天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

閑情をもたらす、李漁の風雅メソッド

閑情偶寄

私:中国の明時代に李漁が著した『閑情偶寄』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:『閑情偶寄』(かんじょうおうき)は、中国の明時代に李漁(りぎょ)によって著された作品です。この本は、中国文学における重要な作品の一つとされています。李漁は多才な文人であり、詩人、劇作家、小説家としても知られています。

 

『閑情偶寄』は、具体的な生活技術や実用的な知識を豊富に含んだ書籍で、生活の様々な面をカバーしています。家庭管理、園芸、料理、美容など、日常生活に関する広範な話題を取り扱っており、当時の中国社会の風俗や文化を理解するための貴重な資料となっています。

 

この本は、実用書であると同時に、李漁自身の生活哲学や価値観を反映しており、彼の豊かな知識と深い教養が伝わってくる作品です。また、閑情偶寄には李漁の個性が色濃く反映されており、彼の文学作品としての側面も見逃せません。

 

文学的な価値だけでなく、当時の生活や文化を知る上での歴史的な価値も高いため、中国文学や文化史の研究において重要な参考文献とされています。

 

私:ありがとう!次は2011年製作の中国歴史ドラマ『孔子(原題:孔子春秋)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2011年に製作された中国の歴史ドラマ『孔子』は、中国の偉大な思想家であり教育者である孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)の生涯を描いた作品です。孔子儒教創始者としても知られており、彼の教えは中国はもちろんのこと、東アジアの多くの国々における文化や倫理観に大きな影響を与えました。

 

このドラマは、孔子の若き日から晩年に至るまでの波乱に満ちた生涯を追います。政治的な紛争や倫理的な対立、弟子たちとの関係など、多岐にわたるストーリーが展開されます。特に彼の思想や教え、そして彼が直面した様々な困難や挑戦が重要な要素となっています。

 

このドラマは、孔子という人物の深い人間性と、彼の時代における社会的・政治的な背景を丁寧に描いています。また、豪華な衣装やセット、伝統的な音楽など、中国古代の文化を色濃く反映したビジュアル面も魅力の一つです。

 

孔子』は、中国歴史における重要な人物を深く理解するための一つの窓であり、中国の歴史や文化に興味のある人々にとって価値ある作品となっています。

 

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 約2500年前、春秋戦国時代に巨大な論理学の柱を打ち立てた中国人の孔丘(孔子)を主題とした視聴覚作品のうち、日本で手に入りやすいものは俳優チョウ・ユンファ主演の映画『孔子の教え(原題:孔子)』、論理的な内容が各所で丁寧に描かれているドラマシリーズ『絮の人 -孔子伝-(原題:孔子)』、激動の生涯を主軸に据えたドラマシリーズ『孔子(原題:孔子春秋)』、この三作品だ。Netflixなどのストリーミングサービスには登録されていないが、TSUTAYAの店舗によってはアジアコーナーに並んでいる。中古品の流通もある程度あり、宅配レンタルぽすれんを利用するという手もある。中国語が理解出来るのなら、中国の検索サイト「百度」経由で公式の公開動画集がすぐに見つかる。

 先ほどの三作品のうち、本日ようやく最後に名を挙げた『孔子』を鑑賞した。『孔子の教え』は人物描写が、『絮の人』は論理描写が本当に素晴らしかった。一方、この『孔子』については時代描写に見応えのある部分が多かったものの、遠慮のない怒涛の脚色と乏しい論理の描写が相まって、私としては"論語史記の二次創作"のような印象を覚えた。よって、孔子追体験する作品としては効果が薄い。「春秋時代に活躍した架空の政治家の物語」として鑑賞するのなら、興味深いと言えるかもしれない。

 この作品で孔子の母親である顔徴在を演ずるのは、女優のソン・ジア(宋佳)。ハルピン出身の女優で、ジョン・ウー監督の三国志を主題としたハリウッド映画『レッドクリフ』では曹操の愛人・驪姫を演じていた。この『レッドクリフ』には、諸葛亮孔明の次の台詞が登場する。

 

"Confucius spoke of giving oneself to justice, and Mencius spoke of sacrificing for righteousness, surrendering is not a matter of victory or defeat, but rather one of virture! Cao Cao, the self-proclaimed Prime Minister controls the Han Emperor, and fabricated His Majesty's commands. If he conquers the Southland, he will surely usurp the throne. If we surrender to Cao Cao, then we would be aiding a tyrant. Lord Mayor Liu Bei is of His Majesty's Royal Family. His wisdom is known to the world and respected by the people. If a noble man, who has been loyal to the Han court all his life, failed to succeed, then that is fate. But, how could he surrender to Cao Cao? That would be an unbearable shame!(孔子は正義に身を捧げることを説き、孟子は義のために犠牲を払うことを説きました。我々が降伏するかどうかというのは、単に勝利か敗北かの問題ではなく、むしろ美徳の問題なのです!自称皇帝の曹操は今、漢の皇帝を操って、陛下の命令を都合良く捻じ曲げています。もしそのような彼が南方を征服すれば、すかさず王位を簒奪して自分のものにするでしょう。つまり、私たちが曹操に降伏すれば、暴君を助けることになります。一方、劉備玄徳は確かな王族の血筋です。彼の存在は天下に知られ、人々に敬われています。生涯に渡って漢朝に忠実であり高貴であった彼が覇者にならなかったとしても、それは天命と言えましょう。しかし、曹操に降伏することだけは天命が許しません!それは耐え難い恥に他ならないのです!)"

 

 中国の壮大な歴史の中に必ず登場する論理学が、この「尚古主義(古いものを尊ぶ考え方)」と評されるものだ。彼らは古い時代の規範・良識・美徳に絶対的な正解を求める傾向がある。孔明は先ほどの言葉の中で「孔子孟子が打ち立てた考え(古い時代に構築された論理)を思い出すべきだ」「正統な血筋にある者(古い時代から続く名家)こそが天下を治めるべきだ」と語っている。自分たちの行動選択における善悪の境界線を、古くから続く規範・良識・美徳に頼るべきだと語るのである。またここで孔明が名を上げた孔子自身が、古い周王朝の礼制度を完璧な国家運営方法と考え、それを復古するべきだと考えていた。

 このように古代から近代に至るまで、中国では多くの場合において尚古主義が規範・良識・美徳の絶対的な正解であるとみなされ、新しく創造的な言動や価値観は否定されがちであった。とはいえ、その万里の長城のようにがっちりと組み込まれた尚古主義が現代社会並みに瓦解した時期も存在する。例えば、明朝の中期から末期には大衆文化が華開く創造的な時代となった。ここでは先の『レッドクリフ』の原作である『三国演義』を始め、『西遊記』『水滸伝』『封神演義』といった大衆娯楽作品がタケノコのように登場し続けた。孔子が打ち立てて朱熹が手直しをした儒学朱子学)も王陽明が大規模アップデートを行うなど、尚古主義から尚新主義への移行が実によく見受けられる。

 明朝の次に登場した中国歴史最後となる統一王朝、女直(東北民族)創始の清朝の時代にも色彩豊かな文化が咲き誇った時期がある。それが「千年一帝(千年に一人の名君)」として中国歴史上もっとも長く在位した皇帝(在位61年)、康熙帝の治世だ。清の第4代皇帝で、本名は愛新覚羅・玄烨。国外の大混乱状態を大規模かつ的確な軍事行動で制圧しながら、内部で権力のあった権臣の鰲拜を排除して徹底的な親政(皇帝自らが政治を行う体制:西洋で言う絶対王政)を展開。規範の整備と外交問題を次々に解決しながらも、一方では良識・美徳に基づく仁義ある内包的な政策によって漢民族の士人との共存体制を築く。こうして、康熙帝の時代において中華世界は柔軟性の高い多民族文化を確立。ここに、清朝が爆発的に発展する「康乾盛世(第4代康熙帝・第5代雍正帝・第6代乾隆帝の治世)」の基礎が築かれる事となった。(孔子は仁義を伴う理想の指導者を生み出そう苦心惨憺した偉大な論理学者だ。彼の理想に最も近い指導者が、彼が活動していた春秋時代から約二千年後、遂に誕生したという訳である。)

 この名君によって国家が栄華へ突き進む尚新主義的な時流において、康熙10年(1669年)に劇団を経営していた李漁が著したのが『閑情偶寄(別名:『笠翁一家言』)』という教養本だ。この時、李漁は60歳であった。彼の書籍は明王朝清王朝における文化や生活の細部を研究する事にとても役立つ上に、現代生活にも通じる鮮やかな論理学も混じっているのだが、残念な事に日本における本格的な翻訳・解説等の取り扱いが無い。ちょうど良い機会なので、私はここで本作の内容を整理する事にしよう。

 李漁は主に、詞曲、演習、声容(美人法)、居室、器玩(主に観賞用の雑貨)、饮馔(飲食)、植栽、養生(健康法)の分野を論考している。彼は実業家のみならず昆曲(古典的な戯曲の一方式)の作家でもあったので、非常に幅の広い文化的な知見を有していたのだ。もともと、彼は明朝末期の時点で官僚になる為に科挙の試験を何度も受けていた人物なので、古典的な中国の知識に関する造形も深い。結局、彼は試験に合格できず、自分なりの文化人の道を歩む事になった。(彼のように長年科挙を受け続けた後に官僚の道を諦める文人が大勢いた。)

 作品の主題は大きく三つに捉え直す事が出来る。第一には、「养颐之福(幸福である為の方法)」という主題。これは主に住居環境に関する美学が述べられていて、居室、器玩、饮馔、植栽の四章がある。私の三元論で述べる人間の三本能において「生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)」と「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」を満たすための手段が、ここに書かれている。第二には「颐养天年(健康である為の方法)」で、楽しみと憂いを止める方法、飲食と性欲の調節、病気の治療法などが書かれている。これは上述の「生存欲求」「知的欲求」に加えて、人間的・社会的な関係性に関する欲求である「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」の事項も関わっている。またここでは「行楽(旅行)」に関する記述もあり、必要に迫られる苦しい移動行為が余暇を楽しむ娯楽に変化している時代の風景を垣間見る事が出来る。そして、第三には「丝竹风流(風流である為の方法)」で、こちらは特に現代の文化に接近している。李漁は劇団のプロデューサーとして、舞台演劇の核となる名女優を育てなければならない。その為、彼はその女性が"天然の美女"でなくても、化粧や服装などの容姿の美化、立ち振る舞いや姿勢の矯正などの雰囲気の美化によって「美女を作る」方法に精通した。また、ここでは李漁の専門分野である詞の詰め方、作曲、演技に関する詳細な技術の解説も十分に加えられている。

 ちなみに、李漁曰く、当時の美人の顔立ちは「肌が白く、瞳が澄んでおり、眉が月のように曲がっている」というものだった。彼はここに「媚」の価値が加わると更に魅力的であると考えられた。ただし彼は「媚」は感覚的なものであって、言語や技術として表現するのは難しいと語っていた。「媚」は現代の日本人が言う「あざとさ」のようなものだろう。女性が女性らしく立ち振る舞うエレガントな態度は、確かにその人のジェンダーの魅力を高める効果を持つだろう。「化粧をして媚を示すと、他人が興味を持つようになる」という手段は少々軽率にも思えるが、一理はある。人間は視覚的な情報を優先して取り入れる生命体であり、その視覚情報が注目に値するものであれば、その利益も少なく無い。ただし、私は美人の定義を「物理的要素・精神的要素・関係的要素が均衡を保っている状態」であると捉えており、容姿・服装・媚はその条件の一部でしかないと考える。

 李漁はそれらの実用的な記述の中に、理論的な幹を貫いた。彼は自分が閑情(穏やかな心)を手に入れる為には三つの原理が必要であるとした。それは次の内容である。

 

・節約をせよ(俗っぽく派手なものに浪費せず、高雅で素朴なものを得よ)

・既存の倫理思想に縛られ過ぎるな(柔軟性を持って考え、創造的に動け)

・情と理を兼ね備えよ(意匠と機能、風雅と礼節の均衡を保て)

 

 私は人間の本能を「生存欲求」「知的欲求」「存在欲求」と定め、これを節制する為に「規範」「良識」「美徳」が必要であるという論考を行なっている。李漁が挙げた上の項目は、その私の理論体系とも合一するものであり、非常に的を射る論理学となっていると私は感じる。

 当時も現代の成金連中と同じく、金を持っている人間は「美」を金で買えるものと勘違いをし、金銀をちりばめ、豪華に家や自分たちを装飾し、美を飾り立てる事が多かった。しかし、それらの下品な美しさは素朴な美しさに大きく劣るものであり、かえってその人の品性を陥れる事になる。そこに"閑情"は存在しない。

