天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

「3時10分」は「時刻」か「概念」か?

3:10 to Yuma

私:1957年、アメリカのモノクロ西部劇『3:10 to Yuma(邦題:決断の3時10分)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:1957年のアメリカ映画『3:10 to Yuma』(邦題:決断の3時10分)は、モノクロの西部劇です。この映画はエルモア・レナードの同名の短編小説に基づいており、デルマー・デイヴィスが監督を務めました。

物語は、ダン・エバンス(演:ヴァン・ヘフリン)という名の一本足の農場主が中心となります。エバンスは、有名な無法者ベン・ウェイド(演:グレン・フォード)を捕えることに成功し、彼を列車「3:10 to Yuma(3時10分発のユマ行き列車)」に乗せてユマの刑務所へと護送する任務を引き受けます。エバンスは家族のために必要な報酬を得るためにこの危険な仕事を引き受けますが、ウェイドの仲間たちが彼を解放しようと画策している中、エバンスはウェイドを護送するために時と心理戦を戦います。

この映画は、西部劇特有のアクションや緊張感ある展開だけでなく、キャラクター間の心理的な駆け引きや道徳的な問題に焦点を当てており、当時としては斬新なアプローチを取っていました。また、グレン・フォードヴァン・ヘフリンの演技も高く評価されています。『3:10 to Yuma』は、その後も西部劇映画の古典として評価され続け、2007年にはクリスチャン・ベールラッセル・クロウを主演に迎えてリメイクされました。

 

私:そのリメイク版についても紹介してくれる?

 

ChatGPT:2007年の『3:10 to Yuma(邦題:3時10分、決断のとき)』は、1957年の同名の映画のリメイク版で、西部劇のジャンルに属します。ジェームズ・マンゴールドが監督を務め、クリスチャン・ベールラッセル・クロウが主演しています。

このリメイク版では、オリジナルのプロットを基にしつつも、より深みのあるキャラクター描写と複雑化した物語が展開されます。クリスチャン・ベールは、ダン・エバンスという名の農場主を演じ、ラッセル・クロウは冷酷なアウトロー、ベン・ウェイドを演じています。

物語の中心は、エバンスが経済的な困難から家族を救うため、ウェイドを捕らえ、列車「3:10 to Yuma」でユーマの刑務所に護送する任務を引き受けるところから始まります。このリメイク版では、エバンスとウェイドの間の心理的な駆け引き、お互いへの理解と尊敬の構築、そして周囲の暴力的な状況が、より詳細に描かれています。

2007年の『3:10 to Yuma』は、そのアクションシーン、強力なキャスト、そして心理的に複雑な物語で高い評価を受けました。オリジナルと比較しても遜色ない、またはそれを上回ると評されることも多い作品です。特に、クリスチャン・ベールラッセル・クロウの演技が高く評価され、西部劇としてのクオリティの高さで注目されました。また、映画の撮影技術、音楽、美術デザインなども評価の対象となっています。

 

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 スペイン北東部Borjaの教会の柱に百年の歴史を有する美しいキリストのフレスコ画「Ecce Homo(この人を見よ)」があった。この作品の修復を手掛けた82歳のCecilia Gimenezさんは元々の完璧な美しさを全て台無しにして、キリストはまるで猿のような顔になった。この2012年に起きた失笑を伴う珍事は、新しい技術・感性・思想が古いものから進化する訳ではなく、時としてむしろ退化するという人間行動の特性を象徴していると言える。

 1957年のアメリカ映画『3:10 to Yuma』は西部劇という作品分野の完成形のひとつであると断言出来る。音楽、描写、展開、何もかもが美しくて満ち足りている。当時の技術性は現代よりも低次のものであり、白黒の画面であるが、それがかえって情緒性を格上げしている気配すらある。(尚、当時は既に彩色撮影の機材が一般化していたが、監督らは映像美を鑑みて敢えて白黒撮影の機材を用いている。)

 その完成形の映画作品をトレースしながらも、先の絵画修復の珍事の如く、音楽、描写、展開の何もかもを台無しにしたのが、2007年のリメイク版だ。大物俳優や舞台描写に湯水のような金が注がれている事だけはよく分かるが、凡庸な音楽に緊張感の無い描写、捻くり回して歪められた人物設定や緊張感や真実味の無い展開、何ひとつとして私は評価できる点が無い。資金力のごり押しが功を奏して駄作とは言えないが、原作を超える点は一か所も無い。半世紀を経て撮影や特撮が格段に向上しているはずの映像ですら、恐ろしく心に響かない。

 そして、なぜか邦題も論理的な劣化が見受けられるから興味深い。原語では原作もリメイク版も同じ『3:10 to Yuma』であるが、邦訳は次のように修正されている。

 

<邦題比較>

原語:3:10 to Yuma

旧題:決断の3時10分

新題:3時10分、決断のとき

 

 この作品は主人公である農場主ダンと無法者ベンが「3時10分」という運命の時が迫るに従い、それぞれ自分の信念と仁義に従って重大な決断を行う。「3時10分」は、彼らにとって単なる「時刻」ではなく、「列車が来るまでに、自分が何を為すべきか」という「概念」なのだ。旧題は「決断の(行動)」+「3時10分(概念)」という研磨された論理描写によって、その映画の本質を鮮烈に凝縮している。

