天朗気清、画戲鑑賞

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【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 050】楊春

楊春

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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楊春(ようしゅん/yáng chūn)

 

<三元論に基づく個性判定>

60番 **とても弱い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**とても弱い存在欲求** - **「自己満足型の実行者」** - 自己満足を重視し、他者との関わりを最小限にする。

 

<概要>

楊春(ようしゅん/yáng chūn)、あだ名は「白花蛇」、蒲州解良の出身。「痩せた腕と長い腰」という身体的な特性を活かし、大杆刀をまるで鞭のように振り回す事の出来る使い手。その様子がまるで蛇のようであった事から、先ほどのあだ名が付いている。腐敗した役人に追い込まれて少華山に落草して山賊になったひとり。彼は前回の記事で取り上げた陳達(ちんたつ/chén dá)、そして朱武(しゅぶ/zhū wǔ)と共に頭領を担い、山賊集団を一定の勢力を誇る存在に仕立て上げた。その後、彼らは華陰県で起こした騒動がきっかけとなり、「九紋龍」という見事な刺青で有名な武芸者、史進(ししん/shǐ jìn)と意気投合。紆余曲折を経て、史進(ししん/shǐ jìn)は後に楊春(ようしゅん/yáng chūn)たちの少華山の勢力に落草。そして、史進と縁のある魯智深(ろちしん/lǔ zhì shēn)の繋がりから、最終的に梁山泊勢力に合流した。百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際、彼は序列第73位に定まり、「騎兵小彪将兼遠距離斥候隊長」に任じられた。二度の童貫(どうかん/tóng guàn)による朝廷征伐軍との戦いの際、楊春は九宮八卦陣の東北艮位の防御を担当し、陳達(ちんたつ/chén dá)と共に史進(ししん/shǐ jìn)の副将を務めて戦功を上げている。その後も戦場で活躍を示し、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦のおいて、昱嶺関で殉死。戦後、朝廷は彼を義節郎に追封した。

 

※楊春(ようしゅん/yáng chūn)と同じ「騎兵小彪将兼遠距離斥候隊長」に任じられた人員で「楊林(ようりん/yáng lín)」という似た雰囲気の名の英傑がいるが、そちらとの血縁は特に無い。

 

<原型とメタファー>

金朝末期、亳州に镇安軍提控の楊春という人物がいたらしいが、作者の施耐庵(したいあん/shī nài ān)がこれを参考にしたかどうかは不明瞭。『大宋宣和遗事』や『宋江三十六人赞』、元雑劇の水滸戯などの初期の水滸故事や文学には登場しない為、小説『水滸伝』の創作人物であると考えられる。

 

なお、あだ名の「白花蛇」は劇毒を持つ蛇。『鸡肋编』には次のように書かれている。「『本草』によれば、白花蛇は別名を褰鼻蛇と言って、南地や蜀郡の諸山中に生息し、九月に捕まえるらしい。また『図経』には、その文様が方勝白花のようで、人の足を好んで刺すとある。この書にはまた、黔人がこれに刺されるとすぐにその部分を切断する事、骨で刺された場合でも生きた蛇に刺されたのと同じように危険である事が記載されている」とある。この毒蛇を捕まえる時期が九、十月は「小陽春」の時期である。よって、研究者によってはこの毒蛇に関する知見からあだ名が付けられたのではないかと考える者もある。

 

また、前回の記事でも触れたが、「少華山の山賊勢力」の朱武(しゅぶ/zhū wǔ)、陳達(ちんたつ/chén dá)、楊春(ようしゅん/yáng chūn)という三頭領が、一種のメタファー(隠喩)として実在の人物を想定しているとする説もある。その関係性は以下の通り。

 

- 朱武:明王朝の開国を果たした初代皇帝、朱元璋(しゅげんしょう/zhū yuán zhāng)

- 陳達:開国大将の徐達(じょたつ/xú dá)

- 楊春:開国大将の常遇春(じょうぐうしゅん/cháng yù chūn)

 

この三名は中華世界の歴史を代表する名だたる偉人であるので、序盤以降でほとんど大きな存在感を示さない少華山の三頭領のモチーフとしてはあまりに贅沢な印象だ。ともあれ、これは物語を改修する際には大いに役立つ関係性であると考えられる。

 

- **画家の戴敦邦**:「提壶仗剑走天涯,草莽白蛇镀艳华。夜扰龙灯熄战鼓,魂逐秋水冢为家。(壺を提げ剣を携えて天涯を進み、その草むらの白蛇は艶やかな輝きを放つ。夜に龍灯を騒がせ戦鼓を消し、魂は秋水を追い塚を家とするだろう。)」

- **画家の牛牧野**:「枉尺直寻,宜若可为。軽身重義,舍我其誰。(尺を曲げて寸を伸ばす、それが良いならばそうしよう。身軽で義を重んじる者、それは私をおいて誰がやるものか。)」

 

