天朗気清、画戲鑑賞

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【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 090】蔡慶

蔡慶

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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蔡慶(さいけい/cài qìng)

 

<三元論に基づく特殊技能>

10番 **とても強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**強い存在欲求** - **「実行力のある社交家」* - 具体的な行動を通じて他者と交流し、社交的な場で力を発揮する。

 

<概要>

前回の蔡福(さいふく/cài fú)の記事で取り上げた通り、私は改修を適用して蔡慶(さいけい/cài qìng)を蔡福(さいふく/cài fú)の孫娘と位置付けた。ただし、原作では兄弟である。原作の概要については以下に記す。

 

蔡慶(さいけい/cài qìng)は兄の蔡福(さいふく/cài fú)と同様に、北京大名府(現在の河北省邯鄲市大名県)出身の牢獄管理兼死刑執行人であった。あだ名は「一枝花蔡慶」。これは蔡慶(さいけい/cài qìng)が「一枝花」と呼ばれる花を常に愛用していて、頭巾にそれを挿していた様子に由来して名付けられた。北宋王朝の時代は文化的な振興によって現代人のように多様なファッション性が好まれた為、男性が花を挿す事は風雅な行為と捉えられた(※後述参照)。彼らは処刑人という差別を受けかねない社会的立場にあったが、兄の蔡福(さいふく/cài fú)の巧みな立ち回りによって一定の人望、人脈、決定権を有する安定した地位にあった。しかし、北京大名府の腐敗役人たちによって盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)の死刑命令が下った事で状況が一転。蔡福(さいふく/cài fú)と蔡京(さいけい/cài jīng)は梁山泊勢力に加担して盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)を救うか、それとも北京大名府の命令にしたがって盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)を殺すか、どちらかの選択に迫られる。最終的には彼らは梁山泊勢力に加担。盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)の救出作戦と関連する武力衝突が収束した後、彼らは梁山泊勢力に合流。百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際、蔡慶(さいけい/cài qìng)は序列第95位に定まり、兄の蔡福(さいふく/cài fú)と共に「梁山泊刑罰執行管理人」に任命された。招安後は歩軍の一員として戦地で活躍し、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦も数多くの英傑たちが戦死する中で生還を果たす。この戦いで殉死した兄を弔った後、蔡慶(さいけい/cài qìng)は平民に下る事を決めて故郷に戻って余生を送った。

 

<現代の価値観が当時の風雅に追いつけず>

蔡慶は同僚たちの中で「風雅人」として非常に有名だった。"彼"は性格の剛強さと同様に、見た目も濃い眉と大きな瞳という力強いものだった。この外見から鑑みれば、"イケメン"の董平(とうへい/dǒng píng)や燕青(えんせい/yàn qīng)といった人たちとは別の系統で、むしろ関勝(かんしょう/guān shèng)や秦明(しんめい/qín míng)のような強者を連想させる。そのような逞しい容姿を持つ彼は「茜紅の衣に茶褐色の衣を合わせ、木香を刺繍し、深い染色の曲がりくねった襟を持って、黄色が塗られた帯をまとっていた」とあり、かなりファッションに気を遣っていた事が分かる。更に、「金の輪が輝く小さな頭巾に、常に一枝の花が髪に挿してあった」とあり、この徹底したエスプリ(「魂」「スタイル」を意図するフランス語:ファッション雑誌でよく用いられる用語)が彼のあだ名である「一枝花」に繋がった。

 

見た目は鬼で、心は乙女。正直な所、これだけ多様性が叫ばれている現代の我々であっても、「頭に花を挿して、ブランド服に身を包んで歩く筋肉男」を想像すると、どうしてもトランスジェンダーや同性愛者を連想してしまう。そこまで極端に判断せずとも、日本の相撲界で活躍する「料理と裁縫が大好きな女子力高めのモンゴル人力士」、関脇の玉鷲一朗のような人を連想する事も出来る。だが、彼にしても「料理や裁縫」が「風雅」ではなく「まるで女子のようだ」と大半の人々が見なすので、やはり我々は宋王朝時代の風雅感覚を性別を抜きにして理解する事は不可能に近い。

 

『西湖老人繁盛録』によれば、「禁衛が巷に至るまで、官兵は皆花を戴き、呉山坊口から北を望むとまるで花の世界のようだった」とある。公務員が綺麗な花を頭の冠に挿して歩く様子を見て、民が「これは粋だなぁ、まるで花畑みたいだ」と感心していたという訳である。また、北宋の仁宗(じんそう/rén zōng)の治世における代表的な功臣、欧陽修(おうようしゅう/ōu yáng xiū)が、『浣渓沙』において「堤上の遊人は画船を逐い、堤に拍つ春水は四垂天。緑楊楼外に秋千を出す。白髪に花を戴く君笑う莫れ、六幺の催拍に盞頻りに伝わる。人生何れの処か尊前に似たらん!」という詩を詠んでいる。白髪となった詩人であっても、こうして花を頭に挿す風尚を忘れなかったのだ。

 

どうして北宋の男性陣がこれほど花を愛するようになったのか。おそらく、それは『水滸伝』の登場人物のひとりでもある、北宋末期の皇帝、「風雅人」の徽宗(きそう/huī zōng)の影響があると言われている。この人物は政治的には最悪と言える程に無能で無責任な人間であったが、文化人としては非常に優れた感性と才能を持っていたと言われている。彼は外出をする際、常に花を頭に戴いていた。また、彼は近侍や宮女たちにも頻繁に花を賜った。彼らが戴くのは金の花で、これを衣服に付ける事で「皇帝のお墨付きを貰った」という意味になり、宮中で幅を効かせる事が出来たという。このようにして、花を簪(かんざし)にする風潮が頂点に達し、人々はその簪花で個人の身分や地位を評価するようにもなった。