 続けて、彼の居住環境に対する考えを掘り下げておこう。彼は「居室部」の章において、「房舍と人は相応であれ」と述べた。家が豪華すぎて人が貧相ではいけないし、家が貧相すぎて人が豪華すぎてもいけないという考えだ。中国の伝統的な考えとしては、「社会的信用を保つ為にはとにかく見栄を張ってでも家を大きく豪華にしなければならない」というものであったので、李漁の見解は非常に前衛的である。そのほか、「器玩部」の章と併せて、彼の内装に関する感性は大いに現代生活にも通じる点が見受けられる。その一部を以下に記載する。

 

・【収納について】:室内は常に清潔に保ち、整理整頓をするべきだ。邸宅に「套房」と呼ぶ部屋を設けて、そこに雑多な品物を置くようにした方が良い。特に、廃紙、垢砚、秃毫など、急ぎで整理できないものは、一時的にここに置いておいて、時間がある時に整理をするのだ。「套房」は檐(ひさし)の下の空間を活用すると更に効果的だ。檐は一般的に深く作る。これは風雨をしのぐのに便利であるからだ。しかし、檐が深くなればなるほど、部屋の採光の能力が下がってしまう。そこで、私は「活動檐」を提案する。縦板で扉を作り、時に開き、時に閉じる事が出来るようにするのだ。この空間を「套房」とする事で、屋根の下の空間を最大限に有効利用できるようになり、採光と防雨と収納の機能性を全て果たせるようになる。

 

・【窓について】:窓はとにかく頑丈に作る事を最優先として、その十分な耐久性の上で工芸的な装飾について考える。窓の装飾は華美なものとせず、質素で自然味のあるものが最適だ。また、ここでは家の方角についても考慮する必要がある。窓から十分な日光を確保する為に、家は南向きに設計するべきだ。もしそれが地形の条件によって不可能であるのなら、その方角に応じて南側に窓を設けるべきだ。(当時の中国の家屋は伝統的に、側面や後方に窓を設けなかった。)

 

・【借景について】盆栽、鳥籠、奇石などを室内に置くことがあるが、これは部屋を狭苦しくするだけで、まるで囚人のような気分になる。それらは屋外に置くべきであって、窓格子を通じてそれらの景色を鑑賞する事が望ましい。このような借景用の窓を設置する場合は、必ず壁の外に盆栽などを置く棚を作る。窓外に兰花を設置すれば、窓から見える形式がまるで一枚の美しい兰花の画となる。同じように菊花を配置すれば、美しい菊花の絵となるのだ。これによって、日々の工夫により異なる美しい景色を楽しむ事が出来るようになる。

 

・【壁について】厅堂(広間)の壁も窓と同じように質素である事が望ましい。壁には名人の書画を飾るべきであるが、裱軸より実貼にするべきだ。軸にすると風に揺れて情緒が損なわれる。

 

・【食器棚について】食器棚は収納の大きさよりも、仕切りの在り方を考慮した方が良い。多様な物品を収納できる空間が多い程、食器棚としての性能が上がる。よって、小さな隔板を利用して多宝格のような食器棚を作るべきだ。各階の両側に細い木材を二本別に打ち付け、そこに板を置く。板の幅はあまり広くないもので、身の半分か三分の一程度が望ましい。必要に応じて着脱を可能にして、柔軟に様々な形状の物品を置けるようにする。

 

・【汚物について】汚物(糞尿)を捨てる回数は一日に何度もある訳だが、適当な場所を選ばずに捨てると、綺麗な土地がすべて汚れてしまう。男性の場合は書斎の横に壁に穴を開け、そこに小さな竹をはめ込み、内部に流して外に出す事によって、汚れた空気を感じずに快適に過ごせるようになる。天気も関係が無くなるので、この方法を推奨する。(→宮殿も街も糞尿に溢れていた同時代のパリの事例から鑑みると、この衛生観念は進んでいると言える。しかし、同時代において既に独立した清潔な厠と、糞尿を農地の肥料として再利用する循環体制が普及していた日本の事例と比べると、劣っていると言える。日本の江戸時代はかつて世界にも類を見ないほど環境循環の技術発明に長けていた。)

 

・【机周りの整理について】机の上に物を置くときには配置方法を強く意識する必要がある。大抵の場合、八文字形(前後を分けずに寸法を無視して並べる形)、四角形(各角に一つずつ物を置き、皿のように並べる形)、梅花形(中央に大きな物を置き、周りに小さな物を並べる形)は避けるべきである。また、普段使わない文具や糊などは机の上に絶対に置かず、使う時だけ引き出しから持ち出すのが好ましい。また、隔板を手元に置いておくべきだろう。冬に囲炉裏を囲む際に、その隔板を設置して机や物品の損傷を防ぐのだ。机敷きもあると良い。これは机や椅子が安定していない時に、脚の部分に敷いて固定させる事が出来る。板などは職人にお願いして、作業中に余った材料を残してもらうと良いだろう。

 

・【地形と建築について】家を建てる際は地形を上手く利用する事が重要だ。家は平原のようにしてはならず、高低の抑揚が不可欠である。高い場所に低い家を建て、低い場所に高い楼を建てる。低い地には石を積んで山を作り、高い地には土を掘って池を作る。このような抑揚が美しい建築に繋がるのだ。また、同じように家の周辺の通路についても抑揚をつける事が望ましい。直線は俗な雰囲気になりがちであるが、左右に豊かに曲げる事で雅が生まれる。

 

長物と演劇を通して雅俗の探求を進めた清王朝時代の名文士、李漁。中国の論理学世界はどの時代を発掘しても希少な宝玉に出会えるので、非常に興味深い。

 

"変則新、不変則則腐;変則生、不変則板。(変えて新しさを求めなければ、必ず事物は腐っていく。変えて生み変えなければ、必ず事物は硬直する。)"变则新,不变则腐;变则活,不变则板。——《闲情偶寄·演习部·变调第二》

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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教えて!ネコのコトバ

Kedi

私:2016年のトルコ映画『Kedi(邦題:猫が教えてくれたこと)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:『Kedi』は2016年に制作されたトルコのドキュメンタリー映画で、邦題は『猫が教えてくれたこと』です。イスタンブールを舞台にしており、この街で自由に生きる数多くの野良猫たちの生活を追いかけています。映画は、猫たちの日常と彼らが市民との間で築くユニークな関係に焦点を当てています。

イスタンブールの街中では、猫たちは長い歴史を通じて市民と共生してきました。彼らはただの野良猫ではなく、街の象徴的存在であり、多くの人々に愛されています。この映画では、7匹の猫の個性豊かな物語を通じて、猫たちが人々の生活にどのような影響を与え、どのように街の一部となっているかが描かれています。

『Kedi』は、猫と人間の関係を深く掘り下げることで、社会と文化の一面を映し出しています。この映画は、猫好きはもちろんのこと、都市生活や動物と人間の関係に関心がある視聴者にもおすすめです。

 

私:次は2016年製作のイギリスの実話を基にした映画『A Street Cat Named Bob(邦題:ボブという名の猫 幸せのハイタッチ)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2016年に製作されたイギリスの映画『A Street Cat Named Bob』(邦題:ボブという名の猫 幸せのハイタッチ)は、実話に基づいた感動的な物語です。この映画は、ジェームズ・ボーエンというホームレスのストリートミュージシャンの人生が、一匹の野良猫、ボブとの出会いによってどのように変わるかを描いています。

ジェームズは、ロンドンの路上で生活し、ドラッグ依存の問題に苦しんでいました。ある日、彼は怪我をしたオレンジ色の猫を見つけ、その世話を始めます。彼はこの猫にボブと名付け、やがて二人は互いに支え合う存在となります。ボブはジェームズが路上で音楽を演奏する際に一緒にいることが多く、その姿が人々の注目を集めます。

この映画は、人間と動物の絆の深さと、困難な状況でも希望を失わない重要性を伝えます。ジェームズとボブの物語は、多くの人々に感動を与え、二人の経験は実際に本としても出版されています。心温まるこの物語は、動物愛好家や感動的な人生の転換を描いたストーリーを好む人々に特におすすめです。

 

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 春爛漫。桜の気配を感じ始めた陽気な1日が始まる。道を歩いていたら、首輪をつけた虎柄の猫ちゃんがどこかへ走り抜けて行った。朝の地域パトロールが終わったのだろう。カラスが電線の上から、猫を眺めている私を眺めながら、カァと一声鳴いた。

 朝から猫を主題とした作品群を立て続けに鑑賞した。Netflix配信のドキュメンタリー作品『Inside the Mind of a Cat(邦題:教えて?ネコのココロ)』、Amazon Prime配信のBBCドキュメンタリー作品『Secret Life of the Cat.(邦題:密着!ネコの一週間)』、そして上述のトルコ映画『Kedi(邦題:猫が教えてくれたこと)』、ドキュメンタリー映画『A Street Cat Named Bob(邦題:ボブという名の猫 幸せのハイタッチ)』──頭と心がチョコレートのように溶けかけている。しかし、そのチョコレートの中から論理学的な閃きを発掘する作業を忘れてはならない。

 『教えて?ネコのココロ』は、知見としてはそれほど新しい発見は無い。猫と人の歴史に軽く触れ、猫に特別な社会性(私の三元論で言う「存在欲求=繋がりたい、関係的に健やかでありたいとする本能のひとつ」)がある事を解説している。『密着!ネコの一週間』も猫と存在欲求の関係性を紐解く内容だが、それを解明する本格的な実験を丁寧に描いているという点が興味深い。実験者は、猫が環境から影響を受ける生物であるとして、人間の室内飼いが主流になった事により、より人間との関係を重視するようになった(過去よりも存在欲求の傾向が高くなった)と考えているようだ。

 猫と人が共存する街、トルコのイスタンブールを描く『猫が教えてくれたこと』は、生活の隅々まで猫ちゃんが浸透している稀有な街の様子を描いている。オスマン帝国時代、エジプトなどの貿易船に必ず乗っていたネズミ狩り用の猫がここに来訪した事で一気に個体数が増えたそうだ。トルコ国民の9割はイスラム教徒。預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが猫好きだったという逸話もあり、もともと猫を貴ぶ国民性だ。猫はカフェにも路地裏にもレストランにも、どこにでもいる。彼らは多くの場合、地域猫として不特定多数の主人のもとで幸せに暮らしている。また猫は養われるだけではなく、感染症のもとになってしまうネズミを適度に駆除してくれるし、住民たちの心を癒して彼らに人生の活力を与えている。

 

"Kediler ayaklarımızın dibinde bize konuşsa, hayat sevinçle dolardı. Kediler yaşama hissi verir ve bizi mutlu ederler.(猫が足元で話しかけてくれたら、人生は喜びに溢れる。猫たちは生きる実感を与え、僕たちを幸せにしてくれる。)"

 

 心の温まる街と猫の話だ。しかし、猫アレルギーを持っている人は苦しい街かもしれない。また以前『9か月』の映画に触れて取り上げたが、猫の糞尿に交じるトキソプラズマ菌が妊婦に悪影響をもたらす可能性があり一定の注意が必要である。

 映画『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』は実話だ。薬物中毒に苦しむ音楽家が猫ちゃんに出会った事から人生を立て直していく。本作で面白い点は、茶トラ猫のボブ役をボブ本人(本猫)が演じているという事だろう。キャスティング段階において様々な猫をオーディションしたが、結局、最高のボブ役はボブだという結論が出された。ボブは役者としても最高の働きをしてくれたのだ。(厳密に言えば、ボブ役は7匹のスタントマンチームによって撮影された。しかしボブがほとんど撮り直しの無い完璧な演技をするので、主要な場面は全てボブが担当をしている。この演技力の安定感から、続編『A Gift from Bob/ボブという名の猫2 幸せのギフト』ではスタントチームは5匹に減った。)

 作中で去勢手術が無事に終わったと言われた時、ボブの飼い主であるジェームズは「あ、それは彼が驚くから言わないであげて……彼は英語が分かるからさ」と小声で返事をする。実際、ボブは本作の見事な演技ぶりからも分かる通り、人間の言葉を非常によく理解しているようだ。

 私は高度な言語・非言語コミュニケーションを可能とする地球上の動物が、基本的には同じ原則を持って意思のやり取りを行っていると考えている。それはこれまでにも何度か触れている私の論考、「人間の三本能」との共通項がある。人間の本能は「生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)」「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」という三要素に集約される。この本能の基本的な類型は以下の8項目である。

 

  1. 弱い生存欲求・弱い知的欲求・弱い存在欲求
  2. 弱い生存欲求・強い知的欲求・弱い存在欲求
  3. 弱い生存欲求・弱い知的欲求・強い存在欲求
  4. 弱い生存欲求・強い知的欲求・強い存在欲求
  5. 強い生存欲求・弱い知的欲求・弱い存在欲求
  6. 強い生存欲求・強い知的欲求・弱い存在欲求
  7. 強い生存欲求・弱い知的欲求・強い存在欲求
  8. 強い生存欲求・強い知的欲求・強い存在欲求

