天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 086】段景住

段景住

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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段景住(だんけいじゅう/duàn jǐng zhù)

 

<三元論に基づく個性判定>

10番 **とても強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**強い存在欲求** - **「実行力のある社交家」* - 具体的な行動を通じて他者と交流し、社交的な場で力を発揮する。

 

<概要>

段景住(だんけいじゅう/duàn jǐng zhù)。馬泥棒というかつての肩書きが郁保四(いくほうし/yù bǎo sì)と重複している人物。そして、出来事を辿れば梁山泊勢力の元塞主である晁盖(ちょうがい/cháo gài)が戦死するそもそもの原因を作った男。彼のあだ名は「金毛犬」。これは赤毛に黄色いひげ、骨ばった体つきであった事に由来する呼び名。涿州の出身で、上述の通り馬を盗む事で生計を立てていた賊であり、梁山泊勢力へ加入する事に憧れを持っていた好漢のひとりであった。だが、彼には自分を推薦出来るような才覚や良識もなければ、梁山泊勢力に繋がるような人脈もない。そこで、以前の記事で取り上げた石秀(せきしゅう/shí xiù)のように、彼もまた推薦状代わりとなる功績を創り出そうと決心した。自分に出来る事は馬泥棒だから、「名馬を盗んで梁山泊に献上しよう」という若干浅はかな計画を立て、これを実行。計画は浅はかだが行動力は凄まじく、彼は何と金王朝の領域にまで入り込んで王子の名馬、「照夜玉獅子馬」を盗み出す事に成功してしまう。ここまでは完璧であったが、意気揚々と梁山泊へ向かった彼の目の前に曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)の一味が登場。彼らは名馬が有名な「照夜玉獅子馬」である事をすぐに悟り、ここで馬泥棒の馬が泥棒されるという本末転倒の現象が発生。段景住はひどく絶望したが、相変わらずの行動力でいっそこのまま梁山泊へ行ってしまおうと考えて空手のまま突き進み、その勢いのままに梁山泊勢力の塞主である晁盖(ちょうがい/cháo gài)にこれを報告。「自分たちが貰い受けるはずであった名馬を盗んだ輩がいるのか!」と憤慨した晁盖(ちょうがい/cháo gài)は曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)を征伐する事を決意し、それと同時に段景住を仲間として迎え入れる事に合意をした。その後も彼の怒涛の行動力が意図せず騒動を引き起こす発端となるが、英傑たちの中に「そもそもこの騒動は段景住が元凶ではないか」と疑問を持つ者はおらず、当人もまた何の意識も無いようであった。百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際は序列第108位(つまり序列最後が彼である)に定まり、「梁山泊軍中機密伝令歩兵隊長」に任じられた。続く戦いでも、彼は歩軍の機密報告役として活躍。しかし、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦において、杭州の外海で船が沈没し溺死という幕引きとなった。この船には裁縫職人の侯健(こうけん/hóu jiàn)もおり、彼もまた同じく泳げない為に犠牲になった。戦後、朝廷は彼に「義節郎」の称号を追贈した。

 

<二度目の馬泥棒からの馬泥棒>

曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)の騒動が一旦収束し、晁盖(ちょうがい/cháo gài)が亡き後に宋江(そうこう/sòng jiāng)が梁山泊勢力の塞主になった時、段景住(だんけいじゅう/duàn jǐng zhù)は楊林(ようりん/yáng líng:幸運の男)、石勇(せきゆう/shí yǒng)と共に、北方の契丹人から戦馬を購入するという任務を任された。段景住は販売網をよく知っているので、すぐに優れた馬を格安で200匹も入手する事が出来た。そう、ここまではやはり完璧だったのである。その帰路、彼らは青州を通過する際、賊に囲まれてしまった。これは曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)の命を受けて動いていた、同じく馬泥棒の郁保四(いくほうし/yù bǎo sì)の集団であった。こうして段景住は二度目となる「馬泥棒からの馬泥棒」を経験する事になり、敢えなく空手で梁山泊に戻らねばならなかった。

