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※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。
※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。
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①
『琅琊榜』第十二集より。これは分かりやすい。一般書体、右上から左下へ向かう扁額だ。(厳密には扁額というより札のようなもの。)書かれているのは「戸部官運」。「戸部」という組織が管理している国営(官)の輸送運搬事業を示している。
戸部(こぶ)とは実在した中国古代の官署の名称で、戸籍や財政を管轄する機関であり、行政中枢機関である「六部」の一つであった。組織の起源は先秦時代まで遡る。その長官は「戸部尚書(こぶしょうしょ)」という名のほか、時代によって「地官」「大司徒」「計相」「大司農」などの名が用いられていた。(ちなみに現代中国で言えば、戸部は民政部や財政部に相当する。)
もうちょっと力を入れて綺麗に書きなさいと言われそうだが、まぁここはイメージを伝えるだけなのでご愛敬。「戸部官運」を篆書体で書くと、上の画像のようになる。右から左に読む。ここでは四文字目、篆書体の「しんにょう」に注目したい。
中国古代の「しんにょう」は「彳(たたずむ・すすむ)」と「止(とまる)」が組み合わさって生まれており、転じて意味としては「動作(動静)」を示すものとなっている。したがって、現代の中国や日本でも使われているしんにょうが用いられた漢字はすべて「動作」のイメージが反映されたものとなっている。また、日本の書道における隷書では、「辻」のようにしんにょうの点が二つある。これは篆書体の「彳」が原型となって生まれた二点であり、日本でも旧字ではこちらを採用していた。
②
『琅琊榜』第十四集より。こちらも右上から左下へ向かう扁額。掛け軸型だ。篆書体のように見えるが、それ以前の金体の雰囲気もある。正直、さっぱり分からない。左上などは篆書体のくさかんむりのような分かりやすい造形もあるが、特定ができない。手元の資料にはこれにピッタリ該当する字体がない。
強引に解釈すれば、右上は「土」、その下は「羶(なまぐさい)」、左上は「若」、その下は「来」に見えなくもない。金体、篆書体と組み合わせて書くと上のような画像となる。なんとなく似通っているが、すべてなんとなく違う。「土羶若来」も成語ではない。
一応、それぞれの字の解釈は次の通りとなる。
土(ど): 土地、大地、素朴、田舎を象徴する。
羶(せん): 羊のような動物の肉が持つ特有の臭み、または生臭さ。
若(じゃく/ごとし): もし〜ならば、あるいは「〜のようだ」という仮定や比喩を示す。
来(らい): 来る、到来する。
つまり、「土羶若来」は「素朴な土地の臭みが漂ってくるようだ」「粗野な臭いが漂ってくる」「野性味あふれるものが訪れる」といったニュアンスを感じ取れる。「陰謀が迫っているのだ」というメッセージだろうか。確かにドラマの展開的には、様々な思惑と画策が水面下で進行してはいる。
※この扁額(掛け軸)は別の場面でも結構印象的に描写されているので、何か特別な意図があるような気がする。
※追記:ちなみに「来」だけに着目すれば、儒学の大規模アップデートを行った論理学者の朱熹の言葉として、「継往開来(继往开来)」という有名な成語がある。これは「過去の成果を受け継ぎ、未来の大業を切り開く」という意味であり、『琅琊榜』における物語の命題とも一致する。だが、字体としてはどうしてもそのようには見受けられない。
③
『琅琊榜』第十六集より。ワイヤ―アクションの場面において一瞬だけ見切れる扁額(看板)がある。一般書体で上から下に読む。解像度の関係ではっきりとは読み取れない。おそらおく「清風茶樓(清風茶楼)」と書かれている。こちらは料理店の名前なので、特別な意図はないだろう。
『琅琊榜』第十六集より。こちらは物語に関わる重要なお墓の刻印。篆書体で、上から下に読む。一番上の文字が読み取れず悔しい。「山」の篆書体に似ているが、どうも意味が通じない。その下は「夫聶鋒之墓(夫の聶鋒[じょうほう]の墓」と記されている。左下に小さく書かれている文字には、「妻夏冬立(妻の夏冬が建立した)」とある。
※追記:その後の調査過程で、おそらく読み解けなかった一番上の文字に近い字体を文献で見つけた。おそらく「入」である。すなわち、ここに夫の亡骸が入っている(収められている)という意味ではないかと考えられる。
※画像:百度百科「妻(汉字)」より引用。
「妻」という字はかなり変遷が激しく、時代によって広く字体が分派している。戦国時代になってから「女」が意図的に反映された字になったが、それ以前は「又(男性の手)」で「毎(女性の養育)」を支えるようなイメ―ジが反映された字体であった。「男性が女性を養う」「男性が妻を守る」という中華世界の伝統的な価値観が見て取れる。
「男性は社会を守り、女性は生活を守る」。基本的に、中華世界の王朝の歴史にはこのようなジェンダーの明確な価値観があった。ただし、「文化」については宋王朝や明王朝のように、「男性も女性もほとんど分け隔てなく関与する」という時代もあった。
作品紹介