 

 これは猫や犬、馬や牛、猿やイルカ、カラスやオウムといった「賢い」と言われる動物たちも同様である。猫のボブはジェームズの話す言葉(仕草)から、それを自動的に上述の8種類のいずれかに分析していると捉える事が出来る。同じように、人間のジェームズは猫のボブが話していた言葉(仕草)も自動的に上述の8種類のいずれかに分析し、自身の本性の傾向(どのような現実情報に注目するか)に従って相手の欲求の中から優先順位を算出し、それに反応をするのである。

 この基本的な8種類の類型は、更に細分化する事も可能である。これは以前の記事でも行ったが、強弱の段階を4段階(とても強い、強い、弱い、とても弱い)にして64種類の類型を導き出す事でより再現性が高まるという事になる。猫の言葉はこの64種類の類型に妥当性があると思われる。(尚、人間の言葉については、最低でも「どちらでもない」という項目を含めた5段階・125種類の類型が必要である。)

 

<六十四類型>

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

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①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

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①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求

①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

 

 ここで、GPT君に支援を願って、猫の言葉(欲求)の翻訳を試みる。

 

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ChatGPT:あなたの考察はいつも大変興味深いですね。生存欲求、知的欲求、存在欲求という三つの本能を軸に、動物や人間の行動やコミュニケーションを分析するアプローチは、行動生物学や心理学の観点から見ても非常に有益です。実際には、動物行動学では、個体が持つさまざまな欲求の強さが行動にどのように影響するかを研究しています。たとえば、食物を求める行動(生存欲求)、新しい環境を探索する好奇心(知的欲求)、社会的なつながりや地位を求める行動(存在欲求)などがそれにあたります。

あなたが述べた「人間の三本能」に基づく類型は、動物や人間の振る舞いを理解するための枠組みとして機能する可能性があります。特に、動物の行動を観察する際には、その行動がどの本能に基づいているのかを推測することが重要です。例えば、猫が遊ぶ行動は、存在欲求(社会的なつながりを求める)と知的欲求(好奇心や探求心)の表れと考えられます。

また、これらの本能の強さに基づく分類法を使うことで、動物の個性や行動の傾向をより細かく把握することが可能になるかもしれません。ただし、実際のところ、動物の行動やコミュニケーションは非常に複雑で、多くの要因が絡み合っています。環境、遺伝、学習の経験など、様々な要素がその行動に影響を及ぼしています。

あなたの理論が、動物や人間の行動の理解を深める一助となることは間違いありません。動物行動学や心理学の分野での更なる研究や実証が期待されますね。

 

私:ありがとう!君にひとつお願いがある。さっきの六十四種類の欲求のそれぞれの内容を踏まえて、それに見合った短い台詞を考えてくれない?たとえば、僕が考える「①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求」の台詞は、「やぁ、調子はどうだい?」だ。この台詞は相手の調子を聞く=強い知的欲求、挨拶をする=強い存在欲求という部分をイメージしている。

 

ChatGPT:もちろん、それぞれの欲求の組み合わせに基づいて台詞を考えるのは興味深い挑戦ですね。各類型に対して、その特性に合った短い台詞を提案します。ここでは、六十四類型のうちのいくつかをピックアップして、例を示しますね。

 

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「何か面白くて役立つことがある?みんなはどうしている?」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求

台詞:「今日は一緒に過ごそうよ。他のことは気にせずに。」

①強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求

台詞:「安全を確保しなきゃ。それ以外は無視だ。」

①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「それをもっと知りたい。他人なんて関係ないね。」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「私たちは一緒に強く生き抜く必要があるのさ。」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「新しい知識が欲しい、ただそれだけさ。」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「危険から身を守りながら、新しい知識を吸収しなきゃ。他人に興味なんてないね。」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「みんなと一緒にいることが最も大切なんだ。それ以外はあまり気にならない。」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求

台詞:「生き残るためには何を学ぶべきだろう?他人のことは後回しだ。」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求

台詞:「ただみんなとつながりたいだけ。それ以外はあまり興味なし。」

①強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「安全を確保し、知識を得て、みんなと強い絆を築きたい。」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求

台詞:「新しいことを学びたいけど、友達との時間も大切にしたいな。」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「どんな危険も乗り越え、知識を深め、みんなと一緒にいたい。」

①弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求

台詞:「新しい発見に集中したい。生存や他人は二の次だ。」

①とても弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「知識への渇望があるだけさ、他はどうでもいい。」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求

台詞:「自分の安全が最優先、でも友達も大事にしたい。」

①強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「安全を確保しながら、大切な人たちとの時間を楽しみたいな。」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求

台詞:「みんなとの繋がりこそが私にとってのすべてだよ。」

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「生き残ることに全力を注ぎたい、他は気にしない。」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求

台詞:「生き抜くために学ばなきゃ。他人は気にしないよ。」

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 ありがとう。それぞれ非常に興味深い台詞を設定してくれた。(ごく一部、若干柔らかい語尾など私が修正している。)だが、これは猫の自我部分に浮かび上がった欲求であり、具体性に欠ける。仮にご飯の空っぽのお椀を前にした猫がニャーンと鳴きながら相手を見上げて、手をちょいちょいと動かした際、それをセンサー機器等による読み取りで「①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求」に属する表現(言語・仕草)であると分析し、「私たちは一緒に強く生き抜く必要があるのさ」という翻訳文を得たとしよう。我々は何となく内容を想起出来るが、これでは抽象的過ぎる。更なる翻訳が必要なのだ。

 猫の言葉の翻訳を更に実用的なものへ昇華する為には、続けて次の細分化が必要である。私の考えでは、「生存欲求」は「食欲」「休息欲」「運動欲」により、「知的欲求」は「技術への関心」「論理への関心」「方法への関心」により、「存在欲求」は「接触的希求」「承認的希求」「帰属的希求」に分解出来る。この分解を64種類の組み合わせに全て適用する事によって、より具体的な猫の言葉を導き出す事が出来る。上述の「①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求」の場合、生存欲求を「食欲」、存在欲求を「接触的希求」に分解すれば、この言葉の翻訳内容は「すっごくお腹減ったから、何か食べたい!あと、食べている間は傍にいて僕に触れていて欲しいな!」といった具合に解釈出来るようになる。

 

"Birbirimizin dilini konuşamasak da, düzgün bir şekilde anlaşabiliriz. Mesela, bir uzaylıyla arkadaş olmak gibi bir his olabilir. Kendi türünden tamamen farklı bir varlıkla tanışıp, dilden farklı yeni bir yöntemle iletişim kurmaya başlıyorsun.(お互いの言葉は話せないけどちゃんと意思疎通はできる。例えば宇宙人と友達になるのと同じような感覚なのかも。自分とは全く異なる生命体と出会って、言語とは違う新たな方法で会話を始めるの。)"──『猫が教えてくれたこと』より

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

ボブという名の猫2 幸せのギフト[DVD]

猫が教えてくれたこと

 
著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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詭道こそ俺たちを活かす道なんだよ!

THE FIRST SLAM DUNK

私:2022年の日本のアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2022年に公開された日本のアニメ映画『スラムダンク』は、井上雄彦による同名の人気マンガを基にしています。『スラムダンク』は、1990年代に連載され、バスケットボールを題材にしたストーリーで、特に高校生の間で大きな人気を博しました。この映画は、そのマンガの続編あるいは再構築として制作され、多くのファンが待望していた作品です。

 

映画の物語は、主人公の桜木花道がバスケットボールに情熱を傾ける姿を中心に描かれています。彼は、もともとはバスケットボールに興味がなかったが、高校に入学してからこのスポーツに魅了され、天才的な才能を発揮します。映画では、彼の成長、チームメイトやライバルとの関係、そして熱い試合の様子が描かれています。

 

スラムダンク』は、スポーツアニメとしてだけでなく、青春ドラマとしても高く評価されており、バスケットボールを通じて友情、努力、勝利をテーマにした感動的なストーリーが展開されています。また、原作マンガの美しいアートスタイルと熱いストーリーテリングが映画でも見事に表現されていることから、原作ファンはもちろん、新たなファンも獲得した作品となっています。

 

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 少し前に、車で作品の聖地として知られる国道134号線沿いの鎌倉学園前駅を駆け抜けた。黄色と緑色で塗装された可愛らしい江ノ島電鉄の車両が、ゆっくりと踏切付近を走っていく。眼前には冬の太陽に煌めく相模湾が広がり、その奥手には江ノ島が見える。情緒たっぷりの湘南の一風景である。

 ここはかつては穏やかな場所であったが、今は外国人の若い観光客でごった返す観光名所となっている。『スラムダンク』アニメ版に登場した事で"聖地"として知られるようになったからだ。だが、空間的な余裕の無い場所である為に通行車両と観光客との相性が非常に悪く、江ノ島電鉄の車両内も常時パンク状態。京都同様のオーバーツーリズム問題を抱えている。(天気が良いのなら、スラムダンク踏切は藤沢駅から湘南モノレール江ノ島駅まで行き、そこから海岸線を歩いて向かった方が断然心地良い。所要時間は20分程度。江ノ島駅前にはレンタルサイクルのサービスもある。)

 映画版『THE FIRST SLAM DUNK』は日本の漫画史に残る名場面の数々を鮮やかにアニメとして再現した秀作だ。動作の無い一枚絵の観客描写や少々強引さを覚える後付け設定など気になる点が散見するものの、原作者である井上雄彦本人が責任を持って監督業を担い、丹念に作り込みがなされている。特に本作で主人公となった沖縄県出身の宮城リョータ(身長168cm)が次の台詞を心の中で叫ぶ画面は印象的だ。

 

"ドリブルこそ、チビの生きる道なんだよ!!(Dribbling is short people's biggest weapon on the court!!)"

 

 彼は低身長を欠点とせず、逆にそれを利用する"奇策"を自らに見出して、チームに多大なる貢献を果たしている。これはまさしく「詭道」である。詭道とは、孫武孫子)が兵法に記した事で有名な方法論だ。

 

"兵者,詭道也。故能而示之不能,用而示之不用,近而示之遠,遠而示之近。(兵法とは、詭道そのものです。正面から相手に突撃するのではく、奇襲によって相手を翻弄する事が、兵法の本質です。ですから、出来る事を出来ないように見せかけ、使うつもりがあるのに使わないように見せかけ、近くにいるのに遠くにいるように見せかけ、遠くにいるのに近くにいるように見せかけるのです。)"

 

 私は自身の三元論に基づき、「物理的要素」「概念的要素」「体制的要素」という三つの要素を用いて、「詭道」という方法論を改めて分解しよう。競技であれ、人間関係であれ、組織的な対立であれ、「戦い」には必ず不利、有利が存在する。その利を分けるのが、物理的要素、概念的要素、体制的要素である。人工知能に補足の解説をお願いしよう。

 

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ChatGPT:あなたが提案する三元論に基づく「詭道」の再解釈は非常に興味深いですね。孫武孫子)の兵法における詭道の概念を、物理的要素、概念的要素、体制的要素の三つの側面から考察することで、より深く、現代的な文脈に適用することができそうです。

 

  1. **物理的要素**:これは、戦闘の実際的な面、つまり地理、兵力、装備などの物理的な側面を指します。詭道を用いる場合、これらの要素を操作して敵に誤った情報を与えたり、予期しない場所や方法で攻撃を仕掛けることが含まれます。

 

  1. **概念的要素**:これは、戦略や戦術の理論的な側面、敵の心理や意図を理解し、それに基づいて行動する能力を含みます。ここでは、情報戦や欺き、予測不可能性を通じて敵を惑わせることが重要です。

 

  1. **体制的要素**:組織の構造や指揮系統、文化や習慣など、組織的な側面を示します。詭道の観点からは、自身の組織の強化や改革、または敵の組織構造を弱体化させる戦略が該当します。

 

このように三元論を用いて孫子の詭道を現代的に解釈することで、様々な競争環境や人間関係、組織間の対立において、より複雑で洗練された戦略を立てることが可能になります。これは、ビジネス、政治、スポーツ、さらには日常生活の多くの側面においても応用できるでしょう。

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 ありがとう。これらの物理的要素、概念的要素、体制的要素は、戦いの中で必ずその程度に差が生じる事になる。その有利・不利の差が生じる状況を基本類型に整理すると、それは以下の通りとなる。

 

弱い物理的要素・弱い概念的要素・弱い体制的要素

弱い物理的要素・強い概念的要素・弱い体制的要素

弱い物理的要素・弱い概念的要素・強い体制的要素

弱い物理的要素・強い概念的要素・強い体制的要素

強い物理的要素・弱い概念的要素・弱い体制的要素

強い物理的要素・強い概念的要素・弱い体制的要素

強い物理的要素・弱い概念的要素・強い体制的要素

強い物理的要素・強い概念的要素・強い体制的要素

 