 一方、新題は何故か「3時10分」を先頭に回した。結果、この新題では「3時10分」がまるで「時刻」であるかのように機能してしまっている。それに続けて「決断のとき」とあるので、構造的には先と真逆の「3時10分(時刻)」+「決断のとき(行動)」となる。この新題から鑑みれば「この映画では3時10分に登場人物たちが何かを決断するのだな」という印象を持ちかねない。3時10分は主人公たちにとって決断を完全に終えているので、物語の本質と限りなく乖離している。更に私の感性では「とき」という平仮名の描写についても苛々する。「3時」の漢字と「とき」の平仮名が混合している点が気味が悪いし、そもそもこれだけ短い論理表現の中に同じ単語(時)が重複している点も吐き気がする。視認性から鑑みて句読点も実に不細工だ。せめて「3時10分の決断」であれば「概念」+「行動」という映画の本質に近づけられたかもしれないが、それでも数字が先頭に置かれているので「時刻」の印象が先走る。

 中華料理人における炒飯と腕前の関係と同様に、作家もまた難儀な長文よりも端的な短文の方が感性の優劣が現れやすい事がある。これは短い論理表現を用いて、消費者に対し商品やサービスを印象付けるキャッチコピーにも通じる。例えば、私はここ数日のうちで、次のような論理性の品質に問題のあるキャッチコピーを見かけている。

 

  1. いつでも、どんなことでも、弁護士。(日本弁護士連合会)
  2. なっとくのカバー力!密着のコンシーラー(資生堂
  3. 気持ちがいい集積場所はコミュニティの力で『自治会に入ろう』(自治会ごみ収集冊子)

 

 1はその前文として、左上の方に小さく「悩みがトラブルになる前に」という文言が添えられている。それを踏まえると、まず「悩みがトラブルになる前に いつでも、どんなことでも、弁護士。」というキャッチコピーは冗長である。長過ぎるのだ。次に、「いつでも、どんなことでも」が攻撃的・挑発的・威圧的である。連合会側は「トラブルになる前に『相談してね』」という事を言いたいのだろうが、この止め方では「いつでも、どんなことでも『訴訟をして相手を倒そうね』」というようにも受け止められる。そして、その負の感情が、次の「弁護士。」という体言止めによって殊更強調されてしまっている。結果、なんだか怖い。これでは弁護士に相談したいとは思えない。このキャッチコピーを修正する事は極めて難しいが、もしどうしても原文の雰囲気を残すのであれば、「悩みが~前に」を削除し、「いつでも、あなたに、寄り添える。」ぐらいの表現にした方が印象的であり、優しい雰囲気が出る。

 2は全体としては悪くはないのだが、日本語独特の視認性の問題が生じている。それは、よく美容業界のキャッチコピーで見受けられる「カバー力」である。あまり気にしない人も多いと思うが、よくこの字体を眺めてみて欲しい。「バーカ(馬鹿)」という形状がある事に気づくはずだ。日本語の漢字「力」とカタカナの「カ」は同一の形状をしており、これによって「カバーカ」は字体だけ鑑みればバーカというとんでもない雑言となる。こうした視認性の問題も、何しろ短い論理表現ゆえに絶対に回避したい所だ。薬機法により表現の制約が多いので難儀な所であるが、「カバー効果」ぐらいに収めておくのが妥当であると思われる。

 3に至っては、1・2とは違って専門家ではなく役所の方が寸暇を削って無償で作っているのであろうからケチをつけたくないが、正直に言って訳が分からない。このコピーで表現したい内容はおそらく2点である。1点目は「皆さん、自治会(月額数百円)に入って一緒に地域の安全と安心を守りましょう」、2点目は「自治会のメンバーが力を合わせて分別や曜日を守る環境を整え、ゴミ集積の場所の清潔さを保ちましょう」という事だ。

 まず修正するべきは、広末涼子が手紙に書きそうな「気持ちいい」という気持ちの悪い表現だ。この表現は身体的快感を彷彿とさせる傾向があり、伝えたい内容である物理的な心地良さ(清潔な空間の維持)を提示出来ていない。次に、「集積場所」も何の場所なのか速やかに伝わらないので修正が必要だ。「コミュニティの力で」については、その集団の属性がまったく不明である為にやはり修正が必要であり、最後の枠にある「【自治会に入ろう】」も前文とどのような繋がりがあるのかさっぱり分からないので修正が必要だ。要するに、これは何もかも変えなければならない。書くとすれば、「【自治会は地域の絆】ごみ捨て場の環境を、みんなで守ろう。」、または「【自治会は地域の絆】ごみ捨て場の環境を、みんなの自治会で守ろう。」ぐらいが適切だ。「自治会」が二度登場するのは先ほどの私の基本理論に反する(キャッチコピーにおける同単語の重複違反)が、2つのメッセージ(自治会参加の呼びかけと、その会を中心としたゴミ集積環境の保全)を繋げる為には、このような違反的な強調表現も許される。

 

1.いつでも、どんなことでも、弁護士。

 →いつでも、あなたに、寄り添える。日本弁護士連合会。

  1. なっとくのカバー力!密着のコンシーラー

 →なっとくのカバー効果!密着のコンシーラー

  1. 気持ちがいい集積場所はコミュニティの力で『自治会に入ろう』

 →【自治会は地域の絆】ごみ捨て場の環境を、みんなの自治会で守ろう。

 

 改善が見受けられるだろうか?

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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