天朗気清、画戲鑑賞

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【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 029】解珍

解珍

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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解珍(かいちん/xiè zhēn)

 

<三元論に基づく個性判定>

44番 **弱い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**とても弱い存在欲求** - **「自己依存型の生存者」** - 他者に頼らずに、自分のペースで生きる。

 

※解兄弟の性質は非常によく似ているが、私が読み解く限りにおいては、弟の解宝(かいほう/xiè bǎo)の方が獰猛で、こちらの兄の解珍(かいちん/xiè zhēn)の方が純粋だという印象を受ける。

 

<概要>

前回の弟・解宝(かいほう/xiè bǎo)の記事において、彼に関する解読作業をほとんど完了している為、ここでは多くの点で割愛をする。(解宝と解珍の兄弟は『水滸伝』において完璧に行動を共にをしている。)解珍のあだ名は「両頭蛇」。このあだ名も弟同様、「純粋さと獰猛さ」の両面を兼ね備える意味があると考える。もともとは登州の猟師。地主の毛太公と衝突して冤罪事件に巻き込まれたが、孫立(そんりつ/sūn lì)らの助けを受けて脱獄。その後、その救出作戦に関係した者たちと共に梁山泊勢力に帰順した。百八人の英傑が結集した際には序列第三十四位に定まり、歩兵将校として活躍。最終戦の方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦において、弟と共に悲劇の殉死を遂げた。戦後、朝廷は兄弟に忠武郎の称号を追贈した。

 

<三元論に基づく特殊技能>

※弟・解宝と共通。前回記述した改修事項を反映している。

 

#### 兄弟の契り(具術)

**説明**: 解宝は、兄弟で連携して行動することにより体術全般の能力を向上させる能力「兄弟の契り」を持っている。この具術は、兄弟との強い絆と協力によって、戦闘やその他の身体的な活動において優れた行動性を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(中程度)**: この具術は、兄弟との連携に依存し、協力することでその効果を最大限に発揮する。

  - **思考性(中程度)**: 兄弟との協力を効果的に行うためには、高い会話能力と戦術的思考が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 解宝の具術は、兄弟との絆を強化し、共同での行動を通じて成功の確率を高める。

 

#### 毒以薬成(心術)

**説明**: 解宝は、美徳ある者に従うことで獰猛な行動原理が反転し、ずば抜けて良質な人間として組織に貢献できる能力「毒以薬成」を持っている。この心術は、彼の内なる力と倫理的な指導に基づき、自己改善と貢献を促進する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この心術は、道具に依存せず、解宝の精神的な力と指導を受ける能力に基づく。

  - **思考性(中程度)**: 自己改善と貢献を効果的に行うためには、高い自己認識と倫理的思考が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 解宝の心術は、優れた指導者との関係を強化し、組織全体に対する貢献を高める。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **兄弟連携**: 解宝は、兄弟と共に行動することで、戦闘やその他の身体的な活動において優れた行動性を発揮する。
  2. **美徳の従事**: 解宝は、美徳ある指導者に従うことで、自身の獰猛な本能を制御し、組織に対して積極的に貢献する。

 

<補足事項:英傑たちの末路一覧>

水滸伝』のクライマックスとなった方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦では、百八人の英傑のうち七十名もの猛将たちが命を落とした。解兄弟もその殉死者の一員だ。オリジナルの『水滸伝』ではその他の英傑たちも悲劇的な末路を辿った者が多い。ここに彼らの結末を取りまとめる。(※これから『水滸伝』を読もうと思っている方はネタバレ注意。)

 

