天朗気清、画戲鑑賞

三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

警世通言 いましめものがたり(十一)蘇知県、羅衫(らふ)再合す

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『警世通言(意訳:いましめものがたり)』は、明末の冯夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。一般に、これらの作品は編者による大小さまざまな加工や整理を経て成立していると考えられている。題材は現実の生活をもとにしたものもあれば、先人の筆記小説をもとにしたものもある。総じて言えば、『警世通言』の題材は主に以下の三分野に及ぶ。第一に、婚姻や恋愛と女性の運命。第二に、功名や利禄と人間社会の栄枯盛衰。第三に、奇事や冤案、怪異の世界である。これらを通じて、当時の人々の生活における多様な社会の姿が、さまざまな角度から描き出されている。

 

※画像:百度百科「白居易(唐代现实主义诗人)」より引用

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『警世通言』 第十一巻

蘇知県、羅衫(らふ)再合す

 

> 早潮(そうちょう)が止んだかと思えば、すぐに夕潮が寄せる。

> 一ヶ月のうち六十回もの往来を繰り返す潮だ。

> 時の移ろいもまた朝暮れを行き来するばかり――

> わたしも杭州で老いていくのを、この潮が急かしているようだ。

 

 これは唐代の白楽天(はくがくてん)=白居易(はく きょい)が杭州・銭塘江(せんとうこう)の潮を見て詠んだ四句の詩である。

 これから語る話の舞台も、まさにこの杭州のあたり。そこに一人の才子がいた。姓は李(り)、名は宏(こう)、字(あざな)は敬之(けいし)という。彼は胸に錦繍(きんしゅう)を藏し、腹に珠玉を抱くような博学の士であったが、時運は未だ開けず、科挙で三度落第。季節は深秋、心中抑うつのまま「友人を訪ねに嚴州(げんしゅう)へ行こう」と決心し、童子に荷をまとめさせて舟を雇い、銭塘江を下っていく。

 

<一 李宏(りこう)という才子の話>

 さて杭州府には李宏(り こう)、字(あざな)を敬之(けいし)と称する才子がいた。胸中は錦繍を宿し、腹には珠玉を隠すほどの文才を誇ったが、時運に恵まれず三度の科挙で落第していた。

 深まる秋、鬱屈した思いのまま「錢塘江を渡り、嚴州の友人を訪ねよう」と決める。童子に書物や荷物をまとめさせ、舟を雇って江口へ向かった。日はすでに斜め、一方では秋の江の景色が格別に美しく見える。宋代の蘇東坡(そ とうば)が詠んだ『江神子(こうしんし)』の詞を思い出すようでもあった――

 

> 鳳凰山下、雨あがり、

> 水風の情に包まれ、夕霞が映える。

> いまだ凛と咲く芙蓉(ふよう)の残り花は

> どこから飛んだ二羽の白鷺(しらさぎ)に

> 慕われているかのよう――

> ふと江上から哀しい筝(そう)の音が響く

> この苦い想い、誰が聞いてくれるのか

> 煙は収まり雲は晴れて、まるで湘水の神女か――

> 曲が終わったあと問おうとしても

> 彼女はいない、見えるのは数峰の青だけ――

 

 李生(りせい)がぼんやり眺めていると、江口に「秋江亭」という小さな亭が見えた。舟子(しゅうし)が「あそこにはいつも人が登るのに、今日は静かですね」と言う。李生は「わたしのように失意の身には、静かな方がいい。ちょっと寄ってみよう」と命じ、舟を寄せて上陸する。

 亭に入ってみると、四面の窓を開けて眺める景色がすばらしい。李生は童子に卓と椅子を拭かせ、香をたき、瑶琴(ようきん)を机に置いて爪弾きはじめる。一曲を弾き終え、ふと壁に目を移すと、たくさんの落書き――いや題詩がある。その中で草書混じりに大きく書かれた一首の詞、『西江月(せいこうげつ)』を見つける。どうやら「酒・色・財・気」の四つを罵倒するような内容であった。

 李生はそれを読むと失笑して言った。「こいつは言い過ぎではないか。人間は酒・色・財・気をまったく切り離しては生きられない。もし酒がなければ祭礼や宴会の作法はどうなる? 色を断てば夫婦や子孫は? 財がなければ人も朝廷も日々の用度に困る。気がなければ忠臣や義士はどんな意気を示せる?」

そこで李生、「ならばわたしも同じ『西江月』の詞をしたためて、この壁に書いておこう」と決意。墨を濃く磨き、力強く書いた。

 

> 三杯飲めば万事が調和し、一たびの酔いは千愁を解く

> 陰陽ほどよく合い、人は求め合う――

> まったく一人ぼっちというのは切ないものだ。

> 財は家の宝、気は命を造るもと、

> それを増そうが減らそうが、他人が仇する筋合いはない。

> 何故に四件を無理に悪く言うか、断じて違う!