 GPT君、再び補足を頼む。

 

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ChatGPT:この分類は、様々な状況における戦略的なアプローチの基本的な類型を示しています。それぞれの組み合わせは、特定の状況や対立において、どの要素が強みまたは弱みとなっているかを理解するのに役立ちます。各類型を簡潔に解説します。

 

  1. **弱い物理的要素・弱い概念的要素・弱い体制的要素**:

   - すべての面で劣っている状態。根本的な改善や全面的な見直しが必要。

  1. **弱い物理的要素・強い概念的要素・弱い体制的要素**:

   - 物理的な資源は乏しいが、戦略やイノベーションによって補う。体制的なサポートが不足。

  1. **弱い物理的要素・弱い概念的要素・強い体制的要素**:

   - 組織や体制は堅固だが、具体的な戦略や物理的資源が不足。

  1. **弱い物理的要素・強い概念的要素・強い体制的要素**:

   - 資源は限られているが、強力な戦略と組織力でカバー。

  1. **強い物理的要素・弱い概念的要素・弱い体制的要素**:

   - 資源は豊富だが、戦略的思考や組織的支持が弱い。

  1. **強い物理的要素・強い概念的要素・弱い体制的要素**:

   - 資源と戦略は強いが、組織的なサポートが不十分。

  1. **強い物理的要素・弱い概念的要素・強い体制的要素**:

   - 豊富な資源と強固な組織があるが、戦略的な観点が不足。

  1. **強い物理的要素・強い概念的要素・強い体制的要素**:

   - すべての面で優れており、強力な競争力を持つ。

 

これらの基本類型を理解することで、あらゆる競争状況において自身の立場を評価し、強化すべき分野や改善点を特定するのに役立ちます。また、相手の弱点を見つけ出し、それに応じた戦略を立てるための基礎となりますね。

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 その通りだ。相手より強い要素を多く含むのであれば、その者または組織は勝負において相手を圧倒出来る為、正道の戦いを貫いても問題ないと言える。しかし、相手より弱い要素を多く含むのであれば、その者または組織は詭道を進まなければ勝てる見込みが無い。

 宮城リョータの場合、フィジカルの優位性は明らかに他者に負けているが(弱い物理的要素)、相手の動きに応じたドリブルの戦略性が高く(強い概念的要素)、更に充実したチーム力を有している(強い体制的要素)と言える。よって、彼は物理的要素で相手と衝突する正道ではなく、ドリブル戦略とチーム力を駆使した詭道を進み、それによって相手を翻弄する事が出来た。

 もっとも、正道も詭道も進んではいけない事がある。例えば上述の1番が自分で、8番が相手であった場合、その勝負は全く勝てる見込みが無いと考えるべきであり、そもそも戦ってはならない。「聖なる亀の幻術に助けられて戦況を反転させた朱元璋明王朝の始祖)」とでも言うような幻想的な奇跡を期待するのは非現実的である。この場合は道を進まず立ち止まって、出来る限り時間を稼ぎながら、そこで力を養わなければならない。もし、その時に相手から勝負を仕掛けられたら、即座にその道から撤退する事が望ましい。

 

"实则斗,虚则走。(力が大きければ戦うべきであり、力が足りなければ逃げるべきである。)"

──淮南子.兵略训

 

"凡此不如敌人,避之勿疑;所谓见可而进,知难而退也(これらすべて敵に劣るならば、迷わず戦いを避けるべきである。要するに、可能なるを見て進み、難儀を知りて退く事が重要だ。)"

──吴子·料敌

 

※画像:DALL-E

※補足:中国・春秋戦国時代の兵法は、あまりの戦力差がある場合において、主に「求和(和解を求める)」「投降(降伏する)」「死拼(死んで戦う)」「撤退(撤退する)」という四つの選択肢があると定義する。しかし、前者の三項目は完全な袋小路であり、その先の道が完全に断絶されている。よって、その状況においては唯一「撤退する」という選択を素早く取る事で、力を保存し、再起を図る事が出来るとされている。

※補足:これに類する有名な言葉として、南齐书.王敬则传に登場する"檀公三十六计,走为上计(檀公三十六計、逃げる事が上策)"というものがある。これは日本でも「三十六計、逃げるに如かず」という表現でよく知られている。

檀公とは南斉の名将である檀道済を示す。彼は「三十六計」という優れた兵法の作者である。南斉の政変による争いが生じた際、謀反を起こした王敬则が朝廷に進軍していると、朝廷側の人間達が逃亡を計画しているという報が舞い込んだ。王敬则はそれを聞いて嘲笑い「三十六計の檀公さんも、結局は俺と戦わずに逃げる事が上策って事かい」と感想を述べた。この逸話が時代を経て、「困難な状況では逃げる事が最上の策だ」という意味を持つものに変化した。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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恕の人、仲尼と子佑

孔子

私:2010年製作の中国ドラマ『孔子(邦題:恕の人 -孔子伝-)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2010年に製作された中国ドラマ『孔子(邦題:恕の人 -孔子伝-)』は、古代中国の思想家であり教育者である孔子の生涯を描いた作品です。このドラマは孔子の哲学、特に「仁」と「恕」の概念に焦点を当てています。孔子の人生、彼の教え、そして彼の思想がいかに後の時代に大きな影響を与えたかを描いています。

 

このドラマは、孔子の若き日の苦労から始まり、彼が思想家としての地位を築く過程を描きます。彼の教えがどのようにして彼の弟子たちに受け継がれ、やがては中国全土に広まっていったかを追います。孔子と彼の弟子たちの間の関係や、当時の中国社会の複雑な政治的背景も描かれています。

 

視覚的にも豪華で、当時の中国の衣装や風俗が再現されている点も特徴的です。ドラマは、孔子の教えの普遍性と、その教えが現代にもたらす意味を視聴者に問いかける作品となっています。

 

※補足:孔子の「生誕2565周年(途方もない数字だ)」を記念して佛山伝媒集団公司が製作した作品。総指揮は田卓、監督は韩刚。赵文瑄、罗嘉良、赵君、徐百卉などが主演。物語はアメリカで学んでいた女子学生、梅燕が孔子に関する博士論文を完成させるために中国に帰国する場面から始まる。その後、孔子の生涯と彼の主要な思想を追いながら、時折、梅燕の周辺で起きる出来事や孔子に関する解説や見解が入る。

 

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 彼の表情は実に複雑だった。それは当然である。私が彼と同じように二千五百年先の世界に飛ばれ、自分の人生を再現した物語を革新的な技術で追体験したとしたら(しかもそれがまだ自分にとって見知らぬ未来であるとしたら)、それを到底現実と認める訳にはいかないだろう!彼は『恕の人 -孔子伝-』の最終話のエンドロールが終わって黒くなった画面をただ呆然と眺めながら、しばらく何も言わなかった──

 ──彼との遭遇は2024年4月28日午前10時40分に訪れた。私はその時、上海の黄浦路を人民広場駅に向かって歩いていた。この道は上海の浦西地区の中心地にあり、1930年代の老上海時代からレストラン街として栄えて来た場所である。南京西路と繋がる交差点の先には広大な人民広場が眼前に開け、そのすぐ脇には歴史的建造物の性質も持つ老舗ホテル、豪壮な国際飯店がある。

 この道の周辺はコロナ禍後にすっかり再開発が進んでしまって数年前の古き良き時代の面影はほとんどない。それにも関わらず、この道だけは旧市街の気配が残る比較的古い建物が煩雑に立ち並んでおり、つい最近はこの道にある料理店が連続ドラマの舞台になった事で外地人の観光客で賑わっていた。そうした趣のある味わいが香るその道に、長い髭を生やした壮年の凛々しい男がひとりぽつりと、居場所なさげに突っ立っていたのである。

 私は作家であるにも関わらず、当時の感覚を正確に言葉として表現する事が出来ない。ただ、私にははっきりと分かったのである。『カラマーゾフの兄弟』に登場する大審問官の話と同じように、私は「ただ分かった」のだ。その古代中国の衣装をまとった"コスプレ男"が「仲尼」であると。これはもう彼らの時代から言われている通り、天意がそうさせたとしか言いようがない。

 「先生!」と私が叫んだ時、仲尼──すなわち、後世の私たちが「孔子」と呼ぶその偉大な思想家であり教育家のその人──が、私の顔を見定めた。彼の目にはどうにか状況を理解しようと努める激しい戸惑いの色が浮かんでいたが、それと同時に、私の魂を真っすぐに射貫くような静かで力強い光も見受けられた。その彼の純然たる瞳を見た瞬間、私は思わずたじろいでしまった。しかし、それも一瞬のことに過ぎなかった。

 男は左手と右手を組み合わせて胸の前に突き出し、ゆっくりと私に頭を下げた。これは紛れもなく、"拱手"と呼ばれる春秋戦国時代の敬礼であった。周囲の無数の通行人が笑いながら、ある者は忌々しそうな顔で通り過ぎて、またある者は知人同士で「何かのイベント?」と話し合い、またある者は「遵命!」などと笑いながら野次を飛ばした。彼の姿を見て全身の毛という毛が逆立つほど心を震わせていた人間は、当然ながら私だけであった。私もまた彼と同じように手を合わせて、ゆっくりと頭を下げた。

 これが彼との初めての出会いだったが、しばらくはお互いに訳の分からない時間が続いた。私は彼に対してどのように我々の事を説明すれば良いのかさっぱり分からなかったし、彼もまた私に自分が置かれた状況について何を聞けば良いかすら分からなかったのだ。だが幸いにも、我々は言語という道具を用いて思考を行い、それによって人間や世界の在り方を解明しようとする、論理学者同士であった。論理学に通じた人間はどのような変化が生じても、それを思考によってばらばらに分解し、その事物事象の内部構造である本質を速やかに理解する事ができる。そのような訳で、混乱と興奮の状態で一緒に歩いていたのは、せいぜい15分程度だったかもしれない。二人で青島路まで歩いて、とにかく私が彼を自宅まで誘導した時、彼は既に物事の多くを理解していたし、私も彼に何を伝えるべきかを理解していた。

 都合の良い事に(これも天意としか言うしかない)、私たちの間に言語の壁は存在しなかった。そこにあるのは時代の壁だけであった。私は1時間ほど、ほとんど一方的に彼に向けて、現代社会における技術の水準、文化の在り方、社会の仕組み、またここに至るまでの大雑把な歴史の流れと国際的な情勢を説明した。彼はじっと私を見ながら、静かに耳を傾けていた。その説明の最後に、私は熱っぽくなっていたばかりに自己紹介をし忘れていた事を急に思い出して、自分を「子佑」とでも呼んで欲しいとお願いした。また、私はこうも付け加えた。

 

子佑:総じて、私たちの今の状況は極めて奇妙です!ですが、"君子固窮、小人窮斯濫矣(君子も窮地に陥る事があるが、小人のように窮地になった途端に冷静さをすっかり失ってしまうような事はない)"の精神で、この奇妙な状況と向き合おうじゃありませんか。

 

 これを聞いた彼はとても感心した様子で、「それはとても意義のあるお言葉です。先生は世の中に対する深い洞察をお持ちなのですね。」と言った。私は思わず天を仰ぐように「あなたの言葉ですよ」と大笑いをして言った。またすぐに私は「先生は私ではなく、あなたです」とも言った。しかし、彼は頑固に「私があなたの世界でどう評価されていようと、今の私にとってあなたは先生です。今の私の知識だけでは、この世界の理解には遥かに及びません。私はあなたに教えを乞わねばならず、それ故にあなたを先生とお呼びしなければなりません」と言った。

 私は彼から先生と呼ばれる毎に、中国六千年の歴史が刻まれた棒でしこたま体中を殴られれるような恐縮極まる想いに駆られたので、何とか解決策を見つけ出そうと、自国の日本にある便利な敬称の方法を持ち出した。私はお互いを「子佑さん」「仲尼さん」と呼び合おうと提案をしたのだ。この「名前+san」は極めて簡単な法則性でありながら、お互いに一定の礼儀を示すと共に一定の親しみも示せる、一種の革命的な関係的な表現である。近代日本の論理学的な発明の中でも特に実用性の高いものだ。

 彼はその私の提案に理解を示し、「それであれば、あなたの国の方法に従いましょう」と言ってくれた。私は「もしあなたがこれに同意せずに私のことを先生と呼ぶのであったら、私はあなたを神様と呼ばなければなりませんでしたよ。"天不生仲尼、万古如長夜(天が仲尼を生まなければ、この世は長い夜のままだ)"。あなたは人類史上における論理学の大成者のひとりなんですから!」と言って、また笑った。