 

次の世代になると、もうこれは行き過ぎの感がある。真宗の時代になると、男性が花を戴く事を国家の礼儀制度にまで昇格したのだ。異なる花は異なる身分を象徴し、どの階級の人が何本の花を戴くか、これが詳細に明文化されたのだ。例えば、侍衛は翠葉金花を戴き、朝廷の大型宴会では羅帛花が用いられたとある。政治腐敗と金王朝の侵略によって北宋王朝が滅亡しかけている末期に、彼らは「今日は頭に何の花を何本挿そうかな?」と考えていた訳だ。この時点ではもう「風雅だ」などとは言っていられない。民がブチ切れるのも当然である。

 

この風習は北宋王朝の滅亡と共に、合理的ではないとして次第に廃れていった。『水滸伝』が書かれた元王朝末期、明王朝初期の段階でも、もう花を頭に挿すような文化は無かった。作者の施耐庵(したいあん/shī nài ān)は文献から「そんな文化もあったのか」と驚きながら、その男性簪花の風習を蔡慶(さいけい/cài qìng)という人物造形に用いたものと思われる。

 

こうして話は冒頭に戻るが、明王朝時代において既に驚きの風習として考えられていた男性の簪花は、我々現代人にとっても非常に奇抜で稀有なものだ。その価値観はものすごく時代遅れであり、またものすごく未来的でもある。何にせよ現代人の価値観にはどうしても合わない部分があり、これをそのまま適用するとジェンダーの違和感をどうしても抑える事が出来ない。真剣に時代考証をしなければ解決できないほどの違和感を、物語とは直接関係の無い人物造形の要素として残す意義は無いものと考え、私は蔡慶(さいけい/cài qìng)を蔡福(さいふく/cài fú)の孫娘であるという改修事項を想起するに至った。

 

※尚、ここまでの記事において、私は何度か欧陽修(おうようしゅう/ōu yáng xiū)の「欧」を「王」と書いていたようだ。ここに訂正を加える。

 

<祖父は老練、孫娘は機敏>

祖父の蔡福(さいふく/cài fú)も、孫娘の蔡慶(さいけい/cài qìng)も、どちらも政治的調整の才能に優れた人物である。特に"二重スパイ"として見事な立ち回りを示した祖父の蔡福(さいふく/cài fú)の手腕は老練であり、難しい局面における選択を自身の「鉄仮面(揺るぎない戦略的言動)」によって最適解に導いた。一方、私が物語内の事象から分析する限りにおいて、その孫娘の蔡慶(さいけい/cài qìng)はそこまでの老練さは無いものの、一方では祖父以上の機敏さ、臨機応変さをを有すると思われる。

 

例えば、盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)の元家臣で、その盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)を今すぐにでも死刑にしようと画策している李固(りこ/lǐ gù)が、蔡慶(さいけい/cài qìng)に50両の賄賂を渡しに来た時の事。この李固(りこ/lǐ gù)は非常に悪賢く、奸計に長けた卑劣な人物。蔡慶(さいけい/cài qìng)の受け答えによっては、彼女と祖父が実は梁山泊勢力に加担しようと考えている事が露呈してしまうかもしれない。しかし、彼女は俊敏に物事を判断して、その場において最も適切な、これ以上ない回答を行った。「まったく、お笑いだ!そんな端金で盧俊義ほどの大人物に手を下せる訳がない!あんたは私たちの世界の相場がまったく分かっていないんだな。一桁違う。最低でも500両が必要だ。」李固(りこ/lǐ gù)はその黒社会の威勢に圧倒されて、すっかり相手の事を信用した。

 

ここで彼女が卑屈に接したり、誠実に受け答えをしたり、慎重に考え込んだりしたら、李固(りこ/lǐ gù)はこれほどまでに簡単には引き下がらなかっただろう。思い切って高圧的に相手を見下したからこそ、彼女は「強欲であるが金さえ貰えれば融通を効かせる役人」の姿を相手に信じ込ませる事が出来たのである。

 

このような訳で、蔡福(さいふく/cài fú)の特異性が「鉄仮面(揺るぎない戦略的言動)」であるとしたら、蔡慶(さいけい/cài qìng)のそれは「一枝花(変化に富んだ戦略的言動)」という事になるだろう。

 

※原作の展開は「北京大名府と梁山泊勢力、それぞれが兄弟にもたらした賄賂に目が眩んで迷った挙句、無奈(仕方なく)に梁山泊勢力に加担する事になった」という印象を受ける。しかし、私はこの蔡家の祖父・孫娘が最初から意図的・戦略的にこの問題を切り抜けるべく打算していたと考える。

 

<三元論に基づく特殊技能>

#### 心花怒放(導術)

**説明**: 蔡慶は、人間関係に衝突や分断の危険を有する困難な環境において、華麗に当意即妙の言動を繰り出すことで問題の解決に至るまでの時間稼ぎを安定的に確保できる能力「心花怒放」を持っている。この導術は、彼女の高いコミュニケーション能力と柔軟な思考に基づき、対立を回避しながら状況を安定させる力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この導術は、道具に依存せず、蔡慶の精神的な力とコミュニケーション能力に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 効果的に時間を稼ぐためには、高い柔軟性と判断力が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 蔡慶の導術は、仲間たちとの信頼関係を強化し、対立を回避しながら問題解決のための時間を確保する。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **困難な環境での対応**: 蔡慶は、対立や分断の危険がある状況で、華麗な言動を用いて時間を稼ぎ、問題解決のための時間を確保する。
  2. **人間関係の調整**: 蔡慶は、困難な人間関係の中でも、柔軟に対応し、対立を回避しながら状況を安定させる。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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