 

 勢いよく書き終え、筆を投げ捨てる。香はまだ燃えているが、李生はふと眠気を催し、そのまま机に伏してうとうとした。すると夢に不思議な光景が現れる――

 風がふわりと吹き、かすかな音や香りの中、四人の美女が入ってくる。それぞれ服の色が黄色、紅、白、黒を纏っている。彼女たちは李生に深々と拝礼し、「わたしたちは“酒・色・財・気”四つの精なのです。いま、あなたが書いてくださった詞でわたしたちの名誉は守られました。感謝申し上げます」と口々に語る。

 李生は「なるほど、あなたたちこそ酒・色・財・気の化身か」と納得し、「ではそのうち“無過(むか)”――すなわち何の罪もないという一人を選ぼう。どなたです?」と問う。すると黄衣の女(=酒の精)が「わたしこそが“無過”です」と名乗り、「わたしは“三杯で万事を和らげ、浩然の気を生む”――このように酒は悪いばかりではない」と言い張る。しかし紅衣の女(=色の精)が「それなら中毒して狂う奴も多い」と反論し、二人が口論になる。

 そうして次々と「色の精」も「財の精」も「気の精」も、わたしこそ無過だと自己アピールしては他者を悪く言う。大混乱の果てに、四人は激しく殴り合いを始め、李生は呆然と制止しようとしたが、気の精が「あなたはどいて。わたしがこいつらを殺してやる!」と押しのける。そこへ琴の絃が「たん」という音を鳴らし、李生ははっと目を覚ます。四女の姿は影もなく、琴の音が余韻を響かせているだけ。

 李生は大きく息をつき、「夢で彼女たちを少し擁護しすぎた。後世の人がこれを見て“酒色財気を肯定した”と言いふらすと大変だ。やはりあの四つをどう使うかは人それぞれ……」と反省し、もう四行付け加えて書いた。

 

> 酒を飲んでも酔わず楽しむ、それが上策。

> 色を求めても乱れず節度を守る、それが英豪。

> 不義の財は取るべからず、むだな争いはやめて忍ぶが吉。

> これが修身の正道だ。

 

 そう、ここまでが冒頭の対話である。だが結論から言えば「財と色」がいちばん人を惑わせる。それに絡めば酒も気も加わり、事は悪い方へ進む――。

これから語る話は、まさに財と色にからんで重大な悲喜を引き起こし、やがては一場の“良縁”にまで収斂する、一部始終である。

 

<二 蘇家の兄弟――長兄・蘇雲(そう うん)の悲劇>

 話は国初、永楽年間に遡る。北直隷の涿州(たくしゅう)に蘇家という兄弟がいた。兄を蘇雲(そ うん)、弟を蘇雨(そ う)と言い、両親が早くに死に、母の張氏が二人を必死に育てた。

 兄・蘇雲は学才があり、二十四歳で科挙の一番に合格、殿試で二甲(にこう)となって浙江金華府(きんかふ)の蘭渓県(らんけいけん)の知県に任ぜられた。蘇雲は「母上が高齢だけれど、まずは赴任して功績を立てねば」と、荷物をまとめて出立する。弟の蘇雨は母と共に留守を守り、二人はしばし涙ながらに別れるのだった。

 蘇雲は夫人の鄭氏を伴い、使用人として“蘇勝”夫婦を連れて、まず北京の方から舟へ乗り換えるため張家湾まで行く。しかし途中、船が漏って荷物が濡れそうになり、仕方なく揚州経由でしばらく岸に上がり、また船を探す。偶然、そこに山東の王尚書(おうしょうしょ)が所有するという大きな船があって、船頭の男が「わたしの船なら安全ですよ。しかも官人と聞けば船賃はいりません」と誘う。

