厚く、時折は突拍子もない言動を行う人物」という改修事項を反映する。

 

#### 好吃好喝赛神仙(心術)

**説明**: 阮小七は、神仙のような俯瞰的な視点で物事を的確に捉え、些末な事項は楽天的に看過し、重要な事項には義憤して行動を起こす能力「好吃好喝赛神仙」を持っている。この心術は、彼の高い洞察力と判断力に基づき、問題を適切に処理し、重要な場面で果断に行動する力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この心術は、道具に依存せず、阮小七の精神的な力と洞察力に基づく。

  - **思考性(とても濃い)**: 効果的に問題を処理するためには、高い洞察力と判断力が必要。

  - **関係性(中程度)**: 阮小七の心術は、仲間たちとの信頼関係を強化し、重要な場面での行動力を高める。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **俯瞰的な視点**: 阮小七は、物事を俯瞰的に捉え、些末な事項は楽天的に看過し、重要な事項には義憤して行動を起こす。
  2. **問題解決の行動**: 阮小七は、重要な問題に対して具体的な行動を計画し、実行する。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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