 

宋江(そうこう/sòng jiāng)は段景住の事情説明を聞いて、かつての晁盖(ちょうがい/cháo gài)以上に激怒した。というのは、もはや曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)は単なる馬泥棒集団ではなく、前塞主の晁盖(ちょうがい/cháo gài)の仇敵となっていたからである。宋江(そうこう/sòng jiāng)はこれをもって、曾頭市(そうとうし/céng tóu shì)との全面戦争を宣言。これによって両者は想像を絶する大衝突を引き起こす事になる。

 

という訳で、ここでまたも段景住は騒動の発端になった。だが、ここで注目するべきもうひとつの視点がある。梁山泊勢力は曾頭市との一連の戦いを終え、その結果として新たな才覚に溢れる英傑たちとの出会いや軍力の増強を実現した。梁山泊勢力の塞主が、求心力と先見性に若干の欠如が見受けられた晁盖(ちょうがい/cháo gài)から、それらの力を内包する宋江(そうこう/sòng jiāng)に変わったのも、この戦いがきっかけであった。となると、梁山泊勢力の拡大は、行動力と社交性に満ち溢れた段景住という男の失態から生まれた副産物であると考える事も出来る。

 

だが、まだ話は続くのである。梁山泊勢力が拡大したのは良い事であるが、それが最終的にどのような結末へと導くのか。我々も知っての通り、多くの英傑たちにとって梁山泊共同体の結末は悲劇であった。一体、段景住とは梁山泊にとって何であるのか。福之神なのか、疫病神なのか。運命というのは実に複雑である。

 

これを中国由来の成語では「人間万事、塞翁が馬(塞翁失马、」と言う。

 

<塞翁が馬>

以前の何かの記事でも書いた気がするが、改めてここに日本語としてもよく知られている「塞翁が馬(塞翁失马)」の逸話を記そう。これは西漢の皇族(淮南王)であり学者でもあった劉安(りゅうあん/liú ān)が自著『淮南子・人間訓』で取り上げた逸話である。

 

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《塞翁失马》

近塞上之人有善术者,马无故亡而入胡。人皆吊之,其父曰:“此何遽不为福乎?”居数月,其马将胡骏马而归。人皆贺之,其父曰:“此何遽不能为祸乎?”家富良马,其子好骑,堕而折其髀。人皆吊之,其父曰:“此何遽不为福乎?”居一年,胡人大入塞,丁壮者引弦而战。近塞之人,死者十九。此独以跛之故,父子相保。

 

ある術数に長けた老人が、辺境の近くに住んでいた。ある日、その老人の家の馬が突然、胡人(北方の異民族)の住む地に逃げ出しました。村人は老人を慰めに訪れたが、彼はこう言った。「なぜ、あなたがたはこれをすぐに災いであると言うんですか?福となることもあるかもしれませんよ?」その数ヶ月後、なんとその馬が、胡人の良馬を連れて戻ってきた。人々はこんな幸運な事があるのかとすっかり感心して、今度は祝福をしに訪れました。しかし、今度は老人はこういった。「なぜ、あなたがたはこれをすぐに幸運であると言うんですか?これが災いになることもあるかもしれませんよ?」人々は納得できなかったが、とにかく老人の家には多くの良馬が集まって、とても豊かになった。彼の息子も日々、それらの良馬に乗って楽しんでいた。ところが、ある時にその息子が落馬してひどい骨折をしてしまった。それは後遺症が残るほどの重傷だった。なるほど、これは確かに災いだと思った人々はまたも感心して、再び慰めに訪れました。すると、また老人はこう言った。「なぜ、あなたがたはこれをすぐに災いであると言うんですか?福となることもあるかもしれませんよ?」その1年後、村人がこの事件を忘れかけた時、胡人が大規模に辺境の侵略を開始した。これを受けて武力衝突が起きた周辺の地域では一斉に壮年男子が駆り出され、弓を取って戦いに繰り出した。そして、その男子の多くが戦死をした。しかし、かの老人の息子は脚が不自由であった為に戦争に参加せず、父子共に命を守る事が出来たのであった。人々はそれを思い出して、またひどく感心をしたのだった。

