※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。
※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。
※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。
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『水滸伝(水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。
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孫立(そんりつ/sūn lì)
<三元論に基づく個性判定>
58番 **とても弱い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**強い存在欲求** - **「直感的な実行者」** - 直感を重視し、他者と協力して実践的な活動を行う。
<概要>
孫立(そんりつ/sūn lì)、彼はもともと登州の兵馬提轄だった人物。琼州(現在の海南島)の出身で、武芸に優れ、長槍と竹節鋼鞭を使いこなす達人。彼は後に梁山泊勢力に加わる複数名と関係がある。
- 孫新(そんしん/sūn xīn):孫立の弟
- 楽和(がくわ/lè hé):孫立の妻「楽大娘子」の弟
- 顧大嫂(こだいそう/gù dà sǎo):弟・孫新の妻
- 解宝(かいほう/xiè bǎo)と解珍(かいちん/xiè zhēn):顧大嫂の従兄弟
- 鄒淵(すうえん/chú yuān)と鄒潤(すうじゅん/chú rùn):顧大嫂の遠戚
武官として立派に勤めていた孫立であったが、彼の弟の嫁である顧大嫂の従兄弟、上述の解兄弟の二名が毛太公に貶められて牢獄に入れられてしまった事から人生の方向が大きく変わる。顧大嫂は豪胆な女性で、孫新と共に酒店(食堂兼旅館)、賭博場、屠殺業などの経営を行なっていた人物。彼女は従兄弟を何とか脱獄させようと、「あなたの兄をこの脱獄計画に引き込みなさい!」と孫新(そんしん/sūn xīn)に依頼。そうとは知らずに孫立が彼らの店を訪ねると、顧大嫂から「脱獄計画を手伝うか、それともここで殺されるか、どちらかを選べ!」と迫られ、覚悟を決めて解兄弟の救出作戦に加担。この救出劇が完了した後、孫立・孫新・楽和・顧大嫂・解宝・解珍・鄒淵・鄒潤(通称「登州派)の八名はお尋ね者となり、これを機に人脈を辿って梁山泊勢力に帰順した。その後、孫立は百八人の英傑たちが集結した際に序列第39位に定まり、黄信(こうしん/huáng xìn)に続く、騎兵小彪将兼遠距離斥候隊長の第二員を任された。彼は梁山泊勢力の一員として南征北戦を続け、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)の討伐戦では多くの英傑たちが殉死する中、弟の孫新(そんしん/sūn xīn)、弟嫁の顧大嫂(こだいそう/gù dà sǎo)と共に最後まで生き残った。戦後は登州に戻って平穏な日々を送った。
<あだ名の考察、「病気」ではない>
彼のあだ名は「病尉遅」。弟の孫新(そんしん/sūn xīn)のあだ名は「小尉遅」。前に紹介した穆弘(ぼくこう/mù hóng)と穆春(ぼくしゅん/mù chūn)の兄弟と同じように、兄弟であだ名の繋がりがある。この「病尉遅」の「尉遅」とは、唐王朝時代の名将である尉遅恭(うっちきょう/yù chí gōng:尉遅が姓で恭が名)を想起したもの。これは彼の「黒い袍を着て、鉄鞭を持つ様子(鉄の棒の武器:『水滸伝』の中では他に呼延灼[こえんじゃく/hū yán zhuó]がこの武器を両手に持つ事で有名)」が、尉遅と似ている事に由来している。それでは「病」とは何を意味するのか。現代の中国語の解釈としては、日本漢字と同様に「病気」を意味する。しかし、「その解釈はおかしい」とする説が主流だ。「病のあだ名が付く英傑」は次の三名がいる。