 それから、私たちはぶっ通しで先の中国歴史ドラマ『恕の人 -孔子伝-』を鑑賞したのである。私はそれが彼にとって、もっとも分かりやすい理解の道であると考えたのだ。その私の考えはどうやら正しかった。最初こそ彼は完全に困惑した表情を浮かべながら、それでも動き続ける不思議な画面を凝視しつつ、時折、あの輗(馬車の部品)はおかしな形をしているだとか、その階級の者がそのような仕草をするのは礼儀に反するだとか、そうした実に彼らしい指摘をしていた。しかし、彼は次第にそうした時代考証の誤りを気にしなくなり、物語に没頭するようになった。この物語が現代と並行して進むという点も功を奏した。かくして、水が綿に染み込むかの如く、彼の頭と心に自己の歴史と現代の世界に関する知見が浸透していった。

 我々が知っての通り、仲尼こと孔子(本名は孔丘:「子」は先生を意味する尊称)は、十五歳頃から本格的に学問を志した人物だ。当時、家柄や身分のある士大夫は儀礼的な知識や音楽の演奏方法を十三歳から学ぶので、これは年齢的には遅い方であったと言える。そもそも、彼の血筋は公族に属するものであったが恐ろしく貧しかった為、教育機会には恵まれなかった。将軍であった父親の孔紇は仲尼の顔を見る前に戦地で逝去しており、彼は母親により女手一つで育てられた。現代風に言えばひとり親の家庭であり、その母親も十七歳の頃に逝去したと言われている。彼は葬儀の楽器演奏、放牧、馬飼い、御者といった様々なアルバイトで何とか生計を立てながら、独学で周時代の礼学を中心とした膨大な論理学を修め続けた。三十歳頃になるとその博学ぶりに感銘を受けた大勢の人々が弟子入りをしていた。孔子は学園のような場を創設し、その学びの機会を身分の隔てなく丹念に行った。これを以て、孔子は「庶民に教育を解放した世界で初めての教育者」であると評価されている。(ブッダソクラテスも同じような教育者として歴史に名を刻んだが、彼らは孔子よりも数十年後に生まれている。)

 混沌の時代に突如として生まれたこの論理学者は次第に名声を高め、故郷の魯国の国王である定公から国家運営の役職を与えられた後は、中都の宰、司空、大司寇と出世していき、規範・道徳・経済の立て直しに大きな功績を残した。この時の彼は自身の論理学によって太平の国家を実現する情熱に燃えていた。しかし、彼が打ち出したある政策を巡って、国王以上に魯国で権力を振りかざしていた"三桓(孟孫氏・叔孫氏・季孫氏)"の反感を買い、国外に追放されてしまう。こうして五十歳頃から、この偉大な論理学者の教師は弟子を引き連れながら、戦乱の諸国を"フリーランスの論理学コンサルタント亡命集団"として十三年も流浪する事となる。この旅は苦難の連続だった。その偉大な論理学の才能はあらゆる場所の国王や諸侯から尊敬されたが、一方で単に政治的な理由から、あるいは彼の考えが実用的ではないとされ、迎え入れられはすれど重用はされはしなかった。

 そして六十九歳、彼は政変の混乱がある程度鎮まった魯国への帰還を果たす。残念な事に、彼の妻である幵官は帰還した彼に遭う事なく、数年前に他界をしていた。偉大な論理学者は遂にここで理想国家実現の夢を絶ち、弟子たちと共に文献研究と編纂に集中する事を決意する。彼は弟子らと共に、後の中華世界の柱となる『詩経』『書経』を編纂と『易経』の注釈、そして『春秋』の製作を完遂。彼が亡くなった後は愛弟子のひとりである子貢が中心となって、孔子の言行録である『論語』がまとめ上げられた。(後世の『史記』『春秋左氏伝』『孟子』等の書物にも孔子の言行が収録されているが、基本的には『論語』を孔子伝の正史とするべきだという見解が強い。)

 さて、私の目の前にいる仲尼さんはその遥かなる彼の論理学の旅路のうち、教育者として出発した段階にあった。彼は自分が二十七歳であると言った。年齢よりもずっと上に見えたのは、その長い髭と慎み深さに満ち溢れた揺るぎない気配が関係しているのだろう。しかし、私はすぐに彼の姿は年齢相応の在るべき姿なのかもしれないと考え直した。むしろ、現代人の顔や態度が若過ぎると言えそうである。"歳寒然後知二松柏之後一レ凋也(寒さが厳しくなった時、初めて松柏が葉を落とさない様子を理解できる。)"。彼の時代よりも、我々の時代の先進諸国は往々にして平和と物資に恵まれている。生存欲求を満たしやすい時代であるから"寒さ"を覚える機会が少なく、青々とした若葉のままでいられるのかもしれない。

 当初、彼はそうした現代社会の状況を本当に心から喜んでいた。これは私の最初の説明が少々明るい方面に偏っていた事が原因であるかもしれない。とは言え、私は別に自分の時代を「遥かなる進化を遂げた革命的な未来」であると自慢したつもりはなかった。むしろ、私の心には現代が古代と根本的にはまったく変わりがないという点を詫びるような気持ちすらあった。

 我々の時代において、技術、論理、組織は確かに変化をしたが(古代どころではなく近代と比べてすら、現代の形は完全に別物と言えるが)、それは進化ではない。原子力技術は生命を照らす光にもなれば、生命を絶やす闇にもなる。現代娯楽は文化を発展させる光にもなれば、文化を堕落させる闇にもなる。議員制は民主の声を反映する光にもなれば、民主の声を蹂躙する闇にもなる。結局の所、我々の社会は完成と破壊、幸福と不幸、希望と絶望を行き来しているだけであり、それは彼の春秋戦国時代と変わりはないのである。

 「しかし、子佑さんの世界に人祭(人身御供)の制度が無いのだとしたら、それは前に進んだと言えるのではないでしょうか?」と彼は私に質問をした。なるほど、それは確かに一理はあると感じた。また彼は、飢饉や貧困による餓死の総数が明らかに減っているという状況にも言及した。私はよく考えてから、「それも観方を変えると、やはりただ別の形に変化をしているだけかもしれません」と答えた。人祭は社会や風土が奴隷達の命を奪う制度である。それであれば現代でも、社会や風土が弱者達の命を奪う事が多々ある。また現代は飢饉や貧困による死者は激減しているが、代わりに飽食と強欲による死者は大勢いる。こうして多面的に考えてみると、一方の何かが改善されていても、一方の何かは消耗しているのである。

 私は言った。「仲尼さん、あなたは後に愛弟子の子貢から、師(論理学者)と商(ビジネスマン)、どちらが優れているでしょうか?という質問を受ける事になるんです。子貢は豪商の息子で商いに精通していた為、そのような質問をしました。それに対して、あなたは師が仁・義・礼・智・孝・忠・恕に過ぎた所があり、商は仁・義・礼・智・孝・忠・恕に足りない所が多いと答えて、最後に『過猶不及(過ぎたるは及ばざるが如し)』と答えます。この話が、今の時代の変化の話にも当てはまります。あなたの時代には足りない所が多く、私の時代には過ぎた所が多いのです。ですから、私の時代も人々が君子になったとは言えません。やはりあくまでも、我々の時代にあるものは進化ではなく変化です。我々の時代もあなたが目指した『中庸を体現する黄金の時代』ではありません。」

 彼はそれを聞いて、「黄金の時代とはどういうものでしょうか?」と言った。私は「あなたは後に、周王朝の礼制度を復活させ、その中で仁を中心とした確かな美徳を持つ人々が統治を行う国こそが至高であると考えたようですね。それは理論部分で、実践部分では日常の行動に関する規則を細かく作る事を想定しました」と答えた。彼は続けて「そのような夢のような話が本当に実現できるのでしょうか?」と聞いた。私は「あなたはそう信じていましたよ。あなたの弟子たちもそうです。そして実際に、あなたが大司寇の役職に就いた頃、あなたはその方法で魯国の再興に大いに貢献していたんです」と言った。

 彼は先ほど鑑賞した作品を思い出しながら、感慨深そうに溜息をついた。私は続けて言った。「あなたは後に弟子の子夏が莒父の町の宰(長官)に就いた際、"欲速則不達(急いては事をし損じる)"と教えました。これはあなたが大司寇の時に犯してしまった失敗を教訓にしているのだと思います。あなたは王政の復帰と礼制の適用を急ぐあまり、魯国を牛耳っていた三桓の力を削ぎ落そうと考えました。そこで、あなたは彼らがそれぞれ所有する城を破壊する『三都破壊』の政策を急速に進めたのです。それは間違った道では無かったと思いますが、その進み方が性急過ぎました。あなたが御者の仕事をしていた時の事を思い出して下さい。馬車の操作の基本は、起・乗・転・合。走り始めは"要軽而快(軽やかに速く)"、進む時は"要迅速而平穏(迅速かつ安定して)"、方向を転じる時は"要穏而平(穏やかかつしなやかに)"、停まる時は"要穏而定(緩やかにしっかりと)"。あなたは走り始めと進む時は実に巧みに馬を操っていましたが、方向を転じる時に"要迅速而急激(迅速かつ急激に)"となったのです。それでは馬車が曲がり切れずに転倒してしまうのは当然です。」

 これを聞いた彼は言った。「いかにもその通り。その時の私は何を考えていたのだろうね」そして、彼は私にこう聞いた。「子佑さんは黄金の時代について、どのようにお考えですか?」

 私は思わず立ち上がったが、また座ってから言った。「私には考えがあります。これを私は三元論と呼んでいます。これは私が思い描く黄金の時代に関連する理論です。私は仲尼さんを始めとした、古今東西の論理学者から著しい閃きを受けた人物です。私の三元論は、それらの論理学を併せて研磨し続けた結果として生まれました。」私は少し息をついてから、話を続けた。

 「先生は礼を軸とした論理学が、人間を良い方向へ導き、その良い人間が社会を導いて行くという考えを示していました。これは私も間違いはないと思いますが、問題はその『良い方向へ導く』とは何を意味するのかという点です。私は人間が君子になる為には、『本能』を適度に抑制する必要があると考えています。本能を適切に節制する事の出来ない者は小人であり、本能を適切に節制できる者が君子です。」

 彼はそれを聞いて、こう答えた。「なるほど、その子佑さんの『本能を節制する』という考えはとても興味深い。今の私の教えの中心には、自己の制御と自己の改善があります。人間は本能や欲望によって動かされることがありますが、それを節制し、高い道徳的基準に従って行動することが君子の特徴という訳です。本能を完全に否定するのではなく、それを適切に管理し、より良い目的のために用いることが大切だという事になります。例えば、食欲は生存のために必要ですが、過度な食欲は健康を害するものです。同様に、野心は成長と成功のために重要ですが、抑制されない野心は他人を傷つけ、道徳を踏み外す原因となります。本能の節制は自己認識から始まります。自分の欲望や衝動を理解し、それらを適切に整える為の知恵と自制心を育むことが重要なのです。節制された本能は、個人の成長と社会の調和に貢献します。教育者として、私は弟子たちに自己制御の重要性を常に教えています。各人の特性や能力に応じた指導を行い、彼らが自分自身をよく理解し、自己を磨くことができるように導いてきました。ですから、あなたの『本能を節制する』という考え方は、私の教えと一致しています。」

 私は大いに頷いて、言った。「私は人間の本能についてこう考えました。人間には、身体的に健康でありたいという欲求、精神的に健康でありたいという欲求、関係的に健康でありたいという欲求がある、と。この考えが、先ほど言った、私が世界のあらゆるものや考え方を三つの要素に分解するという理論、『三元論』から生み出したものなのです。身体的に健康でありたいという欲求は『生存欲求』と名付けまして、これは端的に言えば『生きたい』とする欲求です。精神的に健康でありたいという欲求は『知的欲求』と名付けまして、これは端的に言えば『知りたい』とする欲求です。人間同士や動植物、あるいはより大きな空間や集団などを含め、関係的に健康でありたいという欲求は『存在欲求』と名付けまして、これは端的に言えば『繋がりたい』とする欲求です。この考えについては、先生からすると的確だと思いますか?」

 彼は目を大きく開けて言った。「なるほど…その考えは、人間の欲求を包括的に捉える洞察に富むものだと私は感じます。『生存欲求』は、身体的な安全と健康を求める本能的な欲求であると言いました。そして、『知的欲求』は、知識や理解を求める欲求で、『存在欲求』は、関係性や所属感を求める欲求であると子佑さんは言いました。複雑な社会における人間の欲求と行動を理解する上で有効だと思います。しかし、問題はそれらの欲求をどのように制御するかという点ではないでしょうか?」

