天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 074】童威 

童威

※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。

※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。

※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

 

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水滸伝水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。

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童威(どうい/tóng wēi)

 

<三元論に基づく個性判定>

15番 **とても強い生存欲求**、**とても弱い知的欲求**、**弱い存在欲求** - **「行動派の実践家」** - 理論よりも実践を重視し、具体的な行動によって物事を解決する。

 

<概要>

童威(どうい/tóng wēi)、あだ名は「出洞蛟」。彼は童猛(どうもう/tóng měng)の兄であるが、原作において常に同一行動をしている為、歳の離れた兄弟というより双子の印象が強い。もともと浔陽江(しんようこう/xún yáng jiāng)において、前回取り上げた李俊(りしゅん/lǐ jùn)と共に私塩(政府の専売管理を介さずない塩)の事業を広く展開していた。罪人となった宋江(そうこう/sòng jiāng)がこの付近を通過した事から一騒動が巻き起こり、これに童威(どうい/tóng wēi)と童猛(どうもう/tóng měng)の双子も関連。宋江(そうこう/sòng jiāng)と知己を得た彼らはその後、その宋江が腐敗役人により死刑に処せられる事を聞きつけて救出作戦を実行。これを経て梁山泊勢力に合流する事となり、百八人の英傑たちが集結した大聚義(だいしゅうぎ/dà jù yì)の際には序列第68位に定まり、「梁山泊山寨水軍隊長」に任じられた。招安後も水軍の一頭領として各地で活躍を示し、方臘(ほうろう/fāng là)の征伐戦においても李俊(りしゅん/lǐ jùn)らと共に多くの戦功を立てた。梁山泊軍が都への帰る途中、蘇州で李俊(りしゅん/lǐ jùn)が疫病を患ったふりをして組織から離脱。彼と弟の童猛(どうもう/tóng měng)も李俊(りしゅん/lǐ jùn)に従ってその場に残り、船の建築を開始。李俊(りしゅん/lǐ jùn)の新たな志と新天地への夢を共にし、太倉港から船で外国に渡航。彼らは暹羅国(タイ付近)の建国に挑み、最終的に国で官職を得た。

 

<あだ名の由来は龍か鰐か>

あだ名の「出洞蛟」の「蛟」は一般的に「龍」を示し、特に洪水を引き起こす龍(または類似する伝承の動物)を意味するという。しかし、時にはサメやワニなどの実在する動物を指す事もあるそうだ。程穆衡などの水滸研究者の意見によれば、小説内では龍の意味で解釈するべきだという事らしい。

 

<忠誠の水男、その帆先は宋江ではなく李俊のようだ>

原作でほとんど個別の活躍がない双子の(明確に原作において"双子"という描写はないが、彼らのアイデンティティを強化する改修事項とする)童威(どうい/tóng wēi)、童猛(どうもう/tóng měng)の兄弟。とは言え、李俊(りしゅん/lǐ jùn)の活躍のそばには常に彼らの存在があり、梁山泊勢力の水男として多大な貢献を果たしている事が行間から伝わって来る。また、おそらく彼らは宋江(そうこう/sòng jiāng)ではなく、李俊(りしゅん/lǐ jùn)の方に忠誠を尽くしていた人物だろうと言われている。燕青(えんせい/yàn qīng)が盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)に身を尽くしていたように、彼らも李俊(りしゅん/lǐ jùn)を兄貴として心から敬服していたのである。

 

"盡忠報国(尽忠報国)"、これは実在の宋王朝時代の猛将、ここまで何度か記事でも取り上げている岳飛(がくひ/Yuè Fēi)の背中に刻まれていた刺青だ。彼は金王朝の侵攻を食い止めて善良な規範・良識・美徳を広げた、まさに国に尽くした人物だ。しかし、秦檜(しんかい/qín guì)の記事で触れた通り、その国が彼にプレゼントしたものは"死刑"であった。最後まで宋江(そうこう/sòng jiāng)に尽くしていた英傑たちもどうなったか。李逵(りき/lǐ kuí)も花栄(かえい/huā róng)も呉用(ごよう/wú yòng)も天に召された。その宋江(そうこう/sòng jiāng)自身も国に尽くした結果、国から毒酒をプレゼントされた。

 

自分の心と力を、どれだけ天に、人に、地に尽くしても、報われない時がある。報われないどころか、かえって尽くした相手に裏切られて凄惨な憂き目に遭うという事すらある。尽くすべきは誰か、どこか、誰か。国なのか民なのか、英雄なのか身内なのか、あるいは自分自身か。これを的確に見極められた童威(どうい/tóng wēi)と童猛(どうもう/tóng měng)は希望の結末を得た。しかし、現実にはなかなかこの結果は訪れないものだ。

 

宋王朝時代の私塩氾濫>

塩は言うまでもなく調味料として生活に必要な食材である食事だけではない。宋王朝時代には既に医薬、農牧業、化学工業などにも広く活用されていた。まんべんなく民と関わる事物なので、塩は税金の対象となった。『新唐書·食貨志』には「天下の賦税の半分は塩利であり、宮廷の服飾、軍糧、官吏の俸給は皆それに依存している」と記されている。地方財政を支える主要な物品であったのだ。