- 孫立(そんりつ/sūn lì):上述の通り、「病尉遅」
- 薛永(せつえい/xuē yǒng):「病大虫」
- 楊雄(ようゆう/yáng xióng):「病病関」
そのまま翻訳した場合は「病気の尉遅恭」「病気の虎」「病気の関索」となるが、彼らが病弱であるという設定はない。孫立と楊雄については「淡黄面皮/面色微黄(黄色っぽい顔をしている人)」と書かれているが、これは内臓系の疾患を患っているという訳ではない。単なる外見の特徴であると考えられる。では何を意味するのかというと、これは南宋の龔開による『宋江三十六人贊』(『水滸伝』の原型となった物語のひとつ)にヒントが隠されているという。この書では、楊雄のあだ名が「賽関索」とされている。この「賽(さい/sài)」には「匹敵する」「勝る」という意味がある。つまり、彼らが尉遅恭、大虎、関索に匹敵するほどの武芸を持つ事を意味しているのだ。これが主な学説であるが、その他にも「誰かを病気にさせる程の力を持つ人物(他者を圧倒するような武芸の持ち主)」という解釈があるのではないかという説もある。
<中国歴史のミステリーハンターに必要な鍵「通假字」>
政治・技術・教育が発展した現代社会では、大規模な集団の中で統一的な言語(形状・音声・意味)を用いる事が日常化しており、大多数の者が気軽に文字の記録・発信・交換を行う事が可能だ。だが、古来の中華世界では統一的な規則性が不安定であり、ある意味を表す為に同じ音または似た音の別の文字を使う事がしばしばあった。また、戦火や焼失によって多くの書籍の原版が失われ、学者たちが記憶や背誦を頼りに再び書き起こした際、「字形の誤り」「方言のずれ」「文化水準の違い」等の要因で同じ字が異なる字で記録される事もあった。このように当てられた字が「通假字」と呼ばれるものである。清代の趙翼は『陔余叢考』で「音が同じだが意味が異なる字を俗儒が知らずに誤って書き用いることを、世間では別字(通假字)と呼ぶ」と語り、学者の王念孫と王引之の父子は『経義述聞』で「訓詁の要は、声音にあり、文字にはない」と述べた。『水滸伝』に登場する「病」もまた、こうした通假字の一種であった可能性がある。中国の歴史を文献から紐解こうとするミステリーハンターは、こうした「通假字」を鍵として隠された扉を開けて行くのである。
<原型>
孫立は『大宋宣和遺事』に記載されている三十六人の「天書」名簿内において既に登場をしている。そして、羅烨の『醉翁談録』巻一には「石頭孫立」という話本が収録されている。また、宋代の周密による『癸辛雑識』には龔聖與の『宋江三十六人贊』の中に孫立が列せられている。本書では「尉遅の壮士、病を名にする、端能去病、国功成るべし」と評されているので、「病尉遅の孫立」というあだ名を含めた人物描写が早くから存在していた事になる。
<評価>
- 金聖嘆: 彼はまさしく好漢と呼ぶに相応しい人物のひとりである。
- 袁無涯: 彼には原型となった人物に装飾が施され、色彩が豊かになり、さらに馬の一文を加えることで、より生き生きとした描写になった。
- 余象斗: この段落において、孫立が石秀を偽って捕える場面を見れば、彼の軍心に疑いはない。計略を行う者はこの行動を知らなければならない。この功績は孫立らによるもので、良策であり、首功としても取るに足るものである。
<驚くべき得点圏打率の高さ>
孫立(そんりつ/sūn lì)が武人として優れた能力を持つ事は原作で再三描かれている点であるが、梁山泊勢力の中でも"得点圏打率(野球で出塁者がいる時にヒットを打つ率)"が異常に高い人物であるという印象を受ける。彼は「苦境であるが、勝てる要素が揃っている」という状況において、ほぼ確実にヒットを打って戦況を好転させているのだ。
