天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など21:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』 

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

 

①驕兵の計(きょうへいのけい)

歴史的に、異民族の党項族(後の西夏)とは北宋王朝が誕生した頃から対立関係にあった。宋の太平興国8年(983年)、李継遷を中心とする党項族の拓跋(たくばつ)などの部族が宋に対して公然と敵対し、宋の初代皇帝の太宗は何度も彼らを武力で平定しようとするも、軍事力や兵糧、地理的条件の制約により何度も敗北。その後は休戦状態となったが、仁宗の治世で李継遷の孫である李元昊(りげんこう/lǐ yuán hào)が西夏政権を樹立し、再び北宋の侵略を開始。しばらく情勢を静観していた仁宗であったが、遂に徹底抗戦の決断を下して全面的な宋夏戦争に突入した。

 

これまでとは違って、戦況は宋軍が有利。「三回年を越せば経済制裁中の西夏で食料が行き届かなくなり民の暴動が起きる」と語る晏殊(あんしゅ/yàn shū)、「私が現地に向かって陣頭指揮を取りたい」と語る韓琦(かんき/hán qí)など、朝廷の重臣たちも押せ押せムードだ。

 

上の場面、仁宗は嬉しそうに皇后の曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)へ「このまま和議をせずに党項族を平定しようと考えているんだ」と語るのだが、将軍一族の出自で武芸に通じている彼女はすぐに「それって元昊の骄兵之计(驕兵の計)ですよ!」と反論。これは敢えて自軍の不利を装うことにより敵の驕り(おごり:傲慢さ)をおびき寄せる計略。これにより相手の誤判断を誘い、その隙を突いて反撃を仕掛ける。

 

仁宗は彼女の猛烈な抗議に思わずたじろぐが、彼女は仁宗の様子を見ずに近くに遭った化粧用具で地図を書きながら丁寧に地形上の不利を解説する。仁宗は苦い顔をして黙って彼女の説明に耳を傾けた後、小さくため息をついて忌々しそうに「専門家の諌言として解説と地図は受け取るが、紅や白粉は地図を書くための道具ではない」と、若干いじけながら返事をするのだった。

 

※画像:この場面の収録風景。舞台裏の特典映像で、曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)役の江疏影(ジャンシューイン/jiāng shū yǐng)が撮影監督から「二人とも不機嫌になるんだ」という説明を受けて、「二人とも可愛い所があるんだなぁ」と笑っている。一方、仁宗役の王凱(ワンカイ/wáng kǎi)は既に役に入り切っているのか、周囲の談笑が耳に入らず気難しい表情。

 

ただ厳密に言えばこの場面、「驕兵の計」という言葉が宋王朝時代の皇后の口から出るのは時系列的におかしいかもしれない。この兵法の名称が登場したのは曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)がいた時代から約四百年後の世界。『水滸伝』『西遊記』などが発表された明王朝時代、羅貫中(らかんちゅう/luó guàn zhōng)が『三国志演義(三国演义)』で書いたものが出典だと言われている。本書の第七十回、孔明が敵軍の黄忠が連戦連敗している様子を鑑み、「これは老将による驕兵の計です」と見破る場面がそれだ。

 

これに似た計略として、5世紀頃の南北朝時代に生まれた「三十六計(兵法三十六計)」の中に「空城の計(空城计)」がある。城を空の状態であるかのように見せかけて(兵力がまったく無いようにみせかけて)相手の油断を誘い、過剰進軍をしてきた相手を伏兵などで囲ってボコボコに打ちのめすという策略だ。こちらも『水滸伝』『三国志演義(三国演义)』などに登場している。

 

②補足:兵法三十六計

※画像:百度百科「三十六计(中国古代三十六个兵法策略)」より引用。

 

『三十六計(兵法三十六計)』または『三十六策』は、中国古代の三十六の兵法戦略を示し、この起源は上述の通り南北朝時代にさかのぼるという。ただ、文献の内容が兵法だけではなく、無意味な引用も多かった。本格的に兵法として内容が凝縮してまとめられたのが明王朝時代となる。呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn:『水滸伝』の作者)や羅貫中(らかんちゅう/luó guàn zhōng:『三国演義』の作者)は、このまとめられた兵法三十六計を目にして、作品に持ち込んだものと考えられる。

 

原書の「序言」によれば、『三十六計』はそれぞれ六つの計を一組としており、全体で六つの巻に分かれています。第一巻は「勝戦計」、第二巻は「敵戦計」、第三セ巻は「攻戦計」、第四巻は「混戦計」、第五巻は「并戦計」、第六巻は「敗戦計」だ。前の三つのセットは優位に立っている時に使用する計略で、後ろの三つは劣勢にある時に用いる計略となる。それぞれの巻には六つの計略が含まれており、合計で三十六計という計算となる。

