天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

「武」とは「戈」を「止める」ことだ

兵圣

私:2008年の中国時代劇ドラマシリーズ『兵圣(孫子兵法)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2008年に放送された中国の時代劇ドラマシリーズ『兵圣(孫子兵法)』は、中国の著名な軍事戦略家である孫子と彼の著作『孫子兵法』を中心に据えた作品です。このドラマは、古代中国の戦争と政治の背景の中で、孫子の人生、彼の哲学、そしてその戦略がどのように形成されたかを描いています。

 

主人公の孫子は、戦略家としての才能を発揮し、多くの歴史的な戦いでその能力を証明します。ドラマは孫子の思想と戦術がどのようにして彼の時代を超えて今日まで影響を与え続けているかを探ります。また、彼の人生の多くの側面を掘り下げることで、一個人としての孫子のキャラクターにも焦点を当てています。

 

このドラマは、歴史的な背景と文化的な要素が豊かに盛り込まれ、当時の中国の社会や文化を反映しているのが特徴です。また、衣装やセットのデザインも時代を忠実に再現しており、視覚的にも楽しめる作品となっています。

 

『兵圣(孫子兵法)』は、中国の古典的な文学作品をベースにしたドラマとして、中国国内だけでなく海外でも注目を集めました。孫子の教えや戦略に興味がある人にとっては特に魅力的な作品です。

 

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中国大河ドラマは中華世界の揺るぎない論理学や怒涛の歴史に心を震わされた者にって垂涎の芸術作品だ。現在、私は『絮の人 孔子伝』を鑑賞しているが、ただ孔子が人間として言葉を口にしているというだけで深々と感動する。聖書を"実写化"したゴシック教会や芸術を目にしているのと同じような感覚だ。その点、この科学時代において高度な写像技術を享受できることは本当に有難い。

 斉国に生まれ、知性も武力も兼ね備えた孙武(孫武、所謂「孫子」)は早速地方戦で多大なる功績を上げたが、国氏・孫氏・高氏・田氏の内紛に巻き込まれ、二度と故郷に戻らぬ覚悟で流浪の身となる。戦乱の世を立て直すべく、戦わずして勝つ(武力衝突の被害を最小限に留めて平和的な覇業を成し遂げる)ことを主軸として兵法を研究し、その後、楚国出身の伍子胥と共に呉国の大将軍として楚国、越国を制圧する偉業を成し遂げる。

 こうして言葉として説明すると硬そうであるが、人間関係の軋轢や戦争の衝突描写に至るまで娯楽性に富んだ"孫武演義"となっている。架空の人物である鯨豺、国無咎、紫蘇らの人物もよく機能していて、 段階を追って登場する佞臣や暗君の容姿や演技も分かりやすい。俳優・朱亚文が演じる孫武の雰囲気も「本当に孫武はこういう人だったんだろう」と思わせるほどよく溶け込んでいる。ちなみに、朱本人も軍人家系だ。

 言うまでもないことだが、孫子の兵法は極めて実用的な論理学で、三国時代曹操諸葛孔明を始め、軍事や平和構築を研究する学者たちに多大なる影響を与え続けた。近代に入った後も欧米諸国の軍事研究家がその内容を読み解いて活用するなど、彼の論理学が時代と国家を超えて輝いている。

 「当時、外地人(呉)が呉国の将軍として活躍することなど有り得ない」という見解や文献資料の乏しさから「孫子兵法」は後世の創作ではないかという説もあるが、現在は関連する竹簡資料が発見されている事から「孫武の活躍譚の真偽はさておき、そのような人物は確かに存在したらしい」という見解が定説になっている。

 彼の兵法によれば、まず彼はこう記している。「兵法は、国の大事であり、生死の地であり、存亡の道です。これは五つの原則から運営する必要があります。その原則とは、道、天、地、将、法です。道とは、民が上と同じ意志を持つことであり、そのためには彼らと共に死ぬことも、生きることもでき、危険を恐れません。天とは、陰陽、寒暑、時の制御です。地とは、遠近、險易、広狭、生死です。将とは、知恵、信頼、仁愛、勇気、厳格さです。法とは、曲制、官道、主用です。これら五つの事柄をすべての将軍が聞くべきです。これを知る者は勝ち、知らない者は勝てません。」

 彼と同じく、私は論理学の探求者だ。この序文を、現代的な感覚(技術・倫理・情勢)と自身の三元論で解釈し直すとすれば、それは次の通りとなる。

 