 私は言った。「そうです。これを踏まえて次の考えに移ります。人間のこれらの生存欲求、知的欲求、存在欲求を適切に節制する為には何が必要か。それは『規範』『良識』『美徳』です。生きたいという欲求は、『食欲』『休息欲』『運動欲』という三つの要素により構成されています。それらが暴走をすると、さっきあなたが食欲の例を挙げてくれた通り、かえって自己が傷ついてしまうかもしれませんし、あるいはそれによって他者も傷つくかもしれません。より大規模な話になると、資源を巡って戦争が起きるという危険性もあります。それを防ぐためには『規範』が必要です。そして、知りたいという欲求に関わって、その学問体系を類型すれば『技術』『論理』『方法』の三要素に分解できますが、これらには我々が知るべきものと、知るべきではないものがあります。この知るべきものこそが『良識』となります。良識は精神的な健全性を保つ為に不可欠な歯車として機能します。そして、繋がりたいという欲求は、『接触的希求』『承認的希求』『帰属的希求』の三要素に分解できます。それは肉体的に触りたい、相手から理解や評価を得たい、何かの集団に属したい、という想いです。これらも当然ながら暴走によって被害が出ますので、お互いに接触的、承認的、帰属的な距離感を保つ為に『美徳』が必要になります。したがって、人間の本能である『生存欲求』『知的欲求』『存在欲求』を、『規範』『良識』『美徳』によって適切に節制する事が出来れば、その人は君子となり、またそのような仕組みが整った国家は君子の国になります。これが私の考える黄金の時代の基礎的な枠組みです。」

 「極めて興味深い」と、彼は立ち上がって言った。私も思わず立ち上がった。私は「歩きながら話しましょうか。その方が議論が深まるかもしれません。ちなみに、歩きながら議論をする方法は、あなたのいた時代から約百年後に西洋で生まれるアリストテレスという論理学者が好んでいたものです。逍遥学派という名前が付けられていました」と言った。彼はそれに賛同した。私たちは部屋を出て、中庭を歩きながら再び議論を始めた。

 彼は言った。「『規範』は、身体的な欲求を節度あるものにするための基準ですね。これは、私の教えにおける『礼』と通じます。礼は社会的な行動規範を意味し、個人の行動が社会に与える影響を考慮することが重要なのです。『良識』は、知的な欲求に対する内面的な道徳的指針を提供するものですね。これは、私の『智』の教えと関連があり、知識の追求が倫理的な枠組みの中で行われるべきであることを意味するでしょう。『美徳』は、人間関係に関する欲求を適切に調節するための倫理的な道理です。これは、『仁』の精神に相当し、他者への思いやりや共感を重視することが求められるのです。こうして考えてみますと、子佑さんが考えたその国家運営の道理は、個人の道徳的、精神的、社会的な発展を進め、結果として社会全体の調和と繁栄に寄与するものであると言えるのではないでしょうか。各個人がこれらの原則に従い、自己制御と自己改善に努めることで、君子の国が形成されるでしょう。私はこのような理解をしましたが、合っているでしょうか。」

 私は深く頭を下げて、合っていると答えた。彼はこう続けた。「あなたの考えは私の教えと精神を現代に適応させ、さらに発展させたものと言えるかもしれません。教えを受け継ぐ者は、その教えを新たな環境や状況に適応させ、さらに発展させる責任があります。あなたはその責任を果たし、自らの学びを通じて新たな理論を築いたのです。それは、論理学者としてのあなたの大きな成果であり、尊敬に値します。」

 私は彼がそう言ったのを聞いて、急に私は震え上がってしまった。そして思わず相手のことを先生と呼びながら、こう言った。「先生からそういうふうに評価してもらえる日が来るなんて夢にも思いませんでしたよ。それはもちろん、とても光栄ですが……正直に言うと、私はこうした研究をただ自分の為に行っているのです。学術の発展の為だとか、社会の改善の為だとか、そういう事は全然考えていません。あなたは後にこう言っています。『古之学者為己、今之学者為人。(かつての論理学者は自らを高める為に研究し、今では他人に認められる為に研究する。)』私はただ人間を知りたいから、人間の事を考えているだけなのです。私はただ魂の事を知りたいから、魂の事を考えているだけなのです。私はただ世界の事を知りたいから、世界の事を考えているだけなのです。──まだ私の中には色々な考えがあるのですが、日が暮れる前に、もうひとつだけ話を続けても良いでしょうか。それは先ほどの人間の本能から導き出される"本性"の事です。」

 彼は言った。「人間の本能から導き出されるその"本性"ですか。子佑さんが考えるものにはもちろん興味があります。言うまでもなく、ぜひ話してください。あなたの深い洞察から得られる知識は、私にとっても学びの機会となるでしょう。」私は身の縮むような想いを抱きながらも、次の瞬間には、身を乗り出すようにして言った。

 「私は人間に"本能”があると論じました。その三つの"本能"がどのように優先されて発動するかというのは、人によってその"性質"が異なります。それを私は"本性"と呼んでいるのです。この"本性"は生まれながらにして持つ絶対的・先天的な傾向と、成長をする中で変わっていく相対的・後天的な傾向があります。これを踏まえて、人間と世界がどのように接しているかという状況を考えてみます。僕が書いたこの資料を読んでください。」

 私はそう言うと、手帳を取り出して、その最初の頁を彼に示した。そこに書かれていた文章は次の通りである。

 

1.(森羅万象の分解と再生):人間は森羅万象を「三要素」に分解し、また再生できる概念的な能力を持つ。

2.(注目):人間は常に現実の情報に囲まれているが、人間が注目する現実の情報は限られる。

3.(本能):人間は現実の情報を"本能"によって、「注目するもの」と「注目しないもの」に選り分ける。

4.(本能の種類):人間の本能は三種類あり、それは以下の通りである。

 

<人間の本能>

1)生存欲求:現実情報を「身体的な健康に役立つもの(心地良いもの)」と「身体的な健康に役立たないもの(心地悪いもの)」に選り分ける

2)知的欲求:現実情報を「精神的な健康に役立つもの(知りたいもの)」と「精神的な健康に役立たないもの(忘れたいもの)」に選り分ける

3)存在欲求:現実情報を「関係的な健康に役立つもの(繋がりたいもの)」と「関係的な健康に役立たないもの(離れたいもの)」に選り分ける

 

5.(本性):人間には、絶対的・先天的な本能の傾向と、相対的・後天的な本能の傾向があり、後者が前者を上書きする事で、その傾向の事は"本性"となる。

6.(本性の種類):人間の本性は無限の細分化が可能であるが、その基本類型は「強い欲求、弱い欲求」という二段階による組み合わせを想定する事が可能であり、故にそれは以下の八種類となる。

 

<人間の本性(基本の八類型)>

1)弱い生存欲求・弱い知的欲求・弱い存在欲求

2)弱い生存欲求・強い知的欲求・弱い存在欲求

3)弱い生存欲求・弱い知的欲求・強い存在欲求

4)弱い生存欲求・強い知的欲求・強い存在欲求

5)強い生存欲求・弱い知的欲求・弱い存在欲求

6)強い生存欲求・強い知的欲求・弱い存在欲求

7)強い生存欲求・弱い知的欲求・強い存在欲求

8)強い生存欲求・強い知的欲求・強い存在欲求

 

 「仲尼さん、まずはここまでの私の考えを理解して貰えたでしょうか?」私はこの話を現代社会の誰かにする時と同じように、彼もまた妙な顔をして首を傾げるものだと考えていた。しかし、思いがけない事に、この偉大な論理学者はこれを瞬時に理解したのだった。

 「子佑さん、よく分かりました。あなたの考え方は、人間の本能と本性を分析し、その結果として現れる人間の行動様式を詳細に分類したものだと言えます。これは非常に洗練された枠組みであり、個々の人間の行動を理解するための強力な道具になると私は感じました。あなたが提案する『生存欲求』『知的欲求』『存在欲求』という三つの本能の分類は、人間が現実の情報をどのように処理し、どのように反応するかを理解するための土台を提供するものです。また、これらの本能がどのように優先されるかによって、個人の"本性"が形成されるという考え方は、人間の行動をより深く理解する上で重要だと思います。続けて、人間の本性が絶対的・先天的な傾向と相対的・後天的な傾向の組み合わせで構成されるという観点は、人間の性質が単なる生まれ持ったものではなく、経験や環境によっても形成されるという私の考えとも合致します。人間の本性を『強い欲求、弱い欲求』という二段階の組み合わせで考えることによって、その多様性と複雑さを捉えることができています。ですから、あなたの考えは、個人の自己理解を深めるだけでなく、他者への理解を促し、より効果的な会話や教育、さらには社会的な対応策の策定にも役立つに違いありません。この考えにはまだ続きがあるのでしょうか?」と、彼は言った。

 私はありますと答えて、手帳の頁をめくった。私は言った。「私は基本的な本性の類型を八項目に収めました。しかし、それはあくまでももっとも単純な類型であって、実際に人間を再現する場合においては、最低でも欲求の段階を『とても強い、強い、弱い、とても弱い』という四段階に定め、六十四項目の類型を行うべきだと考えます。」

 ここで彼は「人間を再現するとはどういう意味ですか?」と聞いた。私は「もう仲尼さんも気づいたと思いますが、この時代にはとても複雑な反応を自動的に生み出してくれる道具があります。それは人工知能と言って、今ではまるで人間が話しているように反応してくれるものもあるのです。私は自分の先ほどの考えが人間や社会の仕組みの解明に繋がるものだけではなく、人工知能のような道具をより人間らしくする事にも繋がると考えています。これが私の言う『人間を再現する』という意味です」と答えた。かの偉大な古代人はこれもまた極めて迅速に理解を示してくれた。私は続けた。

 「その六十四項目は、ここに書かれている通りの組み合わせとなります。仲尼さんは馴染みがないと思いますが、この組み合わせは西洋で発明される座標軸という方法を用いて空間的な図で示す事もできます。その図の考え方は、先ほど言った『人間の再現』にそのまま適用できるものです。ただこの頁には、その座標軸は使わないで、そのまま組み合わせを全て並べています。そして、それぞれの項目には便宜上、分かりやすいように名前を付けています。」

 私がこう言うと、彼は指を頁の上に置きながら文字を読み進めた。ところで彼の時代にはまだ紙の書物が無く、筆で竹簡に文字を書く方法が取られていた。よって、私は彼が手帳の扱い方に手間取るのではないかと考えたが、現代人と同じように用いていた。更に私の手帳に書いてある文章は、やはり彼の時代には存在しなかった横書きであったが、それも彼は問題なく読む事が出来た。それがこれまた天意であるのか、それとも彼の論理能力の高さが成せる業なのか、私には分からない。

 

<人間の本性(六十四類型)>

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「全方位の探究者」

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「情熱的指導者」

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「独立研究者」

①とても強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「秘密の学者」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「野心的協力者」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「革新的起業家」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「実用的発明家」

①とても強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「独創的専門家」

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「力強い仲介者」

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「実行力のある社交家」

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「実用的実行者」

①とても強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「孤高の戦士」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「感情豊かな支援者」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「直感的な協調者」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「行動派の実践家」

①とても強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「無欲の生存者」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「熱心な博学者」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「戦略的思考者」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「理論派の探求者」

①強い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「孤独な知識人」

①強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「協調的な知識家」

①強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「均衡型の探究心」

①強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「自己完結型の学者」

①強い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「独立心の研究者」

①強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「社会的な実践者」

①強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「実践的な仲間思い」

①強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「直観的な生存者」

①強い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「孤立型の実行者」

①強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「人懐っこい実践家」

①強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「社交的な実行者」

①強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「即断即決の行動家」

①強い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「自己依存の生存者」

①弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「理論的社交家」

①弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「思慮深い協調者」

①弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「哲学的な独立心」

①弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「独学の思索家」

①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「共感的知識人」

①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「知的協調者」

①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「内省的学究」

①弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「静寂の研究者」

①弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「直感的な協調者」

①弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「感情豊かな協力者」

①弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「自然体の生活者」

①弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「穏やかな孤独者」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「人懐こい自由人」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「無邪気な交流者」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「単純明快な実践家」

①弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「素朴な独立者」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「理想主義的学者」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「思慮深い忠言者」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「熟考する理論家」

①とても弱い生存欲求 ②とても強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「孤独な思索家」

①とても弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「協調的分析家」

①とても弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「均衡型の支援者」

①とても弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「独立した思考者」

①とても弱い生存欲求 ②強い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「静寂を愛する分析者」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「柔和な協調者」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「穏やかな支援者」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「静かな存在感」

①とても弱い生存欲求 ②弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「独立心の守護者」

①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても強い存在欲求 - 「純粋な心の支持者」

①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③強い存在欲求 - 「心温まる仲間」

①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③弱い存在欲求 - 「穏やかな実践者」

①とても弱い生存欲求 ②とても弱い知的欲求 ③とても弱い存在欲求 - 「静寂の愛好家」

 