  1. **呼保義/宋江**:高俅によって毒酒で殺された。
  2. **玉麒麟/盧俊義**:高俅によって薬酒で毒され、馬に乗れなくなり、船に乗っている時に足を滑らせて溺死した。
  3. **智多星/吴用**:宋江の死を聞いて、宋江の墓前で首を吊って死んだ。
  4. **入雲龍/公孫勝**:宋江が朝廷に招安を受けた後、蓟州に戻って出家した。
  5. **大刀/関勝**:方腊を平定した後、朝廷から左将軍大名府正兵馬総管に任命されたが、酒に酔って落馬して死んだ。
  6. **豹子頭/林冲**:方腊を平定した後、中風を患い、杭州の六和寺に留まって療養し、武松に看護されながら半年後に病死した。
  7. **霹雳火/秦明**:宋江が方腊を討つ時、方腊の甥である方杰に一戟で馬下に落とされ、非命に死んだ。
  8. **双鞭/呼延灼**:方腊を平定した後、朝廷から御營兵馬指揮使に任命され、金軍と戦って戦死した。
  9. **小李广/花荣**:宋江が毒殺された後、楚州に行き、吴用と共に宋江李逵の墓前で首を吊って死んだ。
  10. **小旋风/柴進**:奸臣の辱めを避けるため、風病と称して官職を辞し、滄州に戻って平民として暮らし、病気もなく安らかに死んだ。
  11. **扑天雕/李応**:朝廷に招安を受けた後、中山府郓城の都統制に任命され、その後辞職して独龙岗の李家庄に戻り、杜兴と共に富豪として善終した。
  12. **美髯公/朱仝**:朝廷に招安を受けた後、保定府の都統制に任命された。
  13. **花和尚/鲁智深**:方腊を平定する際に方腊の大将夏侯成を捕らえ、自ら方腊を捕まえた後、焚香して坐禅し、円寂して亡くなった。
  14. **行者/武松**:方腊を攻める際に左腕を失い、六和寺に留まって林冲の世話をし、その後出家して僧となり、八十歳で死んだ。
  15. **双枪将/董平**:方腊を攻める際に左腕を砲火で負傷し、张清を救うために方腊の部将张韬に斬られて二つに切り裂かれた。
  16. **没羽箭/張清**:方腊を討つ際に独松関を攻め、厉天闰に腹部を槍で突かれて死んだ。
  17. **青面兽/楊志**:方腊を討つ途中で病死した。
  18. **金枪手/徐寧**:方腊を討つ際に杭州城東の新橋で郝思文を救うために毒矢で射殺された。
  19. **急先锋/索超**:方腊を討つ際に杭州城を攻め、南軍元帥石宝に槌で打たれて落馬し、非命に死んだ。
  20. **神行太保/戴宗**:朝廷に招安を受けた後、兖州府の都統制に任命されたが、それを受け入れず、泰安岳庙に隠居した。
  21. **赤髪鬼/劉唐**:方腊を討つ際に盧俊義と共に候潮门を攻め、城門が開いているのを見て単騎で突入したが、城上の守軍が綱を切り、大きな門板が落ちてきて、刘唐を馬ごと圧死させた。
  22. **黑旋風/李逵**:朝廷に招安を受けて镇江润州の都統制に任命されたが、宋江が毒殺された後、自分も毒酒を飲んで死んだ。
  23. **九纹龍/史進**:方腊を討つ際に石秀、陈达、杨春、李忠と共に巡哨を担当し、睦州昱岭関で庞万春、雷炯、计稷の伏兵に遭い、小养由基庞万春の矢で射殺された。
  24. **没遮拦/穆弘**:方腊を討つ途中で病死した。
  25. **插翅虎/雷横**:方腊を討つ際に德清县南門外で护国大将军司行方と戦い、司行方に斬殺された。
  26. **混江龍/李俊**:方腊を討った後、京に戻る途中で苏州城外で中風を装い、その後暹罗国に逃げた。
  27. **立地太岁/阮小二**:方腊を討つ際に南軍の火攻めに遭い、掛鉤に捕まり、辱めを受けたくなくて自刎した。
  28. **船火儿/张横**:方腊を討つ途中で病死した。
  29. **短命二郎/阮小五**:方腊を討つ際に間諜をして娄丞相に殺された。
  30. **浪里白条/張顺**:方腊を攻める際に転がる石と擂木で湖底に押し潰されて死んだ。
  31. **活阎罗/阮小七**:朝廷に招安を受けて盖天军の都統制に任命されたが、龍の衣を着てふざけたため、職を解かれて平民となり、母親と共に梁山泊の石碣村に戻って漁師となった。
  32. **病関索/楊雄**:方腊を討つ途中で病死した。
  33. **拼命三郎/石秀**:方腊を討つ際に史进と共に昱岭关で戦死した。
  34. **两頭蛇/解珍**:方腊の南軍を攻める際に南軍の鉤に捕まり、髪を切って崖から落ちて死んだ。
