天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 076】張横

張横

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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張横(ちょうおう/zhāng héng)

 

<三元論に基づく個性判定>

9番 **とても強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**とても強い存在欲求** - **「力強い仲介者」** - 人と人を結びつける力に長け、物理的な活動を通じて他者と強く関わる。

 

<概要>

張横(ちょうおう/zhāng héng)、あだ名は「船火児」。江州にある小孤山の下で育ち、弟の張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)と共に浔陽江(じんようこう/xún yáng jiāng)で船頭をしていた。後に弟の張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)は魚売りに商売を転じている。そして彼らは何らかの理由で落草し、渡し船に乗る渡航者の追い剥ぎを行うようになった。原作では彼らが賊になった理由について特に言及は無いが、腐敗役人が何らかの関係をしているとして改修した方が妥当かと思われる。この浔陽江(じんようこう/xún yáng jiāng)の付近には地元では名の通った強者たちがいた。彼らは「揭陽三霸」という名で知られていた。

 

- **浔陽江(じんようこう/xún yáng jiāng)**:張横(ちょうおう/zhāng héng)と張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)の兄弟

- **揭陽嶺(けつようれい/jiē yáng lǐng)**:李俊(りしゅん/lǐ jùn)と李立(りりつ/lǐ lì)の兄弟分(血縁はなし)、及び彼らに従っている童威(どうい/tóng wēi)と童猛(どうもう/tóng měng)の双子兄弟

- **揭陽鎮(けつようちん/jiē yáng zhèn)**:穆春(ぼくしゅん/mù chūn)と穆弘(ぼくこう/mù hóng)の兄弟

 

彼らは罪人となった宋江(そうこう/sòng jiāng)が収容先に向かう道中でこの付近を通過した事をきっかけに深い知己を得る事となる。そして宋江が腐敗役人に貶められ死罪に決まった際、全員で救出作戦を結構。この事件を機に梁山泊勢力に合流。張横(ちょうおう/zhāng héng)は百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際、序列第28位に定まり、「梁山泊山寨水軍隊長」に任じられた。招安後も「揭陽三霸」の馴染みのある面々と共に梁山泊共同体において水軍の頭領のひとりとして活躍。その後、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦において、杭州で疫病に罹患して病死した。戦後、朝廷は彼を忠武郎に追封した。

 

<朝廷の奸臣たちは最後まで梁山泊共同体を疑っていた>

方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦では、その激戦ゆえに次々に英傑たちが倒れていく。それは方臘(ほうろう/fāng là)側の軍勢の規模が非常に大きかった事に加え(歴史上の方臘による起義軍の勢力は一気に十万以上に膨れ上がっており、『水滸伝』の梁山泊勢力の純粋な軍事規模の3〜5倍はあったものと考えられる)、そこまで遼国(りょうこく/liáo guó)、王慶(おうけい/wáng qìng)、田虎(でんこ/tián hǔ)といった賊征伐の連戦を重ねて疲労困憊をしていた事も理由のひとつだろう。この強引な連戦の命令は歴史上の南宋王朝時代における猛将・岳飛(がくひ/Yuè Fēi)の置かれていた立場と同様、朝廷の腐った文官たちが梁山泊勢力が謀反を起こす事を常に警戒をしていた事に起因する。彼らは梁山泊勢力の主要な猛将たちが賊と相打ちになる事を望んでおり、実際にその通りとなった。

 

救国の英雄たちを尊ぶどころか、むしろ蔑んで国家中枢から除外しようというこの動きは、主には彼らの自己保身にまつわる精神性に基づいている。ただし、そこに合理的な理由がないとも言い切れない。当時の北宋王朝は軍権を現場の武人には渡さず、朝廷の文官が掌握するような体制を徹底していた。これは過去の中華世界で現場の武人たちが権力を持ちすぎた結果、それが軍事クーデーターに繋がる事を学んでいたからである。以前のどこかの記事でも触れたが、その政治的な戦略は国家の安定を想うがゆえに判断でもあった。とは言え、この北宋王朝の末期について言えば、『水滸伝』にせよ現実の歴史にせよ、やはり奸臣たちが自分たちの地位や安全を最優先事項とする余りに国家の防衛力を無視していたという事になり、これは一種の"売国奴"としての行為に他ならない。それらのエリート官僚らの誤った判断に賛同した皇帝にも当然問題がある。

 

張横(ちょうおう/zhāng héng)、張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)の兄弟も、そうした朝廷の腐敗による犠牲者であると考えて良いだろう。杭州の戦いは疫病の蔓延もあり、特に現場に対する負担が尋常の沙汰では無かった。

 