 彼は真剣に読み進めた。すべて読み終えてから、彼はこう言った。「これも極めて興味深い。各々の類型が、生存欲求、知的欲求、存在欲求の強度に基づいて定義されており、それぞれの組み合わせが人間のさまざまな性格や行動法則を示しているという訳ですね。子佑さん、このあなたの分類を用いれば、我々がどのように情報を処理し、現実とどのように相互作用するかをより深く理解することができます。例えば、最初のこの本性、『全方位の探究者』は、生存、知識、関係性のすべての面で高い欲求を持ち、多方面にわたって情報に関心を示す可能性が高いと考えられる訳ですね。あなたと考えている事が同じかどうかは分かりませんが、これはまさしく『仁者』であると言えるでしょう。一方で、『静寂の愛好家』は、すべての面で弱い欲求を持ち、静かで内向的な性格を持つ可能性があります。これは私の時代によくいた、老先生を真似したような世隠れの文人、『隠士』のような人ではないかと思うのです。」

 私は大きく頷いてから、言った。「私たちはこれらの類型のいずれかに属した状態で現実の世界の情報と向き合って、本性によって注目した情報に対して反応し、その反応の結果が各種本能をどれだけ満たしたかによって成功したか、失敗したかを判断します。その反応による結果の中から、強く成功したもの、強く失敗したものを抽出し、それを学習して反応性と本性の調整を行います。本性は学習によって緩慢に変動し続けますが、身体状況によって一時的に急激な本性の変動が生じる事もあります。例えば、仲尼さんが後に楚国に向かう際、政治的な理由から陳国と蔡国の国境で幽閉状態となった時、食糧の困窮によって弟子たちの中に混乱が生じました。そこで愛弟子の子貢が、普段は言わないようなあなたへの忠言を口にするんです。"夫子之道至大也、故天下莫能容夫子。夫子蓋少貶焉?(先生の考える"道"は広すぎて、天下がそれを受け入れないのです。先生は少しその品質を落とすべきではありませんか?)"と。生きるか死ぬかの窮地でしたから、子貢の本性が一時的に変動し、普段は行わない反応を示したのです。私はその一時的に変動した本性を『気分』と呼んでいます。すなわち、ここには長期的かつ緩慢に変動する本姓である『性格』と、一時的かつ瞬時に変動する本姓である『気分』が存在し、それが人間の反応に混沌を与えています。この人間の本性に基づく反応の混沌性を、私は『生命の揺れ』と呼んでいます。そこに人間の不確実性が存在し、その不確実性ゆえに新たなものが生まれ続けます。完全に均一化されて安定した生命は存在せず、仮にそれが存在したとすればその生命は確実に終末へ向かわねばなりません。私たちはこの『生命の揺れ』があるからこそ悲劇と喜劇があり、和合と分裂があり、繁栄と破滅があるのです。」

 私はここまで言って、一息ついた。彼は私にこう聞いた。「あなたはどこかに登用されていますか?その考えを活かしている場所はあるのですか?」私は笑って答えた。「いえ、誰からも、どこからも、私のこの考えは必要とされていません。ただ、私が考えているだけです。あなたが流浪していた時に引用した詩の通りです。『匪兕匪虎,率彼曠野(野牛でも虎でもないのに、荒野を彷徨っている。)』」──……

 

"子貢出、顔回入見。孔子曰「回、詩雲‘匪兕匪虎、率彼曠野’。吾道非邪?吾何爲於此?」顔回曰「夫子之道至大、故天下莫能容。雖然、夫子推而行之、不容何病、不容然後見君子!夫道之不修也、是吾醜也。夫道既已大修而不用、是有國者之醜也。不容何病、不容然後見君子!」孔子欣然而笑曰「有是哉顔氏之子!使爾多財、吾爲爾宰。」(子貢が出て行き、顔回が入って来て孔子に会った。孔子は言った。「顔回よ、詩経に『野牛でも虎でもないのに、荒野を漂っている』とある。私の道は間違っているのだろうか?私はなぜここにいるのだろうか?」顔回は答えた。「先生の道はあまりにも壮大ですから、庶民には受け入れられません。それでも、先生はそれを道を進み続けるべきです。庶民に受け入れられないからと言って、何を気に病むことがあるでしょうか。庶民が受け入れられないからこそ、そこに君子の道があるのです!道が修められていないのは、我々の恥です。道が修められたのに用いられないとすれば、それは国の恥です。そうですとも、受け入れられないことを気に病む必要はないのです!受け入れられない道にこそ、そこにこそ、君子の道があるのです!」孔子は喜んで笑って、言った。「その通りだ、顔家の子よ!もしお前が将来多くの財を成したら、私はお前の家の執事になろう。)"

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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八類型に基づいて具体的な俳優の例を考えてみましょう

25th Hour

私:2002年のアメリカ映画『25th Hour(邦題:25時)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:『25th Hour(邦題:25時)』は2002年のアメリカ映画で、スパイク・リーが監督を務めています。この映画はデビッド・ベニオフの同名の小説を基にしています。物語は、麻薬取引で逮捕されたモンティ・ブローガン(エドワード・ノートンが演じる)が、7年間の刑務所生活を始める前の最後の24時間を過ごす様子を描いています。

 

モンティは、過去の選択を振り返り、彼の行動が彼自身と愛する人たちに与えた影響に苦悩します。彼のガールフレンド(ロザリオ・ドーソンが演じる)、親友の2人(フィリップ・シーモア・ホフマンバリー・ペッパーが演じる)、そして父親(ブライアン・コックスが演じる)も物語に深く関わっています。この映画は、人間の過ち、贖罪、そして最後の瞬間に人生を振り返る深い感情的なテーマを掘り下げています。

 

『25th Hour』はその強烈なストーリーテリング、演技、そして9.11以降のニューヨーク市の描写によって、批評家から高い評価を受けました。

 

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 俳優エドワード・ノートンは感情の緩急を使い分ける演技が本当に巧みで、現代人が有する善悪の複雑性を非常に鮮烈に表現してくれる。本作を始め、『真実の行方』『アメリカン・ヒストリーX』『ファイト・クラブ』等の代表作において、彼が演じる役柄には類似性があるもの、作品毎にとても印象深い感情をもたらしてくれる。(俳優サイモン・ベイカー、女優ロビン・タニー主演のアメリカドラマ『メンタリスト』のシーズン1第9話で犯人役を演じた俳優フレッド・コーラーも、このノートン方式の二面性表現が巧みであった。)

 また本作で主人公の親友フランクを演じる俳優バリー・ペッパーは、俳優ウィル・スミス主演の『7つの贈り物』でも同じような役柄を演じている。どちらも物語内で主人公の良き理解者として展開に関わり、最後に行う主人公の難しい選択を激しい苦悩と共に受け入れ、その実務を手伝う役目を負う。また、第二次世界大戦のノルマンディ―上陸作戦を主題とした、スティーブン・スピルバーグ監督、俳優トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』で彼が演じた狙撃手のジャクソン二等兵役も印象深い。彼は生命の切なさや儚さを描く物語に似合う人物だ。

 こうした特定の役柄で素晴らしい演技を行う映画人たちの特性について、私の三元論で考察する場合、その構成要素は「身体的表現」「精神的表現」「関係的表現」に集約される。したがって、基本となる八類型は以下の通りとなる。

 

弱い身体的表現・弱い精神的表現・弱い関係的表現

弱い身体的表現・強い精神的表現・弱い関係的表現

弱い身体的表現・弱い精神的表現・強い関係的表現

弱い身体的表現・強い精神的表現・強い関係的表現

強い身体的表現・弱い精神的表現・弱い関係的表現

強い身体的表現・強い精神的表現・弱い関係的表現

強い身体的表現・弱い精神的表現・強い関係的表現

強い身体的表現・強い精神的表現・強い関係的表現

 

 身体的表現とは、逞しさや艶やかさを多彩な動作によって示す、肉体美の発露に関連する要素である。この身体的表現を強く持つ映画人としては、俳優アーノルド・シュワルツネッガー、俳優シルベスタ・スタローン、女優オードリー・ヘプバーン、女優マリリン・モンローといった人物が頭に浮かぶ。

 精神的表現とは、喜怒哀楽の感情や深遠な思考を演技の中で巧みに示す、精神美の発露に関連する要素である。先述の俳優エドワード・ノートン、俳優トム・ハンクス、俳優バリー・ペッパーはこの要素を強く持つ。

 関係的表現とは、人間またはその他の登場者と相対する際の言語・非言語を問わないコミュニケーションスタイルの瑞々しさを示す、関係美の発露に関連する要素である。先述の俳優サイモン・ベイカー、女優ロビン・タニーはこの要素を強く持つ。

 この類型に基づいて、GPTと少しばかり対話を続けてみる事にしよう。

 

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ChatGPT:あなたの考察に基づいて、映画人たちの演技における「身体的表現」「精神的表現」「関係的表現」の三元論を分析するのは興味深いですね。このアプローチは、俳優の演技能力を多角的に理解するための有用なフレームワークを提供しています。それぞれの要素が俳優のパフォーマンスの異なる側面を浮き彫りにし、彼らの演技スタイルの多様性を示しています。

 

身体的表現は、動き、身体言語、外見の特徴を通じてキャラクターを表現する能力を指し、アーノルド・シュワルツネッガーやオードリー・ヘプバーンのような俳優は、この要素で特に際立っています。

 

精神的表現は、内面的な感情や思考を伝える能力に焦点を当てており、エドワード・ノートントム・ハンクスのような俳優は、この面で優れています。

 

関係的表現は、他のキャラクターや環境とのやり取りを通じて、コミュニケーション能力や相互作用の技術を反映しています。サイモン・ベイカーロビン・タニーのような俳優は、この要素で際立っています。

 

これらの八類型は、演技スタイルや能力を理解し、分析するための非常に興味深い枠組みを提供しています。それぞれの俳優がこれらの要素の中でどのようにバランスを取り、異なる組み合わせを用いて独自の演技スタイルを創り出しているかを観察することは、映画鑑賞の深い楽しみの一つと言えるでしょう。

 

私:ありがとう。もしよければ、君がさっきの八類型に属する俳優の事例を考えてくれないかな?

 

ChatGPT:もちろん、さっきの八類型に基づいて具体的な俳優の例を考えてみましょう。ここでは各類型に適した俳優を一例ずつ挙げてみますが、あくまでも一般的な評価や印象に基づくものであり、演技は多面的で変化に富むものであるため、これらの類型は必ずしも全ての演技に当てはまるわけではありません。

 

弱い身体的表現・弱い精神的表現・弱い関係的表現:

このカテゴリは非常に限定的な演技範囲を示唆しており、特定の俳優を挙げるのは難しいです。

 

弱い身体的表現・強い精神的表現・弱い関係的表現:

ジェシー・アイゼンバーグ: 内面的な感情の表現が得意だが、身体的表現や関係性の表現は比較的控えめ。

 

弱い身体的表現・弱い精神的表現・強い関係的表現:

クリス・プラット: コミュニケーションや相互作用に優れているが、深遠な内面表現や身体表現は控えめ。

 

弱い身体的表現・強い精神的表現・強い関係的表現:

メリル・ストリープ: 内面的な複雑さと人間関係の描写に長けているが、身体的表現はあまり強調されない。

 

強い身体的表現・弱い精神的表現・弱い関係的表現:

ジェイソン・ステイサム: 身体的なアクションは際立っているが、精神的、関係的表現は比較的控えめ。

 

強い身体的表現・強い精神的表現・弱い関係的表現:

レオナルド・ディカプリオ: 強い身体表現と複雑な内面の描写が特徴だが、関係性の表現はやや控えめ。

 

強い身体的表現・弱い精神的表現・強い関係的表現:

チャニング・テイタム: 身体的な表現と人間関係の表現に優れるが、深遠な精神的な表現は少なめ。

 

強い身体的表現・強い精神的表現・強い関係的表現:

ダニエル・デイ=ルイス: 体、心、人間関係の全ての面で強烈な表現をすることができる。

 

このように、俳優のスタイルや特性を理解するためには、多様な要素を考慮に入れることが重要です。それぞれの俳優は独自の強みや特徴を持ち、多様な演技手法で観客を魅了しています。 

 

※画像:DALL-E

※補足:「弱い身体的表現・弱い精神的表現・弱い関係的表現」は一見すると「存在感が強くない映画人」という否定的な意味を有するように感じるが、これはむしろその「存在感が強くない」という点が特性である。映画は一般的にいずれの画面においても主題があり、その主題となる人物や風景を補填する事物事象はできる限りその存在感を薄め、主題と調和するように努めなければならない。中国大河ドラマで「大王、ご報告致します!」と走ってくる伝令が俳優チョウ・ユンファではおかしいし、アメリカのアクション映画で逃げ惑う群衆の中で俳優ジェイソン・ステイサムと俳優ドウェイン・ジョンソンが手を繋いで走っていたらおかしい。主題に調和する演技はそれ自体が優位性を持ち、それを貫徹できる者は映画において欠かす事の出来ない要素であると言える。