 

ここに、その三十六計全ての内容について、分かりやすい形にしてメモをしておこう。

 

<勝っている時は、以下のように行動するべきだ>

  1. **瞞天過海(天を欺き海を渡る)**:敵に警戒心を抱かせないよう、見慣れた環境を利用して動く。
  2. **圍魏救趙(魏を囲み趙を救う)**:正面から戦うのではなく、敵の弱点を突き、分断して攻める。
  3. **借刀殺人(刀を借りて人を殺す)**:自分の力を温存し、他者を利用して敵を倒す。
  4. **以逸待勞(安逸をもって労を待つ)**:疲れた敵を待ち伏せし、余裕のある状況で戦う。
  5. **趁火打劫(火に乗じて略奪する)**:敵が混乱している時に、その弱点を突いて利益を得る。
  6. **聲東擊西(東に声を出して西を攻める)**:偽りの情報で敵を惑わせ、別の場所で攻撃する。

 

<敵と対等か、やや不利な時は、次の計略を使うべきだ>

  1. **無中生有(無から有を生じる)**:偽りの情報を流して敵を騙し、本物を隠す。
  2. **暗渡陳倉(暗に陳倉を渡る)**:目立つ動きで敵を惑わせ、隠れた場所で実際の行動を行う。
  3. **隔岸觀火(岸を隔てて火を見る)**:敵の内部混乱を見て静観し、タイミングを待つ。
  4. **笑裏藏刀(笑いの中に刀を隠す)**:友好的に見せかけ、裏で策略を巡らす。
  5. **李代桃僵(桃の代わりに李が死ぬ)**:一部の犠牲を払って全体の利益を守る。
  6. **順手牽羊(手に任せて羊を引く)**:小さな隙や利益を確実に掴む。

 

<攻めるべき時、戦いが始まった時は、以下のように戦うべきだ>

  1. **打草驚蛇(草を打って蛇を驚かす)**:疑わしい事があれば探りを入れ、事前に敵の動きを察知する。
  2. **借屍還魂(屍を借りて魂を戻す)**:使えないものでも工夫して活用し、利益に変える。
  3. **調虎離山(虎を山から引き離す)**:敵をその有利な立場から引き離して、弱点を突く。
  4. **欲擒故縱(捕らえんとして故に縦つ)**:敵を追い詰めすぎず、余裕を与えて油断させて捕まえる。
  5. **拋磚引玉(石を投げて玉を引く)**:小さな犠牲で大きな利益を得る。
  6. **擒賊擒王(賊を捕らえるには王を擒えよ)**:敵のリーダーを狙い、戦いを早く終わらせる。

 

<不利な状況、混乱が生じた時は、以下の計略を使うべきだ>

  1. **釜底抽薪(釜の底から薪を抜く)**:敵の勢いを削ぎ、根本から力を奪う。
  2. **渾水摸魚(混水にて魚を摸る)**:敵の混乱に乗じて利益を得る。
  3. **金蟬脱殼(金蝉脱殻)**:外見を維持しつつ、実際には隠れた行動を行う。
  4. **關門捉賊(門を閉じて賊を捕らえる)**:敵を閉じ込め、逃げ場をなくして完全に制圧する。
  5. **遠交近攻(遠くを交わり、近くを攻める)**:遠い敵とは手を結び、近くの敵を攻める。
  6. **假途待虢(途を借りて虢を待つ)**:敵国に協力を装いながら、後でその領地を奪う。

 

<劣勢や逃げ場がない時には、次の計略を使うべきだ>

  1. **偷樑換柱(梁を盗み柱を換える)**:敵の主力を巧みに入れ替え、混乱させる。
  2. **指桑罵槐(桑を指し槐を罵る)**:別の事象を利用して敵を威嚇する。
  3. **假癡不癲(痴を装って癲ぜず)**:愚か者を装って油断させ、機会を待つ。
  4. **上屋抽梯(屋に上らせて梯を取る)**:敵を誘い込んだ後、逃げ道を断つ。
  5. **樹上開花(樹の上に花を開く)**:小さな力で大きな効果を出す。
  6. **反客為主(客を反して主と為す)**:状況を逆転させて主導権を握る。

 

<最悪の状況に追い込まれた時には、以下の計略が有効です>

  1. **美人計(美人計)**:誘惑や感情を利用して敵を破滅に導く。
  2. **空城計(空城計)**:空虚を装い、敵を疑わせて撤退させる。
  3. **反間計(反間計)**:敵の内部に不和を持ち込んで崩壊させる。
  4. **苦肉計(苦肉計)**:自らを犠牲にして敵を欺き、信頼させる。
  5. **連環計(連環計)**:敵を相互に絡ませて動けなくし、その勢力を削ぐ。
  6. **走為上計(逃げるが勝ち)**:最も危険な状況では、無理に戦わず撤退して機会を待つのが最善策である。