<実在の常遇春>

常遇春(1330年 - 1369年)、字は伯仁、号は燕衡。南直隷鳳陽府懐遠県(現・安徽省蚌埠市懐遠県)の出身。貧しい農家に生まれた彼は、青年期、『水滸伝』の史進(ししん/shǐ jìn)と同じように生業よりも武術に打ち込んでいた。ただ本当に家が経済的に余裕が無かった事から、雑役を多くこなしながら必死に学びを続けた。成長すると、常遇春は体貌が奇偉なものであり、身長が高く腕が長く、力が人を超えるものであったという。騎射(騎馬状態から弓を射る能力)に精通し、その他にも多彩な武器を取り扱う事が出来た。このあたりの常遇春の様子は、まさに楊春の人物設定との類似点が見受けられる。

 

常遇春が成長した時代は元王朝の末期であり、階級対立の激化や残酷な統治体制によって盗賊や反乱軍が次々に蜂起していた。常遇春も自分の生活や境遇に不満を抱き、飢えの苦しみに耐えかねて、懐遠、定遠一帯で活動していた盗賊の劉聚の集団に帰順した。劉聚は常遇春の勇気と力量を認めて什夫長に任命し、腹心として重宝した。最初こそ常遇春は盗賊行為によって社会に反抗できる機会を楽しんでいたが、徐々に劉聚が何の展望も持っていない愚者である事に気付いて、この集団から離脱したいと考えるようになった。

 

至正15年(1355年)4月、常遇春が劉聚とともに和州で略奪を行っていた際、朱元璋が軍を率いて和州を攻めているのに出くわした。常遇春は以前から朱元璋が義侠心にあふれ、大志を抱いているという評判を聞いていた。彼はこの機会を利用し、一般人のふりをして朱元璋の行動を観察した。彼は朱元璋が平易な人柄で、兵士を兄弟のように扱い、軍隊の規律が厳格で民衆を害さないことを目の当たりにした。この瞬間、彼は朱元璋こそが大きな事業を成し遂げる人物であり、劉聚はただの盗賊に過ぎないと確信した。そこで、常遇春は即座に和州で朱元璋の集団に帰順する事を決意した。(この常遇春の出来事は『水滸伝』において頻繁に描かれている、宋江に平伏する英傑たちの様子によく似ている。)

 

熱っぽく帰順を訴えた常遇春であったが、一方の朱元璋は非常に冷めた態度で、「お前は飢えをしのぐために私の隊に加わろうとしているのか?」と尋ねた。常遇春は「劉聚の下で盗賊をしている限り、衣食には困らないが、彼はただ盗賊行為を繰り返すだけで大志がない。一方、あなたは賢明な方だとずっと聞いていた。俺は将来のために命を捧げたいと思って身を投じる事にしたんだ」と答えた。朱元璋は「本当に私と一緒に戦えるのか?」と問うと、常遇春は「俺はあなたがどこへ行こうとも従い、渡江の日には前鋒を務めます」と答えた。朱元璋はその受け答えの様子から、常遇春の誠実さに感心し、また彼の体格にも驚嘆していた事から、彼の訴えを受け入れる事にした。これにより、彼は単なる盗賊から英傑への道を歩み始めたのである。

 

常遇春は勇猛さと戦術的な才覚を有し、勝利を導く人物として圧倒的な存在感を発揮し続けた。朱元璋はこの常遇春、そして前回の記事で取り上げた徐達(じょたつ/xú dá)といった文武の才能を持つ功臣たちと共に快進撃を続け、やがて元王朝の衢州統治勢力を一掃した。至正20年(1360年)初頭、陳友諒の勢力との全面戦争においては、朱元璋側が非常に不利な戦況であったものの、最終的には常遇春と冯国勝が率いる三万の精鋭伏兵隊が戦況を覆して勝利を奪い取った。

 

洪武元年(1368年)、朱元璋は徐達を大将軍、常遇春を副将軍に任命し、二十五万の軍を率いて北伐(異民族の元王朝の打倒)を開始した。常遇春は次々と元軍を撃破し、大都(現在の北京)を占領し、元軍を北方に追い詰めた。これによって元王朝は崩壊。朱元璋明王朝を開国し、遂に中華世界の覇者となった。常遇春は続けて戦功を立て続けたが、残念な事に開国後の発展を十分に見る事なく、洪武2年(1369年)7月、開平から南へ戻る途中の柳河川で急病を患い、40歳の若さで逝去した。

 

朱元璋は彼の死を深く悼み、鐘山に手厚く葬るよう命じると共に、「古の名将に劣らない人物だった」と称賛して次の詩を送った。

 

「朕有千行生鉄汁、平生不為児女泣。忽聞昨日常公薨、涙灑乾坤草木湿。(朕[私]は千行の鉄のように固い心を有し、平生は子供のように泣くことはない。だが、昨日常公[常遇春]の死を聞いて、涙が天地に降り注ぎ、草木を濡らさずにはいられなかった。)」

 

(※朕[ちん/zhèn]とは皇帝が用いる一人称。後述参照。)

 