- 解兄弟の救出劇:虎退治を巡って解兄弟と毛太公(地元の名士)が利害の衝突によって争い、結果としては権力を持っている毛太公が解兄弟を貶めて彼らに罪を課した。牢獄に囚われた解兄弟を救出に当たって、孫立は陽動作戦を実行。彼のこの働きが成功しなかったら、牢破りが成功する事は無かった。
- 祝家庄との戦闘:孫立たちが梁山泊勢力に帰順した時期は、ちょうど彼らが強敵である祝家庄と激戦を繰り広げている最中だった。祝家庄側は戦略的にも軍力的にも盤石で、梁山泊勢力は大苦戦を強いられていた。この時、孫立は祝家庄勢力において最強と評される猛将の栾廷玉(らんていぎょく/luán tíng yù)が師兄弟(同じ武芸教官のもとで学んだ朋友)である事を知り、自身の潜入による撹乱作戦を提案。孫立は栾廷玉を見事に信じ込ませて、祝家庄への潜入に成功。その後、彼は祝家庄の内部から陽動と襲撃の作戦を実行。これによって一気に戦況が反転し、祝家荘の攻略が実現した。
- 招安後の遼国征伐戦:征遼の際、孫立は寇鎮遠(こうちんえん/kòu zhèn yuǎn)と激戦を繰り広げた。これは『水滸伝』の中でも最も精彩を放つ一騎討ちのひとつと評されている。ここまで苦戦を強いられていた梁山泊勢力であったが、この一騎討ちにおいて孫立が寇鎮遠を撃破。これが見事な起爆剤となり、戦況が好転。これに続けて北宋王朝の軍が大挙した為、遼軍の制圧に繋がった。
<"活かす"事に特化した隠れた直感の戦略家>
原作で明確には描かれていないが、上述のような彼の活躍は非常に計算的であるという印象を受ける。ただし、それは論理的な思考によるものではなく、かなり直感的なものであるという感じもする。冒頭の個性判定のように、彼は直感能力(生存能力)に長けた人間であり、周囲の関係性を鑑みながら自分の才能を"活かす"こと、そして周囲の人々が"活きる(生きる)"ことを、瞬時に計算できる人物のようである。実際、登州派の八名のうち、最終的に彼と行動が分離してしまった解兄弟、鄒兄弟はどちらも戦死。一方、彼と行動を共にしていた弟の孫立、顧大嫂、楽和は全員が生還し、戦後も穏やかな生活へと戻っていった。
<三元論に基づく特殊技能>
※上述の考察を反映する。
#### 活具の作(具術)
**説明**: 孫立は、自分の武芸を環境に最適化させて成功の確率を上げる能力「活具の作」を持っている。この具術は、彼の高い適応力と戦術的な思考に基づき、あらゆる状況で最適な戦闘姿勢を発揮する力を持つ。
- **効果**:
- **道具性(中程度)**: この具術は、環境と戦闘道具に依存するが、主に孫立の適応力と戦術に基づく。
- **思考性(とても濃い)**: 環境を迅速に分析し、それに応じた戦闘姿勢を採用するためには、高い戦術的思考と適応力が必要。
- **関係性(薄い)**: 主に自身の戦闘能力に関わるため、直接的な人間関係への影響は少ない。
#### 活人の作(導術)
**説明**: 孫立は、状況に応じて周囲の人々の行動を最適化させて成功の確率を上げる能力「活人の作」を持っている。この導術は、彼の洞察力と指導力に基づき、集団全体の行動を効果的に導く直感的な力を持つ。
- **効果**:
- **道具性(なし)**: この導術は、道具に依存せず、孫立の精神的な力と指導力に基づく。
- **思考性(中程度)**: 状況を正確に判断し、適切な指示を出すためには、高い洞察力と判断力が必要。
- **関係性(とても濃い)**: 孫立の導術は、集団全体の行動を最適化することで、成功の確率を高め、全体の結束力を強化する。
#### 具体的な使用例:
- **戦術的適応**: 孫立は、戦闘中に周囲の環境を迅速に分析し、自身の戦闘スタイルを最適化することで、敵に対して有利な状況を作り出す。
- **指導と調整**: 孫立は、状況に応じて仲間たちの行動を調整し、彼らの能力を最大限に引き出すための指示を出す。
※画像:DALL-E
作品紹介