 蘇雲は「ただ乗りとは妙だが……」と思いつつ、船を借りることにする。実はこの船頭は徐能(じょ のう)という私商(ししょう)で、地獄のような悪党だった。表向きは「山東の王尚書の名義の船」で大きな顔をしているが、その実は闇稼業であり、仲間の顔ぶれも凶悪な連中――趙三や范剥皮(はくひ)、沈胡子(しん こし)らと組んで、客を半ば騙し半ば誘い込んでは財産を奪い、無論場合によっては命も奪う――という江賊(こうぞく)の一味であった。

 しかし蘇雲にはそんな裏事情が分からず、わりとお気軽に乗り込む。なにしろ船代は無料で、そのうえ歓迎されているし、妻子は大丈夫かなと少しは不安を感じても、そこまで疑うには至らない。

 ところが、その夜、船が黄天蕩(こうてんとう)という人気のない深い入り江に入ると、急に帆を下ろして停泊し、甲板に残っていた蘇勝が順番に斬り殺され、蘇雲は「財は要らぬ、命だけ助けて!」と命乞いするが、船頭の徐能や仲間は「活かしておくと厄介」といって、まず縄で縛り、外に放り投げる。続いて夫人の鄭氏にも襲いかかるが、彼女は泣きながら衣を引き裂き、どうにか外へ逃げる……と思いきや、実は逃げ切れず、連れ戻される寸前、もう一人の仲間――徐能の弟・徐用(じょ よう)が必死に庇って「ひとまずこの娘を押し込んでおけ。お前たちが乱暴すると余計に騒ぎになる」と助け船を出す。

 結局、蘇雲は水中に放り出され、鄭氏は混乱のうち姿を消し、財産は何もかも奪われることになった。

 

<三 蘇雲の生還――三家村での月日>

 黄天蕩の深みに沈んだ蘇雲であるが、どうにも運命が強かったらしい。偶然別の船が網を下ろしたりして、浮かんできた蘇雲を拾い上げ、命を救われる。その船には陶公(とうこう)というまっとうな商人が乗っていて、事情を聞くと「もしあなたが“王尚書の船頭が強盗だ”と訴えるなら、わたしにまで連座が来そうで怖い」と尻込みし、やむなく「告官なら手伝えない。わたしの三家村(さんけそん)にある簡素な学室でよければ、当面先生をやって食いつなぐといい」と薦める。

 蘇雲は、もはや行き場もないので「この人に感謝するほかない」と受け入れ、三家村へ同行して子弟に文字を教える暮らしを始める。以来、三家村の人々は彼を「蘇先生」と呼び、平和な日々を送った。だが当の蘇雲には、母や弟や妻のことが気がかりで、心は休まらなかった。

 

<四 母・張氏の嘆きと弟・蘇雨(そう う)の旅>

 さて涿州の家では、張氏が長男・蘇雲からの便りもないまま三年が過ぎ、末子の蘇雨(そう う)に「様子を見てきて」と命じる。蘇雨は旅の末、ラン渓(蘭渓)に着くが、そこには既に別の知県がおり、蘇雲の足取りを知る人もなく、「どうやら赴任途中に行方不明らしい」と言われ、茫然自失。

 高知県は「お気の毒だが、わたしに分かるのはこれだけ」として、同情の意を示して蘇雨を城隍廟(じょうこうびょう)に泊まらせ、費用を支給してやる。しかし蘇雨はその後発病して倒れ、ついに没してしまう。高知県は棺を買い、廟に停めて葬い、そのままになってしまう――。

 

<五 徐能が拾った赤児――徐用の反対>

 一方、強盗の頭目・徐能は黄天蕩で蘇雲夫婦らを襲ったあと、偶然まったく別の場所で「柳の木の下に捨てられた赤ん坊」を見つける。生後間もない男児で、どうやら誰かが捨てていったらしい。柳樹の下の赤児を見て、「俺は近頃妻をなくし、子もいない。こいつを拾って育てりゃ後継ぎになるぞ」と勝手に抱きかかえ、自分の家に連れ帰った。この赤児こそ、蘇雲夫婦の息子で、母が産んですぐ止むを得ず手放したあの子である。

 徐能は妻に命じて乳をやらせるが、彼女はすでに子を失った身で、ちょうど乳が出るので何も疑わず世話をした。周囲からは「坊や、よかったね、君は徐家の子になるんだよ」としか見えない。