また、朱元璋宋王朝の太宗が韓王の趙普を追封した故事に倣って、常遇春を翊運推誠宣徳靖遠功臣、開府儀同三司、上柱国、太保、中書右丞相を追贈し、開平王に追封して、諡号として忠武を与えた。常遇春の勇猛と智勇は後世にも称えられており、彼の墓が現在も南京市の太平門外に設けられている。清代には乾隆帝によって「勇動風雲」と題された碑が建てられている。

 

※画像:百度百科「常遇春」より引用

 

<補足:皇帝は自分を「朕」と評する>

一般的に、中華世界では第一人称として「我(wǒ)」を用いる。しかし、皇帝は自らの身分を強調すると共に、謙遜の意図を込めて「寡人」「孤」「朕」「不谷」「余」などの特別な称号を用いた。例えば日本の歴史ドラマでも、将軍、貴族、天皇といった高貴な身分の人間が「余は満足じゃ」といった具合に第一人称として「余」を用いる。これは中国の朝廷規範が伝わったものである。中華世界においては、特に歴代皇帝は「朕」を用いた。

 

「朕」の始まりは、古代の春秋戦国時代を制して覇者となった秦王朝の初代皇帝、始皇帝まで遡る。(つまり、漫画『キングダム』の題材となっている嬴政である。)私は以前の記事で、イギリス製作の始皇帝に関するドキュメンタリー番組を取り扱った。そこで書いた通り、始皇帝は中華世界で初めて自らを「皇帝」と評した人物である。それまで、国の指導者は「王」と呼ばれていた。始皇帝は新しい中華世界の指導者を呼称するには「王」では不足だと考え、「王」の上位格である「皇」と神話上の「帝」を合わせた新しい称号、「皇帝」を用いる事を決めた。

 

これと共に、嬴政(始皇帝)は自らを「寡人」と称する事を決めた。これは戦国時代の強国の君主たちと同じように「寡徳の人」という意味を持ち、自らの徳行がまだ足りない事を自戒して、「君主として徳をもって国を治め、人々を服従させる」という意図を込めた。また口語として第一人称を用いる時は、「朕」とする案を採用した。

 

当時、「朕」は「政」と同じ発音であった。(現在は朕がzhèn、政がzhèngなので、厳密には異なる。)また、「朕」は商代の甲骨文から確認されている悠久の歴史を持つ漢字であり、象形的には「月」と「関」の二文字に分解できた。「月」は「月」「肉」「舟」などを意味し、「関」は「灷(両手で火を捧げる様子)」「火種」を意味した。つまり、「朕」は「水」と「火」の意図が反映されている。

 

荀子・王制』には「君者、舟也;庶人者、水也。水则载舟,水则覆舟(水は舟を乗せることも、覆すこともできる)」とある。水は民を潤す事物である。そして、火は古代において人々の安全を守るものであり、古代より火種を保護する責任は部族の指導者が有していた。火は民を守る事物である。したがって、「朕」は平和と権力の象徴であると考えられる。

 

水滸伝』でも描かれている北宋王朝の破滅は、奸臣たちを制御しきれず、政治を疎かにして風雅趣味に没頭した徽宗(きそう/huī zōng)の責任が指摘されている。この皇帝は民を枯渇させ、民を危険にさらし続けた結果、「朕」に込められた理想とは真逆の暗君となってしまったのである。

 

<所感>

水滸伝』の楊春に対して常遇春の要素をより多く適用させれば、その存在感と展開に多くの説得力が生まれるだろう。「自ら10万の軍勢を率いて天下を横行できる」と豪語し、軍中では「常十万」と称えられていた常遇春。その威光を楊春に与えて改修したい。ただし、前回の陳達(ちんたつ/chén dá)の記事でも書いた通り、「史進に恐れをなしていた少華山の山賊三頭領のひとり」という展開を大きく変えてしまうと別物語になってしまう。可能な限りの範囲における改修点としては、少華山が華陰県に攻め込む理由を「強奪」から「起義(民の声に応えての正義の行動)」にするべきであると考えられる。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※上述の改修等を反映する。

 

#### 白蛇の撃(具術)

**説明**: 楊春は、奇偉な体格から繰り出す不規則的な武器攻撃を自由自在に操る能力「白蛇の撃」を持っている。この具術は、彼の異常な体格と独特な戦闘スタイルに基づき、予測困難な攻撃で敵を圧倒する力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(とても濃い)**: この具術は、武器に強く依存し、その扱い方によって効果が決まる。

  - **思考性(中程度)**: 不規則的な攻撃を効果的に行うためには、高い技術と創造力が必要。

  - **関係性(薄い)**: 主に自身の戦闘能力に関わるため、直接的な人間関係への影響は少ない。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **戦闘中の予測不能な攻撃**: 楊春は、戦闘中に予測困難な不規則な攻撃を繰り出し、敵を翻弄する。
  2. **奇襲攻撃**: 楊春の独特な戦闘スタイルは、敵の防御を突破し、意表を突いた攻撃を可能にする。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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