 

③能饮一杯无,千樽亦不足(一杯飲むか?千樽でも足りん)

曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)は静かなる仁宗との喧嘩で心が乱されたので、ひとり工作や書道に打ち込んだ。この場面で曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)が凧に書いた文字は「能饮一杯无,千樽亦不足(一杯飲むか?千樽でも足りん)」。

 

これは以前交わした、曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)と仁宗の会話。彼女が「久しぶりに手作りのお酒を一杯飲みましょうか?」と聞くと、仁宗が喜んで「千樽でも足りないよ」と答えたのだ。詩的な美しさと温かな人情が流れている。

 

④河清海晏,国泰民安(河が清く海は穏やか、国は安泰で民は平穏)

この時に書かれたもうひとつの書。国泰民安,河清海晏(河が清く海は穏やか、国は安泰で民は平穏)。国家運営に関連する成語として現代でも用いられる表現。「国泰民安,河清海晏,政通人和,安生楽業」という四つの成語がセットで用いられることも多い。それぞれの意味は次の通りだ。

 

  1. 国泰民安(こくたいみんあん/guó tài mín ān)

【意味】国家が安定して平和であり、人民が安楽に暮らしていること。「泰」は平安、安定を意味する。

【出典】東漢・班固『漢書・刑法志』:「至今桓公任用管仲;而国富民安。(今に至るまで、桓公管仲を任用したことにより、国が豊かになり、人民が安楽に暮らすことができた。)」

 

  1. 河清海晏(かせいかいあん/hé qīng hǎi yàn)

【意味】黄河の水が澄み、大海が風もなく静かなこと。天下が太平であることの比喩。「河」は黄河を指し、「晏」は平静を意味する。

【出典】:唐・顧況『八月五日歌』:「率土普天无不乐,河清海晏穷寥廓。(普天の下にはどこも楽しさで満ちており、河は澄み、大海は静かで、広大な空の下は平和そのものだ。)」

 

  1. 太平盛世(たいへいせいせい/tài píng shèng shì)

【意味】安定して繁栄している時代。

【出典】明・沈徳符『万暦野獲編』:「率土普天无不乐,河清海晏穷寥廓。(私が思うに、太平の時代には、元宵節に灯りを飾ることは決して過度な贅沢ではない。)」

 

  1. 安生楽業(あんせいらくぎょう/ān shēng lè yè)

【意味】平穏な生活を送り、楽しく仕事に励むことができる状態を表す。「安生」は安心して暮らすこと、「楽業」は仕事に励むことを楽しむ、という意。

【出典】『漢書・厳助伝』:「使元元之民安生楽業,則澤被萬世,傳之子孫,使之無窮。(民衆を安定した生活に導き、楽しく仕事に従事させることができれば、その恩恵は万世にわたり、子孫に伝えられ、尽きることがないだろう。)」

 

⑤贫而无谄,富而无骄(貧してへつらわず、富みておごらず)

孔丘先生(孔子)の粉丝(ファン)であれば誰もが知っているであろう論理学が登場。ここは後継者の宗実(そうじつ/zōng shí)たちが曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)の前で『論語』学而篇の講義を受ける場面。「贫而无谄,富而无骄(貧してへつらわず、富みておごらず)」、その意味は「貧乏であっても誰かにへつらわずに威厳を保つべし、富豪であっても誰かを虐げずに謙虚を保つべし」となる。

 

実は、これは孔子ではなく弟子の子貢(しこう/zǐ gòng)が言った言葉。この弟子の言葉を聞いて、「それも良いけど、もっと良いことがある」と孔子は言うのだが、どちらかと言えば最初の子貢(しこう/zǐ gòng)の言葉の方が知られている感がある。そちらの方が日常生活と直結した論理学だからだ。

 

原文と意訳は次の通り。ここでは弟子の子貢(しこう/zǐ gòng)が孔子と対談を行っている。子貢(しこう/zǐ gòng)は豪商の息子なので「富」の側にいる人物だ。

 

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<原文>

子貢曰:「貧而無諂,富而無驕,何如?」子曰:「可也;未若貧而楽,富而好礼者也。」子貢曰:「詩云,『如切如磋,如琢如磨』其斯之謂与?」子曰:「賜也,始可与言詩已矣,告諸往而知来者。」

 

<意訳>

子貢:貧しくてもおべっかを使わず、富んでもおごり高ぶらない。これは人としてとても大切なことですよね?