 この赤児は徐能の庇護のもと、13歳で科挙に及第するなど驚くほど頭脳明晰に育った。名を徐継祖(じょ けいそ)と称し、15歳でさらに進学して二甲進士となった――。

 このとき徐用は内心「これは本当に兄の実子か?」と疑ったりするが、すでに子のほうは見事な才能で尊敬されており、誰も深くは追及しない。

 

<六 羅衫(らさん)・金釵(きんさい)――母子の証の伏線>

 やがて徐継祖は若くして御試にも合格し、やがて御史に任ぜられ、南京へ派遣される。途中、涿州付近を通る。そこでふと喉が渇き、井戸端に佇む老婆に「水を一杯ください」と頼むが、その老婆の顔には濃い悲しみの影があり、どうやら事情があるらしい。話を聞くと「わたしは息子を二人失くした。長男・蘇雲は科挙に受かって蘭渓へ行くはずが行方不明、次男・蘇雨もあとを追って消息を絶った。いまこうして一人寂しく暮らしている」と涙する。

 徐継祖は強く胸を突かれるが、「自分には何もできないが、いずれ出世したとき助けてやろう」と決心し、水を飲んでから立ち去る際、老婆が「これを――」と押しつけてきたのは、焼き穴の開いた羅衫(らさん)だった。老婆は「わたしが子に縫ってやったものだが、焼き焦げを嫌って誰にも着せなかった。あなたを息子に重ねて渡します。どうか立身出世をして、いつか長男たちを探してくれ」と頼む。

 徐継祖はやむなくそれを受け取り、涙をにじませつつ「いつかご恩返しを」と誓い、旅を続けるのである――この羅衫は後で「母子をつなぐ証」となる布石であった。

 

<七 徐継祖、南京で出世――徐能と再会>

 徐継祖はついに南京で御史(ぎょし)の要職に就き、若いながらも見事な手腕で評判となる。そこへ父の徐能が「ああ、うちの継祖がこんなに偉くなった」と祝いに来る。その手下・趙三や范剥皮などの悪党仲間も、こぞって「大宴じゃ」と乗り込んでくる。

 だが御史(ぎょし)・徐継祖は以前から内心「自分は本当に徐能の子か?」という疑いを抱いていた。ある日、儀真(ぎしん)から道姑がやってきて訴える。彼女は蘇雲の妻、つまり自分の生母の鄭氏であった――。さらに涿州の張氏も情報を与え、蘇雲本人も三家村に生存しているという告発が入る。

 徐継祖は「これは大事だ」とこっそり探りを入れると、徐能こそが蘇雲を襲った張本人。どうやら自分は捨て子で、しかも両親を殺されかけていた――。仰天して、それでも馴染んだ“父親”に多少の恩義はあるかもしれないが、法を犯した罪は許されない。

 急いで計を立て、徐能と仲間たちが「わしらの子分が高官になった」と祝う飲み会の席上、徐継祖はあえて振る舞いよく大酒を飲ませ、みんなが酔ったところで役人を呼び込み、一網打尽。その際、徐用だけは自分を殺そうとした時に庇ってくれた恩がある――で無罪放免にする。徐能は「むしろ息子に殺されるなら仕方ない……」と覚悟し、仲間もろとも死罪になる。

 

<八 蘇家一門、骨肉再会――>

 かくして蘇知県(蘇雲)は九死に一生を得た後、三家村から呼び戻され、涿州の老母や弟の遺骨、妻の鄭氏とも19年ぶりに再会して涙にむせぶ。命を助けてくれた徐用や陶公にも礼を尽くす。

 息子・徐継祖は「自分は蘇家の子で、名前も改めて“蘇泰(そ たい)”とする」と奏上し、朝廷から正式に許可を得る。さらに功績を認められ御史職を継続しつつ「老父と母のためしばらく帰郷を」と特別の許しをもらう。

 この場で蘇泰の“生みの母”――かつて黄天蕩で引き裂かれ、慈湖庵にこもっていた鄭氏――や老母張氏、亡くなった弟の葬い、など一つ一つ落着させ、そして喜びの宴となった。

 周囲の人々は「蘇家の再会はまこと奇しき縁だ」と語り伝え、のちに芝居や唄となって「蘇知県羅紗(らさん)再合の物語」として広まったという。

 

> 黄天蕩に沈んだ命、それでも天が護り

> 十九年の流浪、最終的に骨肉が一堂に会する

> 酒色財気の魔縁をくぐり抜け、

> いまや血筋が通った親子の久遠の物語として語り継がれる――。

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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