※補足1:画像は中国動画共有プラットフォームで公開されている2010年製作の中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』より引用
※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。
①傾国傾城(けいこくけいじょう/qīng guó qīng chéng)!
東漢時代、班固の《漢書·孝武李夫人伝》に「北方有佳人,绝世而独立,一顾倾人城,再顾倾人国。(北方に佳人[美しい女性]あり、絶世にして独立す。一たび振り返れば人の城を傾け、再び振り返れば人の国を傾ける。)」とある。ここから生まれた成語が「傾国傾城(けいこくけいせい / qīng guó qīng chéng)」。国や城が美女によって動揺するほどの影響力を持つという比喩で、現代風に言えば"ハニートラップ"だ。
「紅顏禍水(こうがんかすい / hóng yán huò shuǐ:美しい顔の女性が大洪水を引き起こす)」という類似する成語もある。こちらは三国志で有名な曹植(そうしょく/cáo zhí:曹操の次男)が著した《静思赋》に登場する表現。また、「閉月羞花(へいげつしゅうか / bì yuè xiū huā:月を隠れさせ、花を恥じらわせるほどの絶世の美女)」という美女を形容する表現もあって、文脈によっては傾国の美女の意図で用いられる。
孔司寇の「三都破壊」政策の強引な遂行とその失敗によって、一挙に政局が乱れてしまった魯国。そこに目を付けた隣国の斉国が、魯国を自滅させるための奸計を用いた。という訳で、定公の前に「閉月羞花」の女子がずらりと勢ぞろい。斉国は彼女たちを「同盟国に向けた特別な貢物です」という大義を掲げて送り込んだ。魯国の定公はそれを見て、にんまりと気色の悪い笑みを浮かべた。
※2015年製作、キアヌ・リーブス主演のサスペンス映画『ノックノック』では平凡で幸せな家庭を築いていた父親が、二人の美女の美女の誘惑に騙されて破滅する。ラストシーンで女優ロレンツァ・イッツォが演じるジェネシスが、こう捨て台詞を吐く。"You know, it's funny—they never say no, no matter who they are or how much they love their families. You're the same. Bye, Evan.(おかしいよね。誰であろうと、どれだけ家族を愛していようと、決して[私たちの誘惑に対して]『ノー』とは言わない。あんたも同じだよ。じゃあね、エヴァン。)"
※孔子とほとんど同時期に活躍したとされる天才的な軍事家、『孫子兵法』の作者として知られる孫子(孫武)。これは彼を主題とした2008年製作の中国ドラマ『孫子兵法(原題:兵圣)』の第二十四集の一場面で、1枚目の画像にいるのが呉国の要職に就く伍子胥(ごししょ/wǔ zǐ xū:左)と孫武(そんぶ/sūn wǔ:右)。彼らの前を通り過ぎたのは、自分たちが仕える呉国の国君、闔閭(こうりょ/hé )が溺愛してしまった貢物の美女たちであった。本ドラマでは、闔閭(こうりょ/hé )が一時的に傾国傾城(けいこくけいせい / qīng guó qīng chéng)の罠に掛かった様子が描かれていた。
中華世界では非常に代表的な奸計なので、この卑劣なハニートラップに何度でも引っかかる権力者たちに「なんでいつも同じやり方で引っかかるんだ?」と疑問を持つ者も多いだろう。だが、直接的な生存欲求は極めて制御のしにくい生物的な感覚であり、余程の規範・良識・美徳の積み重ねがなければ外部の性的魅力に抗うことは困難だ。しかも、同時並行して書いている北宋王朝の仁宗の様子を垣間見ても分かる通り、権力者は「山は高く登るほど人は孤独になる」という状態に陥りやすい。権力者は常に不安や重圧を抱えているので、女や酒に逃げたくなる気持ちも分からないではない。
②小人と女子は扱い難い!
一方、家では妻も夫の孔司寇を心配して、「あなた、どうしてそこまでして三都を壊そうとするの?どうせ壊しても建て直しちゃうのに。有毛病(ヨウマオビン/yǒu máo bìng:おかしいんじゃないの)?」と口にする。孔司寇は大きなため息をついて立ち上がり、こう言った。
孔司寇:唯女子与小人难养也!(女子と小人は実に扱い難い!)
これは《論語》の「陽貨編」に登場する言葉だ。原文には「子曰、唯女子與小人、爲難養也、近之則不孫、遠之則怨。」とある。意味は「女性と小人(劣った者)は非常に扱いにくい。距離を縮めればすぐに図に乗って、距離を取ると憎まれてしまう。」というものだ。孔子も奥さんに苦労していたのだろうか。だが、これは古代ギリシャのソクラテスとその妻クサンノッペの逸話同様に、「孔子のような理想家を夫にした妻」だって苦労をしていたはずだ。
ちなみに、後の北宋王朝時代に儒学の大規模アップデートを行う朱熹(しゅき/zhū xī)が、「この孔子の言葉は家庭内のことを意味していて、『小人』は家の男性使用人を示している」と解説している。何となく、孔子の個人的な生活を感じることのできる言葉で、面白い。
※本ドラマで妻の幵官(けんかん/jiān guān)氏が反論した言葉は名台詞だと思う。「你怎么这么说女人难道 你自己不是女人生女人养的吗(あなた、なんでそんなふうに女性を悪く言うの?あなただって女性から生まれて来たのに?)」その通りである。人類はすべて女性から産まれて来た。例外はない。孔司寇、返す言葉もなく憮然とする。
③匹夫でさえ志を奪われない!