"国家運営の理論とは、国の大事、生死の境界線、存亡の要だ。これは人間に内在する三つの本能を見定めて運営する必要がある。その本能とは、生存欲求、知的欲求、存在欲求である。生存欲求とは、身体の健康を維持したい、物品を所有したいという、生きたい想いである。知的欲求とは、精神の健康を維持したい、何かを信じたいという、知りたい想いである。存在欲求とは、関係の健康を維持したい、何かに所属したいという、繋がりたい想いである。この人間の本能的な三つの欲求を知る者は平和な国家運営の手立てを得られて、これを知らない者は得られない。"

 

 この"人間の三本能"は私が研鑽と探求を続ける独自の論理学体系のうち、もっとも実用的な概念の出発点となる発見である。これを元にした考えた時、国家運営の方法は次のような類型に集約される。(生存欲求は物理的希求に、知的欲求は精神的希求に、存在欲求は集団的希求を生む。つまり、人は何かに触りたい、何かを信じたい、何かに属したいという強烈な想いによって言動に及び、その個々の本能が単独または融合する事によって、他者のそれと衝突・対立・分断が生じる。国家運営者はその本能によって生じる不具合を調整して平和状態を保つ必要がある。)

 

①弱い物理的希求・弱い精神的希求・弱い集団的希求(全て満たされている)

②弱い物理的希求・強い精神的希求・弱い集団的希求(信じたい)

③弱い物理的希求・弱い精神的希求・強い集団的希求(属したい)

④弱い物理的希求・強い精神的希求・強い集団的希求(信じたい・属したい)

⑤強い物理的希求・弱い精神的希求・弱い集団的希求(持ちたい)

⑥強い物理的希求・強い精神的希求・弱い集団的希求(持ちたい・信じたい)

⑦強い物理的希求・弱い精神的希求・強い集団的希求(持ちたい・属したい)

⑧強い物理的希求・強い精神的希求・強い集団的希求(何も満たされていない)

 

 ①は欲求が適度に満たされた状態なので、国家運営者は特別な配慮を必要としない。私はそれを「浪治」と呼ぶ。②は精神的な欠乏感が生まれて人々が空虚な状態にあるので、国家運営者は明確で具体的な国家指針や目標を強烈に掲げなければならない。私はそれを「論治」と呼ぶ。③は人々の繋がりが極めて乏しく、民族や国家の統一性に大多数が危機感を覚えている状態にあるので、国家運営者は古典的な方法や根拠のある価値観を美徳として、人々をその観念に帰属させる必要がある。私はそれを「徳治」と呼ぶ。④は②③の融合であり、具体的な指針と抽象的な美徳が必要な状態である事から、国家運営者は人と国を超える高みから一種形而上学的とも言える概念を提供しなければならない。私はそれを「天治」と呼ぶ。

 続ける。⑤は生存に必要となる食欲・休息欲・運動欲に関連する食糧や資財が欠乏している状態にあるので、国家運営者は生産能力とその環境を徹底的に整備・改善しなければならない。私はそれを「地治」と呼ぶ。⑥はそれに加えて精神的な支柱を失い空虚な感覚が広がっている状態なので、国家運営者は生産体制の強化と共に観念の普及と定着を行う必要がある。私はそれを「約治」と呼ぶ。⑦は生存物資の不安定化に加えて民族や国家の統一性が不安定化している状態なので、国家運営者は生産体制の強化と同時に帰属意識を高める価値観を提示する必要がある。私はそれを「人治」と呼ぶ。⑧は生存欲求・知的欲求・存在欲求に関する全ての事項が満たされていない状態である事から、国家運営者は②③⑤の視点を⑤②①の優先順位で推進しなければならない。私はそれを「融治」と呼ぶ。

 これが、人間の三本能から発露する集団的な対立・衝突・分断を回避する為に不可欠となる、国家運営方法の基本類型である。力(才能・資金・人脈)はこの原則に沿って個人の幸せと文化の興隆、そして和平の実現の為に用いられなければならない。

 

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鯨豺:先生…事已至此不必難過了。保重身体要緊哪。(先生…起きてしまった事は仕方ありませんよ。今は身体を大切にして下さいな。)

孫武:…你可知我名爲何意。(…お前は私の名前が何を意味するのか知っているか。)

鯨豺:武…就是果敢無畏勇武精進的意思吧。(「武」…恐れなく果敢に突き進むという事じゃありませんかね。)

孫武:不对…武…止戈也。(違う…「武」とは…戈[ほこ]を止めることなんだ。)

──『兵圣』第7集より

 

※画像:DALL-E

※余談:古代漢字の「止」は「足、進む」の意があり、したがって「武」は「戈を進ませる」という構成の象形である。後世において「止」の意図が変化した為、上述のような考え方が生まれた。

 

作品紹介

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著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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