天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

6歳から18歳までに起きたこと

Boyhood

私:2014年の映画、Patricia Arquetteが出演している映画「Boyhood」を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2014年の映画「Boyhood(邦題:6才のボクが、大人になるまで。)」は、リチャード・リンクレイター監督による革新的な作品です。この映画は、特筆すべき特徴として、同じキャストを使い、12年間にわたって撮影されました。物語は、子供時代から成人に至るまでの12年間を追うもので、主人公のメイソン(エラー・コルトレーン)の成長と変化をリアルタイムで描いています。


パトリシア・アークエットは、メイソンの母親オリビア役を演じ、彼女の力強く感情豊かな演技は高く評価されました。彼女はこの役で多くの賞を受賞し、特にアカデミー賞助演女優賞を獲得しています。


「ボーイフッド」は、その独特の製作過程と共感を呼ぶストーリーで、批評家から高い評価を受け、多くの賞を受賞しました。リアルな成長の描写と、家族関係の複雑さを描き出すこの映画は、映画史において特別な位置を占める作品となっています。

 

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 邦題の感性の輝きが鈍かった為に、映画自体の品質が大きく損なわれる事がある。どれだけ職人が技と心を尽くしたスイーツであっても、それをビニール袋に包んでしまえば、人々はそれをコンビニのお菓子であると誤って認識するだろう。そういう意味で、2014年の映画『6才のボクが、大人になるまで。』の邦題を私は残念に感じる。
 先ほどGPT君が説明してくれたが、この映画の驚くべき点は「主人公の男の子・メイスン」の12年間の人生ドラマを描く為に、それを演じるエラー・コルトレーンを実際に少年時代から青年時代までリアルタイムで追いかけたという点にある。(作中で成長していく主人公は別の役者が演じていない。全て本人なのだ。)その12年間の当人における現実の身体・精神・社会的地位の軌跡と成長を反映しつつ、練りに練った現実味のある脚本が演じられていく。大胆な盛り上がりはないものの、21世紀初頭に生きる家庭の姿が実に見事に表現されている。
 だが、この映画にはもうひとつの大きな柱がある。彼の家族である母親オリヴィアだ。今にも猟奇殺人者の予知夢を見そうな彼女は(オリヴィア役を演じる女優パトリシア・アークエットは『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』の霊能者役で非常に有名)、メイスンの成長環境だけではなく、その性格にも多大なる影響を与えている。彼女は幸せや豊かさを求めながらも、具体的にその幸せや豊かさがどういうものかであるのかが分からない。充足とは何か、中庸とは何かという点まで観念を深める事が出来ず、精一杯母親として頑張ってはいるが空回りをし続ける。息子が大学へと巣立つ記念するべき瞬間でさえ、彼女は急に泣き喚くようにこんな言葉をまくしたてる。

 

"I know this day was coming. I didn't know you were gonna be so fuckin' happy to be leaving. ……You know what I'm realizing? My life is just gonna go, like that. This series of milestones. Getting married. Having kids. Getting divorced. The time that we thought you were dyslexic. When I taught you how to ride a bike. Getting divorced again. Getting my master's degree. Finally getting the job I wanted. Sending Samantha off to college. Sending you off to college. You know next huh? It's my fucking funeral! Just go!"
「この日が来ることは分かっていたの。でも、お前がこんなにもクソ楽しそうに出て行くとは思わなかったの。(略)気づいたの。私の人生って、ただのくだらないことの繰り返しだって。結婚して、子供が生まれて、離婚して。お前が失語症だと思って心配して、自転車の乗り方を教えてあげて。また離婚して。修士号を取って、やっと望んでいた仕事に就いて。サマンサ(姉)を大学に送り出して、お前を大学に送り出して。次は何が起きると思う?くそったれな私の葬式よね!あぁ、もう行きなさい!」

 

 この台詞からも分かる通り、母親オリヴィアは最後まで全く成長をしていない。実は、この作品に登場するほとんど全ての大人たちが幼く、保護者としての資格がどこかしら欠けている。責任感のない大人、夢想に偏る大人、支配と従属を欲する大人、才能や夢を信じない大人、感性や共感性に欠ける大人…リチャード・リンクレイター監督はかなり意識して、この大人たちの幼い肖像を描いたように感じられる。メイソンはその幼い大人たちに翻弄されながらも、それをどこか反面教師として捉えながら人生を俯瞰・諦観し、彼自身は本当の大人へと成長を続ける。
 このような観察をしながら改めて映画の題名を振り返る。私は以下の点で、映画内容と邦題の不一致があるように感じる。

 

邦題:『6才のボクが、大人になるまで。
問題点①:「6才のボク」は主人公ではない。「6歳から18歳までのボク」が物語の大きな柱である。したがって、「6才のボク」を焦点化する理由が見当たらない。
問題点②:メイスンの人的イメージは、日本語の一人称「ボク」のイメージと合わない。彼には周囲の大人たちの混沌に巻き込まれながらも自分の世界や価値観を形作っていく気概と感性があり、その強さから「俺(または平仮名で『おれ』)」が適切であると思われる。
問題点③:この物語には他にも主軸となる人物がおり、特に母親オリヴィアの存在感も大きい。したがって、「6才のボクが」という主観的な表現は回避するべきである。より俯瞰的に、メイスンの人生を捉える映画として表現するべきである。
問題点④:「大人になるまで」とあるが、メイスンは作中で年齢・精神・地位のどの点を取っても「大人になった」訳ではない。「大人へと成長をし続ける」場面で作品は終幕する。よって「大人になった」と明言する事は好ましくない。不自然である。

 

 このように問題点が多い邦題だ。鑑賞者が理解しやすいように説明的な意訳をしたものの、映画作品の本質と一致していないのだ。かと言って、原題の「少年時代(Boyhood)」も単純過ぎて惜しい気がする。
 この映画を正しくを説明をしつつ、単純すぎない興味を誘う表現に集約するとしたら、私は次の邦題が最適解ではないかと考える。

 

「6歳から18歳までに起きたこと」

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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