弟子の子貢(しこう/zǐ gòng)が、定公の様子を報告した。定公は美女たちに囲まれて上機嫌で、斉国との仲介役を果たした季孫氏の「壊された城壁を再建したい」という要望に二つ返事で合意したという。子貢(しこう/zǐ gòng)は改めてこの状況を憂いて、孔司寇に「先生、ここで三都破壊の主張をいったん取り下げないと、本当に大変な立場に追い込まれます」と建言した。
だが、孔司寇はこちらも賛同しなかった。そして、「匹夫でさえ志を奪われない!(私は志を貫く!)」と返事をした。これは《論語》の子罕編に書かれている「三军可夺帅也,匹夫不可夺志也。」に由来する台詞だ。
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《論語》「子罕編」
三军可夺帅也,匹夫不可夺志也。
軍隊によって指揮官を変えることができても、匹夫からその志を奪うことはできない
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「志」の意味については、幾つかの解釈が考えられる。現代のように志(信条、信念)と捉えることもできれば、先天的性質(もともと持っていた素質や思想)と捉えることもできるだろう。「江山易改、本性難移(山河は変わりやすく、本性は変えにくい)」という言葉にもある通り、人間の自我を変えることは容易なことではない。
また、ついでに言うと、「夺(奪)」についても幾つかの解釈があり、現代のように奪取(奪い取る)と捉えることもできれば、変化(変わる)と捉えることもできるらしい。たとえば、先に名を挙げた孫子の《孫子兵法》の「軍争編」には「故三军可夺气,将军可夺心。(軍隊はその気を変えるべし、将軍はその心を変えるべし)」とある。
また、孔子も孫子も軍隊のことを「三军(三軍)」と表現しているが、これは春秋戦国時代の基本的な軍隊構成から派生したもの。当時は軍隊を「左軍・中軍・右軍」という三つの隊に大きく分けていたので、「三軍」が軍隊そのものを表す言葉として使われた。よって、現代で言う「二軍」「三軍」(下位の軍隊)の意味ではない。
④郊祭を尊ぶ孔司寇、美女に溺れる定公(季孫氏)
左から孟孫氏、季孫氏、定公、叔孫氏。美女に囲まれた宴に参加して、定公はナイトクラブ状態でもうノリノリ。「齐国的女子就是漂亮啊(斉国の女子はこんなにも美しいのか~」と言いながらベタベタと美女を触りまくる中年男性。国君の威厳など皆無である。
これはドラマの創作的な演出であり、実際に女子に溺れたのは季孫氏(季桓子)の方であったという説が有力なようだ。季孫氏は隣国の斉国から贈られた女楽(女性楽師)や紋馬(模様のある立派な馬)を受け取ると、それに溺れて政務をおろそかにするようになった。季孫氏は国家運営の中心にいる人物であったので、孔子がこの出来事に対して深い失望を覚えたらしい。
この時分、孔司寇が大変な熱を入れて準備していた国家行事があった。それが郊祭(こうさい/jiāo jì)だ。これは天・地・日・月を祭る祭祀活動で、中華世界に脈々と受け継がれて来た自然崇拝的な「天」という概念と、血統的な「祖先」という存在、それぞれを尊ぶ儀礼であった。またこの郊祭は、孔子が理想国家の原型と考えている古代の周王朝における最も重要な祭典だった。
郊祭の大まかな決まり事は次の通りである。
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<郊祭概要>
- 名称「祭天」
- 場所:南郊(なんこう)
- 時期:冬至(とうじ)
- 祭壇:天壇(てんだん)
- 特徴:皇帝が必ず自ら祭祀を行う。
- 名称「祭地」
- 場所:北郊(ほっこう)
- 時期:夏至(げし)
- 祭壇:地壇(ちだん)
- 特徴:皇帝が自ら行う場合もあれば、代理を派遣することもある。
- 名称「祭日」
- 場所:東郊(とうこう)
- 祭壇:日壇(にったん)
- 名称「祭月」
- 場所:西郊(せいこう)
- 祭壇:月壇(げつだん)
<丘の形状>
《礼記・祭法》によれば、陳澔(ちんこう)は泰坛(たいだん)、泰折(たいせつ)、泰昭(たいしょう)という丘の形状があった。
- 泰坛:円形の丘で、「泰」は「尊重」を意味する。牲畜や布幣を埋めて、地の神に捧げる祭祀を表す。
- 泰折:方形の丘で、「折」は盤のように折り重なった形を喩えている。
- 泰昭:泰壇や泰折とともに、天や地の神々を祭る場としての象徴。