  35. **双尾蝎/解宝**:方腊を討つ際に兄の解珍が崖から落ちて死んだのを見て山を下りようとしたが、山から転がり落ちてくる石と矢に襲われて死んだ。
  36. **浪子/燕青**:朝廷に招安を受けた後、盧俊義と共に行くのが良くないと予感し、独りで去り、功成りて身を引いた。
  37. **神机軍師/朱武**:方腊を討った後、武奕郎兼諸路都統領に任命された。
  38. **镇三山/黄信**:方腊を討つ戦いで功績を立て、武奕郎に任命された。
  39. **病尉迟/孫立**:朝廷に招安を受け、武奕郎に任命された。
  40. **丑郡馬/宣赞**:方腊の征討中、苏州の戦いで守将郭世广と戦い、饮马桥で共に命を落とした。
  41. **井木犴/郝思文**:方腊を討つ際に杭州城を攻め、綱で捕まり、城内に引きずり込まれて斬首された。
  42. **百胜将/韩滔**:方腊を討つ際に关胜と共に常州城を攻め、南軍の冷箭に射たれて死んだ。
  43. **天目将/彭玘**:方腊を討つ際に关胜と共に常州を攻め、韩滔の仇を討つために高可立と戦ったが、张近仁に槍で刺されて死んだ。
  44. **圣水将/单廷珪**と**神火将魏定国**:方腊を討つ際に歙州の戦いで王寅の空城計にかかり、城内に入ったところで落とし穴に落ち、伏兵に槍と矢で刺されて死んだ。
  45. **圣手书生/蕭讓**:方腊を討つ際に文官として従軍せず、京師の蔡太师府で職を務めた。
  46. **铁面孔目/裴宣**:朝廷に招安を受け、武奕郎兼都統領に任命された。
  47. **摩云金翅/欧鹏**:方腊を討つ際に盧俊義と共に歙州を攻め、庞万春と戦い、庞万春に逃げられた後、連珠箭で射殺された。
  48. **火眼狻猊/鄧飛**:方腊を討つ際に杭州北関門を攻め、索超が石宝に流星锤で殺されたため、救いに行ったが、石宝に二つに切られて死んだ。
  49. **锦毛虎/燕顺**:方腊を討つ際に乌龙岭で石宝に流星锤で殺された。
  50. **锦豹子/楊林**:方腊を討った後、武奕郎に任命され、鉄馬川に赴き職を求めた。
  51. **轰天雷/凌振**:方腊を討った後、火薬局御營に任用された。
  52. **神算子/蒋敬**:方腊を討った後、武奕郎に任命されたが、その後辞職して潭州に戻り平民となった。
  53. **小温侯/吕方**:方腊を討つ際に烏龍嶺で白钦と共に命を落とした。
  54. **赛仁贵/郭盛**:方腊を討つ際に岭上から転がり落ちた大石に当たり、人馬共に死んだ。
  55. **神医/安道全**:方腊を討つ際に皇帝の召喚で宮中に入り、治療のため従軍しなかった。
  56. **紫髯伯/皇甫端**:方腊を討つ際に京城に留まり、従軍しなかった。
  57. **矮脚虎/王英**と**一丈青扈三娘**:睦州の戦いで王英と扈三娘は三千馬軍を率いて郑彪と戦ったが、郑彪が法術で金甲天神を現し、王英は驚いて手を動かせず、郑彪に槍で突き落とされて死んだ。扈三娘は復讐に向かったが、郑彪に金塗りの銅レンガで殺された。
  58. **丧门神/鲍旭**:方腊を討つ際に杭州の戦いで宋江が馬軍を重視することに不満を抱き、石宝を捕らえて步軍の威を示そうとしたが、城内に突入した際に石宝に斬られて死んだ。
  59. **混世魔王/樊瑞**:朝廷に招安を受け、武奕郎兼都統領に任命され、その後公孙胜の弟子となり、道法を学び正果を得た。
  60. **毛头星/孔明**:方腊を討つ途中で病死した。
  61. **独火星/孔亮**:方腊を討つ際に昆山を攻め、水性を知らずに落水して死んだ。
  62. **八臂哪吒/項充**と**飞天大圣/李衮**:睦州の戦いで项充と李逵、李衮が郑彪を追撃し、南軍に帰路を断たれた。项充は綱に引っ掛かり、南軍に斬られて肉片にされ、李衮は溪涧に落ちて南軍の矢に射殺された。
  63. **玉臂匠/金大坚**:方腊を討つ際に皇帝の召喚で従軍せず、御前で使用された。
  64. **铁笛仙/馬麟**:睦州の戦いで乌龙岭で白钦に標槍で馬から落とされ、石宝に二つに切られた。
  65. **出洞蛟/童威**と**翻江蜃童猛**:方腊を討った後、李俊と共に太仓港から船で暹罗国に渡った。
  66. **玉幡竿/孟康**:乌龙岭の戦いで火炮により殺され、義節郎に追封された。
  67. **通臂猿/侯健**:方腊を討つ際に杭州城外で船から落ちて海で溺死した。
  68. **跳涧虎/陳達**:史进と共に昱岭関で戦死した。
  69. **白花蛇/楊春**:史进と共に昱岭関で戦死した。