孔子:それも良いよ。しかしね、それは貧しくても道を楽しみ、富んでも礼を重んじる者には及ばないと思う。

子貢:なるほど。ということは、『詩経』にある『骨や角、象牙、玉石のように、まず粗削りし、それから細かく削り、磨いて光を出す(如切如磋,如琢如磨:切磋琢磨の語源)』という詩の句は、まさに今の先生が言った言葉を意味しているということですね?

孔子:賜(子貢)よ、こうしてお前と『詩経』を語り合えるようになったことは実に嬉しいね。過去のことを教べば、このように、未来を語り合うことができるようになるものだ。

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子貢(しこう/zǐ gòng)が言っている論理学は、人としての第一段階。欲望をさらけださず、節制をして忍耐強く自我を保つことの大切さを説いている。孔子がその上に位置付けた論理学は第二段階。前者のそれを苦労や忍耐であると思わず、むしろそれを「喜んで」行えるようになることの大切さを説いているのだ。

 

現代人で言うと、フィットネスや筋肉トレーニングをイメージすると彼らの論理学の違いが分かりやすいかもしれない。熱量の多い食事や運動量の少ない仕事が身近にある先進国では肥満の危険が高く、そのバランスを取る為に「苦労をして」日常的な運動や筋肉トレーニングをしなければならない。これが子貢(しこう/zǐ gòng)の説いた「心身を健やかにする為に苦労せよ」という第一段階だ。だが、この日常的な運動は次第に慣れてくると、むしろそれを「喜んで」やりたい、やらない日があると退屈になるというぐらいの第二段階に進むことができる。これが孔子の説いた「心身を健やかにする事を楽しめ」という第二段階だ。

 

私もコロナ禍前の一時期はほとんど毎日、1kmの水泳を行うことを日課としていた。それはもはや苦労ではなく楽しみであった。コロナ禍後は室内で行える運動に変えているが、こちらも毎日、苦労ではなく楽しみとして行っている。このような「心身を健やかにする事を楽しめ」という高位の段階こそが、孔子の重要な論理学のひとつなのである。

 

⑥君子固穷,小人穷斯滥矣(君子固より窮し、小人は窮すれば斯に濫る)

 

一方、懐妊した張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)は「仁宗が私に逢いに来ない!妊娠する前は毎日でも来ていたのに!」と喚き散らし、侍医の薬も飲まず食事もまともに取らないという暴れっぷり。宦官たちから何とかして下さいと頼まれた曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)が彼女の翔鸞閣(しょうらんかく/xiáng luán gé)に出向き、「官家(仁宗)は宋夏戦争の件で自ら節制を尽くし、食事もとらず夜も寝ないで対応に当たっていながら、一心にあなたの子どものことを想っているのですよ。わがままを言うのはやめなさい」と諭す。しかし、張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)は心ここにあらず。まともに相手の目を見ようともしない。

 

彼女のこの傍若無人ぶりを見ると思い出されるのが、『論語』の衛霊公篇に登場する次の言葉だ。ここでは、孔子一行が大変な窮地に陥っている。彼らが陳国から蔡国へ移動する途中で様々な政治的な思惑から長期間の足止めを食らい、そこで手持ちの食料がほとんど尽きてしまったのだ。弟子たちの中に病気を患う者も出て、進退窮まる事態に発展してしまった。豪気な弟子の子路(しろ/zǐ lù)はあまりの惨状でも冷静さを保っている先生に苛立ちを示し、こう食ってかかった。

 

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<原文>

在陈绝粮,从者病,莫能兴。子路愠见曰:‘君子亦有穷乎?’子曰:‘君子固穷,小人穷斯滥矣。’

 

<意訳>

陳にて食糧が尽き、同行者が病気になり、立ち上がれなくなった。子路が不満を抱いて孔子に尋ねた。

 

子路:君子ってやつも、こうやって困窮することがあるんでしょうかね?(先生は君子であるのに、どうしてこんなふうにいつも窮地に陥るんでしょうか!?)

孔子:君子は困窮しても節度を保つが、小人は困窮すると道を踏み外して乱れるものだ。

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この逸話は通称「陈蔡之间(陳蔡の野)」と呼ばれている。この張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)の言動が当時本当にあったとしたら、曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)もこの一場面を思い浮かべたに違いない。しかし、その孔子の言葉をそのまま子路と同じように張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)に伝えると、ますます彼女はヒステリックを起こしてしまう。小人の扱いは非常に難しい。

 

※画像:ビリビリ動画「【典籍里的中国】孔子被困于陈蔡之间 寻求大道明知不可为而为之」の一場面。論語の舞台劇。左が孔子、右が子路

 

※今回の題材としたのは中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』の第二十一集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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