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日本語としては、類似する成語として「禍福は糾える縄の如し(幸せも災いも予測がつかない複雑な運命の糸で絡み合っている)」が存在する。中華世界では古来から表現や事例を変えて言われて来たひとつの法則性だ。段景住の存在も言動も、まさに塞翁が馬。彼の行為が梁山泊にとって災いであったのか、福であったのか。また彼自身にとって災いであったのか、福であったのか。それは人間の解釈を遥かに超えている。

 

<更なる解釈:中華世界は人間の力を優先した>

徹底した運命論で言うなれば、上述の通り、人間の選択はすべて運命に内包されるという事になる。人の上に天意があるという訳だ。この「運命に縛られた人間」の法則性は様々な宗教が説く教えであり、有名なものでは16世紀にフランスのキリスト教学者、ジャン・カルヴァンが唱えた「予定説」がある。だが、厳密に言えば、中華世界では根底ではこの予定説を受け入れていない。確かに天意というものは存在するが、それは人間の選択によって方向修正を行う事が可能であると考えている。「人間が(ある程度の)運命を縛っている」というこの逆転的な考え方は、「祸福无门,唯人自召」という言葉にも集約されている。これは「災いや幸福には特定の入り口はなく、すべて自分自身が招き寄せるものである」という意味。自分の行動選択の結果が、天意の結果の良し悪しを必然的に引き寄せるのだと考えるのである。

 

私もその意見に賛同する。我々の行動選択の積み重ねは、運命に六割程度の提供を与える事が出来ると考える。つまり、仮に運命的に成功確率が50%程度の事象があるとして、それをどうしても成功させたい人間が技術・良識・美徳真剣に磨き続け、そして誠実に取り組むのであれば、その確率を80%まで引き上げる事が出来るのである。残り20%は本当に天意として言いようがないが、少なくともそれは運命の微調整を実現した事を意味している。この私なりの運命論の考えは航海にもよく似ている。船は推進力が加わった段階である程度の到着地点が定まり、特に何もしなければその方向に一定の速度で進んでいく。その際、船の速度を上げたり、舵を切るなどして別の推進力(自身の継続的な忠信の努力)を加えれば、その行き先を変える事が出来るのである。

 

ただし、そうした船の速度や方向は「ゆっくりと、継続的に」行わなければならず、それを急速に、断続的に行った場合(急発進・急展開・急停止)は効果が無かったり、あるいは転覆事故を引き起こす事もある。そうした場合は、段景住(だんけいじゅう/duàn jǐng zhù)の結末のように溺死してしまう事だってあるのだ。人生の航海の舵取りは中庸の精神を持って行うべきである。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※上述の考察事項を反映する。

 

#### 塞翁之馬(導術)

**説明**: 段景住は、強い意志に基づいた行動選択が予想を遥かに超えた大規模な禍福の結果を導く能力「塞翁之馬」を持っている。この導術は、彼の強い意志と決断力に基づき、結果が予測できないほどの大きな影響を与える力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この導術は、道具に依存せず、段景住の精神的な力と意志に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 効果的に大規模な結果を導くためには、高い意志と判断力が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 段景住の導術は、周囲の人々との関係を強化し、その行動が予想を超える結果をもたらす。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **予想外の結果**: 段景住は、強い意志に基づいた決断を行い、その結果が予測を超える大きな影響を与える。
  2. **大規模な禍福**: 段景住の行動が、予想を遥かに超えた大規模な幸運や不運をもたらし、周囲の状況を一変させる。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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