 

しかし、宋王朝時代は急速な社会経済の発展と人口の爆発的な増加が起きており、慢性的に食塩の供給不足が生じていた。製造技術の遅れ、交通の未発達に加えて、時には食塩専売政策によって価格が高騰したり、腐敗役人がこれを抱え込んでしまう事もあった。これを受けて盛行したのが、「私煎私売(自分たちで煎って、自分たちで売る」という私塩事業である。私塩とは、朝廷の禁令に違反して私的に生産、運搬、販売される塩を示す。李俊(りしゅん/lǐ jùn)、童威(どうい/tóng wēi)、童猛(どうもう/tóng měng)らが統括していたのも、この私塩事業だ。

 

そもそも、宋王朝のやり方が非常にまずかった。彼らが塩を専売するようになった理由は、中抜きコストを削減し、民に対する安価で安定した塩の供給を行いながら、国家の財政収入を増やそうと考えたからである。しかし、現実にはその理想とは真逆の現象が生じていた。官府が各塩場の生産者に対して「正塩」と呼ばれる非現実的な年間生産目標を設定していた事から生産者が赤字に陥る事が多く、一部の地方官吏においては様々な手段で塩を安く買い叩いてこれを高く民に売る事で暴利を貪っていた。

 

よって、私塩事業で困るのは朝廷だけだった。民は安く塩を買えるし、卸屋も大量に安定して仕入れる事が出来るし、製造者の利益も大きかった。朝廷側は私塩事業の取り締まりを大々的に展開してはいたが、末端まではまったく行き渡っていなかった。私塩を取り締まる役人を、私塩事業の関係者が賄賂によって黙らせていたからだ。役人の中には黙るどころか、むしろ積極的に私塩事業を展開して不義の財を貯め込む者もいた。

 

腐敗役人の姿には相変わらず辟易するが、結果としてはこの私塩事業、完璧に社会インフラとして機能をし始める事になった。経済の風を通して活性化に貢献し、それと同時に塩の供給が不足している地域にも隈なく分配する事が出来るようになった。しかも、私塩は官塩よりも価格が低く、質が高かった。

 

当時はもちろんマルクス毛沢東も存在しない訳だが、既にこの頃から社会主義的な計画経済政策が"机上の空論"に留まってしまうという証左を確認できて非常に興味深い。

 

その点、現代日本の場合は当時の塩と同じぐらい大きな生活必需品としての事物であるガソリンに二重課税(消費税、ガソリン税)を適用しているが、こちらの方は案外巧みにやっている印象だ。その理由はガソリンが塩よりもずっと高度かつ複雑な製造・保管・販売の技術を要する事、国家が制御しなければ粗悪品の蔓延や供給不足が生じる危険性が高い事、等が考えられる。ただ、やはり民としては腹が立つ。"蓄財と自己保身にしか興味のない無能、無責任な冗官を一斉に削れば、ガソリン税の税率も下げられるんじゃないか?"という気持ちになるからだ。

 

結局の所、税とは「民の納得感」によって成立する。宋王朝時代は腐敗役人がタケノコのようにニョキニョキと各地で生え広がっていたので、「なぜあんな奴らに俺たちの生活の糧を奪い取られなければならないんだ」と感じ、塩税に対する義憤が大きかった。その「国に対する納得感のなさ」が、民を起義させ、賊を増やし、反乱を誘因したのである。(日本の事例では、江戸時代の米騒動を発端とした大塩平八郎の乱も、こうした生活必需品と腐敗役人が交わり合った結果として生じた起義事件だ。)

 

水滸伝』には官塩と腐敗役人との関係性や具体的な逸話はない。しかし、童猛(どうもう/tóng měng)と童威(どうい/tóng wēi)の兄弟が、かつて李俊(りしゅん/lǐ jùn)と共に官塩を巡って一騒動を起こしたという改修事項を適用しても良いかもしれない。

 

<三元論に基づく特殊技能>

#### 尽忠報人(心術)

**説明**: 童威は、自分が尽くすべき存在を的確に見定め、その揺るぎない到達点から自身の使命を適切に逆算できる能力「尽忠報人」を持っている。この心術は、彼の高い洞察力と戦略的な思考に基づき、忠義と使命を全うするための行動を導く力を発揮する。

- **効果**:

  - **道具性(なし)**: この心術は、道具に依存せず、童威の精神的な力と洞察力に基づく。

  - **思考性(とても濃い)**: 効果的に使命を全うするためには、高い洞察力と戦略的な思考が必要。

  - **関係性(とても濃い)**: 童威の心術は、忠義を尽くすべき相手との信頼関係を強化し、その目標に向かって行動を導く。

 

#### 具体的な使用例:

  1. **目標の設定**: 童威は、自分が忠義を尽くすべき相手を的確に見定め、その目標に向かって逆算し、最適な行動を計画する。
  2. **戦略的な行動**: 童威は、使命を全うするために必要な行動を計画し、それを効果的に実行する。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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