天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

会社の犬か、貧者の英雄か

Empire State

私:2013年のアメリカのアクション映画『Empire State(11ミリオン・ジョブ)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2013年のアメリカのアクション映画『Empire State(原題)』は、実際に起きた事件を基にした映画です。この映画は、1982年にニューヨークで発生したアメリカ史上最大の現金強奪事件を描いています。主演はリーアム・ヘムズワースが務め、彼は映画でセキュリティ会社の従業員クリス・ポタモティスを演じています。クリスは友人と共謀して、彼の勤めるセキュリティ会社の金庫から1100万ドルを盗み出します。

この映画は、クリスの罪悪感、友情、そして迫り来る危険と警察による追跡を描いており、緊迫感あふれる展開が特徴です。また、ドウェイン・ジョンソンが捜査官を演じており、彼の演技も高く評価されています。『Empire State』は、実話に基づくドラマとして、アクション映画のスリルと緊張感を見事に融合させた作品として知られています。

 

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 実際の犯罪事件を基にした映画。ドウェイン・ジョンソン他、俳優陣の演技や存在感が良く、物語や社会と時代の背景も大いに魅力的だ。それにも関わらず完全な凡作と化してしまったのは、娯楽的な誇張の味付けが足らなかったせいだろう。この作品には人間関係にも、展開にも、音楽にも、映像にも、ほとんど盛り上がりらしい盛り上がりが無い。塩胡椒をまったく入れない炒飯のような作品だ。具材は良いのに、もったいない。(尚、当時を知らない我々外国人には感覚的に把握しきれない点であるが、物語が80年代の強盗事件であるにも関わらず、衣装や街並みは70年代のようだという指摘もある。その逆に、走行車両が1995年製のフォードが使われているなど、細部の時代考証にも難があるようだ。)

 論理学に打ち込む私としては、ほとんど全ての台詞に力や鮮やかさがないという点も気になる所だ。あまりに平凡や言葉のやり取りが凡庸な雰囲気を加速させているのである。例えば主人公ポタモティス青年が強盗計画を決意する極めて重要な場面。彼はここで、悪友のせいで前科が付いて夢だった警官になれなかった事、警備会社の人の良い上司が銃撃を受けたのに保険金がほとんど支払われなかった事、父親が長年勤務した酒場から不当に解雇された事、これらの理不尽な出来事に激しい憤りを感じている。(描写や演技の様子からはまったくその義憤が感じられないが、多分そうでなければおかしいではないか。その強烈な感情が犯行の動機となる。)彼は友人から「そんな糞みたいな会社なら、そこの金を盗むべきだ」などと唆され、これに対して決意表明を込めた次の返事を行う。

 

"Yeah... should xxx xxx."(ぼそぼそと小さくて聞き取れない)

日本語字幕:「(窃盗を)やろうかな」

 

 会話は三つの要素によって構成されていると私は考える。それは反応的受諾、思考的解説、感情的表現である。私の三元論に基づく基本的な類型としては以下の通りとなる。

 

弱い反応的受諾・弱い思考的解説・弱い感情的表現(簡単な相槌など)

弱い反応的受諾・強い思考的解説・弱い感情的表現(情報の説明など)

弱い反応的受諾・弱い思考的解説・強い感情的表現(喜怒哀楽の感嘆など)

弱い反応的受諾・強い思考的解説・強い感情的表現(説明と感嘆など)

強い反応的受諾・弱い思考的解説・弱い感情的表現(合意や肯定など)

強い反応的受諾・強い思考的解説・弱い感情的表現(説明を伴う合意など)

強い反応的受諾・弱い思考的解説・強い感情的表現(共感を伴う感嘆など)

強い反応的受諾・強い思考的解説・強い感情的表現(強調的な合意、説明、感嘆など)

 

 先の極めて重要な決意表明の場面では、主人公は思考的解説または感情的表現の発露を強く行わなければならない。自分が何の根拠から、何を決意したのか。それを語らなければ鑑賞側は彼に対する共感を得る事が出来ない。もちろん、「うん、やろう」という極めて単純な反応的受諾でも俳優の表情や映像・音楽の演出によっては印象的な場面に昇華する可能性があるが、本作ではそれらの効果もまったく感じられないので、本当に言葉が心からこぼれ落ちてしまっている。彼の言葉が画面の外に響かないのだ。これほど力のない言葉を描写するぐらいなら、まだ"沈黙"を選んだ方が良かった。

 この場面では更に、悪友ジミーの台詞の品質も極めて低い。この男は浅はかで軽率な小悪党であり、それを描写したいが為か常に汚い言葉「fuc*(クソッタレ)」と叫びながらほとんど物語に影響をもたらさない感情的表現を続ける。それは他の場面であれば効果的かもしれないが、先の悩める友人に金を盗む事を唆す場面では最大の悪賢い知力を発揮させ、思考的解説を行わせるべきである。そうしなければ、人間に深みが出ない。例えば、この場面では「対比の美学(〜のAか、それとも〜のBか)」を有効に用いる事が出来る。

 

(原語)

"Think about the wife, and think about the kid, bro."(殺された奥さんのこと、そいつの子供のことを考えてやれよ、兄弟。=おそらく会社の金を盗んで彼らに恵んでやれよと言っている)

(提案)

"Hey, you really cool with just being a dirty company's lapdog, risking your life for peanuts? Why not be a hero for the underdog, giving it back to those heartless jerks who don't give a darn about anyone's life?"

(おい、お前は命を張りながら僅かな金を貰って満足する汚ねぇ会社の犬で満足か?人の命を何とも思わねぇ連中に一矢報いる貧者の英雄になるべきじゃねぇのか!?)

 

 もちろん、現実世界の場面ではこれほど抒情的な会話はしなかっただろう。しかしこれは映画作品である。言葉に魂を込めないと、物語の推進力が得られない。

 

※余談:たまたま身内がつけていた実にやかましい朝の情報番組で、映画『マイホームヒーロー』の番組宣伝が行われていた。そこで物語を解説する女性のナレーションが「哲雄(主人公)は家族を守る英雄なのか、それとも犯罪者か」と語っていた。これは「対比の美学」にそぐわない非常に不完全な文章である。「家族を守る英雄」の対比を行う場合、「〜する犯罪者」という対等の重みを持たせないと論理としては不安定で弱々しくなる。その映画に興味が無いので「哲雄」がどのような人物かは不明だが、ここでは「社会を害する犯罪者/国家を壊す犯罪者/家族を裏切る犯罪者」といった具合の対比表現を導入するべきだ。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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