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更にこまごまとした儀礼の作法があるので、当然ながらこれを実行する国君や重臣たちは何度も慎重にリハーサルをして本番の準備をしなければならない。しかし、もはや重臣たちでこの儀礼に注目する者はほとんどいなかった。
※この場面、定公は郊祭という廃れた古代の儀礼より、「目隠しをして美女に抱きつく」という宴会ゲームに夢中である。日本だとこの遊び、晩年の豊臣秀吉や京都祇園の芸者遊びで行われていたイメージがある。この酒令(酒席における遊戯)の古代の名称は不明であるが、現代では「蒙眼捉人(目隠し鬼ごっこ)」と呼ばれる。
⑤現代に転換:科学と野生の思考について
現代の梅燕(ばいえん/méi yàn)と端木(たんぼく/duān mù)が、この孔司寇の郊祭について話し合った。梅燕が「当時の人たちにとって、郊祭はどれほどの意味があったのかな」と質問すると、端木は「当時からすでに郊祭に意義を見出さない人たちも多かっただろうね。次世代の思想家、例えば墨子や韓非子のような人々が儀礼を批判しているくらいだから」と答えた。
だが、端木は「合理的ではないからと言って、古い儀礼を失くすことも時として問題がある」と言った。梅燕は「確かに、人から儀礼的な所作を取り過ぎたら、それこそ『無礼』になるもんね」と答えた。ケースバイケースであるが、この意見には一理ある。たとえば、現代日本にも受け継がれている宗教的な風習として初詣やお盆といった儀礼があるが、唯物的かつ合理的に考えるのであれば(霊魂や神などの無形の存在を否定する立場から見れば)、それらはまったく実行をする意味がないということになる。だが、それらの「意味のない」儀礼が、我々の心に安らぎを与えることもある。
文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、人間の思考には科学的な思考と野性的な思考の両面があると説いている。儀礼に縛られ過ぎるのも問題であるが、儀礼が無さ過ぎるのも問題になる。
⑥定公や重臣たち、遂に現れず
郊祭の準備が整い、儀式を始める時刻が到来した。孔司寇と弟子たちが礼服を着たまま待ち続けたが、そこには重臣や定公の姿が現れることはなかった。こうして孔司寇は「三都破壊」に続き、「郊祭復活」の取り組みも頓挫した。
「郊祭に定公が参加しなかった」というこの展開は史実には見当たらない。郊祭に関する定公と孔子の逸話としては、以下のような問答が書かれている。
《孔子家語》
定公问:“把它称作郊祭,这是为什么呢?”孔子回答说:“在国都南郊界定区域设坛祭天,这是为了接近阳位,在郊外举行,所以称为郊祭。”
定公又问:“南郊祭天时用的牺牲和器具又是怎样的?”孔子回答说:“祭祀上帝的牛很小,牛角象蚕茧和栗子一样,必须在清洁的牛棚里饲养三个月。祭祀后稷的牛只要形体、毛色完备就可以了,这是为了区别祭祀天神和人鬼的不同。牺牲用赤色牛,这是因为周代崇尚赤色;用牛犊,这是因为珍惜它的'纯洁诚信’。打扫干净一块地面来举行祭祀,是因为崇尚质朴。器具用陶制的或匏瓜做成的器皿,以符合天地纯朴的自然本性。万物没有什么可以与此相称的了,所以要依循它们质朴的自然本性。”
定公:これを郊祭(こうさい)と呼ぶのはどうしてなのだ?
孔子:国都の南郊に特定の区域を定めて壇を築き、天を祭るためです。これは陽の位置(南方)に近づくためであり、郊外で行われるので郊祭と呼ばれるのです。
定公:南郊で天を祭る際に使う犠牲や器具はどのようなものだ?
孔子:上帝を祭る牛は非常に小さく、角が蚕の繭や栗のような形をしていなければなりません。この牛は清潔な牛舎で3か月間育てられます。一方、農業の神である后稷(こうしょく)を祭る牛は、形が整っており毛色が揃っていれば良いとされます。これは天神を祭る場合と人間や霊を祭る場合の違いを区別するためです。犠牲として赤い牛を使うのは、周代で赤色が崇拝されていたためです。また、子牛を使うのは、その『純潔さと誠実さ』を珍重するためです。祭祀を行う場所はきれいに掃き清められるべきですが、これは質朴さを重んじるためです。器具には陶器やひょうたんで作られたものを用います。これは天地の純朴な自然の本性に合致させるためです。そのほかには、万物の中に、この祭祀にふさわしいものはありません。これらの質朴な本性と物品を基準にして、それに従うべきです。
※今回の題材としたのは2010年製作の中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』の第十五集。YouTubeの参考リンクは次の通り。
作品紹介