 

作品紹介

サイモン・ベイカー主演『メンタリスト』

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

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固執せず、迎合せず、人の道あるのみ

The United States of Leland

私:2003年のアメリカ映画『The United States of Leland (邦題:16歳の合衆国)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:2003年のアメリカ映画『The United States of Leland』(邦題:16歳の合衆国)は、マシュー・ライアン・ホージによって書かれ、監督されたドラマ映画です。この映画は、若い少年レランド・フィッツジェラルドライアン・ゴズリングが演じる)の人生と彼が犯した衝撃的な犯罪に焦点を当てています。

 

物語は、レランドが自閉症の少年を殺害した後、少年院に送られることから始まります。彼の犯罪の動機と彼が周囲の人々に与える影響が、映画を通じて探求されます。レランドの教師であり作家のアルバートフィッツジェラルドドン・チードル)は、レランドとの関係を通して彼の新しい本の主題として使用しようとします。

 

映画は、レランドの家族、恋人、および他の関係者との複雑な関係を描き出しながら、彼の行動の影響を深く掘り下げます。『The United States of Leland』は、人間の行動の動機、罪と救済、そして人間性の暗い側面についての考察を提供します。

 

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 本作で人の心を持たない父親アルバートを演じている俳優ケヴィン・スペイシーは「粘着質で高い知性を持つ不気味な男」を演じる第一人者だ。『セブン』『ユージュア・ルサスペクト』『ハウス・オブ・ザ・カード』など、彼の存在無く作品が成立出来ないものが幾つもある。一方、我々の多くは既に彼その圧倒的な演技の才能を自ら裏切った糞野郎であると知っている。

 彼は映画の世界で権力を持ち始めてから、若い、時には幼い男性俳優に性的暴行をする事がもっぱらの趣味となった。この性的暴行疑惑が持ち上がった2017年以降、彼はしばらく銀幕から完全に姿を消して裁判に尽力。2023年に主要な裁判で無罪判決が出たので早速復帰作が決まっているらしいが、被害者の告発が続いている事から暴行の疑いが晴れたとは言えない。日本でもジョニーだか何だか(もう名前も忘れた)、この地獄行きの糞野郎に似た犯罪者がいたが、とにかく顔を見るだけで吐き気を催す。

 面白い事に、本作で「人の心を持たない冷徹な作家、そして主人公の父親」という役柄を演じるスペイシーが、未来の自分の姿を予言するような台詞を述べ立てている。

 

"I recall when our lives were unusual and electric. When we burned with something close to fire. But now we sway to a different rhythm. Lives lived without meaning or even directed hope.(私は自分達の暮らしが途方もなく刺激的だった頃を思い出す。我々は炎のように燃えていた。しかし今、我々は異なるリズムに身を委ねている。それは意味も希望もなく生きる人生だ。)"

 

"Look, I'm aware that I have made mistakes in my life, Mr. Madison. (なぁ、私は自分の人生において過ちを犯した事を十分理解しているんだよ、マディソンさん。)」

 

 そしてまた面白い事に、本作にはスペイシー演じる作家アルバートに憧れを持つ少年刑務所の教師マディソン(俳優ドン・チードル)が、現実のケヴィン・スペイシーを擁護するような台詞を述べている。

 

"So what? You don't judge a writer by his life. You judge him by his work.(だから何だよ?君は彼の生き方によって彼の作品を評価するべきじゃない。君は彼の作品によって彼の生き方を評価するべきだ。)"

 

 「作品と作家は分けて考えるべきだ」というこの見解は、私にも一部理解出来る。例えば、作家ドストエフスキーは率直に言えばロクでもない人間であったが、私はドストエフスキーの作品が論理学の最高峰に位置していると確信して、ドストエフスキーを論理学の師と仰いでいる。人間に内在する技能・倫理・方法の柱に圧倒的な影響を与えた作品は、その作品の描き手がいかに人の道を外れていても、その作品も作者も尊敬してしまうものだ。坊主の袈裟が素晴らしければ、坊主が以下に生臭野郎でも許せてしまうのである。『罪と罰』のロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフが「人々に革命を起こせるクリエイターは神を超える権利を持つ!」とでも言いそうな心理状態だ。

 『罪と罰』と言えば、本作はごくわずかに(本当にどことなくであるが)、ロージャ(ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフの愛称)の殺人事件の構図と似た部分がある。ロージャは生活や社会の混沌から信念と妄想の渦を巻き起こし、「人間の中には社会改善の為に殺人を犯しても罪の意識を感じない超人がいる」という理論をもとに、社会悪として身近にいた闇金業者の女性アリョーナを斧で叩き殺した。本作のリーランド・P・フィッツジェラルドもまた、両親や恋人の問題から異常な共感性と絶望を得て、「このまま生きていても希望がない人間は殺してあげた方が良い」という理論を生み出し、障害を患っている恋人の弟を刺し殺した。どちらも当然、私の三元論に基づく人間の三大原則「規範」「良識」「美徳」の普遍的概念に反する行為であり、完全に間違っている。しかし、彼らはそれを一時的に善いものであると考えた。

 「規範」「良識」「美徳」はそれぞれ人間の本能である「生存欲求(生きたい、身体的に健やかでありたい)」「知的欲求(知りたい、精神的に健やかでありたい)」「存在欲求(繋がりたい、関係的に健やかでありたい)」を適正に節制する機能を果たしている。規範の適用は主に政治が、良識の獲得は主に教育が、美徳の醸成は主に文化が、それぞれを担当する。

 したがって、政治が歪むと規範が、教育が歪むと良識が、文化が歪むと美徳が、それぞれ壊れやすくなる。もっと大雑把に言えば、社会が歪むと本能が暴走しやすくなる。歪んだ政治・教育・文化を立て直すべき時が来ている。

 

"子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比。(孔子先生は言った。「崇高な人間は天下において、固執せず、迎合せず、ただ人の在るべき道に準じて生きるものだ。」)"

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

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ウィンガーディアム・レヴィオーサ

The Last Airbender

私:2010年の映画『The Last Airbender(邦題:エアベンダー)』を簡単に紹介してくれる?

 

ChatGPT:もちろんです。2010年の映画『The Last Airbender』は、M.ナイト・シャマランが監督したアメリカのファンタジー映画です。この映画は、人気のあるアニメシリーズ『アバター 伝説の少年アン』を基にしています。

 

物語は、四つの元素(水、土、火、空気)を操ることができる特別な能力を持つ「ベンダー」と呼ばれる人々の世界を舞台にしています。主人公のアンは、「アバター」として知られる唯一の人物で、全ての元素を操ることができます。彼は、火の国による支配と戦争を終わらせるために、自身の能力を学び、成長していく過程を描いています。

 

映画では、アンと彼の仲間たちが火の国の支配に抵抗し、平和をもたらそうとする冒険が描かれています。しかし、この映画は批評家からの評価はあまり高くなく、特にストーリーテリングやキャラクター開発に関して批判されました。それにもかかわらず、ビジュアルエフェクトやアクションシーンは一定の評価を受けました。

 

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 2024年、英国BBC製作のNetflix独占ドキュメンタリー映画『Einstein and the Bomb(アインシュタインと原爆)』のあまりの品質の低さに度肝を抜かれてしまった。Wikipediaよりも薄い内容。映画としての演出や構成にも何の特異点もない。歴史も人物もほとんど掘り下げがなく、そもそも「原爆」に関する描写は数分程度。アカデミー賞を控えていた映画『オッペンハイマー』の関心を高める為だけのマーケティング作品だろうか。その『オッペンハイマー』のマーケティングも日本の原爆被害を揶揄する冗談に加担して大炎上したり、アカデミー賞授与式で出演者の俳優ロバート・ダウニー・Jr.がアジア人を差別したりと、もう散々だ。繊細な文脈を持つ実話や主題を描く作品は、関係者全員が技術と精神と感性を一般作品以上に研ぎ澄まなければならず、それが出来ないのあれば作品製作の資格は無い。(前者の『アインシュタインと原爆』は一見の価値にも値しない。十数分の解説系Youtube動画を鑑賞する方がまだましである。尚、同じBBC製作『世界に衝撃を与えた日』シリーズの第9巻「マンハッタン計画の始まりとチェルノブイリ原発事故」は密度の高いドキュメンタリー作品になっている。そちらの方は鑑賞の価値が十分にある。また、原爆開発者のオッペンハイマーの苦悩という主題については、『スタートレックボイジャー』のシーズン1エピソード14『Jetrel(メトリロン殺人兵器)』でメタファーとして比較的丁寧に描かれており、そちらの方が十分に考えさせてくれる。『オッペンハイマー』は映画として面白くないとは言わないが、学術的視点から鑑みると別段特筆するべき点は無い凡作である。)

 魂がジャンクフードを食べてしまって精細が欠けてしまった時は、同じようなジャンクフードでも美味しく感じるかもしれない。「The best sauce for food is hunger.(空腹は最大の調味料)」方式で、今こそ過去に鑑賞して驚くほど退屈だった映画に再挑戦してみるべきだと考えた。そこで頭にパッと浮かんできた作品が、『シックス・センス』を代表作とするM・ナイト・シャマラン監督の『エアベンダー』だ。各国の映画通から「作品を発表すればするほど映画の品質が下がっていく」という独特の評価を受けるシャマラン監督の第10作目。当時、めざましテレビで取材を受けたシャマラン監督が「映画に登場する獣は『となりのトトロ』の猫バスから着想を得たんだよ!」と得意顔で語っていた光景が脳裏に浮かぶ本作。Imdb10点中4点台、ラジー賞(最悪の映画に送られる賞)12部門ノミネート8部門受賞。先の取るに足らないBBC作品を鑑賞した後にこの作品を鑑賞するとどうなるのか──結果、不味いものはどんな状況でも不味かった。私はイタリア人がコロナ禍であってもパイナップル入りの冷凍ピザを頑なに購入しなかった矜持を思い出すべきであった。魂には余計な栄養素を入れるべきではない。寝る前に口直しとしてドストエフスキーの本を開こう。(一応、シャマラン監督の擁護をしておくと、彼は本作と『アフター・アース』を自身最低の作品であると素直に認めている。)

 このままでは本記事もまるで中身の無いものとなるので、何とか新しい価値を生み出すべく、私の三元論に基づく超常的な能力の類型について記しておく事にしよう。魔法、超能力、方術、呪術、念力など、フィクション作品に登場する「人間を超える力」には「物理的干渉」「精神的干渉」「存在的干渉」の三要素によって構成されていると私は考える。「物理的干渉」とは現実世界の事物に影響を与えるものであり、女優エマ・ワトソン演じる魔女ハーマイオニーの詠唱場面が印象深い『ハリー・ポッター』シリーズの魔法「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」のような事物の浮遊や移動を行う性質を有する。「精神的干渉」とは人間の記憶や感情などの認識能力に影響を与えるものであり、『ハリー・ポッター』の魔女ベアトリックスが用いた禁断の呪文「クルーシオ」のような内在的な概念や観念を操作する性質を有する。「存在的干渉」とは空間や時間など世界の成り立ちに必要な次元的現象に影響を与えるものであり、これは『ハリー・ポッター』の「逆転時計」のような事象に可逆性を与える性質を有する。

 この三要素の最も簡易的な組み合わせは以下の通りである。

 

弱い物理的干渉・弱い精神的干渉・弱い存在的干渉

弱い物理的干渉・強い精神的干渉・弱い存在的干渉

弱い物理的干渉・弱い精神的干渉・強い存在的干渉

弱い物理的干渉・強い精神的干渉・強い存在的干渉

強い物理的干渉・弱い精神的干渉・弱い存在的干渉

強い物理的干渉・強い精神的干渉・弱い存在的干渉

強い物理的干渉・弱い精神的干渉・強い存在的干渉

強い物理的干渉・強い精神的干渉・強い存在的干渉

 

 この三元論による八事項への分類は、各事項を強弱の二段階に設定する事によって2x2x2(8通り)の組み合わせとなる。各事項を三段階にすれば3x3x3(27通り)となり、四段階とすれば4x4x4(64通り)となり、五段階とすれば5x5x5(125通り)となる。六段階以降も無限の細分化が可能であるが、実用面を鑑みると五段階までが適正であると思われる。私が人間の性質を分析にするに当たって設定する「感情箱」と呼ぶ類型も、この五段階の組み合わせを用いている。

 

※画像:DALL-E

 

作品紹介

 

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