<泣ける兄弟の絆、劇的な末路>

水滸伝』終盤における山場のひとつと知られるのが、張横(ちょうおう/zhāng héng)と張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)の涙を誘う展開だ。方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦における杭州の戦いでは、涌金門の守りを担っていた方臘軍の方天定(ほうてんてい/fāng tiān dìng)が梁山泊軍勢を苦しめた。そこで戦っていた弟の張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)は死に物狂いで戦った後、矢で射抜かれて地に倒れた。しかし、弟は兄に別れの言葉を言えなかった深い悔いがあったのか、その霊魂が現世に留まって兄を探し始めた。兄の張横(ちょうおう/zhāng héng)は五云山の麓で戦闘をしていた。兄は何か奇妙な感覚を覚えて気絶。次にハッと目が覚めた時、彼は宋江(そうこう/sòng jiāng)の目の前にいて、その右手には方天定(ほうてんてい/fāng tiān dìng)の首があった。彼はすぐに弟が自分に乗り移って戦ってくれた事、そして弟が既にこの世にいないという事を悟り、その場で再び気絶した。そのまま気力を失った兄の張横(ちょうおう/zhāng héng)は疫病を罹患し、弟の後を追うようにしてこの世を去った。底知れぬ兄弟愛が、そこにあった。

 

<兄弟愛、家族愛は儒学の基盤>

近年の日本で爆発的な人気を博した漫画『鬼滅の刃』では多方面に渡って兄弟愛、家族愛の表現が展開された。それらは作者が感じる社会の通念や自身が培った美徳を反映した結果であろう。学術的に鑑みれば、これらの孝悌や忠恕の論理学の源泉は儒学(約2500年前の春秋戦国時代孔子孟子らが体系化した論理学)にある。儒学は中華世界の柱として機能し続けた論理学でもあり、『水滸伝』が書かれた明王朝時代にも当然ながら精神性の大きな柱であった。そのような愛情が形式化され過ぎている、あるいは過剰になっているとして時代ごとに批判を受ける事もあり、近代史では共産党儒学の隷属的な問題点(目上の者に従うべきとする精神性)を批判して排除をしたが、当然ながらこの孝悌や忠恕の規範・良識・美徳は不可欠な論理学であると言える。

 

張横(ちょうおう/zhāng héng)と張順(ちょうじゅん/zhāng shùn)が体現した兄弟愛を始め、『水滸伝』に登場する英傑たちの兄弟はそれぞれに揺るぎない絆がある。そこに仲違いをする兄弟は存在せず、儒学の精神に反する例外がひとつもない点が非常に興味深い。それはもちろん読者にとっては心地の良いものであり、また教訓的でもある。ただ、物語としては性質や思考の違いによって反駁する兄弟がいても良い気がする。後に取り上げる阮三兄弟(阮小二、阮小五、阮小七)については、兄弟の中に一定の亀裂の設定を盛り込んでも効果的かつ現実的であると私は思う。

 

<原型とあだ名>

張横(ちょうおう/zhāng héng)の原型は史実にも存在する。南宋王朝時代の初期、太行山一帯に義士の張横(ちょうおう/zhāng héng)が金王朝に抵抗する為、群衆を指揮した記録が残っている。また、宋王朝元王朝時代の『大宋宣和遺事』では、早くも宋江の36部下の中に「火船工張岑」「一丈青張横」という人物が登場している。『宋江三十六人賛』にも張横が登場しており、あだ名は同じ「船火児」。作者の龔開が「太行の好漢、三十六、この火児なくしてその数足らず」と称賛をしている。これらが小説『水滸伝』の張横(ちょうおう/zhāng héng)の原型であると考えられている。

 

あだ名の「船火児」は船頭を意味する。『宋会要輯稿』第一百八十三冊には「各船の梢工四人、揺桨四本、火児四名」とあり、北宋の江休復の『江隣幾雑誌』には「江南の一節使、相者を召し、内子を群婢の間に立たせ、相者に分辨(診断)させた。相者は『夫人の額に黄色の気がある』と言い、群婢が皆それを見て、次に柁工の火児を分辨させたところ、水波紋があると言った。」とある。これにより、宋王朝時代には柁工以外の船工も「火児」と呼ばれていた事が分かる。また「火」は「伙」と類語であり、同じ職業における小頭目を示すと考えられる。よって、「船火児」は船乗りたちの隊長格であったと考えられ

 

- **李卓吾**:張横、阮小七は真に忠義であり、利益を計算するならばどうしてあれだけ命を賭けられるだろうか。俗人が成功と失敗だけで人を評価するのは唾棄するべき話である。

 

<三元論に基づく特殊技能>

#### 兄友弟恭(導術)

**説明**: 張横は、揺るぎない兄弟愛の体現によって周囲の仲間にも孝悌と忠恕の強い連携感覚をもたらす能力「兄友弟恭」を持っている。この導術は、彼の深い兄弟愛と忠誠心に基づき、仲間たちの結束力と連携力を高める力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この導術は、道具に依存せず、張横の精神的な力と兄弟愛に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 効果的に兄弟愛を体現するためには、高い共感力と理解力が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 張横の導術は、仲間たちとの関係を強化し、集団全体の結束力を高める。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **兄弟愛の体現**: 張横は、戦闘や任務において、自身の兄弟愛を体現し、仲間たちに対する強い連携感覚をもたらす。
  2. **結束力の向上**: 張横の導術が、仲間たちの結束力と連携力を高め、集団全体の士気と行動力を向上させる。

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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