天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

幸せかどうかを考えるのは、憂鬱への近道に過ぎない

20th Century Women

私:2016年製作の映画『20th Century Women(邦題:20センチュリー・ウーマン)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろんです。2016年に製作された『20th Century Women』(日本では『20センチュリー・ウーマン』として知られています)は、マイク・ミルズが監督し、アネット・ベニンググレタ・ガーウィグエル・ファニング、ルーカス・ジェイド・ズマン、ビリー・クラダップが出演しています。この映画は、1970年代末のサンタバーバラを舞台に、シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)が、息子のジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の成長に対処するために、彼女の友人であり個性的な女性たちの協力を得ていく物語です。映画は、それぞれのキャラクターの成長と葛藤、そして時代の変化を巧みに描いています。

 

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 70年代のシングルマザー家庭の物語だ。悩みながら懸命に息子を教育しながら母親ドロシア、人間関係や存在意義に悩みながら毎日を過ごす息子ジェイミー、自身の喪失感に悩みながら異性との性的行為によって埋めようとする幼馴染の娘ジュリー、都会で写真家の夢を諦めて地元に戻り病気と将来に悩む賃借人の女性アビー。その他の人物も、明確に人生を楽しんでいる者だとか、自分の使命に向かって努力している者だとか、そうした建設的な人物は登場しない。(一人ぐらいは北極星のような導き人を入れるべきだ。)

 登場人物の誰もが悩んでいるという、私が感じる限りでは奇妙な物語。丁寧な作品だとは思うが、展開としては歯がゆく、論理学的に得る閃きはあまり無いと思われる。

 この悩める映画を最大に象徴する台詞が、母親ドロシアの次の返事だ。息子から「母さんは幸せ?」と聞かれた彼女が、こう答えるのである。

 

"Wondering if you're happy is a great shortcut to just being depressed."

「幸せかどうかを考えるなんて、それは憂鬱になる近道に過ぎないよ」

 

 本当に幸せに生きている人は、敢えて自分が幸せであるかどうかという疑問を考える必要はない。そういった意味で、確かに彼女の言う事には一理ある。幸せを十分に感じられていないからこそ、息子が自分の母親に向かって「あなたは幸せなのか?」なんて聞くのだし、聞かれた母親の方も「そんなことを考えるのは憂鬱になるだけ」と苛立たしく答えるのだ。しかし、彼女の答えは決して真理ではない。自分が幸せなのかどうかについて考える事は、時として必要な事ではある。

 「幸せ」という情緒的な表現が意味する論理学的な意味は「健やかさ」である。人間の人生は、主に三つの要素において健やかであるかどうかを判別する事が出来ると私は考える。その要素とは「身体的な健やかさ」「精神的な健やかさ」「関係的(社会的)な健やかさ」である。これはWHOが定義する健康の最小条件にも合致する概念だ。

 

世界保健機関憲章>

"HEALTH IS A STATE OF COMPLETE PHYSICAL, MENTAL AND SOCIAL WELL-BEING AND NOT MERELY THE ABSENCE OF DISEASE OR INFIRMITY."

「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱 の存在しないことではない。」

 

 自分は身体的な健康を促す生活を循環できているだろうか?自分は精神的な充足感を得られる健康的な文化生活を送れているのだろうか?自分は社会や地域から求められる居場所を獲得できているのだろうか?──このように「自分は「幸せだろうか?(健やかだろうか?)」と考える事は、実は非常に有意義である。もし自分がどれかの要素において健やかではないと分析できるのなら、その要素を改善するよう早急に打開策を検討しなければならない。そしてその打開策が見いだせたのなら、継続努力によって改善や向上を行いながら「健やかさ」を手にしなければならない。

 「幸せについてなんて、考えたくない。日々を生きることで精一杯だ」という母親ドロシアの気持ちも分かるが、あなたはもっと真摯に人生と向き合うべきだ。憂鬱になる事を理由として、人生の健やかさと向き合う努力を怠るのだとすれば、それは人が幸せ(健やか)になるべきだという天命に反しているという事になる。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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