  70. **白面郎君/鄭天寿**:方腊を討つ際に盧俊義と共に宣州を攻め、城上から磨扇を落とされて死んだ。
  71. **九尾龟陶/宗旺**:润州の戦いで矢に射たれ、乱軍に踏まれて死んだ。
  72. **铁扇子/宋清**:方腊を討った後、武奕郎に任命されたが、宋江の死後名爵を継ぐことを拒み、家に帰って農業を営んだ。宋徽宗はその孝道を評価し、十万貫の銭と三千亩の田を与えた。
  73. **铁叫子/楽和**:方腊を討つ前に五都尉に指名されて従軍せず、京都に留まった。
  74. **花项虎/龚旺**:德清县付近で方腊の手下黄爱と戦い、溪に落ちて矛で刺されて死んだ。
  75. **中箭虎/丁得孫**:方腊を討つ際に盧俊義と共に歙州を攻め、昱岭关で毒蛇に足を咬まれて毒が体に回り死んだ。
  76. **小遮拦/穆春**:方腊を討った後、武奕郎に任命され、その後辞職して揭阳镇に戻った。
  77. **操刀鬼/曹正**:方腊を討つ際に盧俊義と共に宣州を攻め、矢に射たれて死んだ。
  78. **云里金刚/宋万**:润州を攻める際に矢に射たれ、馬に踏まれて死んだ。彼は梁山で戦死した最初の将佐である。
  79. **摸着天/杜迁**:方腊を討つ際に宋江と共に清溪县を攻め、乱軍に踏まれて死んだ。
  80. **病大虫/薛永**:史進と共に昱岭关で戦死した。
  81. **金眼彪/施恩**:方腊を討つ際に常熟で溺死した。
  82. **小霸王/周通**:独松关で探路中に厉天闰に殺された。
  83. **打虎将/李忠**:史進と共に昱岭关で戦死した。
  84. **鬼脸儿/杜興**:方腊を討った後、武奕郎に任命され、その後李应と共に辞職して独龙岗李家庄に戻り、富豪として善終した。
  85. **金钱豹子/湯隆**:方腊を討つ際に睦州清溪县の戦いで重傷を負い、治療が叶わず死んだ。
  86. **出林龙/鄒淵**:方腊を討つ際に清溪县で戦死した。
  87. **独角龙/鄒潤**:朝廷に招安を受け、武奕郎に任命された。
  88. **旱地忽律/朱贵**:方腊を討つ際に杭州で病死した。
  89. **笑面虎/朱富**:兄を看病して共に杭州で病死した。
  90. **铁臂膊/蔡福**:方腊を討つ際に清溪县で戦死した。
  91. **一枝花/蔡慶**:方腊を討った後、故郷に戻り平民となった。
  92. **催命判官/李立**:方腊を討つ際に清溪县で戦死した。
  93. **青眼虎/李雲**:方腊を討つ際に盧俊義と共に歙州を破り、城内で王寅に馬で踏まれて死んだ。
  94. **没面目/焦挺**:方腊を討つ際に润州を攻め、乱軍に矢で射たれ、馬に踏まれて死んだ。
  95. **石将军/石勇**:方腊を討つ際に歙州で王寅に殺された。
  96. **小尉迟/孫新*:朝廷に招安を受け、武奕郎に任命され、登州に戻った。
  97. **母大虫/顧大嫂**:方腊を討った後、东源县君に封じられ、登州に戻った。
  98. **菜园子/張青**:歙州の戦いで乱軍に巻き込まれて戦死した。
  99. **母夜叉/孫二娘**:方腊を討つ際に清溪县で杜微の飛刀に刺されて死んだ。
  100. **活闪婆/王定六**:方腊を討つ際に盧俊義と共に宣州を攻め、城門を奪う際に矢に射たれて死んだ。
  101. **险道神/郁保四**:方腊を討つ際に清溪县で杜微の飛刀に刺されて死んだ。
  102. **白日鼠/白勝**:方腊を討つ途中で病死した。
  103. **鼓上蚤/時遷**:方腊を討つ際に杭州で病死した。
  104. **金毛犬/段景住**:方腊を討つ際に杭州外海で溺死した。

 

**備考**:托塔天王/晁盖は、曾头市を攻める際に史文恭の毒箭で死に、108将には含まれない。

 

**総括**:方腊征伐戦の被害者数は、戦死者が59名、疫病による病死者が10名、坐化(円寂:仏の悟りを開いて座を組んだまま他界した状態)が1名、合計70名である。百八人の英傑のうち六割以上がここで殉死した事になる。途中の離脱者を除き、この戦いで生還したのは27名。この生還者の中でも存在感のあった英傑の多くがエピローグ部分で非業の死を遂げている。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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